第二十二話








「陛下!伝令の者が帰還致しました!」

ム。と小さく声をあげてムクリと布団を上げて起き上がる。

ヴァルキリアを突然襲った異民族の大侵攻。

三日ほどの防戦の後、帝とそれに従う三千ほどの兵が敵軍の囲みを破って突破。そのまま、西に、息子の治める土地へと移動。

その間に吸収した部隊を含めて全部で六千程度は集まったものの、相手の七,八万の追撃軍から逃げるので精一杯。

しかし、傷病兵も抱えているせいか行軍が遅くなり、食糧も足りない。

だからこそ、その途中で息子に出した伝令、即ち、援軍を請う、と言う伝令。

逃走の途中で息子が停戦したことを聞いた時は怒り心頭であったものの、こうなってみると引き返してくる息子の軍勢は心強かった。

「陛下!伝令が戻ったと聞きましたが。」

同様に外からかかってくる声。

「久瀬、美坂。お主らも来い。間もなくここに来るであろう」

ハッ。と小さな声と共に入り込んでくる二つの影。

共に五十に行くかどうか?と言う程度の男性であり、帝国における中枢の者である。

貴族としての地位は候。水瀬秋子と並んで帝国を支えている三候の残り二人。

今回の撤退劇、敵の囲みを突破してここまで来る事が出来たのはこの二人の尽力あってのこと、と言う事は誰もが理解している事である。

「もうすぐ息子が軍勢を率いて帰ってくる。その時は一気に王都を取り返してくれよう!それにしても、まさか、蛮夷に王都を侵略されようとは・・・ 帝国始まって以来の醜態だ!」

ドン!と床几を叩く音を聞いて困ったものだ。と二人が顔をあわせる。

「しかし、陛下。敵は十万を超す大軍。しかも、帝国の軍勢の大半は敵軍を向こうで食い止めているとも聞いております。ここは一先ず 公国領に落ち延びられた方が・・・」

久瀬侯爵の言う事は正しい。それは、分かる。だが・・・と美坂侯爵は思う。

それを聞いていただけるのなら苦労はしないのだ、と。

「申し上げます。伝令の者、まかりこしてございます。」

応。と機嫌良く頷いた一が入れ。と小さく。

しかし、二人には分かってしまう。

伝令に立った文官、確か、爵位は男だったろうか、その男が酷く蒼褪めている事を。

つまりは、上手く行かなかったと言う事。でも、二人はそれで良いと思っている。

この状況で、帝国領内に自分達を助けに来る者がいるとしたらそれは蛮勇。

むしろ、見捨てて欲しい、とすら思っているくらいだった。

「それで、息子はあと幾日でここに参る?何と言っておった」

楽しそうな声。息子が、手塩にかけて一生懸命育てた息子が命に背くとは少しも思っていない。

「・・・そ、それが、・・・余裕がありませぬゆえこちらまで来ていただきたい、と。」

何?と眉がピクリと動く。

「皇太子殿下に置かれましては、王国と協力しての防衛体制。こちらの都合で崩すわけにはいかない、と。」

正しい、と久瀬が心の中で皇太子に賛辞を送る。

元より、王国は仲間だ。少なくとも、神話の時代においてはそうだったはず。

それを敵同士とし、挙句の果てに異民族の侵入を許したのは帝国の責だ。

むしろ、公国領へ向けて援兵まで送ってくれていると言う状況。相手の指導部はおそらく良い人が揃っているのだろう。

そして、戦略的に見ても、この判断は正しい。

食糧は穀倉地帯である公国領を守り通せば十分に民を養うには足るであろうし、軍事的にも難攻不落のクレスタに引いたところを防衛拠点にすれば先ず 突破されることはありえない。

公国領への直接の侵入は水瀬侯爵が先頭に立って防ごうと動いている、とも聞いている。よもや破れることはないだろう。

そんな想像をしながら目の前に視線を向ける。

目の前では怒り心頭・・・と言うより信じられないと言う面持ちの主。

それを見て、隣に居る昔からの親友であり同僚であった男と笑みを交し合う。

既に、普段主に付いておべっかを使っている者達は全て逃げ出してしまった。残っている主な貴族は自分達二人とその家族だけ。

でも、こんな人物でも主。地獄への共が二人くらい居ても良いのだろう、と。

(秋子さん、後の事はお任せします。帝国のこと、そして、我々の子達のことも。)

それは、二人が同じように思っている事。

自分が犠牲となっても、子供達が、国が残るのならそれでよい、と。

これは、主がこんな所に行き着くまでそのままにしてしまった自分達の罪なのだから・・・と言う様に

結局はこのような心ある部下を遠ざけていたからこそ今の帝国の状況があるのだろう。大抵 崩れ行く国家とはそういうもの。有能な者が遠ざけられ、奸臣が国を欲しいままにする。

唯、彼らには希望があった。自分達が死しても国にはまだ獅子が残っている。最強の牙を備え付けて。

だから、自分達の命は惜しくは無い、と。







翌日からのかれらの逃亡も困難を極める。

足を止める間もなく歩き続けて既に三週間以上。

毎日毎日歩いては休み歩いては休み。

けが人が多い軍隊ではそうそう速度もでない。

でも、そんな逃亡生活を続けられていたのもそれから四日ほどの間だけ。

負傷兵を抱える兵団の速度がそこまで速いはずも無い。

「陛下!敵の追っ手に追いつかれました。どうか先に落ち延びてくださいませ!」

そんな進軍速度では当然、相手の先鋒隊の騎馬兵には追いつかれる。

馬車を走らせる一の周りには両侯爵が馬を並べ、必死に速く逃げろ、と促してくる。

「う、うむ。・・・が、この状況、そなたらは如何する?」

少し言葉に迷いが出てしまったのか、どもり気味になってしまう。

そんな答えに二人が小さく笑みを浮かべる。

昔のこの人はこうやって人のことを心配出来る方だったから、と。

息子に見捨てられたからか、それとも逃亡生活を支えていたからか、多少は自分達に昔のような態度を見せてくれるのは嬉しかった。

「我らは少しでも時を稼ぎましょう。手勢、けが人を除いて千と二,三百は互いに持っておりますゆえ。」

追撃してくる軍勢は一万と三,四千。しかも、その後ろからは敵の本隊も迫っている。

併せて二千五百程度の軍勢で受け止められるはずもない。

「どうか、皇太子殿下をお恨みにならないでくださいませ。陛下。あの方の考えは最も。我等もそう思っております。」

ぐ。と思わず言われた方が息を詰まらせる。

諫言されたことは幾度もあり、その度にそのものを罰する事で口を封じてきていた。

が、相手は今にも死のうとしている。流石に、死に行く者からの諫言まで切り捨てる事は出来ない。

「それでは、我等は参ります。どうか、ご武運を」

思わず手を差し伸べようとすらしてしまう。

今までであれば、無視し、遠ざけていた相手。

それが今のように無様な逃亡生活になると昔のことが何故か思い出されてしまう。

少し年上の男性を兄のように慕っていた事。

自分に従ってくれる人達を常に感謝し、その人達と共に動いていた事。

今でも自分を守ろうと人が目の前で死んでいく。

こんな時に何故思い出してしまうのか・・・と思うとともに。

何故か涙が頬を伝った。







一方で、戦線は苛烈を極めていた。

圧倒的優位から虐殺に近い殺戮を繰り返していた追っ手に対して飛び込んでいった僅か二千騎と少し、という程度の軍勢。

人数的にも相手の六分の一。しかし、士気の高さでは遥かに相手を上回っている。

実際、この部隊は善戦した。

鬼人のように槍を振り回し、刀が折れたら落ちている物を、相手のそれを奪い取り叫び声を上げて 暴れ回る。

突入して僅か一時間程度、この部隊は相手を一キロ近く押し返しもし、その間に味方軍は次々と離脱に成功した、と言える。

でも、それで限界だったのは誰の目にも明らかで・・・次々と、一人一人討たれて行く。

「・・・さてさて、そろそろ限界ですかな。」

近づいて来た盟友に笑顔で答える。

「おい、美坂。お前は何人討った?いや、久しぶりに暴れさせてもらった。懐かしいじゃないか。昔・・・俺達がまだ 公子であった頃はよく手柄を争って自重しろと叱られたもんだ。陛下に、な。」

「恥ずかしいことを話さないで貰いたいな。娘達には『指揮官たるものむやみに前には出ず、後方から冷静に指揮を行うものだ。』と 言っているんだ。噂で伝わったら困るじゃないか。・・・・・・・・・ちなみに、俺は六人ほど討ったが」

ははは。と大声で笑う。

「いや、俺も有人の奴にはそう言って育てたからな。まぁ、お互い様だ。・・・しかし、良く俺達みたいな馬鹿の元であれだけ賢い 子供達が育ったもんだ。いや、身内贔屓って奴かもしれんが」

「身内贔屓ではなかろうよ。有人君は今では帝国屈指の名将だとうちの娘も言ってたさ。」

それは良かった。と安堵の息を一つ。

「さて、と。それでは我等の周りの兵も少なくなってきた事だし、もう一暴れ、か」

「お前にはまだまだ負けんぞ?軍功を競って勝ったこともあり負けたこともあったが・・・最後くらいは勝たせてもらわんとな」

二人同時に馬の腹を蹴り上げる。

敵の大軍を見据えて。

それに、残り少なくなった味方の全ても。

一つの塊となって、突っ込んでいった。







駆ける。馬を駆って、唯、駆ける。

思えば、輿や馬車に乗らずに馬で駆けるのは酷く久しぶりに思える。

昔は、それこそ彼が二十歳くらいの頃は陣頭指揮をとっていたくらいだったのに、と。

「馬に乗る、か。久しぶりだが中々に楽しいじゃないか」

何時ものような嫌味ったらしい笑い顔ではない、何処か膿が落ちたような笑顔を浮かべて。

でも、涙が頬を伝っているのはしょうがないのかもしれない。

今、命を捨てようとしているのは自分と生まれてこの方ずっと付き合ってきた者達。

自分が十やそこらの頃に生まれたばかりの二人と出会って以来の付き合いの。

その後、十数年は弟のように。そして、その後また十数年は腹心として、また、片腕として、 そして、その後は何かと意見してくる厄介な相手となった。

(あいつらが色々言ってくれたのは俺のことを思ってくれてのことだったんだろう、な)

今になって、自分が頼っていたはずの部下が全て自分を見捨てて逃げ帰った今になってようやく気付く事。

思わず、馬を止める。

「陛下!急がれませんと!・・・きっと、皇太子殿下の下へ辿り着けば!」

そう言ってくる部下をキッと見据える。

「良い。・・・・怪我人は残れ。・・・動ける者だけついて参れ。」

「へ・・・陛下?」

「我等は返すぞ。・・・怪我人を逃がしてやれ。一弥の所へ着けばなんとかしてくれるだろう」

馬の向きは既に正反対を向いている。

「し、しかし・・・陛下」

「我が命でどれだけの命が購えるか試してみようではないか。」

剣を腰から抜き放ったその目を見たら、前方で戦っている二人はどれだけ喜んだだろう?

それは、昔の目。

嫉妬に狂い、信じる事を止めてしまってから一度も見る事が無くなった。

そして、前に向かって馬を走らせようとする。

その時、彼等は後方からの馬音を聞いた。







「父上!」

前方で何やら揉めている様に見える馬影。

一弥は父親が馬に乗っている所を見た事は無い、が、父親であることは分かる。

無事で良かったと言う思考が半分。と、同時にこんな所で何をしている?と言う思考がまた半分。

「・・・一弥か。どうした?お前らは帝国を裏切り、王国についたのではなかったのか?」

棘のある言葉を聞きながらも、何故か何時ものような敵意がない。

「・・・お助けに上がりました。どうぞ、後方へお下がりください。ここは我々が受け持ちますゆえ」

自然と一弥の声がきつさを増す。

一弥は確かに怒っているのだ。公国における一件、王国に対する件。美汐や栞に対する件。他にも色々ありすぎて。

「王国の連中も一緒に居るのか?」

そんな中聞かれたのは予想外の一言。

「はい。ですが、僕は彼等と戦う気はありません。たとえ、父上のご命令であっても、です。」

そして、一点を指差す。

自分達を回り込むように両側から敵軍に向かっていく軍勢を。

「あちらに見えるのは折原王太子殿下の軍勢です。父上方をお助けするよう、と助言下さったのは折原王太子殿下です。」

茫然自失と下を向く一。

「そう、か。王国の獅子が我等を助ける為に、か。・・・俺も行こう。一弥、付いて来い。」

駆け去って行く父親の姿を呆然と見送る。

てっきり、真っ先にこれ幸いにと逃げるものだと思っていた。

でも、その行動はむしろ倉田一と言う人物の昔を知る人々からすれば当然のことだったのかもしれない。







「流石、に・・・そろそろ・・・限界、か。」

既に槍は折れ、刀も折れた。

弓は既に弦が切れている。もしも切れていなかったとしても矢等既に尽きていた。

敵から奪い取った槍を振り回しているものの周りの味方がほとんど失われた今、結局は討たれるのがちょっと伸びる程度のものだろう。

「何だ。もう精一杯か?久瀬。昔はもう少し張りがあったと思ったがな」

強がりを言う彼自身も相当にへばっている。

互いが互いを励ましあうように武器を振るって既に三,四十分は経っている。

軍勢が逃げることを考えれば十分に時間を稼いだ、とはいえる。

最も所詮は逃げている者は徒歩。騎馬で追いかけられれば・・・・助かるとも思えない。けれど・・・・ それはあえて考えない。所詮、自分達に出来る事はその程度でしかなかった。

一花咲かせて討ち死にする。と言う程度しか。

と、その時敵軍が沸く。大音声を上げて。

「やれやれ。敵の本隊が到着かな?・・・それでは、どちらが先に討ち死にするかで最後の競争、か。」

それに苦笑で答える美坂侯爵。

でも、何処か様子がおかしい、と怪訝そうな顔をする。

敵軍は増強しているわけではなく・・・むしろ、混乱しているように見える。

そして、駆け寄ってくる騎馬の群れ。

「逃げろ!侯爵。ここは引き受けてやる」

味方であることに気がついたのは、それから数瞬を置いての事だった。







「いいか?七瀬。とにかく、相手に思いっきりぶつかれ。何時ものように漢らしい戦っぷりを見せてくれ。その後は引いてくれて構わねぇから」

「何よ!その漢らしくって!私は・・・」

「それじゃぁ、行くぞ!俺は両侯爵を助けに行く。香里や栞と有人の父親だ。死なれては寝覚めが悪い。」

「あ、こら、ちょっと!無視するんじゃないわよ・・・って、あ、・・・もう!」

ああ!と兜を地に叩きつけたい衝動を我慢する。

(そうよ。この怒り・・・あっちにぶつけてやればいいのよね。)

ギラリ。と視線を向けられた方からすれば堪ったものではなかった。

何しろ、飢えた狼のような目付きをした悪魔が槍を構えて突っ込んでくるのだから。

ある意味、彼等が一番の被害者なのかもしれない。







「なるほど。王国の折原王太子。・・・それで、皇太子殿下はどちらに?」

命を救われたと言う実感は後から少しずつやってくるもので。

「ああ、一弥ならアンタ達のご主人様を助けにな。それじゃ、俺も行くぞ? 祐一や大輔さんを消してくれたあんた等と顔をつき合わせるのも不快だ」

真っ向から言われた余りにも正直な発言にくすっと笑ってしまう。

「分かった。それでは、目の毒はとっとと消えるとしよう。ご武運を」

馬が二頭並んで駆け去って行く。

特に見る事はしない。おそらく、無事一弥達に合流できるだろうから。

問題は、こっち。もしも敵の本隊の合流に逃げ遅れたら包囲殲滅は明らか。

つまり、引き際を弁えて戦わなければいけないということ。

「馬鹿、ね。・・・・まぁ、そりゃぁ・・・・なぁ。祐一と付き合ってれば馬鹿にもなるだろさ」

よっと。と余りやる気のなさそうな気合を一つ、浩平もまた留美の後に続いて軍勢を進めていく。

敵軍は二万弱しかも後から後から続いてきている。対してこちらは一万と少し。

奇襲の形を取れたのだから現状では、有利。けれど、長引けば長引くほど不利になるのは火を見るより明らか。

「伝令。七瀬には合図が上がり次第即座に退くように、と。武勲を上げるにはこの戦場は不足だ、とな」

後方では退却を敢行する両侯爵の軍勢。

右斜め前方には車懸りに突撃を繰り返す味方の狂戦士。

「我が軍はこれより左斜め前方より敵軍に逆落しをかける」

周囲から聞こえてくる返事を聞くや否や既に軍勢は動き出していた。







そして、彼等がその場から退いたのは敵軍の本隊が到着する一時間ほど前。

戦果としては互角程度。

序盤では相手を押し続けていた軍勢も流石に強行軍の疲れからか動きを鈍らせ、段々と槍玉にあげられる者が 増えていった。それを見て浩平も即座に撤退を敢行。

それによる損害も相当なもの。それでいての戦果互角は寧ろ勝ち戦とも言える。

目的を完全に達成させた。と言う意味では帝国軍の勝利と見ても良いかもしれない。







この戦いが、本格的な戦の最初。

そして、この流れは全ての戦場にも波及して行くことになる。

その意味で、この最初の戦場での勝利が与えた影響は非常に大きかった。







そして、戦場は移る。

西方、王国領。それが本格的な戦の初戦。

そこが、反撃の狼煙の上がる所。

其は王国最高の将と勇者の作り上げる二重奏。