第十九話








既に、日が沈もうとする頃・・・

そして、宴席もそろそろお開きにしようか。と浩平が、一弥が思い始めた頃。

遠くからの馬煙に誰もが表情を強張らせる。

王国陣から駆けて来る一騎が見張りの兵に書状を見せ、馬から降りて近寄ってきていた。

「・・・失礼します。私は王女殿下の護衛の者で天野美汐と申します。以後お見知りおきの程・・・」

ぴくりと一弥の顔が強張る。

会話の中で秋子も浩平もこれくらいは。と思ったのか、浩平自らが帝国王都に侵入し、政治犯を解放したこと。 そして、その中に天野伯爵夫妻が居た事や、その娘が暗殺者に仕立て上げられていた事などは話していた。

勿論、その奇跡を起こした主役のことは出しては居ないけれど。

それだけに、目の前の少女が本来であれば自分達の友人と言える立場にあったはずの人であることが名雪達には分かっている。

「美汐さん、どうしたんですか?」

みさおが近づいてくる美汐に小首を傾げる。

「王女殿下の騎士様から手紙を預かりまして。急いでお届けに、と。」

声に名前を出さなくとも王国の面々や秋子にはそれが祐一からのものであることは瞬時に理解される。

(祐一君・・・から?)

何でだろう?と。

この親睦会が終わればまた会えるはずなのに・・・。

「用事が出来た。だから、先に帰らせてもらう。心配しないでくれ。と仰られておりました。」

考えを先読みしたように告げる美汐。

「えっと、私に、ですか?」

「いいえ、王女殿下、そして、王太子殿下にも、と。」

「俺か?・・・何でまた・・・」

みさおが浩平に先に渡すように、と促した。

兄にも、と言う事は間違いなく国の大事に関わる内容であろう、と。

「分かった。先に読ませてもらう。・・・皇太子殿下、失礼する」

対面の相手に一言詫びてから、ゆるりと短刀を持って封を切る。

中に入っているのは紙が一枚だけ。

「全く、一体何の用でこんな時に・・・」

帰ってからでも良かっただろうに。と小さく呟いて・・・

紙片を眺めた浩平の顔が硬直する。

ただ事ではない、と横から覗いたみさおの顔までもが。

「私も内容は知りません。しかし、あの方がわざわざ紙に残したのであれば直ぐに持ってこなければいけない、と思いましたので」

どうやらその判断は間違いではなかったそうだ。と安堵の息を一つ。

「その判断は正しい。感謝する。・・・・問題は、あの馬鹿が何でまたあの時に言わず今になってこんな方法で知らせてくれたのか、だが・・・」

考えても仕方が無いか。と自分を無理矢理納得させて・・・。

「水瀬侯爵。これを・・・」

目を通してください。と差し出す。

中に書かれているのは浩平達だけの問題ではない。

―――――両軍が別れるのは少し遅らせた方が良いと思われる。おそらく、数日内に何らかの知らせが入るだろう―――――

その内容は、先ほど話していた内容に直結していた。

浩平の目の前では顔を蒼褪めさせた秋子が一弥にその紙を渡している。

こうなってみると、秋子に祐一の存在を知らせたのは吉と出る。と浩平は思う。

唯の覆面をかぶった正体不明の男と、相沢祐一。

その発言に対する信用の差はとても言葉に表せるほどではないから。

想像の通り、怪しげな、それでいて不安そうな顔をする帝国の面々に秋子が説得を開始している。

結局一弥の提案により、数日間の協議の延長。と言う理由での滞在に話は決まった。







一方、時は移って王国が分国、折原王女の独立国家の本城。

留守を任された兵が城壁の上から二つの馬影を見つける。

乗っているのは、彼にとって見覚えのある姿。

「祐一様が戻られたぞ!」

その叫びに、一気に大歓声が湧き上がる。

と、同時に誰もが部屋を飛び出し、出迎えようと中庭に走って行く。

客人として迎えられていた帝国の少女も当然例外ではなかった。




「佐祐理さん、とりあえず帰ってきましたね。」

城は変わらない。出かける時も、帰ってきたこの時も。

同じ姿で迎え入れてくれる。

「はい。祐一さんっ!!」

城門がギギギ・・と開いていく。

と、同時に中から飛び出してくる姿が一つ。

「栞・・・」

涙を流して佐祐理の顔を見つめている栞。

そして、そのまま佐祐理の胸に思いっきり飛び込んでいく。

「・・・さゆ・・り・・さん・・・」

ああ、泣いているんだ。

そう思って、祐一は黙ってその場から離れることにする。

暫くは二人にさせてあげよう、と思って。

小さく、笑みを浮かべる。

佐祐理が全てを捨てたのは自分のせい、彼はそう思っている。だから・・・・

一つ、返す事が出来た。その喜びを胸に。







「お疲れ様でございました。祐一様」

膝を付いて迎えてくれる人達に軽く笑みを浮かべる。

「はい。ただいま帰りました。・・・どうですか?ここでの暮らしは」

慣れない王国の生活で気を病んでいなければいいけれど。と。

「天国でございますよ。食事は美味しく、日もしっかり差し込んでくる。自然の中に何時でも行く事が出来る。 最初は正直不安もありましたが・・・今では不満に思っておる者は誰一人としておりません」

良かった。と、にっこりと祐一が笑う。

自分にとってこの場は特別な場所。そんな場所を他の人が気に入ってくれるなら嬉しいと思えた。

「・・・っと、忘れておりました。戦勝、おめでとうございます。」

思い出したようにそう繋げる人達を一目見て・・・

勿論、複雑な表情をしている者は多い。何しろ彼らは帝国の貴族なのだから。

けれど、帝国と王国、どちらを応援するか?と聞かれると今では王国側だろう、と色々複雑な所。

「まぁ、勝ちと言っても大勝ではありませんけどね。とりあえず、六、四の勝ちと言った所でしょう。」

そのまま近くによって、『美汐ももうすぐ帰ってくると思います』と一言。

それを受けた伯が嬉しそうに何度も頷くのを見ると祐一も嬉しくなる。

「しかし、何故祐一様と・・・皇女殿下のお二人だけで?他の方々はどちらに行かれたのでしょうか?」

うん。と軽く頷く祐一。

そして、近くに居る公国時代からの文官に『状況は?』と小さくたずねる。

その問いに一番驚いたのは尋ねられた本人。

祐一は、公国崩壊以降、みさおに仕える事になった全ての昔の部下に対して一歩引いた姿勢をとっていたから。

でも、そうやって昔のように使ってくれる事はそんな疑問を吹き飛ばすほどに、彼にとっては嬉しい。

「はっ、動き出したのは二十日ほど前と聞かされております。・・・・状況を分析すると、おそらく相手は三面作戦を取るものかと・・・ しかも、さらに悪い事に帝国方面の敵軍の動きは特に速く、おそらく既に侵入を果たしているかと思われます。申し訳ありません。 帝国方面に関しては相手の手際が良く、察知が遅れてしまいました。」

申し訳ありません。と頭を下げる官に黙って首を振る。

公国の情報網をもってしても裏をかかれたのであれば、どうしようもなかった、という事なのだろう。

「最悪の展開ですね。・・・おそらく、帝国方面はあちらの神も参加しているのでしょう。」

憮然として呟いてしまう。

実際問題としては、祐一自身には大体相手の進行時期は掴めていた。

結界を張っていたのは自分。当然切れる時期も分かる。そして、そこから 彼は相手の進軍の時期をある程度には予想出来ていた。

オーディンに対抗した相手の神々。勿論、魔神と呼ばれる類の者達だが・・・。

先の神話において、相手側に居た神々は全部で10人。そのうち八人については滅ぼしたものの、二人については他の魔獣、魔族同様封印したのみ。

当然、相手の軍勢に参加しているのだろう。と思われた。

そして、今の両国には三方全てをカバーするほどの戦力はない。

特に、王国進撃の為に主力のほとんどを用いてしまった帝国はほとんどがら空き同然である。

「そのことをみさおや浩平には?」

「勿論、既に伝令は発しております。と、同時に帝国の水瀬侯爵や倉田皇太子殿下あてにも同様のものを。・・・おそらく、1,2日前にはついているものかと」

うん。と祐一は小さく頷く。

仕事が速いところは相変わらずだなぁ。と感心する。

「分かりました。私の方から特に言う事はないですね。・・・それでは、少し出かけてきますので佐祐理さんと栞のこと、頼めますか?」

その言葉に、言われた方は特に答えを口に出す事はしない。眼を閉じて、膝を付く。

それが答えだった。

「・・・祐一さん、何処かに出かけるんですか?」

気がつくと、後方から佐祐理、栞が。

二人の目が未だ赤いことからは祐一は故意に目を背ける。

「祐一さんと久しぶりにお話、いっぱいしようと思ってたんですけど・・・」

ぷぅ〜。と頬を膨らませる栞の姿が何処と無く佳乃に似ているな、と祐一は思う。

「ああ、ちょっとあっちの小山に、な。」

そう言って、馬に括り付けて置いた兜をおもむろに被る。

近くで頭を下げていた、先ほど祐一と話しをしていた文官が思わず息を呑む。

その場は、白騎士団再編の為に年配の白騎士が候補生に対し、日々、誇張でもなんでもなく文字通り血を吐かせている訓練場であったのだから




「暫く戻らないかもしれない。その場合は、誰か伝令に来てもらうと思う・・・・出来れば、直ぐに帰ってこない事を願っていてくれないかな」

その言葉に小さく頷く佐祐理は、既に祐一の考えを理解している。

「気を付けて、行って来てくださいね?栞さんと一緒に無事を願っています。」

うん。と小さく頷いて。

馬上の人となるや否や駆け去って行った。

「祐一さんっ!」

そんな祐一を追いかけようとする栞。

でも、佐祐理がゆっくりと静止する。

これは、彼以外の・・・否、彼等以外の誰も踏み入ってはいけない問題なのだから。

(過去を、未来を取り戻してきてくださいね)

小さく心の中で呟く。

上手く行くでしょうね。と思った。

「白騎士団長が誕生するかもしれないんですよー」

一瞬きょとんとした栞。

でも、その意味はすぐに汲み取れる。

「佐祐理さんっ、もしかして・・・・」

「はいっ。その、もしかして、ですよー。」

おそらく、史上最年少の白騎士団長の誕生・・・。

その瞬間に間接的にとは言え立ち会える事に誰もが感動を覚えていた。





けれど・・・・・けれど、祐一の考えている事は佐祐理の考えているそれとはちょっと・・・・いや、相当違っている。

「・・・・・・やれやれ、だな」

馬で人々から遠ざかって行きながら誰にも聞こえない程度の・・・・・小さな声での一言。

祐一が北川潤と言う男と戦った時、祐一は確かに致命傷を負わせるつもりだった。

相手の剣に肩を貫かれたくらい関係ない、そのはずだった。

なのに、外れた。相手の肩を貫いただけ。仮に、浩平がもう少し遅れていたらこちらは負けていた。

―――――自分は弱くなっている―――――

(始祖神と同じ事をする所だったな。)

そう、思う。

大切な者を作る事は弱さを作る。だから、自分は・・・・・・

それを、居心地の良い空間に身を置く事で忘れていた。

思い出せたのは一枚の手紙。

迷うな、進め。それを見たからこそ・・・・・・・・

自分が迷う事が他人を巻き込む事を知っているから。

だから、自分は・・・・・・一度捨てなければいけない。そう、思った。







「・・・この雰囲気、変わらないな」

山は、城から近い所に存在している。

唯、山の入り口には常に十人程度の見張りが常駐。誰も中に入る事は許されていない。

これは、小坂由起子と折原浩平、みさおが連名で認めた特権である。

そう、白騎士団員と、その候補生以外は誰一人として入れないのだ。

「止まれ!ここは・・・」

祐一の馬の前に突き出される穂先。

でも、その穂先は馬上の人の顔を確認すると共に詫びと共に下げられる。

「・・・入れて、頂けますか?この中に」

ハッと誰もが身を強張らせる。

この中には、白騎士団員と候補生以外入れないというのは前述の通り。

で、ある以上彼が『入る』と言う事は・・・

「しょ、少々お待ちください!ただちに上の者を呼んで参ります!」

頼みます。と小さく頭を下げる祐一。

結局、慌ててまろび出る様に駆けて来る中年の男性、数人が現れるまで誰一人として口を開く事は無かった。




「祐一、様?」

間違いなく本物だ。と全員が確認する。

と、同時に、その頭に装着された兜が今は亡き相沢大輔の付けていた物であることも誰もが理解する。

「・・・・私の迷いから来るのが遅くなってしまいました。今からでも・・・入れていただけますでしょうか?」

祐一より白騎士団を預けられているのはここに居る五人の男性。

全てがその言葉に秘められた意味を理解するとともに・・・

その全員が一斉に膝を付いた。

と、同時に他の団員達も一斉に。

「この日、来る事をずっとお待ちしておりました。祐一様」

代表で一歩前に出てくる男性。

と、同時に誰もが膝を付いて拱手。

「既に、団員と我らが認めた者が千百三十八。残りの二千八百三の者は白騎士の称号を与えるには不足なれど、どの軍と戦っても 間違いなく引けを取る事は無い。と自負しております。」

増えた団員は四百人と少し。おそらく、激しい訓練に死者も出ていることなのだろう。と理解すると胸が痛む。

急いで仕上げてくれているのだろう。そして、訓練を受ける者もそれを理解してくれている。

何時か立ち上がる、その日の為に。

「さぁ、どうぞ我らの先頭を!ここに居る者達全てがこの日・・・・・くるっ・・・・・」

号泣を始める男性を周囲の者達がからかっていく。

でも、その目を見れば・・・赤くなった目を見れば全員が同じ事を考えている事は明らかで。

「分かりました。それでは、入らせていただきます。・・・行きましょう」

祐一はこの人たちを愛しているし、尊敬している。

そんな人達に心の中で、祐一は頭を下げると共に、そう言って、開かれた門を馬に乗って進んでいく。

そのまま、三,四十分ほど

それだけ上った所にあるのは、広い広い広場と、簡単なほったて小屋が数十軒。

そして、広場に整列する人の群れ。

鳴り響く大歓声。

思わず、祐一は頭を下げる。

それは相沢祐一の時間が、もう一度動き出した瞬間である。







「それでは、出陣のご命令を。我ら何時でも出陣の支度は整っております!」

暫く続いていた大歓声がようやく止み始めると、もう待てない。と言うように勢い良く詰め寄ってくる者が数人。

何処までも嬉しそうな、そんな指導部を嬉しそうに眺め・・・でも、祐一は首を横に振る。

「まだです。・・・・もう少し、時間を下さい。」

きょとん。と彼等が放心したかのように顔を上げる。

祐一様は我々のことが必要になったから来てくれたのではないのか?と。

彼らのは全ての動きが伝わってきている。

異民族の侵入。現状における、十分とはお世辞にも言い難い戦力。

とても勝負になるわけがない。だからこそ・・・・・

それを補う為の行動ではなかったのか?と。

だとしたら、自分達の存在意義は・・・?

「いえ、そんな・・・そんなわけじゃないんです。問題は私の方なんですから」

そんな彼等の顔付きを見て、慌てて祐一が手を体の前でぶんぶんと振る。

「今のままでは、私には陣頭指揮はおろか、軍勢を長時間指揮することも出来ないでしょう。・・・・・ここに来た一番の理由は、自分を ・・・自分自身を鍛えなおす為です。・・・・今のままでは、白騎士団の真価を発揮させることは不可能でしょうから。」

遠くの方からその意を理解した若者達の歓声が沸きあがる。

その意味は、つまり。

「・・・・訓練に、共に参加させて頂きに参りました。その上で、自分が納得できるようになった時、改めて白騎士団の出動を。どうでしょうか?」

祐一様が、自分達と共に訓練を行う。と言うことだから。

怒号のような・・・城まで聞こえてしまうのではないだろうか?と思うほどの歓声に、断ろうと思う者は一人もいなかった。







「・・・・伝令、か。祐一の言ったとおりだな。・・・みさお、帝国側には・・・」

「既に内々に連絡を入れてはくれているみたいです・・・けど、私達の方からも直接その情報の信憑性についてを報告した方がいいと 思います。」

そうだろうな。と浩平が一度頷く。

夜明け前に本陣に乗り込んできた男を見て、即座に首脳部の招集を命じて二,三十分。

あちらに届いたとしたら、あちらも人を集めているだろう。と想像。

と、同時に密偵による報告一つだけではあちらとしても行動に移すのは難しいだろう、と。

「馬を!帝国本陣へ向かう。・・・みさお、長森。付いて来い!。茜、ここは任せる。急ぎ出陣の準備を!」

「浩平・・・・・分かりました。お気をつけて。」

即座に言葉を返す茜は既にどう動くかの算段を頭の中に張り巡らせている。

「澪さんも、お願いします。立花さんと出陣の支度をお任せしますね。」

大きく頷く澪を見ながらみさおが馬に乗る。

続いて浩平が、瑞佳が。

遠ざかっていく馬、3頭を眺める暇もなく、全員が一斉に動き出す。

出陣の支度をしなければいけない。

そう、一秒でも速く。







「王国の王太子殿下、王女殿下が謁見を求めておりますが・・・」

考える暇もなく、即座に一弥が『こちらに来ていただいてください』と口早に述べる。

寝ている最中にいきなり『皇太子殿下、皇太子殿下、内密の知らせにございますれば・・・』等と枕もとで囁かれて肌寒い思いをし、 さらにその密書の内容に肝を冷やされた。

慌てて『水瀬侯爵、国崎伯。そして美坂、久瀬の両伯にも。あと、石橋、北川両将軍にも伝令を。即座にこちらに来ていただくように!』と 寝ずの番の者に叫び、慌てて甲冑に着替え

そして、全員が集まった瞬間には既に相手はこちらへと赴いている。

(行動が・・・速い)

それは、感心すべき、そして、見習うべきことだろう。

「朝早く申し訳ない。皇太子。」

やがて入ってきた浩平が頭を下げるのに、椅子から立ち上がって一礼する。

「お初にお目にかかる、この二人は当方の石橋、北川将軍です。殿下。」

その言葉に二人が立ち上がって礼を行う。

宜しく。と言うように小さく頭を下げる浩平。しかし、浩平の視線はそこにはない。

「・・・密書は届いたか?一弥」

名前で呼ぶ時、それは、浩平が立場とは別に友人として話し掛けるときであることをここ数日で彼等は理解していた。

「はい。トンでもないやり方でしたが。・・・浩平さんにも、ですか?」

「いや、俺の方には普通に届けられた。まぁ、寝ている所をたたき起こされてちと眠いが」

・・・まぁ、お宅ほどではないかな。とそう言った浩平がチラリと別の所に目を向ける。

「名雪!」

恥じるように、うとうととしている娘に声をかける母親の姿を見て、愉快そうに浩平が小さく笑った。

「ただ、問題はその内容・・・。本当なのですか?これは。」

おそらく冗談ではないことは一弥とて理解している。

そして、その書面を渡されて顔を蒼褪めさせる帝国の面々も。

石橋、北川両将軍もあの後一弥と秋子が必死に説明を行ったからか、その事情を理解しているだけにその重大さは良く分かっている。

「おそらく、本当だ。常に世界中を見渡している公国の目。それが誤った情報を持って来るわけが無い。」

そして、報告では既に異民族の軍団は帝国領内に突入しようとしている。ともある。

報告書が作られたのはおそらく・・・少なくとも十日以上は前だろう。つまりは、既に突入されている可能性は十二分にあると言う事。

「三方からの突入。異形・・・おそらく、これが祐一達の言う『魔族』なんだろうが・・・それを少数。 まぁ、それだけなら特に問題はない。俺は王家の谷にもぐった際幾度か戦ったが、正直・・・・まぁ、手強いものの一体に兵士を十人程度ぶつければ 倒せない事は無いだろう。」

報告をペラペラ捲る。

ある程度の想定はしていたものの、この規模は正直・・・・浩平にすら予想以上だった。

「しかし・・・問題は異民族の侵入の規模がでか過ぎることだ。おそらく、今まで公国を恐れて動こうともしなかった 多くの部族が奴らにとっての神が復活した事で一斉に行動を開始した、と言う事だろうな。しかも、帝国方面はよほど前から内々に用意していたのか、異常なまでに相手の動きが速い。」

そうですね。と言うように秋子が大きく頷く。

怖いのはあくまで人間なのだ。異形はその象徴にすぎない。

「帝国方面だけで十五、六万。国崎伯領方面に十二、三万。王国方面からも十四,五万。最も、相手も一つに纏まっている訳ではなく、部族ごとに五百人、千人の集団が 別々に動いているとのことですが。・・・全部で四十万以上。この進行、二度の戦で疲弊していなければ ・・・・・・・・公国が存在している頃でしたら 迎え撃つ事は出来たでしょうけれど・・・」

今の三国には力が残っていない。と告げる秋子は正しい。と誰もが思う。

食糧、武器、等。今の民の体力は相当に疲弊している。

結局、戦をするのは兵士達だけではない。それを支える民が存在していなければ軍なんて動けるはずがない。

「一弥、ヴァルキリアに残っている兵はどの程度いる?」

ヴァルキリアは城塞都市。そこで耐えている間に援軍が間に合えば・・・と。

城攻めの最中に敵の大軍が大返し。理想的な展開と言える・・・・・・が・・・・・

しかし、帰ってくる答えが芳しくない事は一弥の表情を見るだけで明らか。

「・・・おそらく、七千もいるかどうか・・・」

最悪だ。と顔を伏せる浩平。

こうなってくると、むしろ最大の城塞都市であることが裏目に出てしまう。

それだけの人数では、あの巨大な城壁全てを守り通す事は不可能だろう。

「・・・・持ちませんね。申し訳ありません・・・・浩平さん。私達の国のことまで心配して頂いて。」

諦めたように呟く秋子は、数秒の間に自分の考えを作り上げている。

そして、地図を。とはっきりした声で外に告げると、あっという間に三国の見取り図が全員の真ん中に開かれた。

既に平面図には秋子の中で線が引かれている。それは・・・・言い方によっては『最終防衛ライン』とでも言うのだろうか

「一弥さん、私の考えを述べさせていただきます。・・・・帝国領は、放棄しましょう。」

ひくっ。と誰がが大きく息を吸い込む音が聞こえた。

なっ。と声を上げようとする石橋将軍を手で制して、そのまま言葉を紡いでいく。

「今の私達には全てをカバー出切る戦力はありません。帝国の全ての民に旧公国領―――失礼には当たりますが、以後便宜的に 公国領で統一させていただきましょう―――――公国領に面した国崎伯領に逃げるように早馬を走らせると共に、帝国、公国の国境線に防衛網を敷き、その場でもって迎え撃つ。 ・・・もしかしたら、それすらも間に合わないかもしれませんが・・・」

ぴっ、と地図の一点を指す秋子。

その場は、最初に帝国と異端者の・・・・・往人達との争いが行われた草原。

その淀みの無い言葉には、帝国の人々を見殺しにすると言う部分も含まれているだけに、誰もがうんとは頷けない。

でも、それ以外に手はないであろうことは誰の目にも明らかで・・・。

全員の視線が一弥に集中する。決めるのは一弥なのだから。と

そして、一弥には選択肢が2つある。

帝国の民を救う為、帝国軍全軍をもって帝国へと返し、それによって敵軍を迎え撃つやり方。

しかし、これの問題点は、戦線が伸びきり、もし・・・・と言うよりもほぼ確定的な事実として公国領を相手に落とされた時は王国との連絡が断絶。敵中に孤立無援となる可能性が非常に高い事。

公国領を失う事は食糧自給の消滅を意味する。即ち・・・・帝国国民の、帝国軍の崩壊は軍事的なものとは 別の所から訪れるであろう。

そして、秋子の案に従う道。

これを行う事には、勇気がいる。

一部の民を見捨てると言う事が前提となっているのだから。

しかし、純軍事的に見たとき、これが最善であることは一弥にも分かる。

結局は、帝国領を守るか、それとも民としての帝国国民を守るか、その違い。

「・・・・秋子さんの策で行きましょう。帝国の全ての町、村に早馬を。また、我々も足の速い部隊を別働隊として組み、 一気に公国領に入ります。その上で、逃げてくる民を保護。と、同時に本隊は公国領へ進入して来る敵軍を迎え撃つ。どうでしょう?」

異存ありません。と秋子が頷く。

そして、他の面々も。彼等からすれば、自分の民が虐げられるに等しい状況。しかし、それが世界の大事ともなれば、 私心を捨てなければいけないことは理解出来ている。

いや、理解している、と言うよりあえて考えないようにしている、と言う方が近いのだろうか。何故なら、 彼女達の家族は皆、その放棄する対象に入ってしまっているのだから。

「本隊は秋子さんにお任せします。僕は別働隊を率いて民を救いたい!・・・往人さん、付いてきていただけますか?」

帝国軍最速は間違いなく国崎往人の騎馬軍団。誰もが認める事であろう。

「当たり前だ。言われなくても無理矢理ついて行く。晴子、聖、観鈴。お前達は秋子さんと共に本隊に入れ。」

言われる前から既に言葉を用意していた往人。

汚名返上を掲げて名誉返上を成し遂げたのだから気合の入りようも今までとは比にならない。

「え・・?往人さん、私と別行動?」

「・・・お前の魔導部隊は足が速いわけじゃないだろうが。今回の戦では流石にお前達を後ろに乗っけて行軍する余裕もない」

「が、がお・・・お母さん・・・」

「居候の言うとおりや。うちらは秋子さんの方に行くで。準備しぃ」

ポカンと殴られて、希望も通らない。

ちょっと不満だったけれど・・・仕方なく頷く。

「私の騎馬部隊も持っていってくれるかしら?皇太子に預けるわ」

そして、香里の声。

美坂の騎馬部隊は、国崎勢が参加する以前は帝国最大の騎馬軍団。

それは、公国との戦でも十分に力を発揮している。

「勿論、禁軍、そして、私達の遠征軍本隊の騎馬部隊も全て北川さんに預けて同行して頂きます。これで、一万七千。少し足らないですが・・・」

「二万七千だ。」

今まで会話に参加していなかった王国の人間の発言に誰もがハッと振り返る。

「王国の、俺の騎馬軍団も全て出そう。勿論俺は一度、女王陛下に謁見して来なければならないから指揮はうちの七瀬に任せるが・・・ 絶対に途中で追いついてみせる。それまでの軍団の指揮は全て一弥、お前に任せよう」

毅然とした態度で話す浩平に、一弥は自分がこのごに及んでまだ国と言う柵に縛られていた事を理解した。

「公国に向かう本隊には、みさおの所から立花将軍に向かってもらった方がいいだろう。彼は地形を熟知しているし、 何よりあの人が居れば公国の遺臣の協力も得られるだろう。その代わり・・・・」

そこまで言われて、秋子が後を継ぐ。

相手の言いたい事は十二分に伝わっていた。

「分かりました。・・・久瀬さん、宜しいですか?名雪、貴方も行きなさい。あゆちゃんも一緒にね。」

王国の戦線に誰か貸して欲しい。と言うことだろう、と。

全部で王国軍の三万を出してくれているのだ。けれど、出せる軍勢は一万。しかしそれが精一杯の数字である。

「また僕ですか。・・・分かりました。立花さんの代わりには成れないでしょうが精一杯努めましょう。王女殿下、よろしくお願いいたします。」

最初っから分かっていた、と言う様に胸に手を当てて膝を付く有人。

「こちらこそ、よろしくお願いしますね。」

挨拶を返すみさお。

名雪とあゆは突然の展開に付いて行けずにあたふたとしている。

「名雪とあゆちゃん、久瀬さん。それぞれが三千五百と五千。そこに王女殿下の五千。王国軍本隊が里村将軍の二万、柚木将軍の一万 、長森将軍の一万八千。併せて六万前後、ですか。」

相手は十二,三万居る。と考えれば足りないかもしれない。でも、一方でこれが精一杯だろう、と浩平も思う。

「公国方面は・・・帝国軍本隊が私の四万と香里さんの四千。神尾さんと霧島さんが一万ずつ。それに、立花さんが一万五千。石橋将軍と北川将軍の四万強にも一旦 指揮下に入ってもらうと考えても宜しいでしょうか?こちらは今では反乱軍扱いになっていてもしょうがない所ですが」

帝の命令に背いて停戦。しかも、共闘。どう考えても反逆罪は免れないだろう。

が、既に二人とも・・・・そして、禁軍の将の幾人かは既に一弥に忠誠を誓っている。

敗戦にあって自ら死地に飛び込み味方を救おうとした、と言う一弥の噂が広まって以来、一弥の名声は 日に日に高まっていた。

「何を今更・・・・言うまでも無い事、我に異存なし。全て水瀬侯爵に従おう。・・・・どうだ?北川」

私に聞かないで下さいよ。ともう一人の将軍は軽く笑う。

と同時にコホン。と小さく咳払いを一つ、場を沈めて

「しかし、全ての兵、将に状況説明を行うのは必要であると思いますが?・・・・我々はともかく、 結果的に祖国を裏切る事を良しとしない者は多々居るでしょう。その者達を無理やり巻き込むのは 我々の掲げる正道に反していると思われるのですが?」

元々彼からすれば王国や公国との戦自体に反対だったのだから。まぁ、当然の結論だろう。

が、他の将兵達は違う、と。

その言葉に一弥が即時手配致します。と即座に答える。その事は一弥も最初っから予定していた。

「感謝します。と、言う事はこちらがこれで十万と・・・・あと数万、と言う事になります。・・・少し王国の方に回した方が宜しいでしょうか」

いや、と浩平は小さく首を振る。

「そっちはその後、相手の帝国からの進行も止めなきゃいけない。むしろ、王国に戦力を割きすぎているくらいだ。・・・気遣い感謝する。 それに、こちらはおそらくあと一万から二万程度の増強は適うだろう。それを考えれば、むしろ柚木の隊をそちらに差し向けたい。 こっちには最高の盾が居る。里村茜に軍勢を預けておけば破られる事は万に一つもないだろうさ」

ん。と小さく考えた一弥が・・・・そのまま数秒思考したあと、小さく頷く。

「確かに、戦力が足りないのはこちらの方でしょう。ご好意に甘えさせていただきます。」

一弥さん?と驚愕したような声。

「・・・秋子さん、この状況、どの一方でも破られたら負けるんです。王太子殿下の言われる事が正しいでしょう。戦力が足りないのは僕達の方だ。」

う。と秋子が言葉を詰まらせる。

結局、柚木将軍の隊を受け取った所で尚三十万対十七万。とても十分と言える状況ではないのだから。

「お借りしましょう。意地を張っていられる状況ではないんです」

秋子の意地が折れた。

「・・・分かりました。お受けいたしましょう。何卒、柚木将軍に宜しくとお伝えください。」

約束する。と浩平が大きく頷いた。

「それでは、行軍の準備を。全軍、支度にかかってください。」

その声を聞いて、誰もが一斉に立ち上がった。