第九話








「・・・・こんなに、たくさんの方が・・・」

城の前に集まった人の群れ、群れ。

要望して、僅か三日しか経っていないのに。で、ある。

「総勢、一万四千二百二十八名。ここに揃いましてございます。」

命令が伝えられるや否や、彼は全ての部下に予め作らせていたネットワークを用いて、あっと言う間にみさおの意向を公国の遺民に 伝えさせた。

そして、集まった人数は、先の戦を生き残った者のほぼ九十五パーセントに匹敵する数。

勿論、先の戦に参加せずに新たに加わった者も存在しているので、詳細は分からないものの、とにかく先の戦を経験した 勇兵が大量に加わった事で、この軍の規模は一軍の単位においては王国で最大のものとなっていた。

「はぇー・・・この方達全員が義勇兵ですかー。想像もつかないですねー。」

給料等要らない。仕官も求めていない。唯、戦いたい。

それだけを唱和し続ける眼下の人の群れに、思わず目を潤ませる。

(あの人たちは、この忠誠を受けるに足る人たちだったんですね。)

今は亡き相沢大輔に、もうその名前を公式の場で使う事はないであろう想い人。

その偉大さは、目の前の人たちを見るだけで分かる事。

そして、隣でその光景を誇らしげに眺めている人を見れば・・・・

その主がどんな人物か、など誰にだって分かる。

みさおはその男性に視線を向けた。

それは、戦の前に一度聞いておきたかった事。

「立花様、正直に言っていただきたいのですけれど、貴方の・・・・ううん、貴方や白騎士の方々の忠誠の向かう先は・・・私ではないですよね?」

くすりと微笑んで、真剣な目を向けてくる『主』に、思わず立ち竦む。

「・・・」

漆黒の目に見つめられると、心の中が見通されるような気がして、思わず目を逸らしてしまう。それが、答え。

「いいんです。別に。私は、祐一君のことを貴方がとても大切に思っていらっしゃる事を深く尊敬しているんですから。」

だから、普段から『様』を付けて呼ぶ。

部下であっても、何処か部下のように思えなかったから。

「・・・・確かに、私の忠誠は『相沢』と言う名前にあったわけではありません。私は唯・・・」

「祐一君と、大輔様、慎一様に仕えていた。そうですね」

その通りです。と苦笑しながら頷く。

彼自身、その答えが相手に不快感を与えるものではないことを知ってはいる、が、それをはっきり言う事はやはり躊躇われた。

「私の忠誠は、今でも祐一様に向けられております。しかし、貴方方は祐一様を大切に想われ、祐一様も貴方方を大切に想われている、だから私は 自らの命を賭けて貴方方にお仕えさせていただくつもりでおります。」

それでいい。と思う。

既に、貴族としての立場も、家族も、何もかも今の祐一君にはない。

だから、この人だけは、何時までもこのままでいて欲しい。と。

そうある限り、彼は彼のままでいられる。そんな気がしたからこそ。

「これからも宜しくお願いいたします。」

一言だけ告げて、深く頭を下げる。

これは、お礼。そして、挨拶。

そして、誓いの言葉。







「さて、と。それでは我々も動きましょうか」

その噂の君は、遠く離れた地において、人に囲まれていた。

その地、ヴァルキリアでは、市街にてパレードが行われている。

それは、禁軍が帝の命を受けて、ついに王国討伐へ向かう。と言うことの為の。

実際に、祐一が、浩平が隠れている家の玄関・・・いや、店頭では、多くの客でごった返し。

澪なんかは、一度大勢の客の喧騒に『大変なの!私達のことがバレテルの!』と駆け込んできたくらい。

そんな中での、会議。まさか、万買の家で反帝国の会議が行われている事を想像する者はいないだろう。

「禁軍の出立は明日。・・・彼等が一弥達と合流するのはおよそ一ヶ月後のことでしょう。その間、兵達は分散して動く事になると聞いています。」

それを聞いた時、祐一は思わず『ケチな真似を』と思った。

合流地点を決めて、兵を分散させて向かわせる。

期日までに到着出来なかった者には厳罰。とだけ告げ、他には何もしない。

そう、旅の為の食糧、賃金を預ける事も。

自分で旅の費用を払って戦に行かされること等考えても居ないだろう。

唯、それは、帝国からすると仕方のない事。

六万人の一か月分の食糧等、今の帝国に捻出する余裕はない。

唯でさえ、合流後の食糧、十五万人が2ヶ月行軍するだけの食糧を捻出するだけで精一杯なのだから。

穀倉地帯の公国領、そこでの年貢の取立ては上手く行っていなかった。

「つまりは、何かヴァルキリアで事が起こったとしても、相手は纏まっての行動をするには相当時間がかかります。こちらに とっては非常に有難いですね」

「だな。つまりは、残存兵力の四〜五千を相手に逃げちまえばこっちの勝ち。ってわけだ。」

横から口を挟む浩平に頷く。

「そう。しかし、四〜五千と言ったらこちらの十倍。相手にするには多すぎる数です。」

こちらの兵力は、せいぜい・・・女性や老人、子供まで動員したとしても、千と百に満たない程度。

しかも、戦闘要員はその二,三割と言った所。

勿論、戦闘要員以外の人々を巻き込むわけには行かない。先に逃げてもらう事は前提条件である。

「だから、部隊を二つに分けます。一隊が相手をひきつけている間に、もう一隊が牢を破る。単純な手ですが、相手は まさか王都で乱が起こる事など予想もしていないでしょう。」

だから、成功します。と、力強く。

こういった策を立てるときに、指揮官は自信を持たなければいけない。

指揮官が『失敗するかも』と思ったとき、部下はその二〜三倍、同じ事を思うもの。

結局、そう言う態度は表面に現れるものだから。

「・・・本隊、牢を急襲する部隊は私と浩平が行きましょう。・・・・もう一隊は澪さん、いいですか?」

『大丈夫なの。任せてなの』

スラスラとペンを走らせる音、そして、上げられた紙を見て、微笑む。

「えっと、店の資産や、こちらの味方の家族の方々の避難は・・・」

傍に備えている、公国の間諜の長を務めている男は、やんわりと微笑む。

「全て、仰せのままに。既に旧異端者隔離地域の辺りに向かわせております。あの地域に入ってしまえば、相手もそうそう追う事は出来ないでしょうからな」

祐一がOK。と軽く頷く。

「それと、美坂家の栞様もその中に加えております。・・・それにしてもこの国は腐敗しておりますな。門を超える時の検問、 金貨を5枚ほど握らせただけで検問抜きで通らせてもらえたそうですぞ」

それを聞いて、くすくすと笑う。

ちなみに、金貨5枚と言えば、普通の門番の給料の3か月分くらいにはなる。

「まぁ、帝国において爵位まで得ている人が敵とは誰も思わないでしょう。・・・浩平、怖くなったか?」

最初にその事を聞いた時、浩平も『おいおい』と思っていた。

王国に置いて、自分が普通に話している相手が公国の間諜である可能性の存在について。

「へいへい。どうせ、俺達が何しようとお前に筒抜けってことは良く分かったよ。」

浩平の返答に、部屋中がどっと笑う。

「それでは、動くのは明後日の夕方。・・・全員、為すべきことが終わったら門を突破し、旧異端者隔離地域に逃れます。」

そして、と繋ぐと一息入れて

「私や浩平が、もしも期日より一日経っても戻らなかった時には、死んだ者と考え、澪さんに従ってください。」

その言葉に全員が椅子から立ち上がり、膝を付いて叩頭した。







その異変に最初に気がついたのは、誰だっただろうか。

出陣のパレードを終えて、その数日後。ようやく、喧騒が止み、誰もが自宅でまどろんでいた頃。

空が、赤い。

「火事だ!・・・全員、消火に当たれ!」

憲兵が、赤い空に向かって駆けて行く。

燃えたのは、国府の倉。

武器や、食糧を収めていた倉が、火を噴出していた。

油を使ったのか、火の周りの速さに、兵達が慌てて消火作業に入る。

その数、およそ三千五百人。城を警備する為の千人程度の兵以外のほぼ全ての兵が、その場に集った計算となった。

火が消し止められるまでにかかった時間は、小一時間にも及ぶ。

倉の中身はほぼ全焼。その事実は、帝国にとっては非常に大きい。

勿論、国中に倉庫等数百とある。その中でヴァルキリアにある数十の倉のうちの、たった二〜三。ただ、それでも、数百人が十日以上暮らせるほどの食糧が、数百人を武装させるだけの 武具が、灰燼と化した。

消火作業を終えた兵達は、そのまま周辺の捜索に当たる。

が、その火を付けた者達は、既に何処にも見当たらなかった。

彼等は、その後城の警備に当たる。

それは、元の千人程度で当然足るものだったが、こう言った予想外の事が起こった時、思考内容は恐ろしく限定的となってしまう。

そう、帝都内に潜んでいる敵の間諜は、帝の首を狙うのではないだろうか?と。

だから、彼らは愚直に城の周りを、倉の周りを固める。

それに、兵力の大半をつぎ込んでしまった。

そして、別の知らせが慌てて飛び込んできた時には、状況は一変する。







「上手くやってくれたみたいだな。澪は。・・・景気良く燃えてやがる。」

遠くの空は、赤い。

「流石澪さん。・・・しっかりと、民に損害が決して出ない場所を狙って火を付けてくれたよ。それでいて、一番衝撃の大きな所に。」

ニィッと笑って顔を見合わせると、祐一、浩平は後ろを振り返る。

帝都に潜んでいる味方の中から、武器の扱いに長けた者だけを集めた二百人程度の集団。

誰もが、普通の兵を相手にするくらいなら二人相手でも渡り合えるような腕利きを集めている。

目の前には、既に石作りの建物が見えていた。

森の中を切り開いて作られた、収容所。

中に送られた者は生涯外の光を見ることなく、その生を終えると言う、悪夢の場。

「さぁ、破りましょうか。・・・おそらく、警護の兵は百と残っていないでしょう。」

でも、油断は出来ない。騒ぎを起こせば、あっと言う間に帝都から兵が駆けつけてくる。

そうなれば、たった二百人の集団。包囲殲滅は火を見るより明らかだろう。

「ああ。・・・祐一、お前は俺の後ろから来い。お前に何かあったら、俺の妹が泣くからな」

ちぇっ。と軽く舌打ちをしつつも、頷く。

あの夜以来、何処となく『陰』の部分が消えたような気がする浩平は、誰よりも頼りになる相棒。

「任せた浩平。・・・しかし、まぁ。とりあえず、あそこの門番を何とかしないと、な。」

草むらに見を隠しながら、前を向く。

門の前に、二人。兜は被っていないものの、槍を持っている。

もし騒がれると面倒だった。

「弓は苦手なんだがな・・・」

やれやれ。と草むらの中で矢を番える浩平。

「祐一様」

そして、祐一自身が、後方から差し出される片手式の弩を受け取り、構える。

「そういえば、お前は武芸百般だったな。・・・しかし、弩は初めてじゃないのか?」

弓射にかけては名人。が、片手では弓は使えないだろう、と浩平が。

そして、他の者に任せた方が良くないか?と聞いてくる浩平に、笑顔を見せる。

みさおの元に身を寄せて以来、祐一とて何もしてこなかった訳ではない。

剣の腕を鍛え、と、同時に体の鍛錬。

そして、片手でも使えるように強度の代わりに威力を犠牲にした特注の弩を撃つ特訓。

何度も使うことは出来ず、しかも威力も鎧を貫けるほどではない。

けれど、飛刀より射程は長く、喉や顔等、所謂鎧に守られていない部分なら十分に貫けるそれは今の祐一にとっては大きな武器となる。

毎日、佐祐理達が夜何か気配を感じていたのはこのこと。

壁に的をくくりつけて、毎日何十、何百と撃って来た。

祐一は自らの飛刀の腕に自信を持っているが、当然一長一短はあるもの。

射程が長いのは弩。連射が利くのは飛刀。

だからこそ、鍛えた。それが、戦場で少しでも役に立つのなら、と。

「大丈夫だ。練習したからな。・・・・少なくとも、お前の弓よりは、な。」

それに、と心の中で呟く。

ここで成功しないようではとても戦場では使えないからな、と。

この野郎。と苦笑しながら睨んでくる浩平。

「よし、同時に行くぞ、祐一。・・・3,2,1」

GO。と聞いたのが先か、矢を放ったのが先か。

全く同時に放たれた二本の矢は、二人の兵の全く同じ所・・・喉元に一瞬で突き刺さる。

先ず即死。息があったとしても、喉を貫かれて声を上げられる人はいない。

「よし、行くぞ!」

浩平の号令に、あちらこちらの草むらから一斉に人が踊り出ていった。







収容所と言っても、その中身は牢屋とはちょっと異なる。

別に、鉄格子の中にいるわけでもないし、鎖で縛られているわけでもない。

唯、部屋の中に居ることが『要請』され、と、同時に扉の外には常時武装した兵が『護衛』している。それだけのことである。

それは、対外的にも国内的にも、貴族の立場にある者を牢屋に入れることはまずい。と言う考えから作られたもの。

今では、収容されている人数は百人近い。

王に逆らった者。公国を立てる発言をした者。・・・・人に対する差別に反対した者。

ここにいる者は、大抵そう言った『訳有り』の人達ばかりである。

「あなた、・・・外が」

夜。何時ものように味気の無い食事を取り、何時ものように互いに自らのベッドに入り、目を閉じる。

彼等は、帝国において著名な人物ではない。唯、実直な人柄を誰からも認められていた、そう言った人物。

貴族の位は伯爵位。その家の名前を入れて、天野伯爵と呼ばれている。

「分かっている。・・・・とうとうお迎えが来たと言うことだろうな」

長いような、短いような、そんな人生に思いを馳せる。

貴族の、その中でも名家に生まれ、国府に取り立てられて、相当の地位を得た。

妻も得て、可愛い娘も居た。

それが、あっと言う間に軟禁生活。たった一言、帝に自らの意見を述べた事で。

「と、言う事は美汐の身に何かあったと言う事でしょう。・・・あの子には本当に可哀想な事を」

自分たちが命を失うのは、娘の身に何か会った時。少なくとも、それまでは娘の身を縛る為に生かされている。

それを知った時、命を絶とうとした。でも、面会に来た娘は次の王になるまで自分が頑張るからそれまで耐えて欲しい。と言った。

だから、虜囚の身に耐え続けた約十年。それも終わりが来ると想うと虚しくも思えてくる。

「まぁ、天に昇って家族全員で暮らすのも悪くないだろう。・・・さ、こっちに」

妻に向かって手を差し出す。

「ええ。・・・・あなた、後悔はしていらっしゃいますか?」

どうせ殺されるのであれば。と、夫に身を任せ、胸の中で小さく、尋ねる。

公国を貶す帝から、公国を庇った事。

その一言さえ言わなければ、彼等は貴族としてあり続けていただろう。

「後悔等してはいないさ。あの場で何も言わずに居たら、私はご先祖様や自分の信念を裏切る事になってしまっていた」

その答えに、満足げに頷く。

「聞いた話では、公国は帝によって滅ぼされたらしい。・・・・惜しいことを。天に昇ったときには祐一様や大輔様、慎一様に 謝らなければ、な」

「あの方達は、許してくださるでしょう。・・・美汐の事も、初めてあった時も・・・・・・あの子は緊張の余り挨拶もほとんど言えなかったと言うのに良くして頂けました。」

小さい頃、初めて会った公爵に、緊張の余り固まって居た娘に、優しく頭を撫でてくれた初老の公爵と、軽く笑いかけてくれた公子。

一度として忘れた事は、ない。

外から騒ぎが聞こえてくる。何が起こっているのかは分からないが、尋常の事ではないだろう。

おそらくは、野盗を繕って自分たちを討とう。と言うことだろうか。

小賢しい真似を。と小さく苦笑。

そして、扉が破られる。

剣を構えた男性が一人。その後ろから、また片手で剣を構えた男性が。

「おぉ。君達が私達を娘の所に送り届けてくれる方々か。どうやら腕も良いようだ。出来れば、痛みを感じないように一気にやっていた だきたいものなんだが」

その程度の希望を叶えてくれてもいいだろう?と苦笑しながら告げると、相手の方も小さく笑いを浮かべた。

「なるほどな。貴方は帝のことを良く理解されているようだ。確かにあの皇帝なら要人を殺す時は野盗を語らせるだろうな。 だが、俺達は別にあの帝の命で来たわけじゃない。」

あえて言うのなら、こいつの命か?と言ってぐいっと押し出された青年・・・いや、少年は、驚いた事に片腕が失われていた。

その少年が、剣をもう一人の男性に預けると自分たちの前に向かって二,三歩歩み寄り、勢い良く膝を付く。

そして、頭を床に擦りつけて

「本当に、申し訳ありませんでした」

何故謝られているのかが分からない。

それ以前に、相手の正体すら分からない。

狐につままれたような感じで、少年を眺める。

片手の無い少年。おそらくは、武人。

後ろの青年と良い、相当の使い手であることは剣を見れば分かる。

何故か、この建物中から聞こえてくる喧騒が、静まり返ったような感覚。

「おい、なぁ。あちらさん、訳がわからずに困ってるぞ?」

ポリポリと頬を掻きながら、青年が自分たちの言いたいことを代弁してくれたことに感謝する。

それを聞いて、一瞬少年が顔を上げて、・・・そして、語る。

『私達を庇ったせいで、このような仕儀になってしまったことに対して、です。』と

それは、全ての真相。

目の前に居る人物が、何者か。そして、この戦闘が何の為に行われているのかの。

夫婦は、一瞬顔を見合わせる。

そして、立ち上がり、少年の下へ。

青年に軽く目配せをすると、意思を汲み取ってくれたのか、少年・・・いや、相沢祐一を抱え上げてくれた。

そして、申し訳なさそうな顔で自分たちを見つめてくる瞳を見て

夫婦は揃って膝を付く。

「お久しぶりでございます、公子。ご無事でなによりでございました」

そう、二人で、告げる。

「おっと、今はもう公爵様でございますな。・・・さぞかし前公爵様もお父上様もお喜びの事でしょう」

彼は、両者共に面識がある。

英雄と、その息子。そして、さらにその子供が目の前に。

三代続けて、彼の家は天から英雄を授かったと言う事がはっきりと分かる、目の前の少年の、目。

「あ〜。ご挨拶はいいんだが、そろそろ一緒に来てくれないもんだろうか。そろそろ帝都から増援がやってくるからな」

そう言って青年がほいっ。と剣を投げる。

「お二人とも、こいつと私の間に入ってください。お守りさせていただきます。」

そんな!と声をあげる妻を視線で嗜める。

相沢祐一公爵は世界一の使い手。その腕前を疑う事は逆に失礼に当たる。と

「全てお任せ致します。何とぞ良しなに」

そう頭を下げて、黙って二人の間に入る。

これを、と渡された衣を身に纏う。おそらくは魔力を秘めた衣だろうと言う事は、淡い光を見るだけで分かった。

「頭は手で抱えていてください。矢は全て打ち払うつもりではおりますが、流れ矢が飛んでこないとは限りませんので」

「御託を並べている暇はない、祐一!行くぞ!」

そう言って駆け出す青年の後に慌てて続く。

あちらこちらで聞こえる喧騒と、剣戟の音、悲鳴、罵声。

「全員、撤収だ!!」

青年の叫びに、『応!』と声が上がる。

怒鳴り声を上げた青年に、それが指導者と悟ったのか二,三人の兵が槍を構えて突進してくる。

危ない。と声を上げたのは伯爵その人。

が、誰も助けようとか、援護しようと考える事も無く・・・・

一瞬だけ刃が煌く。

気がついたときには、倒れ伏しているのは兵の方。

恐ろしいまでの腕に、誰も彼を援護しようと思わない理由が分かる。

「流石に、弩だけじゃなくそっちの腕も落ちては居ないな。」

その青年が、くすっと笑って後ろの・・・・相沢祐一の方を向く。

倒れ伏している遺体を見ると、その内の一人の喉元には一本の小刀。

・・・・改めて、自分の両側にいる二人の飛びぬけた実力を知り、安堵と尊敬の念を抱くと共に、自分たちは確かに助かったのだ。と言う事が 改めて理解出来ていた。







そして、暫く駆ける。

馬は音を立てない為に用意して来なかった。本隊と合流後に受け取る事になっている。

その為、長い軟禁生活を余儀なくされてきた人達にも駆けて貰わざるを得ない。 一部の老人等は若い兵士に抱えさせてはいるが、全てを賄えるほどに戦力に余裕などあるはずがなかった。

後方からは、帝国の兵が罵声を上げつつ追って来ている。

数は、おそらく五百を下る事は無いだろうか。

しかし、それはむしろ少ないくらい。それだけならば。と祐一自身も安堵の溜息を吐く。

此方の数は、二百人程度の戦闘部隊と、百人強の護衛するべき人たち。

唯、ある程度怪我人が出ていたので、戦闘部隊のうち二十人程度は先に退かせていた。

なので、実際に戦闘に耐え得るのは護衛を除けば百人強。しかし、そんなことは祐一自身全く心配していない。

「おい!そろそろ規定の場所に着くぞ!」

目の前の敵兵を一刀の下に切り捨てながら叫ぶ浩平。

それに祐一が分かっている!と大きく声を上げて、後方に向かって手を上げて合図を送る。

その合図を受けた戦闘中の部隊は、即座に側方に散会

そして、次の瞬間

一瞬の相手の思わぬ行動に思わず足を止めた帝国の部隊に、雨が降り注ぐ。

死を招く、鉄の雨が。

祐一の前方には、先に火を放って逃れた者、元より帝都から全員分の資産等を運んで持ち出したもの。

それらの者達が、一斉に弓を放っていた。

女性や老人であっても、多少の訓練を行えば真っ直ぐ撃てる様にはなるもので。

単純に、前に飛ばすだけ、と言うことで・・・・狙いはつけていないけれど。

とにかく、それだけの数が飛ぶ事が重要だった。

所詮は数を頼みに追ってきただけの五百人。四,五百人に届こうかと言う人数が一斉に矢を放ってくれば逃げ去るのはある意味必然だろう、と祐一は思って、思わず安堵の息を吐く。

と、同時に矢を一斉に放つ指揮を取る、顔見知りの顔を見て、思わず顔に笑顔を浮かべた。

「澪さん、助かりました!」

にこにこと笑いながら澪が駆けてくるのを、その場に留まったまま見つめて・・・

駆け寄って来た澪に手を差し出す。

(言葉を喋れないって、辛いの)

本来なら、『無事で良かった』って言いたくて、でも、出来ない。

でも、手を差し出してくれている方は此方のそんな感情なんてお見通しのようで・・・・

澪は、両手で差し出された右手をキュッと強く握った。

その、大きくて、優しい手を。







「改めて、御礼申し上げます。公爵閣下」

全員で合流をすると、それぞれに馬が、そして、怪我人を輿に乗せる。

余りゆっくりしている暇はないものの、小休止を取る程度の時間はあるだろう、と。全員が一先ず水をのんだり、鎧を脱いだりしている時

十数人の集団が、祐一の前に集い、一斉に膝を付いた。

「止めて下さい。私はもう公爵ではありませんし、それに貴方方がこうなったのは此方に責があるんですから。」

苦々しい顔で、それらの人々を見つめる。

自分達等庇わなければ良かったのに。とは、絶対にいえない。

それ以上の侮辱は、ない。だからこそ。

その祐一の言葉に『違います』と声を上げたのは、初老の男性。

「我々は、自らの信念に基づいて行動をしたまででございます。貴方様方には、何の責任もない。で、あるのに貴方様は命を賭けて 我々を救ってくださった。」

そう言って、額を地に擦りつける男性を眺めると、さらに困惑の表情が浮かぶ。

「いいんじゃねぇの?祐一。お前のしたことでこの人たちは助かった。で、その人たちがお礼を言いたいって言うんならそれを受け取ればいい。」

偉そうな物言いに、非難の視線がいくつか。

公爵閣下相手に無礼な物言いをするこの男は何者か?と。

でも、その人達も言っている事自体は間違っていない。と頷く。

「分かりました。・・・それでは、どう致しまして。と言わせて頂きますね。・・・それで、ですが」

「この後の我々の行動について、ですかな?」

「天野伯爵閣下、その通りです。予定としましては、このまま旧異端者隔離地域を抜けて、王国に出る予定で居ります。道中の手配はしておりますが」

一応ご確認を。と言われて、驚愕の声と、恐れるような声が。

彼等の中には、王国は敵国だ。と言う感情がある。

「大丈夫です。一応あちらの王太子の許可は得ていますから」

ははは。と乾いた笑い声を上げる。

「しかし・・・彼の国が本当に我々を受け入れてくださるのでしょうか?」

相当失礼な行動を帝国は行ってきた。蛮夷と罵り常に敵対する姿勢を見せていた。

それだけに、その場で貴族の位置に居た者を好意的に受け入れてくれるのだろうか?と言う不安が、ある。

そして、困ったように横の青年を見つめる公爵閣下

視線を向けられた青年は、両手を挙げて、お手上げのポーズ。

「ったく、しょうがねぇな。お前一人で説得してくれれば楽だったものを。」

そう告げた青年が、剣の鞘を全員に見えるように掲げて

「俺の名前と命を賭けて制約する。王国は相沢との約は必ず守る。もし、破られた時は、俺の命を持って贖う。・・・これでいいか?祐一」

鞘に掘られた紋は、王国の印。

「・・・・・・・や、お前の立場を明かさなければ何処にも説得力は無いと思わないか?浩平」

唯の自己陶酔をしている人間が偉そうにくっちゃべっているだけに見えるぞ?と。

『お間抜けなの』

そして、横から文字をにゅいっと突き出されて

ぐ。と青年は息を詰まらせる。

「浩平・・・?」

しかし、ただ一人だけ・・・天野伯だけが怪訝そうな顔で繰り返した。

聞き覚えのある名前、相沢公爵閣下との友人のような態度。

折原の英雄王太子の名前は・・・・・

導き出される答えは、一つ。

「そう、でしたか。王国の王太子殿下でございましたか」

どうりで対等の物言いをしているわけだ。と納得。

王国の王太子は、相沢公子と幼少の頃からの無二の親友同士。と聞いていた。

「これは大変ご無礼を致しました。まさか王太子殿下がこのような所に居られるとは」

相当に無茶苦茶な所があるとは噂に聞いていたが、まさか帝都に忍び込んでいるとは思わなかった。

それだけに、その言葉には信頼が生まれる。

それだけの危険を犯して自分達を助けてくれた人。信には信で答えなければいけない。

「分かりました。全てをお任せいたします。」

どうか我々を導いてください。と頭を下げられて困惑しながら、祐一は軽く頷いた。

「唯、一つ言っておきますが・・・・私はもう公爵でも相沢の当主でもないんです。委譲しましたから」

だから、『祐一』とでも呼んで下さい。と言って、軽く笑う。

「もう、相沢家の当主である相沢祐一と言う存在は、居ないんですよ。何処にも」

それが、たった一つの願いです。と笑顔を浮かべたまま言われて、全員が困惑しながらも頷いた。







「・・・・・みさおちゃんが?」

こちらに向かっております。と伝令に来たのは、赤い髪の少女。

先日彼の地で会ったこともある。他でもない、みさおを暗殺に来た少女。

瑞佳はちょっと不思議そうな顔をした。

「はい。王女殿下は、今後の対策を立てる為に一度話し合いをしたい、と。」

それを聞いて、その行動の早さに舌を巻く。

自分達はまだ、どうしたらいいのか迷っている間に、義妹は既に動き始めていたと言う事に。

「でも、みさおちゃんの所の五千人の兵はどうなっているのかな?みさおちゃんが居ないと・・・」

クスッと赤い髪の少女、美汐が、笑う。

そして、『五千ではありません。二万です。』と

その人達は、既に立花将軍閣下の下、訓練を行っておりますよ。と言われると、瑞佳自身恥ずかしくて二の句が継げない。

浩平のたった一人の妹が、戦場に一度しか出た事の無い少女だけが、中核と言える存在を二人も欠いた王国の中でたった一人、しっかりと 行動を起こしている。

気がつくと、そこに居る将達、誰もが唇を噛んで俯いていた。

誰もが、みさおが新しく今の立場につくと聞いた時、『可哀想』と思った。

戦場を知らない者をあんな重要な立場に置く事を。その重責に痛むであろう心を。

(恥ずかしいよ。・・・・浩平)

彼女を侮っていたのは、自分達。