第十七話








「佐祐理さん、佳乃、美汐。ちょっと付き合ってくれ。」

伝令を浩平に対して送った直後。

急に立ち上がった祐一の言葉に三人が顔を見合わせる。

これを、上げる。それで戦は終わるだろう。

祐一が掴んだのは一枚の布。

誰もがそれを見るだけで何かを判断する事が出来るような・・・。

「祐一さん?」

いいんですか?と言うような佐祐理の視線。

「少なくとも、みさおは相沢を名乗る資格を持っている。今ここでこれがあがることに道義的な問題は無いはずだ。」

そんな意味じゃないです。と佐祐理が小さく首を振る。

佐祐理が言いたいのは、『これを祐一さんが上げてもいいんですか?』と言う事。

だって、祐一はあれ以来ずっと公国と言う言葉に関わりたくないように見えていたから。

「いいんだ。」

頭をゆっくりと撫でられる。

祐一には、佐祐理の気遣いが良く分かる。

その心遣いが、嬉しかった。

「これは、俺がやらなきゃいけないことなんだと思う。立花さん達、公国の人達は頑張ってくれている。だから、俺がやらなきゃ・・・」

そして、一息ついて・・・心の中でそれに、と続ける。

(立花さんは仕込んでいるはずだから、な。あの人があの火計だけで終わりにするわけが無い)

そんなことを思いつつ、二人に向かって右腕を差し出す、と。

うん。と祐一の手を両手で包み込む。と、佳乃も、美汐も同様に手を重ねた。

『この人を助けてあげたい』そう、三人が・・・いや、離れたところから温かく微笑んでいるみさおを含めた四人がそう思っている。

「あははー。佳乃ちゃんと美汐ちゃんはその紐をくくりつけてくださいねー。」

そして、共同で旗を挙げる。

ゆっくりと、ゆっくりと。

それが、この戦の集結を表していた。







「・・・あの野郎・・・」

それを、浩平は戦場の中で見る。

後方で凄まじいどよめきが起こり、味方の兵の士気が一気に上がった。

そして、後方に目を向けると、見覚えのある『槍と盾』を描いた旗が風に靡いていたのである。

それは、公国出身の義勇兵からすれば、百万の言葉よりも勇気を与える物。

そして、それは王国の兵にとても同じ。

あちらこちらで『神は我らとともに有り!』と言う歓声が上がり、逆に帝国兵からは恐怖が滲み出ている。

と、同時に北方軍の本陣、その後方に一斉に軍旗が何十と新しく翻る。

おそらくは、前もって澪か・・・立花さんかがしておいたであろう仕掛け。これ以上兵士がいるわけがないことは帝国の上層部誰もが知っている。が、兵士達は違う。

公国旗が翻り、同時に相手の旗が一斉に新たに翻る。それだけで戦意を失うには十分すぎる。

「粋なことを。・・・これで、勝ち、か。」

いくら水瀬秋子と言ってもこの流れはもはや止められないだろう。

浩平は一気に息を吸い込む。

突撃!そう言わんとして。

しかし、それよりも早く

「伝令!王太子殿下!」

戦場を駆け抜けてくる馬の姿が近づいてきていた。



伝令文は、みさおの名前で書かれていた。

敵軍に対して停戦の使者を出す事を提案する内容が。

直接名前は出していないものの、祐一の考えていることが。

そして、最後に公国の印が。



「・・・このまま突撃を駆ければ水瀬秋子の首も取れるんだが、な。」

やれやれ。と空を見る。

祐一やみさおの言っている事は正しい。

自分になら。事情を理解している自分にならわかる。

水瀬秋子と言う人物はこれからの世界に必要である事が。

「王女殿下からは、王太子殿下に受け入れられた時点でそのまま水瀬秋子侯爵の下へ赴くように命を受けておりますが」

そう言って、白旗を持つ兵士。

浩平はその兵から白旗をもぎ取る。

あっ。と兵が声を上げるころには、既に浩平は白旗を高々と掲げて駆けていた。

目標は、水瀬秋子その人。







「・・・祐一さんや大輔様からの怒り・・・でしょうか。」

ようやく、建て直しを成功させた軍が一気に崩れていくのを空虚な目で眺める。

もう一度再編を行えと言ったところでもはや不可能であろう。と秋子は思った。

何しろ、自分自身に既に戦意が無くなってしまっているのだからどうしようもない。

「・・・何処で拾ったのかは知りませんけれど・・・まさか、公国旗まで持ち出してくるなんて・・・」

あの旗を相手に戦をしたがる者は帝国には居ない。

先の戦では、僅か二千の白騎士団を相手に十万の兵士が万に近いほどの大損害を蒙っているのだ。戦いたがるわけが無い。

「・・・負け、ですね」

三つ編みを小さく手で弄ぶ。

自分は、公国を滅ぼした張本人として王国に処刑されるだろう。でも、何とか娘達の命だけは助けたいと思って。

「・・・・誰か、中央の皇太子殿下に伝令を・・・。」

元気なくそう呟いた、その時に。

前方から戸惑いの声が、怒鳴るような声が聞こえてくる。

何だろう?と前を向いた目に飛び込んでくるのは白地の旗。

(ついに、味方から降伏する者が出てき始めましたか。)

そう考え、しかし、その旗が自分の方に真一文字に突っ込んでくる事を不思議に思う。

『水瀬侯爵!何処に居る!』

その騎乗の者は自分のことを呼んでいるよう。

そして、それは王国の兵。白旗を揚げていることが不思議、だけに、誰も手を出そうともしていない。

とりあえず、行ってみようと馬首を向ける。

「はい。私が水瀬秋子です。・・・貴方は王国の方のようですが?」

「停戦の申し入れにきた。倉田皇太子に取り次いで頂きたい。」

常に冷静沈着な秋子が思わず目を見開く。

このタイミングで停戦と言っても信じられる物ではない。

そんな秋子に使者の男が剣を鞘ごと差し出す。

その剣を見るだけで、相手が相当立場が上の者であることは理解出来た。

それに、相手軍からの攻撃も気が付いたら止んでいる。

こちらの軍は相手軍の突然の進行停止に目を白黒させているのみ。

「どうだろうか?受け入れてもらえるのなら貴軍も攻撃を停止して頂きたい。中軍、南軍については申し訳ないが、皇太子との会談の後 に合同で停戦命令を出すまで待ってもらう事となろうが・・・・とりあえず、里村や長森に向けてはこれ以上の激しい攻撃は 控えるように、と伝令は出しておいた。」

「はっ、はい。分かっています。ただちに皇太子殿下の下へご案内いたします。・・・ところで、貴方のお名前は・・・」

「折原浩平」

その答えを聞いて思わず笑ってしまう自分が居る。

「付いて来て下さい。・・・それにしても、貴方様も不思議な方ですね。御自らこんな所に来られて、危険だとはお考えにならなかったのですか?」

そう言いながら馬を南に向かって走らせる。

「祐一から貴方やその他の連中のことは色々と聞いている。こんな時に相手を騙し討ちすることで満足を覚えるような人間を 祐一が大切に思うはずが無い。」

それに、その事は自分が剣を合わせた国崎往人を見れば分かる事。

「そう、ですか。祐一さんがそんな事を・・・」

「それに、停戦を申し入れたのは他の理由もある。祐一から、大輔さんから聞いた事を祐一の友人達に伝えなければ、あの人・・・・ じゃなかった・・・あの人たち命を捨てた意味がなくなっちまうからな。」

その言葉に思わず振り返る。

どういうことですか?と思わず聞きそうになり・・・

「全ては、会談の時だ。国崎往人も北川潤も久瀬有人もその時にお返しする。」

「三人とも、命を奪わないで頂けたのですね。」

その事実だけで、秋子はこの相手を信頼しよう、と思える。

浩平の言葉を借りるなら、『祐一さんが兄弟同然と言っていた人が悪い人であるはずがない』のだから。







その頃、帝国軍の本陣は騒ぎの中にあった。

倉田一弥が周囲の者を大きな声で怒鳴りつける。

「しかし、皇太子殿下。貴方の御命はこの戦場の中で最も尊いもの。どうかご自重なさって・・・」

そんな事を言って必死に静止しようとする部下の手を振り払う。

「軍勢を纏めてください。これより、本隊は全軍でもって水瀬、美坂の両軍の援護に向かいます。」

前方では、この戦場において唯一と言って良いくらいに奮戦の限りを見せた水瀬、美坂の両軍が敵に飲み込まれようとしている。

士気が落ちたとは言え、柚木将軍の隊だけなら何とでもなっただろう。けれど、そこに里村将軍の全戦力まで叩き込まれてはどうしようもなかった。

併せて三万以上の軍勢。

しかも、後詰として援軍に差し向けた本隊の一万程度、その諸貴族の軍は我先にと逃げ去ってしまい、結果、両軍だけが援護も無く取り残されている。

「僕はこの軍の総司令官だ。総司令官である以上、味方を見捨てて逃げるわけにはいかない。だから、離せ!全軍でもって敵軍を止め、 その間に両軍に撤退して頂く」

そうでなければ、二方に申し訳ない。そればかりか、祐一兄さんや佐祐理姉さんにどう申し開きしていいのかも分からない。

味方を見捨てて逃げ帰るなんてことを二人は絶対に許してはくれないだろうし、何より彼本人もまた許せない。

彼は、袖にしがみ付く兵士を振り払うと共に、自らの愛馬に跨る。

そして、馬に鞭を入れようと鞭を手に取った瞬間に、思いがけない静止がかけられた。



「一弥さん!」

本陣に乗り込んだ秋子は、即座に今にも出陣しそうであった一弥に声をかける。

「あっ、秋子さん!・・・どうして?・・・まさか・・・」

味方を見捨てて逃げ帰って来たのではなかろうか?と言う失礼な事すら一瞬考えてしまう。

「王国軍より停戦の使者が参りました。私からのお願いです。どうか一度お会いになって差し上げてください」

しかし、返ってきた答えはそれ以上に驚かせるものだった。



「それで、何故今更停戦の使者を?」

慌てて馬から下りると、秋子に、そして、その後方で同様に馬から下りてきた王国の鎧を着た者に問い掛ける。

「その前に、膝を付け!皇太子殿下の御前であるぞ!」

その瞬間後方から上げられる声。

蛮族の国の民が皇太子殿下の前で顔を上げている事が許せない。と言うように罵声を浴びせる老臣達。

所詮こんなものか。と浩平は思う。

今がどんな状況かも理解できていないのだ。今、浩平が『それでは停戦はなかったことに』と言ってしまえばそんな事を言う余裕等あろうはずもないのに。

「俺は、王国の代表として来ている。立場としても同じ王位継承権第一位。軍としても総司令官同士。こちらが膝を一方的に屈する理由は ないように思われるが、如何か?」

挑戦するような一言。

『俺は折原浩平だ』と言い放った、その一言。

一瞬何の事だ?ときょとんとした老臣達が、兵達がその意味を把握する。

そして、剣を、槍を構える。

何の事はない。状況がどうの以前に、この男を討てば戦は終わる。と

そんな光景を浩平は冷淡に見る。

浩平は、見極めようとしていた。帝国と言う国が手を結ぶに値する国かを。

自分の立場を大事にし、相手を見下す事で満足する連中等と手を結ぶのは真っ平ご免。たとえ、それが何よりも優先しなければけない祐一の頼みであっても。

最も・・・・・・・・そうなるはずがないこともまた、相沢祐一と言う人間を誰よりも信頼している浩平には、分かっている。

「止めなさい!」

一喝。

浩平の前で気がつくと水瀬秋子が剣を構え、兵達に対峙している。

「停戦の使者として訪れた者に刃を向ける等、恥を知りなさい!!

・・・もしこれ以上王太子殿下を侮辱なさると言うのなら私が相手になりましょう」

「・・・秋子さんの言うとおりです。全員剣を収めてなさい。・・・王太子殿下、申し訳ありません。ご無礼の段、平にご容赦ください。」

秋子の横から浩平に向かい合った一弥が頭を深く下げる。

「停戦の件、喜んで受け入れさせていただきます。しかし、どうか私の命で他の将兵の命を購えないものでしょうか?全て、 私の命で行われた事。水瀬侯爵以下、将兵の方々に罪はございません」

そのまま膝を地に付ける一弥を後方の老臣達が静止しようとするが、その動きは秋子の剣によって妨げられる。

そんな一弥の、秋子の。そして、この間出会った栞のことを思い出して。

祐一を命がけで助けてくれた自分のとっても大恩人の佐祐理のことを思い浮かべて。

思わず笑みを浮かべてしまう。

(祐一にしろ、皆自分のことより他人のことを考える大馬鹿野郎達だ)

可笑しさに笑ってしまう。

「皇太子。用件は一つだけ。今回の戦の停戦は当然として、こちらからの会談要請を受け入れて欲しい。」

そう言って、一弥の耳元に口を近づけ

「祐一や大輔さんの言葉、お前達にも伝えなければいけないんだ」と。

「祐一兄さん!?」

思わず顔を上げた一弥の頭が浩平の鼻を直撃。

「祐一兄さんが何か言っていたんですか!」

「・・・一弥さん、その前にとにかく共同で停戦を発表しなければ意味はありません。早期にお願いします」

肩に手を置いて慌てて静止する秋子の言葉に即座に反応する。

「こちらとしては、既にみさおの方からそちらが攻撃を止め次第停戦するようにとの命令は行き渡っているはずだ。後はそちらがとりあえず 白旗を揚げてもらえないだろうか?それで戦は終わる。」

「秋子さん、手配を。中軍、南軍に・・・」

その頃には既に秋子自身も動いている。

やがて、帝国軍の本陣に白旗が挙げられた。

それを見て、王国軍は即座に攻撃を停止。

もし、これがあと十分遅れたとしたら中軍で奮戦していた両公女の命は失われていただろう。と後に当の二人は語っている。



こうして、王国と帝国の間で行われた最初で最後の大会戦は幕を閉じる。

両軍の死者は、帝国側が三千人、王国側が二千百人。

思ったより少なく済んだのは、両軍のどちらも壊走する前に戦が終結を迎えた事。

兵の損傷率的にもほぼ互角であり、戦の結末としては引き分け。と言えるかもしれない。

が、実際に戦に参加した帝国の将官達の誰もが、これは与えてもらった引き分けに過ぎないことを理解していた。







そして、倉田一弥の名の下に約束された会談の実行。

それは、戦が終了した二日後、遺体の引き取り等を終えた後に行われる事が改めて停戦の後に両者の間で交わされる。

場所は、両軍の間の地に王国が責任を持って会談の場を作ることも。

そして、二日の間、突貫工事で作り上げられた木造の建物。

何も無い平原に聳え立つその建物は逆に不気味でもあった。

そんな、建物の中に人が集まっていく。

指定された人数は、両軍共に十五人以内ずつ。

帝国側からは倉田皇太子を代表に、水瀬母子、美坂香里、神尾母子、霧島聖等に、当日解放された国崎往人、北川潤、久瀬有人。

石橋、北川両将軍は兵の統率を任されている為出席していない。

また、秋子の判断で、格式を重要視する老臣達の出席も見送られた。

結局出席したのは十一人。

王国側からは、折原兄弟は当然として、長森瑞佳、里村茜、上月澪、柚木詩子、深山雪見、川名みさき、立花勇。あと、折原兄弟が引きずるように覆面の男を一人 連れて来ている。

七瀬留美の姿が見えないのは、余計な騒動を起こされない為と言う裏の理由と、残った軍の統率を任せられるのは乙女たるお前だけだ。と言う 表向きの理由によるもの。

倉田佐祐理に対しても、覆面を付けての参加を要請するみさおの声はあったけれども、本人が『佐祐理はもう倉田佐祐理じゃないんですよー。』と言う言葉を 受けて断念。

結局、王国側からは十人と、帝国側より少ない人数での参加となった。

浩平からすれば、祐一の事情を知らない者をむやみに参加させたくない。と言うこともあったから。







「それじゃぁ、先ず自己紹介、と洒落込もうか。お互い、知らない名前もあるだろうしな。」

そう言って、『俺は折原浩平だ』と続ける。

続いて、一弥が、みさおが、と上座から順番に。

王国側の人間は、帝国側の人間を紹介を受けるまでも無く分かっている。

祐一から聞いた話だけで十分。

でも、一弥達からすれば、自己紹介をする一人一人が新鮮に思えてしまう。

今まで蛮族だとか言われてきた人達が、自分達と同じ・・・それ以上に礼儀正しい人達であることを知っていく。

しかし、一点でその自己紹介の流れが止まる。

「私は・・・」

告げていいものなのだろうか?と立花勇が躊躇してしまう。

祐一の目の前で、公国の武人である自分が自己紹介を先に行うのは酷く失礼なことなのではないか?と。

そんな勇を、浩平が申し訳ない。と一瞥する。

みさおは唯、心配そうに眺める。

そして、みさおの後ろで座ることなく壁に背中を付けている祐一は・・・唯、小さく頷いた。

「私は、元は公国は相沢祐一様の下で白騎士団の百騎長を勤めさせていただいておりました立花と申します。」

そう言って丁寧に一礼。

何が起こったかわからない。と言うように一瞬硬直する一弥達。

驚愕とは、後からやってくるものである。

そして、理解すると共に湧き上がる、微かな怒り。

「・・・つまり、公国は・・・・・・いえ、貴方は相沢家亡き後王国についた。と言うことでしょうか?」

秋子の詰問するような口調には棘がある。

自分達がやっておいての話ではあれ、祐一達が亡くなってすぐ、他の主を見つけている彼の姿を見ると、 自分が召抱えようとした事実はあれども腹立たしく思えてしまうもの。

「・・・いや、それは違う。水瀬侯爵、貴方はこの前相沢の旗を揚げた時からだろうが一つ勘違いをしている。」

待て。と浩平が手を前に出す。

険悪な雰囲気が場を満たしていた。

旗のこと。というだけで、である。

彼等にとって、旗とは自分達を表すものとして重要視されているもの。

他家の旗を偽造して戦を有利に進めよう等と言う事は武人として忌み嫌われる行動であった。

「相沢の家は滅んではいない。だから、あの旗をこいつが揚げるのは問題ないはずだ。」

そう促されたみさおが懐から一枚の用紙を差し出す。

『養子縁組』

それは、先の戦の前に祐一が、大輔がこの日の為に託してくれた物。

「俺の妹は折原みさお。だが、同時に相沢みさおでもある。」

用紙を確認する秋子の手が小さく震える。

偽造されたものでは勿論ない。

筆跡は確かに祐一の、大輔の物。

秋子から回された紙を誰もが一読し、顔に驚愕を貼り付けていく。

確かに、目の前の少女には相沢の後継ぎとしての資格がある。

「勿論、公爵の地位は帝国の皇帝が任じるもの。その意味ではこいつは公爵でも何でもないただの『相沢みさお』だ。が、 元よりあの家に仕えるものは誰もが公爵に仕えるのではなく相沢の家に仕えている。だからこそ、こいつを信用して命を預けてくれているんだ」

「だから、立花百騎長は・・・・・・公国の兵士達は折原姫将軍にお仕えしている、と?」

その言葉にみさおが小さく首を横に振る。

「この方が私に協力して頂けているのは祐一君が、大輔様がそう頼んでくれたからです。」

「あの二人はこいつのこと可愛がってくれていたからな。だから、最高の守人を最後に残してくれたってわけだ。大輔さんの養子にすると同時に、な。」

納得しました。と言うように秋子が大きく頷く。

そして、残った国崎往人が、北川潤が、久瀬有人がそれぞれ名を述べていく。

最後に残ったのは、何故か椅子にも座らず折原みさおの後ろの壁に退屈そうに寄りかかっている男性一人。

「あ、えっと・・・あの方は・・・」

おずおずと名雪が切り出すと周囲の仲間が『ナイス!』と言うような賞賛の視線を向けてくる。

どうみても怪しい。だけに、誰もがその一歩を踏み出せていなかった。

あー。と祐一は困った顔をして・・・

みさおが悪戯っぽく笑う。

「ああ、こいつは一応公国の代表者って奴だ。片手がないのも、包帯を巻いているのも先の戦で怪我しちまってな。 唯、大輔さんが息子同然に思って育てて来た奴で、文官の方で重要な立場についていたから能力こそあれ、白騎士には 数えられては居なかったが、公国の中心人物だった奴だな。だから連れて来た訳なんだが・・・」

取り繕うような浩平の言葉。

確かに、公爵と言う立場は文官の重要な立場だし、それが故に白騎士に名を連ねていないのもまた事実。

そてに、もし、祐一の父親が生きていたら祐一は大輔から白騎士団長の立場を譲られていただろう。

・・・最も、怪我をしたとは言っても顔に包帯をぐるぐる巻くような怪我では決してなかったが。

「・・・・私達との戦で怪我をされたのですか?」

申し訳なさそうな秋子の声に黙って祐一は首を横に振る。

気にしないで欲しい。と思った。

祐一からすれば、顔を隠していれども会えただけで十分嬉しかったから。

「で、こいつが公国に居たからずっとうちの妹に一方的に思慕しているみたいでな。どうしても護衛に加えて欲しいって泣きながら頼むから迎え入れたって訳だ」

思わず祐一が壁からずり落ちる。

みさおも顔を真っ赤にして俯いている。

「しかし、腕の方も確かだっただろう?なぁ?北川公子」

「ああ、俺の事は潤でいいですよ。王太子。・・・いや、大輔様の秘蔵っ子で白騎士に迎えられるほどの腕の持ち主 だったってんなら納得です。」

潤の言葉に浩平が『なら、俺も浩平でいいぞ。』と。

「え?北川君に勝っちゃったの?片腕で!?」

そんな掛け合いに思わず立ち上がる名雪を秋子が苦笑しながら嗜める。

「う、うぐぅ。」

「凄いわね・・・両手だったらどれくらい強いのかしら。・・・そんな腕の持ち主が良く片腕を失ったわね・・・っと、ごめんなさい。」

香里に気にしないでいい。と言うように首を軽く振る。

「えっと、それで、名前は何て言うんですか?」

その名雪の声に思わずみさおが『あ』と声を上げる。

そういえば、全く考えていなかった。と表情が告げていた。

近くにいる勇もやれやれ。と言うように顔を伏せる。

「あ、ああ。とりあえず馬鹿とでも呼んでおけば構わん。なぁ?」

ん?と顔を向けられた、その祐一の顔が小さく震える。

どうやら最初っからここにつれてきた理由はみさおの『祐一君のお友達に久しぶりに会わせてあげたい』と言う理由とは違い『これを 機にからかってやろう』と言う物だと言う事が理解出来た。

「う、うぐぅ。馬鹿、さん?」

「え?ちょっと、あゆちゃん。まずいんじゃないかな?」

「本名は明かせない。と言うことですね。それでは、私達も聞かないでおきましょう。」

どうでしょうか?と言われた一弥が賛同するかのように大きく頷く。

「さて、それではそろそろ本題をお伺いしたいのですが。まさか、親交を深めようとこんな場を作ったわけでもないのでしょう?」

「いや、まぁ、8割方はその用事だったんだがな。祐一の知り合いと戦をするのは結構しんどいし、もうやりたくない。」

馬鹿。とみさおと瑞佳をを挟んで横にいる茜が小さく呟く。

「ご、ごめんなさい。兄が馬鹿なこと言って・・・」

「ほら、浩平、とっとと謝るんだよ!」 いえ。と帝国側の面々が笑みを浮かべる。

「こちらとしてももうやりたくないのは同感だね。特に僕や北川君は二度と御免被りたい」

全くです。と言うように誰もが賛同の意を表明すると全体が笑いに包まれる。

「だが、残り2割は真面目な用事だ、な。最も、祐一の言った事をそっちが信じられるなら、の話だが。」

誰もが大きく頷く。

その事実だけでどんなことでも信じられると言う様に。







「まぁ、簡単に言うと・・・神話の世界が再現されるってことだな。」

平然と言われた言葉に誰もが一瞬言葉を失う。

神話と言われれば誰もが考えるのは相沢家の成り立ち。

人々が魔族に圧迫されている時に天から降り立った神が魔族を滅ぼした。

「いや、それが違うんだ。」

呆然と呟く秋子の内容を浩平が否定する。

「魔族は滅ぼされていない。始祖神は封印することしか出来なかったんだ。」

そう言って、浩平は神話の世界を説明する。

祐一に聞いた話。

「オーディンによってほとんどの上級の魔族を滅ぼされた魔族は考えた。どうすれば相手の力を削ぐ事が出来るのか?と。」

それは、神話の世界。

そして、一組の夫婦のお話。

魔族の側についた『神』は十。一方で、こちらについたのは神の夫婦のみ。

が、その一人の神によって六人の神が命を奪われる事と鳴っていた、そんなとき。

「そして、魔族は考えた。オーディンにはどうしても手を出せない。ならば、その妻を襲えば良いではないか?と。」

戦乙女。その名は帝国の王都の名前にもなっている。

「結果、魔族は多大な犠牲を・・・・残っていた神の半分を失いながらもついにヴァルキリーを瀕死状態に追いやった。そこに現れたオーディンは思わず禁じられていたものを使ってしまう。」

それは、ここにいる者たちには馴染みのある単語。

「オーディンは唱えた。リィンカーネーションの禁術を。自分の命の大半を費やしながら。そして、それによって力の 大半を失ったオーディンには全ての魔族を滅ぼす事は出来なかった。だから、代わりに封印した。それが二度と解けない事を願いながら。」

その話は、神話を漁っていけば見つかる話。実際、栞は先の戦の後にその話を見つけている。

「その話は私も読んだ事はあります。しかし、事実かどうかは未だ」

確認されていないはずです。と聞いてくる秋子。

「だが、祐一はこれを事実だと断定している。で、ある以上これは事実だと俺は思う。」

そう言われると誰も文句のつけ様が無い。何しろ、一番そのことに詳しいのは相沢の家であろうから。

「しかし、この話には続きがあるんだ。・・・俺ですらつい最近まで知らなかった事だがな。」

「続き・・・ですか?」

ああ。と小さく頷いて、顔を歪める。

「なぁ、仮に結界を張るとして、魔力の放出と結界の関係はどうなっている?」

顔を向けられたのは水瀬姉妹。

突然のことに思わず背筋をピンと伸ばしながらもおずおずと考える。

「えっと。当然、魔力を放出している間は結界は続きます。」

「うん。それで、術者が魔力の放出を解いた時に結界は破れるんじゃないかな」

正解だ。と言う様に小さく頷く。

「で、だ。誰か聞いた事があるか?魔族に対する結界を張っている術者の話を」

それだ。と秋子は思う。

それに対する答えが一つもないからこそ、先の話は神話として処理されてきたにすぎない。

「なぁ、不思議だと思わないか?祐一はリィンカーネーションの禁術を行使出来た。メテオスマッシュの禁術も、だ。 特にメテオスマッシュ、あんな大質量の術、俺達が全員集まっても使えるわけがない。 そんな祐一が何で魔術を使えない出来損ないだなんて言われなければいけない?」

出来損ない。その言葉は誰もが聞いた事のある言葉。

相沢祐一は初級術法しか使えない出来損ないだと。

そんな疑問。そして、先ほどからの浩平の言葉。

一人、また一人と答えに辿り着く者が出現して来る。

「祐一さんが・・・・結界を作り上げていた?」

だとしたら、自分達の行動によって結界が崩壊し、これから世界を危機に陥れていると言う事なのだろうか?と誰もが顔に恐怖を張り付かせる。

「いや、それは違う。正確にはあの結界は相沢の人間によって持っていたものだ。そして、慎一爺さんが亡くなった時点で既に結界 に送られる魔力の供給は止まっている」

だから、そのことに対しては気に病む必要は無い。と。

「だから、先の戦で大輔さんも祐一さんもあれだけの規模の魔術を行使していたという事ですか。・・・枷が無くなったから。」

それで、全ての先の大戦からの疑問が解決する。

「何故、何故祐一兄さんは僕達には何も言ってくれなかったのでしょう?最初っから全てを話して協力を要請すれば・・・」

それは無理だ。と秋子は思う。

そうした時、皇帝はきっとこう言うだろう。

『我が元に全ての軍勢を統一し、敵を迎え撃つべきだ』と。

「まぁ、水瀬侯爵の考えている通りだな。俺達王国・・・少なくとも、俺はあの皇帝の命で動く気は少しもない。」

だから、自分達は戦を行った。

戦の前にいったところで時間かせぎだとか、それなら我々に協力すれば。等と言う態度に出られる。

だから、一度力を示す。その上で、対等な立場での交渉を求める。

その為に知恵を駆使して勝利した。大勝でなければ意味がない。その真意を実行させた。

「それでは、王太子殿下は何も求めているのですか?僕達に・・・」

一弥の問いは誰もが思っている事。

皇帝に、では無く自分達に交渉してくる意味。

「・・・共闘を。過去に異端者と蔑まれた者を人々が受け入れ、共に戦ったように」

手を結びたい。と立ち上がった浩平が手を差し伸べる。

それは、一弥にとっては人生の選択。

この手を取ってしまえば、自分達は帝国から裏切り者呼ばわりされるかもしれない。いや、される。と断定しても良いだろう。

でも、一方で祐一兄さんは、佐祐理姉さんは手を取る事を望んでいたとも思う。

ふと横を見る。

秋子が、名雪が、あゆが、香里が、潤が、有人が、往人が、観鈴が、晴子が、聖が。

誰もが、自分に任せる。と言う様に視線を向けてくれている。

そして、目の前の男性も自分を信じるように黙って手を差し伸べている。

迷いはなかった。

ガッチリとその手を握り締める。

この時、神話の再現は始まっていたのかもしれない。







「しかし・・・」

そして、暫く歓談をしていた中、ふと秋子が声を上げる。

「白騎士団の方々はどうなされたのですか?この度の戦にも参加されていないご様子。」

みさおの方を向いて問い掛ける。

みさおが、相沢の後継者であると言う事は、即ち白騎士団をも指揮することではないのか?と言うことである。

それに対して、思わずみさおは口を噤む。

自分の理由も、他の理由もあった。

しかし、それを祐一の前で言うのは憚られたから。

「彼等は、動けません。」

その問いに対して答えを発したのは末席に居た男性。

「今、白騎士団にはそれを統率する団長が不在です。で、ある以上あの軍勢を動かす事の出来る者は存在しません。」

その言葉に祐一がピクリと反応する。

「白騎士団の長の立場は、相沢の血を受け継いだ者であること、と決められていると言われてはおりますが・・・・まぁ、ここに居る方々はほとんど その資格を持っているとも言えますな。全員様々な方法で血は入っておりますし。・・・・が、白騎士の団長の資格とは 実際の所では『団員全てに認められる者』という事なのですよ。誰であっても誰もがこの人こそ我らの団長 と認められるほどの者であればその人こそが白騎士団長。別にみさお様だけではありません」

あ。とあちらこちらから声があがって来る。

直系ではないものの、確かにここに居る者はほとんど相沢の血を引いていた。

「けど、な?考えても見ろ。誰か言える奴が居るのか?・・・・『我こそが相沢大輔の次の白騎士団長である』と。」

その浩平の言葉に場内が一気に静まり返る。

彼の人の軍略、敵う者等いようはずもない。

「・・・・折原王太子殿下では如何なのでしょうか?相沢大輔様は貴方を『俺より才能がある』と仰られたと聞いております」

香里の声。

誰もが一つの意見において同じ結論を得ていた。

つまりは・・・・

『白騎士団は絶対に必要である』と言うこと。戦力、と言うより精神的な面で。

先日の戦、言ってしまえば王国は旗をあげることで勝った。それが白騎士団となった時の効果はその比ではないだろう。

「冗談。もし俺が大輔さんだったらどうして先の戦で北川の軍がみさおの直ぐ傍まで行けた?本来、俺と立花さんの予定では、 炎の中から這い上がった瞬間に三千の騎馬部隊が体当たりをかけているはずだったんだぞ?」

その言葉に思わず潤が顔を青くさせられる。もしそうなっていたら・・・・被害は倍ですまないほどだっただろう。

そんなやり取りを聞きながら思わず祐一は自分の、大輔の考えが間違っていた事に気づいていた。

つまり、祐一達はこう思っていた。白騎士団はみさおに預けておけば浩平なり立花さんなりが上手く動かせるだろう、と。

けれど・・・・

前任者と後任は比べられる。それが、比べようと思っての事でなかったとしても。

そして、前任者は基本的に好意的に見られてしまう。彼の場合はその散り様からしても明らかだろう。

勿論、浩平の実力がどうの、ではない。現状で大輔には劣るもののあと20・・・・10年もあればその域に達する事が出来ると思う。けれど・・・・

時間に余裕がない。その成長を待てるだけの。

適任者は・・・・・

一人しか、世界中を見渡しても一人しか居なかった。

そう思って、まだ迷う。居心地の良かった場所を捨てる事に、そして、同時に自分が何故かそれを悲しく感じている事に。

守らなければいけない人達と共に歩んでいける事を嬉しく感じている事に。

(違う・・・・それは・・・・)

始祖は間違えた。彼の為すべきことは、妻を捨ててでも全ての敵を封印等ではなく葬り、世界の平和を作り上げることだったはずだ。

そう思っている。・・・・それなのに自分は同じ事をしようとしている・・・・?

(ああ、そうか)

自分は、あの連中と一緒に居たいと思っているんだ。始祖が妻に思っていたように。

ならばそれは・・・・・

自らの迷いを生み出しているだけではないだろうか?と。

そして迷いとは

自らが、自らの手で・・・・・・・・・・・・断ち切らなければいけないものだった。







「あの、すみませんが、そちらの方は大輔さんが息子も同然に扱っていた方だと先ほど仰られておりましたが・・・」

ふと思い出したように秋子。

後ろに置いてある大きな鞄を手元に引き寄せる。

そして、中から取り出されたものに思わず祐一が身を乗り出す。

「大輔さんの兜です。亡くなった時から、一応勝手に血を洗い流し、そのまま預かっておりました。何時か、渡す人に会える時を考えて・・・」

中に、手紙を入っておりましたから。と机の上に丁寧に両手で置く。

兜の中に、確かに紙が縫い付けられている。

「私達は読んでおりません。これは、このままお返しさせていただきます。」

秋子さんが読んでいないというのなら本当に読んでいないのだろう。

とにかく、大刀は預けている中、軽く一礼をして護衛用に所持が認められている一本の小刀を取り出すと、縫い付けてある紐を断ち切る。

折りたたまれた紙が一枚だけ。他には何も無い。

ゆっくりと祐一はそれを開く。

単純な。本当に単純な文章。



『迷うな!』



思わず目を見開く。

手の中で紙が大きく歪む。

笑ってしまう、と言うように紙を思いっきり握る、とクシャッと紙が歪んだ。

思わず秋子が声を上げてしまうかのような行動。でも、その行動を咎める事が出来ないのはその少年の出している雰囲気のせい。

そのまま出て行く少年は、誰にとがめられる事も無かった。

そのまま・・・そう、そのまま出て行く。

一つの決心を胸に秘めて。