第五話








「・・・・・」

ふと、温かい物に包まれているような気がして、目が覚める。

見覚えのない部屋。

そして、自分が寝かされているベッドを見て・・・・

「まだ夢を見ているようですね。」

ふぅ。と溜息を吐いて。

「でも、ベッドで寝るなんて、例え夢でも久しぶりですね」

柔らかい布団、枕。

ついぞ味わったことのない、優しい気持ち。

「いや、別に夢じゃないぞ?」

と、その時急に横から話し声が聞こえて・・・

「は?」

「や、だから、夢じゃなくて現実なんだって。」

その言葉に、とりあえず頬を抓って・・・確かに痛い。

「・・・・何か、夢かどうか確かめるのに頬を抓るのって年寄りみたいだな」

くつくつと笑われて頬を染める。

「それで、私はどうなったのでしょうか?確か、王女殿下の護衛の方に横腹を切り裂かれたはずなのですが」

「ん?ああ、それならみさおが治したはずだぞ?あいつの治癒術法は超一級品だからな。」

もう痛みもないだろう?といわれて、脇腹を触ってみる。

傷口はまだ消えていないけれど、血はとまっていて、痛みもほとんど、ない。

「・・・私を癒してどうなると言うのですか?私は王女殿下に刃を向けた大罪人ですよ?」

自嘲するかのように、呟いて・・・

「それとも、私をダシに帝国と交渉が出来るとでも?無駄です。そんなことしても・・・・」

「ああ、そんなことは全く考えていないぞ?悪いが、貴方よりずっと・・・俺達はあの皇帝のことを知っているからな」

気がつくと、その言葉に男性の隣に居た女性が顔を暗くする。

「・・・・本当に、申し訳ないことをしてしまったのですね。また・・・」

ごめんなさいっ!と男性の隣の女性が勢い良く頭を下げる。

全く意味がわからない状況に、美汐も首を傾げた。

「いや、いきなり頭下げても意味わからないと思いますよ?・・・ちゃんと順を追って説明しないと」

そうです。と言うように頭を下げる。

「私は何も謝られるようなことをされた覚えはありません。顔を上げて頂けますか?」

「は・・・はい!!・・・・はぇ!!」

ゴンッ。と大きな音が一つ。

勢い良く上げた頭が、男性の顎に直撃して、男性も女性も暫く蹲っていた。

そんな二人の姿を見ているだけで、不思議と顔に笑みが浮かんでくる。

「ああ、ようやく笑ったか。」

笑みを浮かべてこちらを向いてくる男性。

何処か、懐かしい感じのする男性・・・・その時、美汐はその男性に左手がないことに気づく。

見ては失礼に当たりますね。と目を逸らす美汐に『気にするな。』と笑って返す祐一。

「会うのは久しぶりだけど、ずっと笑わないから性格が変わったのかと思ったぞ?・・・・天野伯爵家の美汐さん・・・だろ?」

「・・・・どうして私のことを知っているのですか?私は、王国に知り合いなんておりません」

それに、自分が伯爵家の公女であることを知っている者は相当に限られていた。

「私のお父様のせいでとても迷惑をおかけしてしまったのですね。・・・・ごめんなさい」

お父様??・・・・その言葉に反応する。

相手は、どうやら自分の事情を知っている人らしい。

それで、自分に対してお父様が迷惑をかけた。と言う。

自分に迷惑をかけていた人物・・・・頭の中であり得ない仮定が一つ。

「・・・・あ、あの・・・まさか・・・・」

亡くなった、と聞いている。

先の大戦で相沢公子と共に谷底に身を投げたのだと。

「あっ!・・ごめんなさいっ!!。・・・佐祐理は馬鹿ですから自己紹介をするのを忘れていましたね。佐祐理は、倉田佐祐理と言います。」

「倉田・・・・皇女殿下?」

見た事はない。唯、噂だけで聞いている。

民に対して慈愛の心を持った、『あの』皇帝の子とは思えない傑物。

ということは、隣に居る人は・・・・

「十年ぶりくらいか?・・・・悪い。あの後気にかけていればこんなことにはさせなかったのに」

何処かで見覚えがある。と思って、調べさせた結果分かったいくつもの事実。

自分のせいで天野子爵家は潰されたようなものだ。と祐一は暫く自責の念にかられていた。

「相沢・・・相沢公爵閣下・・・?」

大昔に一度だけ会ったときは、ほとんど相手にされていなかった。

女性を嫌っていると言う噂もあったので、軽く挨拶をしただけ。

唯、それだけの間柄でしかなかった。

「俺が、しっかり気にかけていれば・・・・。俺と話したせいでこんなことになったんだろう?」

器用な貴族は皆、一方で相沢家に取り入ろうとしつつ、それでいて皇帝の前では相沢家の悪口を言う。と言う二枚舌で持って生きている。

そんな中、愚直に相沢家、神家に対しての敬慕の念を抱いていたが故に投獄された天野伯爵。

「祐一さんは悪くないです。・・・悪いのは、お父様を止められなかった佐祐理です。」

だから、ごめんなさい。ともう一度頭を下げる。

佐祐理自身、天野伯爵家のことを知ったのは祐一が調べ出してからの事。

佐祐理からすれば、知らなかった事自体が罪だ。と思っていた。

「別に、皇女殿下や公爵閣下に謝っていただくようなことではありません。・・・・全て、父が勝手にしたことですから」

仕方なかったんです。と首を横に振る美汐。

「っと、そう言うわけにも行かないからこいつらなんだよな。」

気がつくと、部屋の入り口には数人の人影。

「それに、気になる情報も入っているから、どうせ祐一は行くつもりだったんだよね。」

クスリと瑞佳が笑う。

浩平も祐一も、無茶をするところは子供の頃から全く変わっていなかった。

「気をつけていってきてくださいね?私は大丈夫ですから」

ああ。と祐一は手を上げて。

「佐祐理さんも佳乃も、しっかり頼むぞ?」

そう言って二人の頭を順番に撫で上げて

そして、浩平と一緒に、出て行く。

後ろから付いて行くのは青い髪の少女、一人だけ。

「・・・あ、あの・・・祐一様方は何を?」

状況が掴めない。と言うように声を上げる美汐。

暗殺者の自分を癒した王女殿下。

生き延びていた皇女殿下に、相沢公爵。

起きてから起こったことは、本当に夢の世界だった。

「あ〜。えっとね、助けに行くんだって」

主語がないだけに、『は?』と不思議そうな顔をされる。

「人質に取られている人たち皆。って」

夢はまだ終わっていないみたいだった。







――――数時間前――――

「そうか。・・・・天野伯爵家のご息女。どおりで見た事があると思ったら・・・・」

なるほどな。と頭を掻いて・・・・

「それで、何故伯爵家のご令嬢があんな役目を?立花さん」

報告書を苦々しい顔で眺めている男性に目を向ける。

言っていいのかどうか・・・・と悩んでいる様子。

「どうしました?」

「あ、い、いえ。報告書に書かれていることが・・・・ちょっと」

見せるべきか見せないべきか。そんな葛藤に苛まれている勇から、黙って奪うように受け取る。

そして、一読して・・・・

呆然とする。唯、呆然として・・・・その後に怒りが満ちる。

「馬鹿な・・・」

信じがたい。と言うように報告書を握り締める。

仮にも伯爵の立場にあった者を、気に入らないと言うだけで軟禁。彼の温厚な伯爵が、決して罪を犯すような人でなかったことは祐一も知っている。

横から覗き込んだ佐祐理も、唯、絶句。

「・・・・俺のせい、で・・・こんなことになったのか?」

独白する祐一を、浩平が目で静止する。

それを言ってしまったら、実の娘はもっと苦しむだろうが。と目で責められて・・・・俯いたまま首を振る。

そう。答えは一つしかない。

失敗したならやり直せばいい。

間違ったのなら正せばいい。

ただ、それだけ。

そう浩平の目は説いている。が・・・・

しかし・・・・と祐一は考え込む。

今、王国は戦の最中。

自分は、戦場に出る四人をサポートしなければいけない立場。

四人の中で、確かに澪はある程度の経験は持っているものの、残りの三人はほとんど初陣同然である。

そんな状況で、自身が行くわけにはいかない。

「でも、俺は・・・・」

駄目だ。個人の感情等団体の中で優先してはいけない。と。

そういおうとした瞬間に

「祐一君、行って来た方がいいんじゃないかなぁ?」

くいくい。と袖を掴まれて

振り向くと佳乃が笑みを浮かべていた。

「みさおちゃんのことは、祐一君の分まで佳乃りんが頑張っちゃうんだから大丈夫なのだぁ〜」

ね?と顔を向けられて、佐祐理も微笑む。

本来であれば、佐祐理自身が行きたいくらい。でも、彼女には隠密行動は向いていない。

それに、祐一さんの留守を守るのは自分の役目。と佐祐理は自認しているから。

「私からもお願いします。・・・・このままでは佐祐理は美汐さんに申し訳なくて・・・」

縋り付かれると弱い。

結局、祐一には女性に対する免疫が未だに備わっていなかった。

横を向くと、みさおもゆっくりと笑って、頷いて・・・

『祐一君のお好きなようになさってください』と。

今の祐一は、みさおの客将であり、師でもある。

本来であれば、個人的な理由でこんなことをする事は許されない、が、それは王国として彼を縛り付ける事は決してしない。 と言う一致した意識の下に成されている事。

浩平も、瑞佳も。誰もが止めようともせず見守っていた。

「な?・・・ほら、とっとと用意しろ。・・・・あぁ、澪、お前も来い。一度帝国を見ておくのも悪くはない」

が、その後の発言は流石に問題がありすぎて・・・・

「ちょっと待ってよ!浩平!・・・・まさか、祐一と一緒に帝国に行くって言うの?・・・・祐一と浩平じゃぁ立場が違うんだよ?」

それに対して振り向いた浩平の目は、燦然と輝いている。

「ふっふっふ。長森さんや」

不気味な笑い声を浮かべて

「どうだ?この印が目に入らぬか!」

腰元から一枚の紙を取り出して、突きつける。

白紙の紙。その上に一箇所だけ模様が・・・・印が入っている紙。

そこに押されているのは、国王の名前を記された、判。

「いや〜。いざと言う時の為に何時でも一枚持ち歩いていたのが良かった。・・・・文句は言えまい?」

勝ち誇ったように笑みを浮かべられて、瑞佳は冷や汗を一つ。

この印の入った命令を取り消せるのは国王しか存在しない。

ここに浩平が命令を書き込めば、即ちそれが勅令となる。

印だけが入った白紙の紙。

このやり方は、公国から伝わってきたやり方だと聞いている。瑞佳が祐一の方を向くと、祐一も苦笑いしながら眺めていて・・・・

と、言うのも、このやり方を最初に考案したのは何を隠そう祐一その人。

年少の頃に政治、軍事の全てを任された祐一は、信頼出来るもの数人に常にこうした形式の紙を持たせていた。

全幅の信頼を置くと言う証。それは、与える方も受け取る方も相当勇気がいることではあったが、それを成し遂げたのは彼等主従の 信頼の厚さが成せる技であったのだろう。

その頃からの祐一の部下達は、文官、武官を問わず今でもみさおの元で辣腕を振るっている。

王女殿下の署名の入った紙を常に持ちながら。

「・・・・・本当に由起子さん・・・女王陛下が押したの?浩平が勝手に押してきたんじゃないの?」

「だが、それを確かめる術もあるまい?・・・・っと。これで命令書の出来上がり」

スラスラと紙に筆を走らせて、掲げる。




『折原浩平は、帝国偵察の任に就かんが為、暫しの間総司令の任を解くものとする。

尚、その間の全権は、里村茜筆頭将軍に委ねる事とする。

この命令書を受け取った者はただちにそれを里村将軍の下へ届けること。

折原王太子の護衛として、王女殿下の部下から上月澪将軍と、護衛の者一人を同行させる。』







等の事柄を書き上げた命令書を渡されて、瑞佳は苦悶の表情を取る。

これを里村さんのところに持っていったら・・・・

そう思うだけで、肌寒い物を感じた。

おそらく・・・・いや、間違いなく不機嫌になるだろう。

勿論、彼女は瑞佳にあたったりはしない。でも、彼女が不機嫌になることを瑞佳は気にしてしまう。

浩平が迷惑をかけてごめんね。その台詞は、士官学校以来瑞佳の常套句となっていた。

勿論、茜からすると、瑞佳の存在は非常にありがたい。

もし、彼女がいなかったら・・・・そう思うだけで肌寒いものを感じるのは茜だけではないだろう。

直接に浩平の相手をすることになっていたら、私はもう将軍位を返上しています。とは当の本人の語ったところ。

「・・・・浩平。大事の時は戻ってくる事、約束してくれるんだよね?」

小指を差し出して

おいおい。勘弁してくれよ。という声を上げる浩平の指を無理やり絡ませる。

子供の頃から何度もやってきた行動。浩平は、一度として破った事はない。

その光景は、何処か安らぎを与えるような、そんな雰囲気をあたりに作り上げて。

と、その雰囲気は扉が叩かれる音によって阻害された。

「何事だ!」

厳しい声で叱責を送るのは、部下を統率している立花将軍。

この場で行われる会議の間は、誰も入るな。と戒めていた事にもかかわらずの行動は、規律を重んじる彼にとっては怒りの対象。

「申し訳ありません!・・・しかし、最重要事項の報告が・・・」

扉の外から慌てて繰り出される声は、諜報の長を務めている者の声。

「入ってください。・・・お兄ちゃん、構わないですよね?」

ゆっくりと立ち上がったみさおが、兄に一声かけて扉を開ける。

そして、慌てて差し出される文書を手にとって、開く。

その内容は、彼女にとっては一大事ではないが、それが彼女の想い人達の一大事であることは即座に察知出来る。

――――――――――美坂侯爵家の栞公女が単身ヴァルキリアへ――――――――――

そういう内容。

慌てて渡された文書を読む祐一や佐祐理も即座に蒼褪めて

「何で!こんな馬鹿な事を!!」

暗部を使用することに反対する皇太子殿下の使者。と言う扱いである。と報告にある。

報告してきた者は、新王国・・・一弥の作り上げた体制においての文官の一人。

だけに、その情報の信憑性は・・・極めて高い。

「一弥はまだ自分の父親のことを理解出来ていないのか・・・・」

唯、呆然と呟く。

王に逆らう使者。

それは、確かに一国の、属国とは言え皇太子自らが王を勤め上げる国からの使者。内容はどうあれ、無碍に扱う事は出来ないだろう。

だが・・・・・

秋子さんまで読み違えたのか?と思うと頭が痛い。

皇帝と言う地位は、それだけで何か信頼させるものがあるというのだろうか?・・・・あの聡明な叔母に対してまで。

止めようとはしたのだろう。確かに、仮に使者として成立したとしても危険だし、・・・・美汐の両親のように投獄される事もありうる。

「殺される・・・・」

表の世界で殺す必要なんてない。投獄した上で病死等、いくらでもやりようなんてあるではないか。

実際に、栞は子供の頃ずっと、闘病生活を送っているのだから。

怖い。・・・まるで、目の前が暗闇に包まれて行くかのように。

祐一は、昔から自分の命が失われる事なんかは怖がった事がない。

でも、仲間の命が失われるのだけは、怖い。

「どうやら、ゆっくりしている暇はなさそうってことだな?」

よいしょ。と立ち上がった浩平。祐一に手を差し伸べて・・・・

「ほら、行くぞ?・・・・澪も急げよ。」

やってやろうじゃないか。と手を差し出して・・・・

それは、一年前にも行われた光景。

あの、戦場に出る前に。

そして、その時にこの二人は見事にそれを成し遂げた。

二人が揃えば、怖いものなんて何もない・・・・子供の頃からずっとそう。

「ああ。・・・行こうか」

だから、今回も祐一はその手を併せる。

パァン!と手と手が打ち合わされる音が一つ。

澄み切った音には、確かに何かを確信させるようなものがあった。







「無茶です」

舞台は戻って、ベッドの上の美汐。

「公国の諜報網は世界で最高の物でしょう。しかし、帝国には・・・ヴァルキリアには常に一万近い兵が詰めています。」

仮に、数人が、数十人が団結しただけで牢破りなんて大それたことが出来るような警備なら、とっくに自分達がやっていた。

「私の両親のことはいいです。・・・今は、栞様を救われる事だけに全力を尽くしてください」

もし、公爵閣下や王太子殿下に万が一のことがあっては・・・そう続けて、下を向く。

両親は助け出したい。それは、紛れもない事実。

それだけを思って、この暗い道を十年以上歩み続けてきたのだから。

「なぁ、・・・・公国の諜報網が強力だ。とさっき言っただろう?・・・・実際、どの程度強力が知っているか?」

クスッと笑って、尋ねる。と

「・・・多分、帝都にも相当数の間者が入り込んでいるのでしょう。・・・百人は下らないとは思いますが」

その答えを聞いて、笑う。

「千百二十」

一言だけ言って、切る

「最も、これはその人たちの家族とかは含めては居ないけどな。・・・・少なく見積もってもそれくらいは存在している。」

王国にも、帝国にも。そして、新帝国にも大量に間者は入り込んでいる。

市街の店に、兵の中に、・・・・・そして、国官の中にも。

「大丈夫だ。絶対成功させてみせる。少なくとも、隠密行動にかけては右に出るものが居ないような連中を抱えているからな」

だから、任せてくれ。と言い放つ顔には、陰りがない。

下を向いた美汐の目が赤くなって

「おねがい・・・・します」

嗚咽するように、一言。

祐一は、みさおに向かって『あとは任せる』と言うように目を向けて、立ち上がる。

「お気をつけて。・・・ちゃんと、私達のところに帰ってきてください」

背中に向かって、祈る。

ああ。を右手を上げて立ち去って行く姿は、何処までも凛々しい。

部屋から抜けて行くまでに、浩平も祐一も一度として振り返ることは無く・・・・

「みさおちゃん・・・・」

辛い戦場から返って来るや否やの別れ。それを思うと瑞佳も可哀想。と思う。

「大丈夫です。辛いのは佐祐理さんや佳乃ちゃんも同じです。それに、二人が居れば私は大丈夫ですから」

その二人は祐一の見送りに出て行った。

あくまで、美汐の看病の為に二人が残っている。

大丈夫。絶対祐一君もお兄ちゃんも戻ってくる。

それを信じているからこそ、彼女は笑える。







「祐一さん・・・・佐祐理のお父様のせいでまたご迷惑を」

ごめんなさいっ!と頭を下げるのを、祐一がポンポンと宥める。

「大丈夫ですよ。佐祐理さんが悪いわけじゃないんですから謝るのも変ですし。・・・でも、佳乃のこと、みさおのことはお願いします」

「はいっ!・・・佐祐理の命に代えてでもお二人を・・・ふぇ?」

黙って首を振られて

「佐祐理さんも死なないで下さい。・・・三人共、ですよ」

そう言って、佳乃の頭を同じように叩く。

「むぅ〜」

くすぐったそうに笑う佳乃は見ているだけで心が和む。

「佳乃も、佐祐理さんやみさおのこと頼んだぞ?」

出来るな?と真剣な目を向けられて、頷く。

同じ年代の友人。佳乃にとって佐祐理もみさおも・・・・。親友で、家族。

だから、守る。

そこにあるのは、掛け値なしの信頼。

彼女達なら、互いを守りあって、互いを信頼しあって乗り越えていけるであろう。と言う

「それじゃぁ、浩平も澪さんも出かけましょうか」

騎乗して、手綱を取る。

荷物は浩平の馬と澪の馬に半々。

片手だけの馬術である祐一のことを慮ってそうしてくれたことに、祐一は心の中で感謝を一つ。

「お前を一緒に旅行なんて久しぶりだな。・・・戦場以外では初めてだろ」

そうかもな。と笑う。・・・なんて凄い人生を送ってきたんだろうか。と

三人が同時に馬の腹を蹴り上げ・・・同時に砂埃が舞って。

駆け去って行く姿があっと言う間に消えて行くのを、佳乃も佐祐理も眺め続けていた。







「ちなみに、お前は片手で馬を操ることが出来るのか?」

きつかったらペースを落としてもいいぞ?

そう振り向いて、苦笑しながら視線を前に戻す。

「・・・・だな。お前の馬術が白騎士団や大輔さんを入れても尚公国・・・三国一だったってことを忘れていたよ」

後ろを振り向くと、ほとんど手を使う事も無く馬を操っている姿が見られる。

本来、両手で用いる槍を戦場で使用していた彼は手を使わずに馬を操る術を弁えていた。

だから、別に片手が失われた事はさほど彼の馬術にとっては痛手ではない。

少なくとも、一般的に馬を操ると言う観点においては。

「それじゃぁ、行くぞ。・・・遅れるなよ?」

分かっているよ。と言うように片手を上げて、答える。

後ろでうんうんと頷いている澪も同様に。

ハッ!と掛け声を上げて馬の脇腹を蹴り上げる三人。

勢い良く砂塵が舞い上がるのを見る事も出来ないくらいの速さで三つの影は消えていく。







「栞さんは、無事に旅を続けていられるのでしょうか」

ふぅ。と呟いて、書類を眺める。

友人を見送って二日ほど。倉田皇太子、一弥は心配するようになってきた。

護衛の数をもっと多くした方が良かっただろうか?しかし、余り多くするとまるで相手を疑っているように見られるから。と栞自身に 言われて納得したのは自分だ。

定例の会議も、一人元気な少女が欠けただけで何処か物足りなさを感じてしまう。それは全員が同じようで、たった今終わった会議も 何処か気の抜けたような感じであった。

「大丈夫ですよ。・・・・大丈夫です」

そう言ってくる秋子の手も何処か悪い予感がしているのか震えている。

彼女が外に出せなかった、何処か心の奥底で感じている『主』への疑念

自身の娘が命を失ったと聞いた時も軽く頷いただけ。それ以上に彼の家が消滅した事を喜んでいたあの態度。

彼は、皇太子時分には未来を嘱望された若者であった。

それは、贔屓目ではなく。秋子自身は彼より二十近く若いが、子供の頃の自分にとって相沢公爵・・・後に自身の姉が嫁いだ方の父親 や、姉の嫁いだ祐一の父親でもある人。そして、現国王。その三人は帝国の希望と言われていた。

戦場に出れば負けることなく、不正を正し民を守る。

彼等が国を引っ張る立場についた時、その時には帝国、公国、王国の間の溝は無くなるであろう。そう、秋子に学問を教えた学校の老教師は 眩しそうに告げていたものだった。

その評価は贔屓目でも何でもなく、実際秋子自身幼少の頃に若き日の皇太子の姿に敬慕の念を抱いた事は幾度となくあった。

それが、嫉妬に狂い、今では変質的に一家を憎むようになってしまっている。

人の最も醜い部分。誰もが心の中にもっている部分。

それに囚われてしまう事のなんと悲しい事だろうか。

しかも、それは自分の前の教え子でもあり主君でもある若き王にも言えること。

そうなりかけた時は、命に代えてでも諫言しなければならない。と昔から秋子は思っていた。

(そう考えると、祐一さんが死んでしまった事は・・・・)

良かったのかもしれないの?

ふと、頭の中にそんな考えが浮かんでしまい、思わず自分を恥じる。

「栞さんは個人としても一流の魔術の使い手です。・・・もしも何かあったとしても自身で切り抜けられますよ」

だから、大丈夫です。と一弥に微笑みかける。

「そうですね。栞さんは強いですから。僕なんかよりずっと・・・」

数日前の決意したような、目。あれは、今は亡き自分の姉が最期に見せた笑みと似ていた。

「うふふ。今日は先に上がらせていただきますね。・・・今日は晩餐会にしましょう。料理を作って待っていますから皆さんを連れていらしてください」

潤が何かと声をかけているものも余り功を奏していない。

そろそろ復活してもらわないと困りますから。とクスクス笑う師を前に、分かりました。と頷く。

色々と大変な状況。

王国の新しい英雄の存在や後方からの受け入れがたい指示。

周囲全てが敵と言っても過言ではない状況。

秋子や名雪達、久瀬侯爵家の有人公子・・・。彼等は一丸となって少しでも一弥の負担を減らそうと努力していた。







「うぅ〜。往人さん、仕事多いよ?」

目の前に積み上げられた書類の束。

眠いよぉ。と言った目で見つめてくる観鈴を追い払う。

「黙れ。お前も早く処理してくれ。このままじゃぁ洒落にならん」

頭を掻き毟りながら書類の束と睨めっこ。美坂栞、美坂香里と言う人物の行政処理能力が稼動していない状況で、何故か仕事は彼等に・・・ 国崎往人将軍とその副官と神尾観鈴に回ってくる。

「何で俺にばっかりこんなに寄越してくれる・・・・全く、俺に何の恨みが」

文句を言いつつも、公然と人前では口にしない。

往人にも今自分達が置かれた状況が分かっている。

昔、祐一と出会う前等では今の自分の周りを考えるだけで精一杯だったが、祐一と出会って以来、少しずつ『全体』を見渡す力が備わってきていた。

「にはは。でも、観鈴ちん栞ちゃんのことも香里さんのことも大好きだから。だから」

平気平気。と笑って書類の束に立ち向う。

往人からしても、何時も笑顔で言葉の渦を振りまいている少女や喧嘩相手の少女は嫌いではない。

「まぁ、な。とりあえず帰って来るまでは働いてやるか」

やれやれ。と往人も書類の束に向かって・・・・

「おい、久瀬。お前もしっかり働けよ?」

そして、隣で黙々と仕事を片付けている友人に声をかける。

と、帰って来る視線は、戦場のような冷たさをはらんでいた。

「・・・・まさか、君にそういった台詞を吐かれる日が来るとは流石の僕も想像していなかったよ。国崎君」

『久瀬将軍閣下は何時か国崎将軍に対して剣を抜くだろう』

それは、冗談で兵が話している事ではあったが、もし今の彼が帯刀していたらどうなっていたかは分からなかった。

普段から、常にサボっている往人のカバーをさせられているのは彼である。

「かったりぃけれど・・・・働くしかないよなぁ。やっぱ」

一人は無表情で、一人は笑顔で、もう一人は眠りそうな顔で書類に向かう。

友人のカバーをするのは当たり前。その程度の連帯感は既に彼等の間では出来上がっていた。

「そう言えば、折原のお姫様はどうだった?祐一が折原の兄妹のことは相当褒めていたからな」

書類を捲りながらの雑談。

そうでもしていないと退屈で叫びだしてしまいそうだったから・・・・

「非常に老獪な戦をされたよ。・・・・初陣だと聞いていたが、情報を操って虚偽の情報を流したのか、それとも相当優れた実践レベルの 指揮官が付いているのか・・・」

「お前が一杯食わされる指揮官なんてそうはいないだろう?・・・王国は強いんだろうな」

自分が戦った帝国の連中は雑魚ばかりだったからな。と笑う往人に有人も苦笑するしかない。

「・・・王国は完全に実力主義で人を採用しているからだろうね。折原王太子は王族であるからと言うより類稀な軍才を認められての史上最年少の 総司令官。里村筆頭将軍も貴族とは言え下級貴族。身分よりも実力を重んじている王国は強力だよ。」

両の手を上にあげての『降参』のポーズ。下手な男がやると嫌みったらしく見えるものだが、彼がやるとそうには見えない。

「お前がそれを言っていいのか?お前だって一応貴族の最高位の人間だろうに」

「僕は自分が貴族であることを誇りに思った事は無いよ。むしろ、貴族同士のパーティー等に出席する度に思うのさ。 あんな連中と自分が同一視されていることが最も耐えられない、と、ね。」

実際、もし今の友人達に出会うことがなかったのなら自分は今ここにいないだろう。と彼は思う。

人形のように貴族であることを務めようとしているか、又は・・・・

「まぁ、それは置いておいて・・・・とにかく、王国は羨ましいほどに層が厚い」

本当に羨ましいよ。と苦笑。

「折原王太子殿下は勿論、里村将軍も名将中の名将だと聞いている。 おそらく太刀打ち出来るのは秋子さんくらいだろうね。そこに、 長森副司令官、深山将軍、川名将軍、七瀬将軍、柚木将軍、上月将軍・・・・」

一本ずつ指を折っていく。

「そして、折原姫将軍殿下。ここまで数が揃っているのには敬意すら感じるよ」

一線級の指揮官は、これだけではない。後進に道を譲って自らは二番手に甘んじた名将がゴロゴロしている。

折原浩平が総司令官に着く前、数十年の間その座についていた折原家の守り神。誰もがそれに敬意を表して『大公』の名前で 呼ぶ折原家の長老は姫将軍の後見人になっているとも聞いている。

「まぁ、本来なら帝国だって負けていなかっただろう?将の質に置いては。」

「それを言われるときついな。確かに、相沢公爵に相沢白騎士団長、あとは、立花さんとかね。・・・誰か一人でもこちらの味方として生きていてくれればね」

ちなみに、こんな事を言っている彼自身、その中の一人と自分の副官が邂逅を済ませている事を知らない。

「総司令官は一弥。で、祐一を参謀長官に置いて第一軍を大輔さん。その後ろに俺や北川、お前達が続く、か。・・・・まぁ言ってもしょうがないが」

そうなっていたならば、その軍はおそらく負けと言う二文字を知らない軍となっていたであろう。

「現状では、一線級の指揮官と言えるのは・・・・一弥君や水瀬侯爵閣下に香里君。それに、君くらいのものか」

あとは、石橋将軍がまだ残っているくらいだろうね。と苦笑

「俺を入れるんだったらお前もだろう。・・・・潤や名雪やあゆ達。それに、聖達では無理か?」

「彼等は今は大軍を任せられる将ではないよ。・・・・勿論彼等の能力が。と言うより経験がだけど。 本質的に、北川君等は四〜五千の部隊を扱うのに向いているようだしね。 それに、神尾さんや霧島さんは申し訳ないけれど・・・あちらの将軍達と真っ向から渡り合うには力不足だ」

僕も、だけどね。と続ける。

「本当にあちらの層の厚さには恐れ入るよ。誰か一人でもこちらに居てくれたのなら楽だっただろうに」

最も、誰かが此方に居たとして、それだけの地位に就けたかどうかは別の話だけどね。

結局、帝国にはマトモな将がいない。

石橋将軍等は、まだマシと言える。おそらく大軍を任せた時には当り障りなく、王道的な戦術でしっかりと成果を収められるであろう。

が、その貴族としての地位だけで上に居るもの達は救いようが無い。

「その上、あれだけのジョーカーまで持っているとは。・・・・世界は広い」

対帝国用に作り上げられた王国の独立部隊。その存在は想像以上に大きかった。

・・・気がつくと、手が止まっている。

それを指摘することもなく、往人も有人も溜息を吐くしかなかった。