第二十一話








王太子殿下が単身近づいてきている。

その報告を聞くや否や女王、小坂由起子は全ての公務を中断して、城外に迎えの席を作り、そこで待つことにしていた。

彼女の所にも『公国の目』による報告は届いている。

だから、浩平が戻るまでに残存の軍隊全てを纏めて何時でも行軍が可能な状態を作り上げていた。

と、同時に浩平達に席を譲って引退していた全ての将官達・・・今は文官への転職を行っている者に対しても一人ずつ懇願し、軍に戻ってもらっている。

代表的なところではみさおの後見役に就けていた折原の長老や瑞佳の父親・・・・浩平や茜が 成長する前は北方の守護神とまで呼ばれた将帥。

それらの人に一人ずつ事情を説明し、頼み込む。

全て、やるべき事は成し終えた。あとは・・・・

そんなことを考えている時に前方からの歓声。

「・・・お帰りなさい、浩平」

誰にも聞こえない程度の小さな声で呟いた。







「女王陛下、申し訳ありませんでした。要職の身にありながらそれを弁えぬ行動。どのようにでも罪を」

自分の前に頭を下げる甥を見て呆気に取られてしまう。

今回、由起子は唯、浩平に自分が集めた軍勢を預けて、好きなように使ってもらおう。としか考えていなかった。

勿論浩平に罪はある。でも、この状況でそんなことを言っている暇はない、と。

それなのに、頭を下げている浩平。

驚くべき事は、ふざけている様子が全くなく、真摯な態度を取っていると言う事。

何があったのだろうか?と思う。

「・・・・私は、特に罪に問おうとは思っていませんよ。浩平。・・・貴方は自身で反省しているようですしね。」

ちょっと考えた後、ふぅ。と一息ついて話し出す。

それに対する答えなんて、考えるまでも無かった。

「・・・唯、それでも罪があると思うのなら、全力で戦いなさい。世界の為に、唯。それで帳消しにします。」

分かりました。ともう一度頭を下げる浩平。

「それでは、もっと細かく現状を報告しなさい。私は大まかな状況しか知りませんから」

了解しました。と言うように頭を下げた浩平が、現状を説明する。

帝国軍との停戦、その後の会談。祐一の行動。そして、軍勢の配分や目的。

そこまで物凄いことになっているとは。と由起子が驚くほどに現状は進んでいた。

と、同時に彼女自身も一つの決意をする。

「・・・元々、私が集めた兵は貴方に預けようと思っていたのですが・・・貴方は急いでいるみたいですね。」

「はい。このまま俺はもう一度七瀬の軍へとって返すつもりです。」

浩平は、既に丸二日半駆けている。本心では少し休んだ方が良い、と思うものの、それはもう決心していることなのだろう。

軽く目を閉じる。

元々、由起子自身軍人としては無能であることを十二分に理解していた。

だからこそ、迷惑をかけないように、と軍のことは全て浩平に丸投げしていた。

でも、この状況。そんなことを言っていられる状況ではない。

・・・・少しでも、士気は上がるかもしれないし、みさおちゃんの盾にもなれるかもしれない・・・。

「この軍、私が率いてみさおちゃんに合流しましょう。浩平は思いっきり戦ってきなさい。城の 守りは叔父様と長森伯にお任せ致しましょう」

一つの決心。それを胸に刻んでその場から立ち上がり・・・。

近づいて『ぽん』と肩を叩く。

「茜ちゃんから返してもらったの?総司令官の証」

その言葉に、浩平は懐から短刀を取り出す。

軍勢の行動が始まる直前に茜から返された短刀を。

「・・・もう一度、貴方を総司令官に任じます。宜しいですか?」

断ろうはずがなかった。

もとより、浩平はその為に帰ってきたのだから。







そして、その頃には別所にもその行動が伝わっている。

みさおの居ない間を任されている文官が、その隣に座っている佐祐理と栞に向かって鎮痛な面持ちで書面を差し出す。

内容を見せていいのだろうか?と思いつつ・・・・。

何しろ、書かれている内容は佐祐理の父親を、そして、栞にとっても国民を見捨てると言うような内容だったから。

案の定、栞が愕然として紙面を見据える。

「栞さん・・・怒らないであげてください。多分、一弥も秋子さんも、浩平さんやみさおさん達もこれが精一杯だと分かってしまったから・・・ だから、涙を流してでもこんなことをしなければいけないことになってしまったんだと思います。」

佐祐理が小さく目を閉じて、もう一度開く。

ヴァルキリアの、自分の故郷の綺麗な町並み。

これから戦火に巻き込まれ、汚されて行く。どうしようもないくらいに、かなしい。

「佐祐理さん・・・。・・・っ!そうですっ!祐一さんに知らせないと。」

「いけません!栞様!」

どうにかして心を紛らわせようと立ち上がる栞を大声で呼び止める男の声。

「何でですかっ!?だって、祐一さんにもこの一大事を知らせないと!」

「祐一様にはおそらく既に伝わっております。・・・それより、あの場は白騎士団員、及びそれをこころざし、必死に訓練を行う者以外 の出入りは許されておりません。」

・・・・・それ以外の者が踏み入ろうとすれば、それは命を奪われかねない事である。と言われて

「でもっ、でもっ、何でですか?祐一さんがあの場所に出かけてもう四日も経っています。白騎士団を動かすのならとっくに 動かしているはずじゃないですか!」

ぴくっ。と佐祐理の肩が小さく揺れる。

あの日、祐一が出かけた後から佐祐理はずっと山の方を見つめている。

祐一さんの白騎士団長就任を祝いたい、と。

でも、それ以来数日、一度も祐一は山を降りてきて居ない。

心配だった。何かあったのだろうか?と。

そんな風に沈み込む佐祐理に、栞も思わず俯いてしまう。

「祐一様は、帰ってこられますよ。絶対に」

そんな中、男性の声だけが唯響いていた。







しかし、そのまま祐一は五日、十日経っても帰って来ず、結局その間にこの城は別の客を迎えることとなる。

折原みさおの率いる軍勢の帰還を







「お帰りなさい、みさおさん。」

トトトと軽やかに駆けて行った佐祐理がみさお、佳乃、澪、美汐に手を差し伸べる。

四人が四人その手をきゅっと握りしめた。

「ただいま、佐祐理さん。・・・えっと、祐一君は何処に行ったんですか?」

きょろきょろと周囲を見渡すみさおと佳乃。しかし、その姿は何処にもいない。

澪と美汐は何か分かった様なそんな納得したような顔で微笑んでいる。

「祐一さんは、ちょっと出かけています。・・・それより、紹介させて頂いて宜しいでしょうか?」

くいっと体ごと振り向かせて、ちょいちょいと手招きする。

どうしたら良いのか?と困惑している栞に向かって。

「美坂栞さんです。祐一さんの大切なお友達の方ですよー。」

澪は当然知り合い。でも、残りの二人は会った事も無かった。

ちょっと人見知りする栞が困惑しているのを見て、佐祐理が手を引いてつれてくる。

「えっと、佐祐理さん?」

「私達の、新しい家族、ですよー。」

家族。その言葉は彼女達にとって特別なもの。

何しろ、ここには普通に家族に囲まれて育った家族が少ない。

両親がいないみさお、佳乃。両親にいろんな意味で苦しめられた佐祐理、澪。両親と小さい頃に切り離された美汐。 祐一だって両親もいないまま小さい頃から一人で暮らしていた。

彼女達にとって、家族は憧れでもあり、幸せの象徴でもあり、・・・・そして、小さな世界でもある。

だから、佐祐理の言葉を聞いて、誰もが嬉しそうに微笑み

栞に向かって、手を差し伸べる。

栞がその手を掴んだ瞬間、その時に家族は増えていたのかもしれない。







「・・・美汐さん。」

そのまま、暫く歓談をしている最中、佐祐理が小さく肩をつつく。

そして、振り向く美汐に対して一点を示す。

ここでの話が終わるまで待っていてくれているのであろう、一組の男女を。

「お父様、お母様・・・」

思わず棒立ちしてしまう美汐の目から一筋涙が毀れて・・・

「行ってきてください。あの方達も待っていましたから。ずっと、ずっと。」

ね。と小さく囁いて。

トンッ。と背中を押してあげる。

(両親が居る。幸せですね。)

羨ましくないと言ったら嘘になる。佐祐理も一度、両親と弟で楽しく会話を行ってみたいと思ったことは幾度となくあったから。

(でも、今は佐祐理にも大切な家族が居ますから)

だから、きっと佐祐理は今のまま笑っていられるんだろう。と思う。

笑っている間は、きっと自分は自分らしくいられるのだろうから。







「それで、こちらの方面の軍勢はどのようになっているんですか?」

そのまま、小一時間ほど長いようで短い歓談が行われ、その後誘われたのは城の一室。

「えっと、私と澪さんの軍勢が到着して二日後に中陣の水瀬さん、久瀬さんの両部隊がここに到着されます。そのさらに二日後に 王国の・・・・茜さんと瑞佳お姉ちゃんの本隊も。」

困ったですね〜。と佐祐理が小さく。

栞はまだしも、自分や佳乃は正体をさらすわけには行かない。

何しろ、自分達は相沢祐一と言う人物の存在に直結しているのだから。

「う〜ん。多分、見つからなければ問題ないとは思いますけれど・・・でも、ちょっと不便をかけてしまいますね。」

外にでて、帝国の兵士に見られるだけで大事になりかねないですし・・・と顎に人差し指をあてるみさお。

「あ、あのっ、名雪さんやあゆさん、久瀬さんには祐一さんのこと、伝えてあげないんですか?」

三人とも、とても悲しんでいるのに。と栞が。

「祐一さんは今戦っています。だから、祐一さんが戦いを終えて、皆に話せるようになるまでは黙っていよう、って思うんですよー。 多分、祐一さんは帰ってきた時には全てを話してくれますから」

それよりも、と佐祐理が一つ息を吐いて。

「佐祐理や佳乃さんはちょっと不便ではありますけれど、祐一さんみたいに覆面を被って参戦させて頂きます。・・・それよりも、 今はこの状況をどうするか?です。」

ここには、祐一も立花将軍もいない。

で、ある以上総司令官であるみさおの相談役は佐祐理と澪の二人。

『・・・各個撃破を目指すのが一番なの』

元々こう言う話になるのを予想していたのか、即座に紙を上げてくる澪に佐祐理は一度頷いて。

「佐祐理も、澪さんに賛成です。・・・しかし、問題は相手も各個に撃破されて行けばそのうちひとつに纏まろうともするでしょう。 少なくとも、祐一さん達が守り手であったころ万単位の進入を行ってきた事は幾度かあります。つまり、あちらにも しっかり万単位の兵の統制を取れる人が居ると言う事・・・。」

十五万の大軍が一つに纏まって押し寄せてきた場合どうするか?それが一番の問題でしょう。と。

「・・・篭城か、野戦か、ですね。でも、それは皆さんが集まって、その時の状況も鑑みないといけないです。」

『今は、とにかく侵入して来る部隊を叩くので精一杯なの』

みさおと澪の言葉を聞いて、その通りだ、と思う。

佐祐理の考えは、あくまで自分が優位にある時に全ての可能性を考えておく、と言う考え方。

それは、軍事的に常に優位な立場であった帝国だから成せた業。

でも、今回の状況は・・・

勿論、如何なる状況にも対応出来る様考えておくのは重要。でも、元よりこちらに戦の主導権はない。

そう、最初っから相手の動きに一つ一つに後手ではあっても対応していくことしか出来ないのだから。

悪く言えば、行き当たりばったり。良く言えば臨機応変に対応・・・。

「とにかく、全軍が揃うのを待たないといけないですね。あと、四日。私達はせめて皆さんに少しでも疲れを癒していただけるように努力 しましょう。」

「栞ちゃんは、これからお友達が来てくれるんだよねぇ。いいなぁ・・・。」

今回は往人や観鈴、そして、聖はこちらではないことを聞いた佳乃がちょっと残念そうに。

最も、仮に来ていたとしても直ぐに会うわけにも行かないのだけれど。

「う〜ん。・・・私も、祐一さんが帰ってくるまでは正体を隠しちゃおうかな?なんて思っちゃいますね〜。・・・佐祐理さんだけなんて 不公平ですから。」

そう言って、私にも顔を隠す覆面を下さい!と意気込む栞。

でも、栞の望んでいた正体不明のヒーローと言うには・・・

その覆面はそこまで格好の良いものではなく

「えぅ〜。何か、凄くお間抜けさんに見えますよぅ。」

と、その言葉にもう一度場が笑いに包まれた。







そんな、自分の家族達が平和な会話をしているとはいざ知らず・・・

相沢祐一は生死の境をさ迷っている。

周囲には心配そうに見つめる人の目、目、目。

「すいません。訓練の邪魔になってますね。・・・気にしないで先に言って下さい。」

心配そうに見つめるのは次代を担うべき若手達。祐一の五,六歳年長くらいの者が最も多いが、同世代の者もいないわけではない。

馬術の訓練の際のみは誰も適わないような成績を見せ、魔術の訓練においても客観的に見ても相当に良くやっている、とは祐一も思っている。

しかし、事が身体能力になると差があからさま過ぎる。

先日に至っては武器を取っての訓練で危うく右腕までも失う事になりそうだった。

常に死と隣り合わせ。それが今の祐一の現状。

「そこっ!止まるなんじゃない・・・・おいっ!寝るな!・・・・前に、前に進め!」

後ろからの怒鳴り声にのろのろと立ちあがる。

これは、祐一が頼んだ事。

如何なる時も特別扱いはしないで欲しい。その結果、自分の命が失われたとしてもそれは自己責任であるから、と。

だから、教官達・・・本来であれば団長の祐一に従うはずの騎士団の幹部達は心を鬼にして怒鳴りつける。

時には、思いっきり引っぱたくことすらあるほど。

でも、そのおかげで祐一自身、体力がついたかもしれない。とも思えるようになった。

帝国に居た頃行っていた、何処かで甘えを残した・・・自分はもう力を失ったのだから、と諦めていた頃と違い、本気で命をかけた 鍛錬。効果のないはずがない。

「すみません。・・・行きます」

後ろを向いて一礼。そのまま、緩やかに走り出す。

この山道の鍛錬のコースは全部で約三里(約11.8キロ程度)。そのコースを他の見習の者は大抵五十分程度で走破する。

それが、今の祐一にはまだ一時間以上はかかる。最も、最初はどれだけかかったのかも分からないほど・・・ 最後はほとんど歩いているような状態だったのだから成長したと言えば成長したのだが。

それでも、まだ昔の通りとは言い難い。

(せめて、・・・昔の通りとは言わなくとも平均レベルには達したい所だけれど・・・流石にそこまでは時間がないだろうな。)

せいぜい、最後まで息を切らさず走れるようになれば相当上達したと思っていいだろう、と思う。

「足が止まってるぞ!とっとと走れ!」

後方からの、受けた事が無いはずなのに何故か懐かしくすら思える檄が、何故か凄く嬉しかった。







そのまま、最後まで。

ゼイゼイと息を吐いて帰ってくる祐一を迎えるまなざしは温かい。

元より、祐一が個人的に神の力を受け継いでいるからとかそう言った理由でここに居る者は一人としていない。

彼等は、祐一が祐一であるからこそここにいる。それに彼の個人的な能力等全く関係ない。

お帰りなさい。とかご苦労様でした。と言う声に軽く笑顔で答える。

「全く、あの鬼教官は・・・相変わらず鬼ですよ。祐一様相手に暴力を振るうことで性的欲求を満たしているに違いありません!」

そんな中、ある意味何時もの通り、一人の男が自身有り気に立ち上がって叫び、沈黙のまま近寄ってきた教官に引きずられていく。

「あ〜あ。またか。あの馬鹿は・・・。祐一様、ああ言ったのとは付き合わないようにお気をつけ下さい。・・・ みさお様や佐祐理様方が泣きますよ?」

近くの男が声をかけてくるのに苦笑で答える。

祐一には、軽口を叩いた男がああやって次の訓練への間の時間を作ってくれた事を知っている。

勿論、そんなことは誰もが知っているため、教官も彼に対してほとんど罰を与えない。せいぜい、食事のおかずが一品減る程度。

「次は近接戦闘の訓練・・・ですか。先日のような失態は起こさないよう気を付けないと。」

その祐一の言葉に近くに居たものが見を強張らせる。

彼等の近接戦闘の訓練は安全も考えて刃引きをした刀で行う。

馬上での戦闘訓練では昔往人と戦った時のように自らの武器に布を巻いたりするが、近接戦闘の 場合はそうした形を取る。これは、馬上戦闘と近接戦闘での鍛える部分の違いから来るものである。

刃引きしたと言え刀は刀。打ち所が悪ければ死者はでるし、実際問題として白騎士の候補生が毎年何人も何人もそれで命を落としている。

そんな中起こったのが先日の事件。

相手の斬撃に思わず刀を取り落とした祐一に追撃の一撃。

最初っから見守っていた教官が慌てて横から刀を突き出さなければ祐一はもう片方の腕をも失う事になっていた。

「あ、いえ、悪いのは私の方です。貴方が縮こまる事じゃありません」

身を縮こまらせる男性に慌てて言葉を入れる。

「そんなことより、今日もお願いします。今日は無様なことをしないように気を付けますので」

は、はいっ。と大きな声での返事を聞きながら、祐一は訓練が行われる広間へと歩みを進める。

この日は、なんとか命の危険にさらされずに済む事が出来た。







そして、同じ頃、帝国、公国領の間でも状況に変化がある。

倉田皇太子、七瀬留美将軍、国崎往人将軍等が率いる二万七千の精兵。

それが、一気に大返しを決めて、帝国、公国領の国境付近まで辿り着いていた。

「・・・速い。もう、ですか。」

思わずそう呟く一弥。

この場所で逃げてくる民を保護しよう、と相談の結果布陣。

そこにもたらされた知らせは、既に帝都が陥落している、と言う知らせ。

「陛下におきましては、全軍を持って即座に帰還、公国領に向かって転進している我が軍に合流せよ。とのことでございます。」

使者の言葉にぴくりと一弥の眉が動く。

この者は死神の使者だ。そう、一瞬のうちに判断していた。

「・・・・使者の方、お聞きしたいのですが父上は敵が三方から侵入して来ている事はご存知なのでしょうか?」

父親は既に城を追われて逃げ延びている。つまり、今になっての帝国本土への進行は戦略上なんら価値を生み出さない。

相手は城砦都市ヴァルキリアに篭る。こちらにはそれを落とすだけの戦力は無い。

で、ある以上進行したとして、相手が城砦に篭ってしまえばこちらの軍は戦略上無価値となる。

国崎、折原。両隊とも公国方面に向けた立花将軍の率いる元公国軍と並ぶ連合軍の最精鋭軍団。それを 戦略上無価値に追いやる事は・・・・どんな愚策にも劣る、愚策。

「勿論でございます。陛下は、一旦公国領は捨てよ、と。合流して敵を討ち果たし、その後にゆるりと取り戻すと言う所存。」

そこまで言って使者が満足そうに一弥を眺める。

自分の役目は果たしたのだ、と。

「お断りします。と父上にお伝えください」

でも、その満足感はほんの一瞬で打ち砕かれる。

「我々はこの地で帝国より逃れてくる民を守る為、万里の道を駆けて参りました。それは、停戦していただいた王国の方々とて同じ事。 父上方も兵を率いてこちらに合流されるようにお伝えください。我らはこの地を守るだけで手一杯でございますので。」

眼光に見据えられて、思わず二の句を告げない。

平凡な少年だと、そう思っていた。

姉と違い凡庸な、操りやすい少年だ、と。

しかし、今になるとその評価が全く変わってしまう。この、目を合わせることが出来ないほどの眼光はどういうことなのだろうか?と。

「し、しかし、・・・では、皇太子殿下は陛下を裏切られるおつもりか?陛下は王国との停戦のこともお怒りでございます。 直ちに停戦を解きこれを討て、とも。」

その瞬間白刃が煌く。

首筋にピタリと当てられた切っ先を見て、思わずヒッ、と息を呑んでしまう。

「裏切り、と言われるのなら構いません。しかし、私達は世界の為に戦っている。王国の方が同じ考えであるからこそ 私達は共に行動しております。それを侮辱することは許さない」

ツ、と一筋の血が流れて・・・

チン、と鞘に収められる音が続いて聞こえてくる。

既に男の顔からは血の気が引いていた。







「あ〜あ、可哀想に。あそこまでやらなくても良かっただろう。あいつ、失禁しかけてたぞ?」

使者を追い出した後、自分が裏切りを犯している事に気付きちょっと悩んでいた時・・・後方からの聞き覚えのある声に慌てて振り返る。

「よぅ。一弥。とりあえず何とか間に合ったな。」

ピッ、っと手を挙げる男性。

つい先日、数日間とは言え毎日顔をつき合わせていた男性。

「こっ、浩平さん?・・・まさか、もう到着されたのですか?」

一弥自身、オーディネルに行って、その後帰ってくる。と言われた時戦場には間に合わないかもしれない。と言う危機感を抱いていた。

「そっちがここに着くまでには追いつきたかったんだが・・・流石に無理があったみたいだな。遅れちまった。悪い」

最も、途中で代え馬を用意するはずだった場所に豪雨によって馬を運んでこれなかったのだから浩平の責ではない。

ほぅ。と一息ついて、浩平が腰にさしていた短刀を鞘ごとポンッと投げる。

「これは・・・?」

家紋入りの短刀。家紋は折原家のもの。

「王国の総司令官の証だ。今はお前に預ける。」

その為に俺は行って来たんだからな。と小さく笑う浩平。

「え・・・!?で、でも、浩平さんは王国軍の総司令官で・・・」

「便宜上、同じ軍に二人の大将が居るのは色々とまずい。この場合はとりあえず統一した方がいいんだ。違うか?」

言っている事は理解出来る。でも、理解する事と実際にすることは全くの別物で。

「だったら、浩平さんが帝国の軍も率いてください。僕よりもよっぽど適任でしょう? ・・・・それに、実力的にも貴方は祐一兄さんと同格とまで謳われたほどの名将じゃないですか!僕なんかより絶対に・・・」

落ち着け。と浩平が自らの手で口を塞ぐ。

「先ず、最初に言っておくが・・・二つお前は勘違いをしている。先ず、俺と祐一では違う。似ている、と言われることはあるが、全然違う。 仮に、だ。俺と祐一が同一の条件で戦をしたとしたら・・・・間違いなく俺が負ける。やったことはないが、分かる。」

戦場で会いたくない相手。最初に出てくるのは間違いなくその人物。そして、たった一人浩平が 勝てない、と思える相手。

寧ろ、相沢祐一と言う人物の力を一番良く理解しているのはこの青年なのだろう。

「それと今、確かに俺はお前に指揮権を預けようとしている。だが、これは遠慮しているからじゃない。今回の戦場が帝国領だから、だ。 これが王国領だったら俺はお前に指揮権を寄越すよう要求している。」

だから、今はお前が全権を預かるのが一番良いんだ。と。

「勿論、サポートはする。関係は今までと変わらない。だが、それでも総指揮を取る立場はお前だ。そうじゃなければ俺達は動く事も出来ない。」

この時になって一弥も理解する。

確かに、協力していると言う形式で軍勢は動いている。でも、その中で二つの頭が居ると軍勢は混乱する。

そして、頭を一つにする上で重要なことは今回の目的。

今回、目的はあくまで帝国国民の保護。で、ある以上帝国皇太子である自分が名目上であれ指揮官の立場に就くのが好ましい。

「・・・・分かりました。それでは、一時預からせていただきます。」

うん。と浩平が小さく頷く。

「あ、でも一つ言っておくが・・・言葉使いは勘弁してくれ。かたっくるしいのは苦手でな」

それに笑顔で頷く。

やっぱり、祐一兄さんに似てる。一弥はそう思った。







「さて、それで・・・今後の僕達の行動ですが、既に北川さんには騎兵三千五百と共に近辺の村々の撤退援護をお願いしています。 さらに、国崎さんの所からも国崎さん自身は行っておりませんが部下の方々が千程度の軍勢を五部隊。それぞれが遠方の村や町へ 。ここに残っているのは約一万八千の軍勢ですね。内訳は国崎さんの五千と浩平さんの一万。僕の直属が三千と言った所です。」

ぽんぽん。と地図の上にマークをつけて行く。

既に、近くの・・・まだ異民族の侵入を受けていない場所の全てに部隊が送られている。

敵軍はヴァルキリアを落とした後は部隊を幾つかに分けて帝国領の抑えにかかっている。

北部、南部、それぞれに貴族の統治している領はあるものの、そこは・・・・おそらく助けきれないだろう。

軍勢は500に満たない程度の諸貴族。けれど、全部併せれば二万程度は数えら得るであろうだけに 大きな損失と言える。

大体が、そう言った辺境に居る者は天野伯達ほどでないにしても王に阿って位を得ようと考えていなかった マトモな者が多い。異端者と呼ばれていた者達との戦経験も多く、軍勢にもある程度期待は持てていただけに 損失としては大きいのである。

けれど・・・・しょうがなかった。

まぁ、ある程度こちらに離脱、合流してくれれば、とその程度である。

「残った部隊で逃げてくる味方兵、帝国の民を保護、安全な所に送り届けるってわけね。良いと思うわよ。」

うん。と留美が満足そうに頷く。

非の打ち所は無い、と思えた。

「・・・しかし、一弥。お前の父親からの伝令があったんじゃないのか?」

ピクリと往人が見を強張らせる。

往人からすれば、未だにあの皇帝は許しがたい男として脳内に記録されている。

あいつが居なければ、祐一も大輔様も誰一人としてあんなことにはならなかったのに、と。

「・・・はい。全軍を持って救援に来い、と。しかし、我々にはあんな奥深くまで軍勢を派遣する余裕はとてもありません。残念ですが・・・」

一弥にとってはあんな男でも父親。苦しいのだろうか、それともこんな命令を未だに送ってくることに怒りを感じているのか・・・

そのどちらかは定かではない、が。

「いや、それはまずい。・・・少なくとも、救援を送らず見捨てたような状況になったら最悪な展開だ。」

浩平からしても、あんな人間は死んだ方が良いとすら思っている。けれど・・・

「このまま見捨て、その結果あの皇帝が死んだ時、誰もが一弥、お前の事を皇帝の地位を狙う為に王国と組んで皇帝を見捨てた、と見なす。 それは、あの皇帝がもう一度戻ってくる以上にあってはならない状況だと思わないか?」

皇帝に憎悪を抱いている往人ですら反論のしようがない浩平の意見。

「しかし、それでは・・・父上を助ける為にはここまで入り込まなければいけません。あちらがこっちに脱出しようと思ってくだされば良いのですが」

地図の一点。そこは、帝国のほぼ中央部辺り。騎兵でも五日程度はかかるほどに遠い場所。

「入り込んだ挙句に包囲されると最悪の展開ね。・・・折原、いくらなんでも無理があるんじゃないの?」

だいたい、気が進まない。と言うように留美。

何しろ、それを行った場合損害を被るのは彼女の部下達。それを惜しむわけではないけれど、あの皇帝と天秤にのせた場合に 天秤が片方に落っこちると言う程度には留美はあの皇帝を嫌っている。

「何を言う!・・・良いか?七瀬。今、王家の方が敵中に孤立している。危機だ。これを救ってこそ真の乙女と言えるのではないのか!?」

ガシッと両肩を掴んで力強く。

「良いか?乙女だぞ?真の、乙女だ。お前にはその資格がある、力がある。それなのにお前は真の乙女への道を自ら閉ざす、そう言うと言うのか!?」

近くで見ている一弥や往人からの生温かい視線をとりあえずシャットダウン。

肩をそのまま二度、三度揺さぶっていくと段々と留美の目が虚ろになって行って。

「乙女・・・真の乙女?・・・皇太子殿下!参りましょう!」

一弥は、往人は、生まれて初めて洗脳が行われるのを目の当たりにしていた。







そのまま、倉田一弥率いる軍勢は、国崎往人の五千だけをその場に残し、一路帝国領内を突っ切っていく。

一万三千を折原浩平の五千、七瀬留美の五千、倉田一弥の三千の三部隊に分けた構成の軍隊。

その速度は、先の大返しを上回るほどに、速い。