第二十三話








最初の戦闘、折原浩平達がそれを行ってから約1ヶ月程度。

戦局は一進一退。

王国側の戦線、公国側の戦線では、相手の小規模な侵入を各隊が一つずつ追い返していると言う状況。

一方、帝国側の戦線には特に動きは無い。が、帝国領の空をたまに有翼の魔獣が飛んでいる光景は民や兵に恐れを覚えさせていた。

勿論、魔獣、魔族と言ったものの数は少ないと祐一が言っていた。と浩平は全員に述べている。

魔獣はせいぜい多くても千。魔族がおそらく二百か三百。その上に存在している魔神は二人だけだ、と。

つまり、問題はあくまで人間。

異民族の数は元々三国の民の半分程度も居る。

その上、成年男児のほとんどに軍役を課している。軍勢の多さでは適うはずも無かった。

だからこそ、水瀬秋子や里村茜と言った超一流の指揮官でもっても逆侵攻と言った手段は取れない。

亀のようにじっと耐えるだけ。それは、ある意味で何か打開できるのを待っているのかもしれなかった。

そして、ついに動きが起きる。

それは、西方。王国領。







「・・・大侵攻、ですね。」

知らせを聞いた茜が思わず呟く。

現在で総司令官の立場は当然合流して来た女王、小坂由起子にある。

が、実戦の指揮を取っているのはあくまでこの蜂蜜色の髪を三つ編みに編んだ女性。

王国の誇る上級将軍。

そして、守戦の天才である。

「うー。もう疲れたよ。次から次へとやってくるんだもん」

そんな茜の前でふにゅぅ。と机に伏してしまうのは水瀬秋子侯爵の長女、水瀬名雪。

水瀬軍の三千程度を率いての参戦。これまではずっと最前線で転戦を続けている西方軍きっての名将の一人。

勿論、その片腕として働いている魔導部隊、スノウを率いる義妹の水瀬あゆが居てこその戦績ではあることは周知の事実。

「な、名雪さんっ!・・・う、うぐぅ。でも・・・僕も流石に疲れたよ」

隣で倒れ伏すのを見ると何か余計に疲れがたまってくる。

目の前に置かれた大好物であるはずのタイヤキに手を伸ばす余裕すらなくなっている。

こんな、軍隊にあるまじき行動が尚許されるのは、この軍が余りにも働きすぎているから。

何しろ、最初はこの軍も三千五百の軍勢を抱えていた。それが、今では三千。たかが五百と言う人もいるかもしれないが、軍隊の15% が命を落とすと言う状況は大惨事と言っても良いくらいの状況であろう。

既に戦場に出る事、僅か1ヶ月強の間に軽く両手両足の指の数を上回っていた。

「・・・二人のご無礼、お許し願えますか?・・・二人とも本当に疲れております。本来であれば軍議への参加も 見送らせていただきたいくらいでありまして」

フォローする久瀬有人、五千弱の兵を抱える王国方面の帝国軍の代表の詫びに、茜が、由起子が、みさおが、そして、王太子妃の長森瑞佳が頷く。

彼女達は心から名雪に、あゆに感謝している。

と、同時に申し訳なくも思っている。

本来であれば、最前線で敵を迎え撃つのは自分達の役目のはずだった。

でも、その中で強固に『自分達に先鋒を任せてください!』とお願いしたのがこの二人。

そう、本来の守り神を手にかけたことを誰よりも強く後悔している戦姉妹。

そのまなざしを断れなかったからこそ、水瀬軍は疲弊している。

「お気になさらないで下さい。私達は感謝しているんですから。」

瑞佳の慌ててのフォローに有人が満足するように一つ頷く。

「・・・それよりも、問題は敵軍の動きです。段々と纏まり始めていたからもしや、とは思っていましたが。とうとう、全軍での侵攻の ようですね。」

十五万の大軍が一斉に迫ってくる。と言う情報に城全体が混乱している状況。

「そうね。茜ちゃん。・・・あと、十日程度でこちらに辿り着くみたい。こちらとしてもどうにか対策を立てないと。」

そして、軍議が行われている、と言うわけである。

でも、誰も声を出す者はいない。どんな策も浮かばない。

そのまま、数分、十分が経とうとしていた頃・・・。

扉が叩かれた。控えめに、それで居て、叩く者の困惑が見えるようなおずおずとした叩き方で。







「誰ですか?今は軍議中です。誰も来ないように言っていたはずですが?」

茜の声が冷たい。

最も、何時も冷静である彼女からすれば普段通りと言っても差し支えないのだけれど。

『そ、それが、今急に城外に使者の方が・・・!!』

由起子が、茜が、みさおが瑞佳が小首を傾げる。

外に出していた部隊は一つもないし、他の方面の軍が何かを伝えてくると言う連絡もなかったはずだ。

「何処の軍の者ですか?軍議が終わるまで待って頂く訳には・・・」

『・・・・それが・・・掲げている旗が・・・白地に槍と盾。しかも、使者の出で立ちは兜、鎧、全てが白一色・・・』

茜の言葉がピタリと止まる。

名雪が、あゆが慌てて頭を上げる。

・・・そして、みさおが顔を輝かせる。

白地に槍と盾。そして白一色の甲冑。それは公国旗の中でもとある一部隊を指し示しているしるし。




白騎士団。




誰もが立ち上がり、と、同時に震える声で通すように告げていた。







「・・・祐一様、ついにこの日が訪れたのですね。」

その少し前、祐一も茜達が受け取ったのと同じ連絡を受けている。

それを見て、ついに祐一は指導部を一箇所に集め、訓練の中断を告げた。

「白騎士団、動かさなければいけない、ですね。この状況、流石の茜さんでもちょっと厳しいでしょうから。」

でも、と祐一は一つ息を吐く。

「すみません。動く前に一つ伝令を城に送って、今から言うことを伝えてください。」

思わず誰もが疑問を顔に浮かべる。

目と鼻の先に有る城。伝令を送らずとも直接出向けばよいのではないか?と。

「まぁ、一応正体不明の軍勢がいきなり行ってもびっくりするでしょうしね。それに、みさおから一応了解を得てからにしようと思いまして。」

律儀な方だ。と誰もが苦笑。

折原みさおと言う人が断るわけも無いでしょうに、と。







「先ず、白騎士団を代表してお詫びをしなければいけません。」

部屋に通され、一礼すると共に折原みさおの方を向いて切り出すのは年齢四十から五十と言うほどの老齢の騎士。

「相沢家の当主たる相沢みさお様に断りも無く、勝手に団長を我々が選び、命令を受けてしまった事。事後承諾となってしまいましたが」

その言葉にみさおがくすっと笑顔を向ける。

白騎士と言う人達は誰もが律儀と言う言葉と忠誠と言う言葉で出来ているのではないか?とすら思えた。

「勿論、構いません。・・・それで、団長様は何と仰られているのですか?」

その言葉に、言葉を向けられた騎士が軽く微笑む。

そして、一度だけ全体を見渡して・・・。

「それでは・・・我等が主、『相沢祐一様』からの伝言をお伝えいたします」

そう、一言。

緊張しながら座っていた名雪、あゆ、有人が思わず目を見開き、立ち上がる。

相沢祐一と言う名前は彼女達にとって特別。

自らの罪を表し、自らの不明を表し、そして自らの意思の在り処を表している。

「ゆ・・・ゆういち?」

呆然と呟く名雪には表情が抜け落ちている。

あゆに至っては、何一つ話すことも出来ずに突っ立っているだけ。

有人は『なるほど。』と言うように小さく目を閉じる。

ああ、水瀬侯爵や王太子殿下が色々と話していたのはこのことか、と。

「これより、山から下山。城に参上し軍勢に加わらせていただきたい、と。」

如何か?と問われて・・・。

「も、もちろん構いません。祐一様の思うがままにしてください」

慌てたように由起子が告げる。

それでは、と小さく頭を下げて去って行く騎士。

全員が慌てて立ち上がり、迎える準備を始めようとしていた。







「しかし・・・祐一様。このような事を言っていいのかは分かりませぬが。・・・祐一様が直接いかれたほうがみさお様方も喜ばれたのでは?」

おずおずと切り出してくる男性は祐一の訓練の教官を務めた男の一人。

「・・・そう、でしょうね。分かってはいるんです、が。」

うん。と寂しそうに、自嘲するように小さく笑う。

祐一は、訓練をしながら一つ、気がついた事があった。

自分は、弱くなっていると言う事。

それは、身体能力の低下とか、そう言ったことではない。

もっと、本質的なところで弱くなっている。

その原因は明らか。

「私・・・いえ、俺はやっぱり弱い人間なんだと思うんですよ。皆は家族を守る為とか、恋人を守る為とか・・・そう言った守る者を 抱える事で強くなれる。」

一つ一つ自分に噛み含めるように言葉を紡ぐ祐一は何か悲しく見える。

「・・・それは、祐一様とて同じ事なのではないでしょうか?」

そして、そう問い返す。

「俺は・・・違うんでしょうね。みさおや佳乃、佐祐理さん、澪さん・・・美汐や栞。瑞佳さんや茜さん。それに、浩平。一人家族が出来る度に何処かで 頼りにしてる。甘えてしまいたいと思っている自分がいる。・・・・一緒にありたいと思ってしまう自分がいる。 そう思っている限り、自分はこれ以上強くは成れないんだと思います。」

初めて人前で涙を見せたときから・・・いや、むしろ北川潤相手に遅れを取った時から思っていたのかもしれない。

「俺は・・・私は、相沢祐一は武人として生きよう。あの時、そう思ってこの山にやって来ました。」

そんな風に言う祐一を誰もが悲しく思う。

そして、誰かが異論を挟もうと・・・が、年配の男に首を振られて言いよどむ。

それは、自分達が言う事ではなく、祐一様の周りの方々が言う事だ、と。

「だから、家族ごっこはおしまいに。そして、今から白騎士団長の相沢祐一として・・・。全員が少しでも良い暮らしができるように、と思います。」

ちょうどその時、広場に伝令に出た男が帰ってくる。

入場を認められたのだろう。歓声が広場に響き渡るのを聞いて、祐一は緩やかに立ち上がる。

「皆さん、行きましょう。・・・後は白騎士としての責を果たすだけです」

祐一の顔は穏やか。でも、誰の目にも彼の中にまだ迷いがあることが分かってしまう。

そんな迷いを持ち、悲しそうに笑う。そんな祐一を可哀想だ、と誰もが思った。







「・・・栞ちゃん!佐祐理さん!?」

城の中では、相沢祐一の所在が明らかになった時点でもう良いでしょう。とみさおが佐祐理、佳乃、栞を帝国からの三人の前に連れてきていた。

「あ、えっと・・・名雪さん、あゆさん、久瀬さん。お久しぶりです。」

「あ、あははー。まさか、もう一度会えるとは思っていませんでしたねー」

気まずそうに告げる二人は、おそらく相手が自分に対して怒りを抱いていると思っている。

勿論、三人は怒ってる。でも、それ以上に・・・

「う、うぐぅ。佐祐理さん、栞ちゃん!」

再会出来たことを喜んでいる。

二人の真ん中に飛び込んでいくあゆ。名雪が満面の笑みを浮かべてゆっくりと近づき・・・

そして、有人が照れを隠すように仏頂面で佇む。

澪は、感動するように小さく目を潤ませて傍に居る。

「えっと、祐一君を皆で迎えに行きましょう。」

元気の良い声でそう言うみさおに誰もが笑顔で頷く。

でも、そんな中何故か嫌な予感を感じて、それでも必死に笑顔を浮かべている瑞佳と茜。

二人は、互いに顔を見合わせて、互いが同じ感情を持っていることに気付くとさらに顔色を悪化させた。







そして、こう言った時の悪い予感は、概して的中するものなのであろう。







大歓声が起きる。

城の前に集う騎馬の一団。

同じ鎧を着て、同じ兜を被って・・・

そして、白地の旗を高々と掲げている。

兵たちはそれの存在を知っている。だからこその歓声。

誰もが、この瞬間戦に勝てる、と思う。

それが、この軍勢の一番の効果。

戦わずとも戦力になってしまうのだから。







でも、馬から降りた祐一の周りに居る者の表情は暗い。

彼らは、祐一が抱いてしまっている闇を知っている。

そして、この後誰かを悲しませる行動に祐一が出ることも。







やがて、城門が空く。

目の前に由紀子やみさおが居るのを見て取った、祐一が片膝を付いて頭を下げた。

この時点で、誰もが異変を感じていたのかもしれない。

その光景は、ある意味で異様。

勿論、本来こうあるべきと言えばあるべきなのだけれど、それは今までの相沢祐一と言う人とはあってないように見えたから。

そして、堰を切ったように駆け出す人影を見たとき、瑞佳は、茜は思わず止めようとする。

が、そんな行動に意味はないのかもしれない。どうせ、すぐに分かる事なのだから。







「祐一(君)!」

駆け寄っていったのは今まで祐一を殺した罪悪感で一杯だった名雪とあゆ。

目に涙を浮かべながら駆け寄る姿に、みさおや澪、佐祐理や佳乃、栞、美汐も今回は譲った方が良い、と駆け寄るのを遠慮してあげる。

でも、あるはずだった感動の再会はそこにはなく・・・。

ザッと一斉に馬から降りた三千余りが一斉に膝を付く。

余りにも綺麗で、余りにも・・・・意外な光景に全員が唖然とそれを、眺めていた。

「折原王女殿下、そして、帝国の将帥の方々。折原王女殿下には無断での軍勢の統制をお詫びさせていただか なければなりません。そして、帝国の将帥の方々には・・・・・私が罪ある者であることは重々承知。 しかし、どうかこの戦の間だけは末席に加えていただける事、お許し頂きたい」

「ゆういち・・・くん?」

呆然と呟いたあゆ。名雪が目を白黒させていて

ビクッとみさおの体が竦み上がる。

みさお自身も、こんな祐一をみたことがなかった。

毅然としていて、でも、自分に対しては妹のように慈しんで、守ってくれていた。

優しくて、勇敢で、誠実で。でも、兄のようにふざけるのも好きで・・。

「祐一さん?」

呆然と佇む人々の中、思わず佐祐理が声をかける。

つい先日、一ヶ月ほど前に自分に対して涙を見せてくれて、本音を語ってくれた祐一。

あの時は誰よりも近く感じられたのに、今はとても遠くに感じる。

まるで、全ての感情を捨て去ったかのように。

「軍議を始めましょう。陛下。宜しいですか?」

唯一人冷静に物事を見ていられたのは茜。緩やかに由紀子にそう問い掛けると共に、身を翻して会議室へ向かう。

その後ろを祐一が物静かに続く。

何か、狐につままれたような、そんな感じで誰もが後ろから続いていった。







「え、えっと、それじゃぁ祐一が生きていることをお母さんは知ってたの?・・・お母さんも言ってくれれば良かったのに」

会議室で行われている事は軍議ではない。

気をきかせたのか、由紀子が所用と言うことで退席。軽いお茶と菓子が振舞われ、談話、と言う形を取っている。

が、その空気は非常に重い。

目を閉じたままピクリとも動かずに座っている祐一は、何か話し掛けられるとしっかりと返すし、質問されたらしっかり答える。

でも、何かが違う、と思う。

そう、自分の周りに何か膜を作ってその中に閉じこもっているようにすら見えるほどに。

「はい。秋子さんとはいろんな話をしたんですよ。・・・秋子さん、私達から祐一君の所在を明らかにする為に変な質問まで」

そう言って、みさおは秋子から言われた縁談の話等も持ち出す。

それは、本来だったら軽いお話。いや、それ以前に心に閉まって会話にも出さない程度の話かもしれない。

佐祐理が冗談のように『みさおさんが一弥の奥様になってくれれば嬉しいですね〜』と話す。

それが、最後の破局を招く鍵であることは、この時点では誰も知らなかったこと。







祐一は、その言葉に心がざわつくのを感じていた。

『みさおが一弥と結婚する』

勿論、冗談であろうけれど・・・。

と、共に昔瑞佳に聞かれた事を、そして、その時の自分の答えを思い出す。

ずっと一緒に居てあげてね?と言われて、自分は彼女達が自分自身の伴侶を見つけるまでは。と答えた。

そう、それは本音だったはず。

それが、今になって迷ってしまう。それが自分の弱さなのだろう、と思う。

だから・・・







「良い話ですね」

思わず口を突いて出た言葉。それは、祐一が雑談で自分から発言した最初の言葉。

「王女殿下が皇太子殿下の下に嫁がれれば両国の間の結びつきはこれ以上ないものになるでしょう。」

自分で自分に止めろ!と心の中で叫びながらも言葉が出てしまう。

少し遠くでは、段々とみさおが表情を無くして行くのも見える。

澪が慌てて立ち上がり、祐一を止めようとする。

でも、そんな行動は既に遅い。

だって、既に祐一は言っているのだから。

もう、祐一は自分でも何を言っているかは分からなかったけれど・・・。

でも、言いながら祐一は自分の心が空虚になって行くのを感じていた。







ダンッと大きな音が一つして、その後駆け去って行くみさおの姿が見える。

誰もが、彼女は泣いているのだろう、と理解する、と共に佐祐理と澪、佳乃が慌てて後を追いかける。

その原因を作り上げた男は空虚な目で座っているだけ。

やがて、祐一自身までもがゆるりと立ち上がり、部屋を出て行く。

止めようとする者は、一人としていなかった。







「ねぇ、何で?祐一・・・何かおかしいよ。・・だって、何時もは・・・」

呆然と呟く名雪も、隣のあゆも、同様に表情を失っている。

そんな姿を見ながら、瑞佳は自らを責める。

祐一の心のうちを知っているのは瑞佳と茜だけだったはず。

祐一が昔、彼女達に伴侶が出来るまでは一緒に居て守りますよ。と言う言葉を聞いたのは瑞佳だ。

そして、それを彼女達を傷つけないように隠していたのもまた。

「里村さん、私、ちょっと祐一の所に行ってくるよ。」

そう言って立ち上がり、廊下に出た瑞佳の裾がキュッと掴まれる。

「瑞佳さん」

その言葉に瑞佳が思わず振り向く。

里村茜という人に名前で呼ばれたのは初めてだった。

「・・・瑞佳さんでは、多分・・・無理です。私に行かせていただけますか?」

でも。と思わず瑞佳は言いよどむ。

「だったら、二人でいってらっしゃい。・・・祐一様のこと、お願いするわね。私はみさおちゃんの所に行ってくるから」

そんな事を言う由起子の傍には、一人の騎士が控えている。・・・・祐一の部下の。

「祐一様は、勘違いをされているのよ。あの方は強くなる為には大切なものを捨てなくちゃ甘さが残ると思っちゃったのね。」

所用、と言うのはおそらくこの騎士から話を聞いていたのだろう。

「分かりました。みさおちゃんの、私の大切な義妹のことをよろしくお願いします。叔母様」

縋る様に瑞佳が頭を下げる。

勿論よ、とそれに対する由起子の顔は、明るい。

「あの子は私のとっても大切な姪・・・娘だもの。幸せになってもらいたいの。」

踵を返して去って行く由起子の後ろ姿を眺め、二人は一路祐一の部屋へと向かう。

本来、祐一は自分の部屋には帰って居なかった。常にみさおや佐祐理、佳乃の傍に居たし、眠る際も傍に居た。

でも、この時点において彼が居る場所はおそらくそこであろう、と。







「祐一。」

コンコン、と扉を叩く。

見張りの兵に聞いたら、確かにこの中に人は入っていったと言う。

瑞佳と茜は即座に人払いと、この区画への人の侵入を・・・たとえ誰であっても禁止するように命令して、ここに居る。

「祐一。開けて。私だよ」

もう一度コンコン、と。

でも、返事は無い。

「退いて下さい」

もう一度呼びかけようとしたところで、茜に止められる。

そのまま瑞佳と代わって扉の前に立つと・・・茜は黙って扉を開けた。

中は暗く、明かりもない。

祐一の愛刀が壁に立てかけられているのが、甲冑と兜も丁寧に置かれているのが見える。

そして、ベッドに座ってジッとしている祐一の姿も。







「ああ、瑞佳さん、茜さん、どうしたんですか?」

許可も得ずに入ってきた二人に対しての祐一の言葉すら何時もどおり。

どうしてこんなに変わってしまったのかが瑞佳には分からない。

戦のあと、僅か2ヶ月、と言う間でしかなかったのに。

「え・・・えっと、祐一、何であんなこと言ったんだよ。・・・みさおちゃん、泣いてたよ?」

うん。と小さく祐一が頷いて返す。

「瑞佳さん、一弥はいい奴だと思いませんでしたか?・・・俺は、あいつとみさおが結ばれたら本当に世界はより良いものになると 思ってるんですよ」

そんなことを言っている祐一の心は泣いている。と茜は思う。

まるで、昔の自分のように。

祐一のことを昔、最初に会ったときから何処と無く気になっているのは多分、彼が自分に似ているから。

昔の、何もかもに絶望していた時のような自分と。

大切な幼馴染が病で亡くなった時の自分と。

あの時の自分には詩子が居た。だから、立ち直れた。

でも彼には・・・本来その立場に居るはずの人はすでに誰も亡い。

「で、でも、みさおちゃんは・・・多分祐一のこと・・・好き、なんだと・・・そうだと思うんだよ。だから・・」

「だからこそ、俺は切り捨てなくちゃいけないんです。・・・その感情は俺を弱くしてしまうから」

祐一は確かに鈍感ではあるけれど、人の気持ちを読み取れないわけでは決して無い。

彼はおぼろげにみさおが、佳乃が、佐祐理が、澪が、栞が・・・自分に好意を寄せている事を理解している。

「俺が弱さを抱えると騎士団の仲間達・・・それだけではなく、全ての仲間達に迷惑をかけることになってしまうから。」

「では、弱さを取り除いた時、本当に祐一は強くなれるのですか?」

部屋に入ってから、初めて口を開く茜。

祐一の座っている所に近づいて、両膝をついて目を見据える。

「浩平は、弱いですか?浩平は長森さんやみさおさんを守ろうと強くなりました。だから、今の浩平は、強い。」

違いますか?と言われて・・・

思わず口を噤む。

「浩平は・・・俺なんかよりよっぽど強い。俺にはあいつみたいに誰かを真剣に想うことが出来ませんから」

それは、祐一の小さい頃からのトラウマ。

でも、瑞佳は、茜はそれは違うんじゃないか?と思える。

彼は人を愛せないのではなく、そう言うものがどういうことなのかを知らないだけではないだろうか?と。

小さい頃から、文官として、武官としてのみの成長を続けてきた祐一。

そして、女性との付き合いを苦手としてきた祐一。

きっと、そう言う面での彼の成長は子供のままで止まっているのだろう。

二人で顔を見合わせる。瑞佳が軽く頷いた。

「祐一は、人を想う事が出来ないのではないと思います。・・・唯、人を想うということがどう言う事かを知らないだけ。」

ふ、と祐一の顔が茜の方を向く。

その目は濁ってはいるけれども・・・多少正気を取り戻したような、そんな、目。

「・・・では、人を想うこととは何なんでしょう?俺には分からないんです。大輔さんや爺ちゃんが俺に向けてくれたもの。それと、今茜さんや瑞佳さんが 言っているものの違いが・・・・・」

瑞佳が思わず口を開こうとして、止める。

彼の言う事は正しくもあり、間違っても居る。

始祖神は妻を愛したがゆえに世界から完全に魔族、魔神を排除することが出来なかった。

それは、責められる事なのだろうか?

「白騎士団の人、由起子さんに多分祐一のこと言ってたんだよ。哀しそうな顔をしていたもん」

後はお任せいたします。と言うように懇願の視線を向けていた男性。

彼も、祐一が大切なもの全てを捨て去ってまで強くなることを望んでは居ない。

彼等が戦うのは一重に祐一の為。そのために彼らは強くなっている。

「祐一。」

小さな声を聞いて思わず茜の方に視線を向ける。

「それがどういうことか。その答えは私にも分かりません。でも・・・」

心の中で小さくみさお達に詫びる。

そして、祐一に顔を近づけた。




お人形のような端正な顔立ちと、蜂蜜色の綺麗な髪が近づいてくるのに、祐一は思わず驚きを顔に浮かべる。

女性の顔をこんなに近くで見るのは初めてだ、と思わず身が強張る。

ふわりと近づいてくる茜に、体を動かす事が出来なかった。

そして、距離が0に・・・・




茜は、しっかりと目を開けたまま・・。

祐一に顔を近づけて。

後ろで瑞佳が『わわわわ』と慌てて顔を背けているのが気配で分かって小さく心の中で笑む。

数秒後に、緩やかに唇を離す。

「・・・私にも、それがどういうことなのかは分かりません。・・・でも、祐一のことを今守ってあげたい、と思いました。 だから、多分これが・・・・そうなんだと思います。」

突然の告白に祐一が唖然と。

「多分、それは頭で理解する事ではなく、本能で分かることなんだと思います。・・・誰かを大切に思う事と言うのはそう言うこと。 祐一にもそう思った人達が居る。祐一はそれを弱さだと思ってしまった。でも、それは逆に強さではないでしょうか?」

祐一が自分の指先で唇を触れる。

温かい感触と柔らかい感触がまだ残っていて、思わず顔が赤くなる。

「祐一があの時、倉田皇太子との縁談の話が出た、と聞いて思ったのは『嫉妬』でしょう。それは、祐一が真剣にみさおさんの ことを想っているから言ってしまった事。」

そう言って、茜が祐一に背を向ける。

「行って上げて下さい。きっと、みさおさんも佐祐理さんも、佳乃さんも・・・そして、澪も悲しんでいますから。」

そういう茜が瑞佳には哀しく見える。

何時も冷静であるように見えるから、そして、大人であるからこそあの四人と比べて行動に出る事が、祐一の傍にいる事は少ない。

でも、行動を見て、里村茜という人がまた、真剣に祐一のことを想っている事が分かるから。

やがて、祐一が決心したように立ち上がり、部屋を出て行く。

「里村さんっ!」

思わず、瑞佳は茜の手を引く。

友人として、・・・大切な、親友として。







「みさおちゃん、祐一様はきっと、嫉妬していただけだと思うのよ。倉田皇太子・・・佐祐理ちゃんの弟さんに。」

由起子は、残っていた人達に、『ごめんね、深山さん・・・ここのこと、お願い。・・・名雪ちゃん、あゆちゃん、栞ちゃん、美汐ちゃん。今日の所は私達に任せてもらえないかしら?』 と一言だけ告げ、みさおの部屋へと急行した。

部屋に入ると案の定、みさおはベッドに突っ伏して泣いている。

周囲にいる澪や佐祐理、佳乃もどうしたら良いんだろう?と思うと共に、また、祐一の気持ちが自分達と別の所にあることを悲しんでいるようだった。

だから、由起子は近づいて全員に言う。

あの方は、唯自分の心が理解できていないだけ。そして、その心を無理矢理押さえ付けようとしただけなのだ、と。

「白騎士の方が、私に話してくれたの。・・・祐一様は、自分が強くならなければ誰も守れない。だから、自分は大切な者を全て捨ててでも 強くなるんだ、って言ってたそうよ。」

ピクリ、と全員の肩が動く。

みさおが一瞬、泣き声を止めて顔を上げる。

「ホント、馬鹿みたいよね。・・・多分、祐一様はそう言う感情が自分にはありえない物だと思っていらっしゃる。 ・・・でも、これは私達大人の責任よ。私達は祐一様に頼りすぎ、そして祐一様はそれに子供の頃から答えようとしてくださった。」 その結果、祐一の感情の成長は子供のままで止まっているのだろう、と。

「祐一様は、自分にある感情が何かも分からず、邪魔になるから捨てなければ、とお思いになった。それが、無理となって あんなことをみさおちゃんに言ってしまった。そう言うことだと思うの」

多分、あの方は気付いてくださるから。自分の過ちに。と続けて・・・

「瑞佳ちゃんと茜ちゃんが任せて欲しいって言ってたわ、だから、貴方達はここで待っていて。多分、あの子達が何とかしてくれるわ」

その顔は、二人を心から信頼しているものに見えた。

うん。と涙で目を赤く潤ませながらみさおが小さく頷く。

(あらら。ウサギさんみたいな目をしちゃって。浩平が見たら大変ね)

きっと、大喧嘩が始まってしまうだろうと思う。

でも、喜ぶだろうな、とも。

妹を思うことこの上ない浩平。でも、彼が一番考えている事が瑞佳や妹、弟の・・・祐一様の幸せであることを由紀子は知っているから。




そして、扉がトントンと小さく叩かれる。

由紀子は、黙って扉を開ける。

そこに居た人は、予想通りの人。

心の中で、瑞佳と茜に感謝を告げた。




パン!と凄い音が廊下に響く。

そして、思わず祐一が目を見開いて。

「ご無礼申し訳ありません。祐一様。・・・でも、今回は許していただきますよ?」

由起子の大人の笑みに分かっています、と小さく頷く。

みさおの、佐祐理の、佳乃の、美汐の代わりの一撃なのだから。

そして、『入れていただけますか?』と。

由起子は勿論。と小さく、強く言って場所を開ける。

そして、中に入っていく祐一を見ながら、一歩部屋から離れた。

と、同時に遠くから歩いてくる人を見て、もう一度目を見張る。

決意したような目で茜を引っ張ってくる瑞佳。

そして、戸惑うような茜。

由起子には、二人と祐一の間に何があったのかがおぼろげに分かる。

だから、瑞佳に対して小さく頷いた。







祐一は、部屋に入った瞬間に四人が怯えたような表情を見せた瞬間、自分のしでかしたことの大きさを理解していた。

だから、心を込めて謝る。

許してもらえるかは分からなかったけれど。

そんな祐一に、誰もがどうしたら良いんだろう?と立ち竦む。

みさおも、佐祐理も、澪も。

「うん。分かったよぉ」

でも、そんな中で佳乃がニッコリと一つ笑って祐一の所に。

「祐一君がみさおちゃんにしたことはいけない事だと思うよ。でも、お姉ちゃんが言ってたよぉ。真剣に謝って居ると分かったら、許して 上げなさいって。」

うん。と一つ頷いて祐一の顔をよいしょ。と両手で抱え上げる。

祐一の顔はこんなに弱弱しかったか?と誰もが思ってしまうほどに顔が弱く見えた。

祐一が抱えているのは、不安。

自分はもう許してもらえないのではないか?と言う不安。

誰もが、その時に自分の役割を知る。

何時も助けてくれている人を逆に今度は助けてあげたい、と。

そして、三人もまた、祐一に向かって近づいていく。

「みさお。・・・茜さんが、俺が言った事は嫉妬しているからだ、って言っていた。俺にはまだ良くわからないけれど・・・でも、 あの時、何故か一弥に対して悔しさを覚えたのは事実・・・・・だと思う」

その言葉にみさおがビクッと。

初めて聞いた祐一の内面に。

そして、さっきと同じように涙が頬を次々と伝っていく。

もっとも、その理由は・・・・・大きく異なるものだったけれど。







「良かったわ。これで皆、元通り。いえ、それ以上ね。」

うん。と小さく頷く由起子。

傍に居る瑞佳も目を潤ませて中を覗いている。

そして、二人は一方を見て。

「ほら、里村さんも中に行って良いんだと思うんだよ。だって、里村さんにもその資格は十分だと思うもん。」

由起子もそうね。と一つ頷く。

「・・・でも、私は・・・」

言いよどむ理由はいくつもあるけれど・・・多分、一番大きいのは

祐一は自分のことをみさおさんや佐祐理さん、佳乃さん、澪のように大切に思っていない、と言う事。

そう言って哀しそうに笑う茜に対して由起子は笑う。

「大丈夫よ。多分、祐一様はまだ誰が一番好き、とか考えていないわ。・・・茜ちゃんも、みさおちゃんも、佳乃ちゃんも、 佐祐理ちゃんも、澪ちゃんも。皆大切に思っているわよ。きっと、ね。あの方は元々人を大切に思う心に序列を付ける人ではないわ。 それは、恋愛でも同じ事じゃないかしら?」

突然、茜の手が強く引かれる。

「ほぉら。素直にならなきゃ。ね?」

よいしょ。と思いっきり手を瑞佳に引かれて思わずつんのめる。

そして、とどめは・・・

部屋の前での由起子と瑞佳によるツッパリ。

ドンッ。と思いっきり押された茜が、部屋の中に入ってしまう。

不思議そうにそれを眺める中の四人。

でも、その四人には入ってきた女性が自分達と同じである事が分かるから。

だから、四人の顔はやがて笑顔に変わる。

不安を顔に滲ませていた茜の顔もまた。







瑞佳と由紀子は、顔を見合わせてにっこりと笑う。

そして、扉を音を立てないようにゆっくりと、閉める。

感動で目を潤ませて・・・。

そして、並んで経ち去って行く。

兵達には、今晩は部屋に近づかないように、と告げて。