第六話








「やれやれ、・・・・一年ぶりって所かね?」

近づいて来る城門は、何時ものように壮大で、強固に思えた。

「俺は・・・初めてだなぁ、思えば。・・・どうだ?澪」

『・・・・』

ポカン。と城門を見上げている澪には文字を書くだけの余裕もないのか。と判断して、浩平は祐一の方を向く。

「で、だ。どうやって入る?・・ここまでは異端者の土地を抜けてきたから関も少なく済んだが・・・・これ以上は」

いくらなんでも、帝都たる城下町の門。そう簡単に通れるはずはない。

常に見張りは立っているし、通る為には通行手形、又は市民票が必要となっていることも有名な話。

「実力行使で通れないこともないだろう、が。・・・流石に通る事は出来てもその後はどうしようもないだろうしな」

「そんな馬鹿なこと、最初っから考えているわけもないだろうが。・・もう少し頭を使え」

思いっきり急所を突かれてぐぅの音も出ない浩平を見やって溜息を一つ。

この男は隠密には向かないだろうな。と思った。

「何のためにあっちこっちに入り込ませているのか分かってないのか?・・・ほら、もうすぐに迎えが来るよ」

前回来た時には、名雪が迎えに来るからと何もしなかったおかげで死の渕を彷徨った事を覚えているだけに、今回はしっかり 前もって手引きをしておいた。

「・・・・商家?」

門をこちらに向かって通ろうとしているのは明らかに商人と分かる風情の者達。

気がつくと、こちらに向けて深く深く頭を下げている。

「お久しぶりです。今回もお世話になりますよ」

如何にも商売相手の知人と言った風を装う祐一に、一瞬唖然としつつ・・浩平と澪も馬から降りて近寄って来た男に手綱を預ける。

「いえいえ。何時もご贔屓にさせていただいておりますからな。今回は我が家の方へもお立ち寄りいただけるのでしょうかな?」

その中の、恰幅のよさそうな男が話し掛けてくるのに笑顔を返す。

「そのつもりですよ。色々と土産話もありますからね。・・・あぁ、この二人は連れですが、一緒にお願いできますか?」

そう言われて、澪も浩平も慌てて一礼。

「勿論ですよ。それでは、こんな場所で立ち話も難ですから・・・」

どうぞ。と先頭に立って歩き出す男に続いて歩く。

門番達も、帝都でも有数の商人の連れと言う事か、特に調べる事もなく彼等を通す。

万が一、この貴族とも繋がりがある商家に不快感を抱かせてしまったら自分達の首なんて簡単に飛んでしまうであろう事を知っていたから。







「やれやれ、ですね。・・・・アドリブを幾つも考えていたのに、あれだけ簡単に通してもらえると張り合いが無さ過ぎます」

秋子さん達が頑張っても結局この様ではしょうがないかな。と溜息を吐く。

そんなことを言っているのは、商家の中の一室。

座っている祐一、浩平、澪の前には十人程度が鎮座している。

祐一達が、この地における活動を任せた纏め役の者達である。

帝国における間諜の数は千人弱。唯、その中のほとんどは普段は普通の生活をしつつ、たまに・・・突然の来訪に際し、隠さなければいけない人間をかくまう事。

又は、例えば国府に勤めている者などは何か情報が手に入った時、この店に買い物に来てその際に情報を落としていく。

お得意様の貴族が、世間話をするかのように奥に入って店員と話をしていることを怪しく思うものはいない。

また、普通に町を歩いていて聞いた噂を落としていくものも居る。が、別に忍び込んだりするわけでも、 誰かに危害を加えたりすることも無いので尻尾が掴まれる事はありえない。

無理はしないし、させない。だからこそ、誰にもバレルことなく、諜報が入り込んでいる事すら知られずに行動出来ている。

いや、と言うより、むしろ間諜、と言う言葉自体が相応しくないくらいに溶け込んでいる。帝国の誰もが自分達と同じ帝国民だと思っているし、彼等自身もそう思って行動しているのだから。

そして、その中において、その集まった情報を持って実際に飛び回るのが百人程度と言った所。

彼等は、危険な仕事をすることもあるし、実際常に王国と帝国の間を飛び回っても居る。

それらの者の纏め役が、この十人。

祐一が信頼している者達、である。

「我々は一応大商人。と言う事で通っておりますので。・・・下手に疑うのも彼等の立場を怪しくしてしまいますからな」

創業数百年の、澪はおろか浩平でも知っているような大商店である。

この店が唯の間諜でしかないと知り、浩平自身、王国のどの部分に間諜が入っているんだろうか。と冷や汗を掻いたのは事実。

「それにしても・・・」

と、全員が整列して

「よく、よく生きていてくださいました。・・・ここに居る全員で我々のやり方で仇討ちをしなければいけないと思い悩んでおりましたので」

商人としての戦い方はあるのだ。と彼等は言う。

戦とは、兵のみでやるのではなく、経済や食糧等のカテゴリは非常に大きい。

「止めて下さいよ。・・・もう相沢の名前を名乗る気もありませんしね。」

やれやれ。と苦笑しつつも、本心から嫌がっては居ないように浩平には見えた。

「そうですか?・・今では祐一様の人気はたいしたものなんですけどね」

クスクスと笑う壮年の店主を不信そうに見上げる。

「俺が・・・ですか?・・・てっきり、大罪人として唾棄すべき人間と言われているのかと思っていたんですが」

「外に行って『相沢祐一と言う方をどう思う?』と民に聞いてみれば明らかですよ。誰もがロマンチックな方、と言うでしょうね」

それを聞いて、思わず浩平、澪と顔を見合わせる。

誰がどう見ても、相沢祐一と言う人間と、ロマンチックと言う言葉の間には余りの開きがあるように思えた。

「そうですね・・・聞いていいことなのかは分からないのですが・・・・倉田皇女殿下はお助けに?」

祐一が話の繋がりが分からない。と不信そうに見上げる。

「まぁ、助けていただいたのはこっちですが、佐祐理さんは元気ですよ。・・・・それが何か?」

その祐一の言葉に、近くにお茶を置いていた女性が頬を染めて、・・・他の者達も多少沸き立つ。

「・・・そう、ですね。いや、これは私が言わない方が面白いでしょう。一度町に出てきては如何でしょうかね? 勿論、祐一様方の事情も分かってはおりますが、どちらにしても性急に事を運んでも仕方ありませんしな」

今祐一の顔を見たら、一体幾つ『?』マークが浮かんでいる事だろうか。

「まぁ、いいんじゃないか?俺も帝都の中は見てみたいしな。澪もそうだろう?」

『見たいの』

どうやら、どちらにしても選択肢はないようだった。







「・・・これはまぁ、何とも・・・・」

ゲラゲラと笑い転げている浩平の前ではハンカチで目を拭っている一団が

澪自身も、笑っていいのか祐一を慰めるべきなのかと迷った様子でオロオロとしていて・・・

祐一は、唯

真っ白になっていた。

「これ、お前だよな?・・・・で、あれは佐祐理か。俺は今日始めて帝国と言う国に敬意を表する気になった。」

隠密行動のはずの男を指差し、佐祐理を呼び捨てにする行動。

普段であれば、『そんなことを人前で叫ぶな!』と怒鳴りつけるはずの祐一は、何も言えずに固まっていた。

「ドコガドウナッタラ・・・・」

祐一は、基本的に演劇とか、音楽等には精通している。公爵代理位に居たときも付き合いで見に行った事は幾度もあるし、個人としてピアノを得意ともしている。

だが、これほどまでに人で溢れる劇場と言うものはついぞ見た事がなかった。

目の前には、何やら感動的な物だ。と思わせるような題名と、主演の名前。

そして、一番祐一を固まらせたのは主演の男優の役の名前と、女優の役の名前。

誰がどう見ても、それは『自分』や倉田佐祐理の名前にしか見えない。

一応、遠慮しているのか、問題にならないようにしているのか、多少の変更は見られているものの、それを『これは自分ではない』といえるほどに彼の神経は図太くない。

「どうでしょうか?・・・帝都に来た記念に一度見ていらしては。・・・一応チケットも取っておりますが」

何時の間にか近寄って来た男性。間諜の長の座は伊達ではないらしい。

それに対して、絶対行かない。と祐一は首を大きく横に振る。

「それでは、我等の館でごゆるりとお休みになさって下さい。お連れ様方は・・・・どう致しましょうか?」

残念そうに見上げる二人を無理やり引きずって連れて行く。

でも、澪がとっても・・・とっても残念そうな顔をしていて・・・

「分かりました。俺達は先に帰っていますから、澪さんは見ていらしてください。」

そう、告げた。

何か、どっと疲れが溜まったような気がした。




その後、あまりにも冷やかしが過ぎて、最後には祐一によって館の二階から外に蹴り出された青年の姿が居たと言うのはまた別のお話。







「それで、俺達がこうしてやってきた理由ですが・・・」

分かってますよ。と誰もが頷いて答える。

「私共も、とうに掴んではおります。場所、警備状況。唯・・・」

歯切れが悪い。

そう感じて祐一自身もちょっと警戒する。

「警備は相当強固になっておりますね。・・・私共の戦力は多く見積もってもせいぜい三,四百と言った所ですが、常時の警備兵が五百。しかも、 時間がかかれば当然禁軍が出陣してくるのは間違いないでしょう。」

五、六百人程度の女性、老人を含んだ団体は前もって店の資産等を運び出さなければいけないので、と言うのに祐一も頷く。

武器を持ったことも無いような女性を戦場に立たせたいとは思わないし、何より、この店の資産を持ち出すことは後々の為に大いに役に立つであろう事は理解出切るから。

また、禁軍の兵力は今では五万を数えている。これは、王国に対する進撃に備えた物だ。と言われているが、おそらく事実であろう。

「裏を突いて逃がせたとしても、到底王国までの脱出は・・。万が一にも祐一様方に何かありましては取り返しもつきませぬし」

ふむ。と考え込む。

確かに、自分はともかく、浩平、澪の身に何かがあれば一大事どころの騒ぎではない。

「しかし、それでは何時まで立っても時間がありませんが?」

禁軍とは、王の私軍。王が命令を出さない限りは、常に王の傍にあり、王を守る者。

「いえ、そのようなことは。・・・・一つだけ考えがございます。」

禁軍が帝都から離れた時を。と言われると、確かにその時以外に可能性はないように思えた。

(しかし、それでは余りにもタイミングがギリギリになるなぁ・・・)

「もう少し、マトモなタイミングがあればいいんですが。・・それではギリギリになってしまう。それに、栞が殺されてしまう可能性もあります。」

自分たちとしても、禁軍が帝都から離れる時―――王国との戦の際には戻らないわけに行かない。

「一応、この極楽トンボは王国の総司令なもんですからね。戻さないわけにも行かないんですよ。」

その場にあった視線の全てを向けられて、多少居心地悪そうに微笑む浩平。

ある程度予想もついていたのか、特に驚いた風もない。

「・・・なるほど。噂には聞いておりましたが。噂どおりの方のようですね。そちらの方は・・・祐一様の奥方様、と言う訳では」

「ありません!」

おっと。と呼吸を一つ。

目の前の主は、その叔父、祖父と比べてこう言った冗談が苦手である事を思い出す。

「澪さんは、王国の将軍ですよ。上月将軍と言えば聞いた事もあるでしょう?」

澪は王国きっての名将の一人。

今までに大将としての経験は少ない物の、里村将軍の佐将としての勇名はあまねく人の知るところとなっている。

最も、噂の半分は『沈黙将軍』等と言う侮辱以外の何物でもないものではあるが。

「ああ、貴方が・・・。それは失礼を致しました」

謝罪を受ける澪自身は、祐一の余りの否定の速さに憤慨半分、照れ半分。

頬を赤く染める様子に、『別に謝らなくても良かったかな?』と思った。

「美坂公女の方は私共で何とか致しましょう。戦についてはおそらく間に合う、と思っております。・・・その前提の上で如何でしょうか?」 そう言われてしまうと、文句を言いようがない。

自分も浩平も、澪も。ここにいる人たちにも危険なことをさせるわけにはいかないから。

「分かりました。暫く様子を見るほか仕方が無いでしょうね。・・・浩平、澪さん。いいですか?」

どうやら、今日の所はお開きなんだろう。と全員が腰を浮かせて。




「なぁ、で、俺の噂ってどんな噂なんだ?」

その問いに対する答えは・・・・なかった。







そして夜。

三人それぞれに個室を貸してくれると言う相手の好意を遠慮した。澪だけには個室。そして、浩平と祐一は一部屋で良い。と

「俺の噂、ねぇ。・・・・まぁ、お前以上にロクなもんではないんだろうが」

くっくっくっと笑う浩平。

何処か平坦で、悲しげな、笑み。

「そう言えば、お前も昔、俺のことを表して『飛竜』とか言っていたっけな。的を射ているよ。」

常にあちらこちらを飛び回る、竜。

一つの所に留まる事をしないで。

「・・・・浩平、俺に何か言って欲しいのか?」

うんにゃ。と布団を跳ね上げて、起き上がる。

「なぁ、俺の妹は・・・どうだ?」

やれやれ。と祐一も布団をゆるりと上げて、背中を上げる。

こう言うときに、片手が無いと言うのは不便なものだと思った。

「お前の思っている通りだろうさ。・・・強くなるぞ?才能はお前ともタメを張れるかもしれない」

部下に好かれる人間に、基本的に無能者は居ないものだ。と祐一は昔から思っている。

「いや、軍人としてじゃなくてな、統治者として、だ。お前になら見極められるだろう?」

「・・・お前は、それを聞いてどうするつもりだ?」

前々から祐一が心配していたこと。

浩平には、覇気が無い。

祐一相手に挑んでくる時。戦場に向かう時。そんな時はともかく、何処か自分が未来の国王になると言う立場を嫌がっているように見えていた。

「なぁ、今のあの馬鹿な皇帝、昔は名君と呼ばれてたんだってな。とても信じられねぇ」

くすくすと、面白そうに、それでいて寂しそうに、笑う。

それだけで、祐一には浩平の言いたい事が分かってしまう。

浩平は、唯、純粋に怖がっている。自分が何時かああなってしまうのではないか?と言う事を。

普段の、何事にもおちゃらけたような行動はその裏返しであることも、また、知っていた。

「そうだ、お前の考えているとおりだ。・・・俺だって仲間を失うのは怖い。長森が、里村が、・・・みさおが、お前が死ぬことを考える だけで寒気がする。だがな・・・」

お前達が死ぬ。ってこと自体をあまり考えた事が無いんだ。と呟く浩平は、今まで祐一が語り合ってきた中でも最も弱く見える。

「俺は、怖い。・・・帝国を見るたびに怖くなる」

帝国の現皇帝が、昔は英雄と、そう民から慕われていたと言う事を知っている。

それが、ああまで豹変した。

「じゃあ、な・・俺がああならないと何故言える?・・俺が里村に、みさおに・・・お前に嫉妬して狂わないと何故言える?」

そう言った後、小さく、小さく、呟く。

「俺は知っている。あの皇帝が犯したお二人に対する殺人について。全てが狂い始めた瞬間について・・・だから・・・」

両手で持たれた布団が、さらにきつく握られる。

その言葉に、祐一がハッと思わず緊張。その事を知っている者は、今では自分以外存在していないはずだったから。

「ずっと思うんだよな。みさおの方が俺なんかより統治者に向いているんじゃないか?ってな」

自分は、その下で支えとなれればいい。それで十分じゃないか。と

今のまま総司令官、いや、将軍でも、護衛隊長でも・・・それでも自分が自分らしく生きれるなら。と

隣で動く気配が一つ。

呆れたのか、それとも自分を軽蔑しているのだろうか?

もしかしたら、殴られるかもしれない。と思う。

が、相手の行動はそのどれとも違っていた。

気がつくと、浩平は自分の体が浮き上がっているのを感じる。

祐一の、たった一本残った右手。力はほとんどなく、椅子すらも持ち上がらないほどの、力の失われた、手。

震えながらも自分の襟を強く握り締め、持ち上げてくる、手。

そして、何処か悲しそうで、何処か寂しそうな・・・それでいて強い、その目。

「『飛竜』・・お前のこと、昔俺が例えたんだよな。」

しっかりと覚えている。

幼少の頃、知り合って、救われて、親友となって。

浩平はしっかりと覚えている。

別に、その言葉は祐一からすれば貶しているわけでも褒めているわけでもなかった。

好奇心が強く、何処にでも現れて、そして、一所に留まる所を知らない少年。

「浩平は・・・何か、翼を持った竜みたいだ。」と子供心に告げたのは間違いなく祐一。

それは、本心。でも、今はもう子供のままではない。彼も、自分も。

「なぁ、いい加減、『飛』を外してもいいんじゃないか?浩平」

右手が震えている。既に握力は限界だった。

それでも、尚握り締める。

剣が持てなくなっても、いや、この、たった一つだけ残った右手が喪われてもいい。と言わんばかりに

そして、その、簡単に振り払えるはずのその手を浩平には払えない。

「誰だって、そんな恐れは持っているだろう。だが、な。安心していい。お前はああはならない」

自信をもって、強い目で見据えて、告げる。

そして、何故そんな事をいえる?と挑戦するようににらみつける目に・・・

「もしそんな風になりそうだったら、そうなる前に俺がお前を止めてやる。それでも止まらなければ・・・俺がこの手で殺してやる。だから、お前はああはならない。」

簡潔すぎる答えに、何かが氷解して行くのを感じる。

気がつくと、自分の体はベッドの上に落ちていて、祐一の右手は力を失ったかのように垂れ下がっていた。

「そう、か。お前が殺してくれるのか」

安堵したように溜息を吐く。

そして、次にこみ上げて来るのは笑い。

突然の笑い声に、隣の部屋から澪が飛んでくるまで、二人は顔を見合わせて笑い続けていた。







「なぁ、祐一」

暫くの間澪はお説教をし・・書き、その後暫く祐一の右腕にマッサージを施すと自室に戻っていった。

『無理しちゃメッ、なの!』と強い文字を祐一の顔面に突きつけて。

ちなみに、祐一の右腕はちょっとしびれてはいる物の、特に問題はないのだろう。

すでにある程度動いているのだから、一晩寝れば大丈夫なはずだ。と。

「今度は何だ?・・もう一度首を掴むのは勘弁したいんだがな。流石に次は澪さんに本気で怒られそうだ」

ちょっとしたふざけ合いですよ。と言う言い訳は次は通用させてもらえないだろうし。と

「いや、それは俺も御免被るが。・・・そうじゃなくて、さっきの話、みさお達には内緒にしておいてくれ」

「当然、あんな事言えるか。万が一瑞佳さんの耳にでも入ったら大事になるんだぞ?」

あの人がもしそんなことを聞いたら、自責のあまり自害でもしかねない。と本気で祐一は思っている。

「そりゃ、そうだ。」

浩平がさっきのようにケラケラと笑う。

「笑い事じゃないぞ?・・・・もう少し瑞佳さんの気持ちも考えてやったらどうだ?」

お前にだけは言われたくねぇ。と心の中で呟く。

浩平の知る中で、祐一以上に女性心理に疎い人間は一人としていない。

(最も、好色な祐一なんて気味悪くてしょうがないんだが・・・)

まぁ、それはそれで面白いかもしれない。とも思う。

「おい、祐一」

みさおのこと、頼むぞ?と言おうと声をかけた時には、既に隣から聞こえてくるのは寝息。

寝顔だけは、まだまだ少年だな。と思った。







そして、帝都に数頭の馬が着いたその数日後、ヴァルキリアの王城に一人の少女が訪れる。

数日前に帝都に入り、自宅で謁見の日を待っていた少女。

両親からの制止はなかった。唯、役目を果たして来い。とそれだけを言われて

「う〜ん。相変わらず大きいですねー」

ストールをきゅっきゅっ。と握り締めて前を向く。

壮大でありながらも、何故か禍々しさをも感じるその門。

皇太子からの使者と言う事で手続きも早く、到着後数日で会見が適うのは幸運なのか不幸なのか・・・

はふ。と息を吐くと、白い霧が出来上がる。どちらかと言えば北に位置する帝都は、最近自分が暮らしている所よりは随分寒い。

「公女様、こちらでございます」

近寄って来た兵士に軽く頷いて、後に続く。

途中で、ストールを外して袋にしまい、その袋ごと兵士に預ける。

手荷物や武器等の持ち込みは当然ながら許されてはいない。

「それでは、お名前が呼ばれましたら・・・私はこれにて」

手荷物を係りの者に預けると、案内して来た兵士が一礼して去って行く。

ちょっとだけ緊張しているのか、栞は自分が手の平に汗をかいているのを慌てて拭う。

(流石に緊張します。祐一さんは緊張しなかったのでしょうか?)

亡くなってしまった想い人の顔を想像するだけで笑みがこぼれた。

前に自分と同じようにこの場所に居た彼の人は、確かに王を手のひらの上で操って見せたのだ。と最近秋子さんに聞いている。

もし失敗して、命を奪われたとしても祐一さんの所に行けるのなら悪くないかもしれないですね。と言うようにくすくすと笑う。

遠くから自分の名前が呼ばれたような気がした。

立ち上がる。扉が開く。そして、中には着飾った人々が並んでいる。

帝に諂うことしか出来ない人たち。本来はそんな人達だけだったわけではない。

唯、真っ向から正論を唱えるような人は既に粛清されてしまった、ただそれだけ。

帝の前まで歩み寄ると、黙って膝を付いて礼。

声がかかるのを聞いて、近寄って来た係りの者に書面を渡す。

かかれているのは、王国との間で和平をするべきだ。と言うことと、帝国の名誉の為、暗部を使う事を差し控えるように。と言う皇太子からの進言。

(聞いてもらえるわけ無いですね)

そんなことは、誰にだって分かっている。でも、意思を示さず流されているだけではそれを許容したことになってしまう。

案の定、一読した帝が書面を引き裂いているのが目の前に見える。

(投獄でしょうか?それとも、そのまま打ち首・・・でも、候の娘をいきなり打ち首には出来ないですね)

頬を紅潮させた帝を何故か栞は怖いと感じなかった。







一方帝は、倉田一は怒り狂っている。

自分がやっている事は帝国をより大きな国にしようと言う為の事。

何故それに自分の息子が反対してくるのだ!と

もしも、彼が帯刀していたとしたら今すぐ目の前の小生意気な娘に斬りかかっていたかもしれないくらいに。

唯、一瞬考えてみると、流石に貴族の娘をいきなりに手打ちにするのは余りにも短慮である事に気づく。

彼は、決して無能ではなかった。

と、同時に手篭めにしてしまうのも流石に外聞が悪すぎるとも思う。

今まで、貴族が集めてきた女を好き放題操ってこれたのは相手が唯の庶民や、異端者の名前すら明らかでないような者だったから。

相手が貴族ともなると、そう好きには出来ない。

「・・・・この者を引っ立てろ!・・・牢に放り込んでおけ!」

仕方ないな。と心の中で嘆息する。目の前の少女の美しさを手に入れられないのは惜しい。

「陛下!一つだけ宜しいでしょうか?」

つまらなそうに前を向くと、初老の男性が佇んでいる。

名前は一応覚えている程度の・・・確か男爵。こんな時に何か用か?と厳しい目を投げかけると、相手がニヤリと嫌らしく笑う。

「どうやら、陛下はこの者に未練があるご様子、どうでしょうか?」

クスッと笑って手をくいくい。と引くだけで、その言わんとしていることが理解出来た。

自分に預けていただければ・・・・と言う、その意思が。

「いいだろう、お前に預けてやろう。」

にんまりと笑う顔を見て、ナメクジみたいですね。と栞は一つ心の中で笑みを浮かべた。







「と、言うわけで一緒に来て頂きましょうかね。おい!」

扉から出ると、ニヤリと笑った男性が手で合図をする。

兵士二人に両手を抑えられた、まるで連行するかのような態度には腹が立った。

後ろでは、別の兵が自分の荷物を入れた袋を受け取っている。

「触らないで下さい!それは・・・」

大事な物なんです!と懇願するような目つきに返って来たのは、何処と無く優しげな笑み。

「すいませんが、もう少し付き合っていただけませんか?」

そして、荒々しく手を引く兵士が耳元で囁いてくる。

何がなんだか分からないまま、気がつくと体が城門の前にあった。







「どういうことなんですか?」

小首を傾げて、人差し指を頬に当てる。

既に城の兵も見ていないことを確認したのか、自分を『下賜』して貰った貴族がいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「まぁ、言ってしまえば私達は所謂『公国派』ってことですよ。上から『美坂公女を保護せよ』って命令が降りてきましたからね」

「そういうことです。流石に外に出すわけには行きませんが、不自由はさせませんよ。暫く男爵の屋敷でくつろいでいて下されば、 その内帝都から離れる事も出来ると思います」

その返答に目を白黒。

何故公国の間諜網に自分の行動が筒抜けだったのか。・・・と、同時に男爵の位置に居る者が、王の間に居る者が公国の間諜である 事実に。・・・そして、亡くなった祐一さんや大輔様が自分をまだ守っていてくれている事に。

「でも、祐一さんも大輔様も居ない今、どなたが指揮を取っていらっしゃるのですか?」

ふと不思議に思って問い掛けるも、答えは返ってこない。

「何時か分かりますよ。その時までは内緒にさせて頂きます。」

くすくすと笑いながら手を差し出してくる壮年の男性の手を取る。

「やっぱり、機密事項ってことですね。・・・答えられない事聞いちゃってごめんなさい」

いくら助けてくれている人だからと言って、全てを教えて良い訳ではないなんてこと当たり前のことだったのに。と言うように頭を下げる。

「いえいえ、別にそう言うわけではないんですよ。」

大丈夫ですよ。とにこやかに笑って

「唯、ここで言ってしまうよりそっちの方が面白いですからね。だから、その時を楽しみにしていてください」

そう言って、もう一度にっこりと笑った。