第十六話








「な、見事なもんだろう?」

どうだ?と前方を指差す祐一。

前方では相手の騎馬軍の先頭、百頭程度が落とし穴に嵌り、後続が次々とそれに躓いて転んでいくのが見える。

後方の方では何が起こったのかがわからないのか、混乱のあまりUターンして行くものすら存在していた。

そして、嵌った連中に対して周囲から浴びせられるのは火矢。

と、同時に数は少ないものの存在していた魔導兵から一斉に火の玉が斉射される。

あっという間に灼熱の・・・帝国軍からしたら阿鼻叫喚の戦場が出来上がる。

あまりに凄惨な光景に佳乃が思わず目を背けてしまうほどの。

でも、祐一が昔言っていた。『戦場なんて所詮は人をどちらが多く殺せるかを競う場でしかない』と言う言葉を思い出す。

目を背けてはいけない。と思う。それが、ここにいる自分達の義務なんだ、と。

同じことを思ったのか、直ぐ隣でもみさおがジッと前を見据えていた。

「しかし・・・あの位置は王国の兵も大量に居たと思うのですが・・・どうして帝国軍が来た時だけああやって付き破られるように・・・」

それは、今まで居たのが歩兵であったから。と祐一は述べる。

「だから、馬の重さには耐えられない程度の板を張って置いたんだろう。誰も歩兵が逃げ惑うその下に落とし穴があるとも思わないだろうしな。」

そして、その下に油をつぎ込んでおけば、馬殺しの罠が出来上がる。

馬は元来臆病な動物で、特に火は苦手。

だから、周囲で炎が燃え盛るのを見ると馬上の者を振り落としてでも逃げ惑う。

「さて、だが・・・来るぞ?」

気を引き締めろ。と真剣な顔で告げる祐一。

は?と思わず顔を向けてくる佳乃、美汐。

「馬を失った程度で戦意を失う程度の相手なら誰も麒麟児等とは褒め称えない。だろ?」

「そう、ですね。北川さんなら・・・」

佐祐理は、戦場における彼の勇猛さを、状況対応能力を理解している。

そして、その理解に間違いは無い。

見ると、灼熱の炎と、矢で周りの者が討たれて行く中、一人の男が周りの者を助け起こし落とし穴を越えてきている。

その数は、凡そ五百人程度だろうか。

あちらこちらで落とし穴から這い出てく者は居るものの軍勢としての統制が取れていない者は怖くは無い。

が、まだその五百人ほどの人数の戦意は尽きていない。

一方、王国側の千人程度の軍勢も、矢を撃って相手の数を減らしている者とは別に三,四百人ほどを本陣と敵の間に軍勢を集結させている。

「果たしてどれだけ来る事やら、な。」

こちらは段々と兵が集まってくる。相手は、あれが全て。

だから、相手は無理をしてでも早期に突破をしなければいけない。

この、本陣へ向かって。

そして、こちらとて戦力は残っているわけではない。

本来だったら・・・・少なくとも、この策を実行した二人の中ではこのタイミングで浩平の返しが崩れた北川隊を蹂躙する予定だったはずだったから。

つまりは・・・・・

行間はアドリブで埋めるしかない。そう、祐一は理解した。

(やっぱり、悪い予感は当たる、か)

結局出番がきてしまうことを苦々しく感じながら、ゆっくりと祐一はその場を立ち上がる。

想いを受け継いだ剣を手に持って。







「畜生!嵌められたな・・・。が」

後方では炎が燃え盛っている。

そして、残ったのは五百人程度。

しかも、馬を失った、だ。

確かに、危機。だが、相手の危機が去ったわけでもない。

「将軍、しかし、相手も四百人と言ったところ、この上は一戦交えて一気に我らで本陣を目指しましょう」

分かっている。と言うように潤が頷いて剣を振りかざし、前方に居る敵兵の中に体ごとぶつかって行く。

後方から『将軍へ続け!』と言う声が聞こえるのを耳に入れながら、目の前の敵兵に剣を突き刺す。

一刀、一刀。

剣を一振りするたびに敵兵が一人ずつ地に倒れていく。

むしろ、馬に乗っている時馬から下りた時の方が彼は強い。

的確に相手の急所である鎧の隙間を切り裂いていく太刀筋は彼の経験が養ったもの。

大きく吼える。

唯、それだけで相手が一歩下がってしまうような、それほどまでに彼の肉弾戦における戦力は抜きんでていた。

そしてやがて、わらわらと集まってくる防衛網の中から彼を含めた、十数人が突破に成功。

その後からも味方兵が突破しようとしているのを一目見るが、立ち止まる事はしない。

そう、残りは相手の本陣だけ。

それだけを思って駆け足で進んだ。







「北川が来る・・・な。」

懐かしい。と言うように祐一が思わず目を瞑る。

佐祐理も既に兜の中に栗色の髪を隠し、顔も覆面で隠していた。

ばれてしまうこと・・・自分が生きている事が知られる事はまだしも、この状況では『王国が皇女殿下をかどかわし、人質としている』 等と言う風聞が付き纏いかねない。

それは、王国の理念に反する事だし、義の一文字の為に戦っている人達に対して自分のせいでそんな風聞を立てさせるわけには行かない事を 佐祐理は理解していた。

「俺が麒麟児を止める。後は任せた」

目を開けて、床几から緩やかに立ち上がる。

背中にさされているのは刃の部分だけで四尺以上と言う巨大な刀。

普通には抜けないほどに、長い。

それを、背中から鞘ごと手にとって、正眼に構える。

本陣に詰めている兵は凡そ三十人。

その本陣の幕が、いきなり切り下ろされてきた。







一方、その激戦地となりかけているその場を目掛け、折原浩平は駆けている。

気がついたのは後方のみさきの兵站部隊の元で軍馬の乗り換えを終わらせた頃。

北川潤の部隊が炎に包まれている事は遠目にも見えていた。だけに、分かる。

本来それが見えるはずの場所と自分達が今いる場所では明らかに違っていた。

自身が遅れたからか、それともコンビを組んだ相手が速かったのか、おそらく両方であろう、けれど・・・・

「やれやれ、だなぁ。おい」

でゃ!。と鞭を馬に入れる。

今までに幾度となく相沢祐一と言う男・・・・・弟分でもあり、主家でもある少年と一緒に戦場に立ってきた。

勿論、ミスを犯すのは決まって自分の方。最も、浩平自身最初に戦場に出たのは十になろうかと言う頃。祐一から遅れる事僅かに2,3年。

ものすごく、早い。普通初陣などと言うものはもっとしっかり体が出来てから行われるものである。

それをそんな年から行う羽目になったのは、それを彼が求められていたから、と言うことに起因する。

『相沢祐一の片腕』

相沢家は与力として帝国に一族の者を出すことが定められている。そうなった理由は王国にある。

また、彼の家にたくさん一族がいるのならよいが、当時の公国においてそれに耐えうるのは白騎士団長であり、相沢祐一の親代わりでもある相沢大輔しか存在していなかったし、 その彼が妻帯をしていないこと、そして相沢祐一の年齢を考えたとき十年、下手したら二十年以上の間その状態は続くことが誰の目にも明らかだった。

その為に浩平は抜擢された。7,8歳の子供の片腕として10の子供が選ばれる。ほとんど笑い話のような話でしかない。

けれど、そうなったのはそれだけ折原浩平と言う人物が評価されていたと言うこと。

しかし、ほとんど子供と言って良い・・・・と言うより、子供である。最初はミスくらい当然あることだろう。けれど・・・・。

「我々ももう一度王女殿下にあの目で見つめられるのはご勘弁願いたいものですが・・・・・・」

隣を駆ける男の言葉に小さく頷く。

当時、自分が失敗をして祐一が傷を負った事があった。大した傷じゃない。せいぜい3,4日かかれば消える程度のかすり傷。

が・・・・・

その時のことは浩平自身覚えている。

手当てをしていた自分の可愛い妹がジッと悲しそうな目で周囲を見渡していた。

兄を責めているわけではない。けれど・・・・唯、悲しそうな目で周囲を。

『何で、祐一君、怪我しちゃったんですか?』

そう、目で語っていて。

理由も何も彼女は知らない。現実として、彼が怪我をした。その事実だけで彼女には十分だったのだろう。

正直責められる以上に堪える時間だった。と後に瑞佳に語った、それほどの苦痛を与えられた。

けれど、きつかったのはそれ以上に

「それ以上に・・・・あいつ、いや、あいつらは過保護だからなぁ。」

彼の妹が悲しんでいる理由の所在を知っている彼はその後ギロッと一点を睨んでくれていた。

戦場においてミスったからじゃなく、あまりにも個人的な理由から。

それ以来、思う。

あの二人を傷つけさせるのは危ない。あいつらがやばいのではなく、その相手がやばい。しかもそれに自分が関わっているのなら尚更だ。

「あれは呪いだ」

損害は常に第三者、と言うより大半の場合において自分に来る。

そんな想像に思わずブルッと震える体を叱咤して。

結局、遅れた理由は国崎往人との戦いを楽しんでいた自分にあるのだから自業自得と言えばそれまでなのだけれど。

「しかし、あのお二方、誰よりも互いを必要にしているように見えますのに・・・・・中々難しいものですな。」

小首を傾げながら話す男は数少ない『彼』の存在を知っている人である。

そして、主家の姫たる者の想いも。

「祐一からすりゃ大切な『妹』ってとこだろうからな。・・・・・ほとんどママゴトみたいなもんなのさ。」

やれやれ。とため息を吐く浩平に隣から微笑がひとつ漏れてきた。







ようやく、ここまで来れた。と潤は思わず一息吐く。

執拗な敵軍の包囲網に、ここまで来れたのは10人と少しだけ。

それでも、彼は何とか出来るだけの自信があった。

「王女殿下、久しぶりだな。またこんな形で会うのは残念だが・・・」

「はい。北川さん、お久しぶりですね。」

こんな状況でも笑いかけてくれる相手に思わず気勢を削がれつつも・・・

「悪い、が、命をもらわなきゃいけないようだ。降伏してくれるのなら便宜は出来るだけはかることを約束する、が・・・・・・それはないんだろう?」

そう言って剣を向ける潤とみさおの間の地面に鞘がトスッと突き刺さる。

覆面を被った男。その男が、地面に刺した鞘から刀を右手で抜き放って構えてくる。

自分の持っている剣より一尺以上長い刀。

幅もやたらと太くこちらの倍に達するほど。片手で持っているのが信じられないほどに重そうな大剣。

「・・・お前が・・・王女殿下の護衛か?」

普通に考えて、それだけの刀身、幅。5斤(約3キロ)を下ることはないだろう。

膂力、技量共に自信があるのだろう。と即座に理解する。

そして、その相手を凝視する。

「・・・お前!左手がないのか・・・」

軽く相手から首肯。

覆面をした、片腕の剣士。持っているのは魔力を帯びた大剣。

おもしれぇ。と思わず笑みを浮かべてしまう。

「お前名前は・・・って、それで名乗れる奴だったら顔を隠すわけもないやな。一応名乗っておくが、俺は北川潤だ。」

相手の目が笑ったような気がした。

向けられる、刀。

『御託は要らないからかかって来い』と言っているように見える。

周囲の者達は、既に王女の護衛兵と激しく斬り合いを演じていた。そして、王女と自分の間はこの男と二,三人の侍女だろうか?女性がいるだけ。

「行くぞ!」

強く、思いっきり地を蹴り上げる。

肉薄する体と体。

甲高い音。

散る火花。

何故か、何処かで感じたような、そんな感情が湧きあがりつつも剣を二度、三度振るっていく。

今までに感じたことのないような昂揚感に身を包まれながらも、唯、剣を振るった。




右からなぎ払った一撃を身を捻ってかわす


正面からの振り下ろしを刀を滑らせるように受け流す


その間に繰り出される足技をステップを用いて何とかかわす




余裕はない。全てが紙一重。

祐一は内心で汗と感嘆を浮かべている。

(あの時からまだ・・・・)

これだけしか時は経っていないのにここまで腕を上げるのか?と。

こと剣を用いた才についてはおそらく自分の知る誰よりも上かもしれない、とすら思う。

しかも・・・・・・

(手加減、されてるのか)

一度として、失われた左手の側への攻撃は行われていなかった。







(何だ?こいつは・・・・)

思わず潤は心の中で疑問の声を上げる。

相手の対応は速い。速い・・・・ようで、でも遅く感じられた。

そう、体の一部分が動くのはとてつもなく速い。けれど、実際に行動をやり終えるまでに時間がかかっているような、そんな印象。

イメージとしては、超一流の使い手が体中に錘をつけて戦っているかのような。

しかも、相手からの一撃一撃がやけに軽いのも気にかかる。

これほどの大剣を用いながら斬撃が軽い。

考えれば考えるほどに奇妙な相手に思える。

最も、だからと言って彼の剣先が鈍ると言う事は決してないのだけれど。







一方、そんな疑惑を感じる余裕すら祐一には残っていない。

往人を相手に鍛えたんだろうか?と思う。

ちょっと剣に往人の癖が混じっている様な気がしたから。

そんな、潤の一撃一撃に体が持っていかれる。

受けるたびに剣が弾け飛ばされそうになる。

逆に、こちらの攻撃は相手の体勢を崩す事すら出来ない。

はっきり言えば、唯のサンドバック。そんな状況でしかないのだ。

(やれやれ。こりゃ、普通には勝てないなぁ。困った)

飛刀を用いたら正体がばれるし。と考えてしまう自分が恨めしく思う。

それで止めるくらいなら・・・・・まだ・・・・・・

そんなことを考えなければまだ対応のしようも少しはあったのに。・・・・と。

(・・・やるしかないよなぁ。唯、なぁ)

でも、それ以外に手はないよな。と、自分を納得させて・・・・

自分は弱くなったんだろうか?

後ろからの視線に勇気付けられている自分が居て、思わずそれを・・・・打ち消す。

違う。自分が守られてはいけない・・・・自分が守らなくてはいけないのだから・・・・と







「おおおおぉぉ!」

裂帛の気合と共に突き出された刃が相手の脇腹を小さくえぐる。

そのまま横に切り払うと、相手の体は横に弾けとぶ。

勝てる。と思った。

後方では相手の女性達が思わず息をのむ姿。

あの連中は多分こいつの仲間なんだろう。部下、と言う感じには見えなかった。

そう思いながらも、一気に体勢を崩した相手に肉薄。

「らぁ!」

上から一撃、そこから一気に連続攻撃に移るのは自分が作り上げた剣技の中でも最も自信を持って繰り出せる物。

その、上段からの切り込みを相手が辛うじて受ける。

続いて、そのまま自らの足で相手の脇腹を蹴り上げ

体勢が崩れた相手に今度は相手の腕がない左側からの斬り払い。

そして、その後の下段からの跳ね上げに相手の大剣が宙を舞うのが見える。

(勝った!)

相手は大剣を弾き飛ばされたまま後方に数歩弾かれている。

丸腰の相手。追撃すれば終わりだ。と言うように・・・

男の後ろから悲鳴が上がるのが聞こえる。

もしかしたら、この男はあそこに居る誰かの恋人なのかもしれない。と思った。

(だが、これが戦場だ、悪いな。)

心の中で女性達の詫びを入れつつも、視線は男を捉えている。

覆面に隠れ中ではこの状況に慌てているのだろうか。

しかし、その一点だけ隠れていない目は・・・

「笑って・・・?」







みさおの、佐祐理も、佳乃の、美汐の。

それぞれの悲鳴が聞こえてくるのを祐一の耳は捉えていた。

(また、あとで怒られるのか。全く、不公平な話だ)

怒るなら、こんな状況を作った浩平を怒って欲しいものだ、とも思う。

目の前から肉薄してくるのは自分の昔からの友人。

彼は自分のことを知らない。

でも、祐一からすれば彼はかけがえのない友人であることに変わりは無かった。

だからこそ、悪い。と思う。

肉薄してくる相手に対し、祐一は腰に手を回す。

鎧にくくりつけられている、祐一の新たな武器を。

(悪いな。)

祐一が刀を弾かれた瞬間、相手は勝ちを確信しただろう。けれど、あの瞬間は祐一にとっても勝ちを確信した瞬間でもある。

そのまま、後ろに弾け飛ぶ事で、相手がこちらへ追撃してくるように誘導もした。

近寄ってくる潤に、その銃口を向ける。

ギラリと光る、鉄の銃口を。







一瞬悲鳴を上げたみさおは祐一の手が後ろに回った瞬間に理解していた。

これらの行動、全てが彼のシナリオの内であったことを。

わざと剣を手放し、後ろに弾き飛ばされるように相手の思考をコントロール・・・・・

そして、そこから繰り出される一撃は・・・・・・

「駄目・・・・」

多分、相手の命を奪っても構わないつもりで、彼はやろうとしていることがわかる。

それだけの威力を持った武器であるし、それに彼は傷を負っている。単純に足をとめる程度ではあの麒麟児を止める事は出来ない、そう彼は考えているはずだから。

でも・・・・・・

それは、駄目。絶対にさせてはいけない事。

彼に『友人殺し』なんてことは絶対に

させちゃいけない、と思う。

それが、自分達の身を危なくする事だったとしても







(・・・んだと!)

突如自分の目の前に現れた弩。

目の前の男が構えている・・・弩。

刀を弾き飛ばした時点で相手の武器は無くなったと思ってしまったのは自分のミスだ。

しかし、急に自分の動きを変えることも出来ない。

だから、思いっきり剣を相手に向かって突き出す。

と、同時に自分の心の臓に向かって構えられる銃口。

間に合わない、と理解する。

思わず目を閉じて、周囲の人達に詫びを一つ。

親友に、想い人に、師に

「悪いな」

相手が初めて、口を開く。何処かで聞き覚えのあるような声。

そして・・・・・




『駄目ぇ!』



声が、響いた。







呆然と、その光景を眺める。

潤の繰り出した刃は自分の左肩を軽く突き刺し、一方で腹を狙った矢は肩を刺すだけに終わる。

どう見ても致命傷ではない。

聞こえてきた叫び声に咄嗟に狙いを外したのは自分。それが、何よりも信じられなかった。

殺そうと、それでも仕方がないと。そう思って・・・・

向けたのは、心臓。しかし撃ったのは左肩。

自分も左肩に傷を負っている。条件は五分と言えば五分。けれど・・・・・矢を放った反動で地面に叩きつけられて 背中をいためた自分はもはや刀を取って戦う事も出来ないだろう。

・・・・勝てない。

自分は、弱くなっているのだろう。あの場面で打ち損じてしまった自分は・・・・

少なくとも相手はまだ戦える。左肩の痛みに顔を顰めながらも右手で刀を持って一歩一歩と・・・・

賭けに成功したどころか大失敗だ。相手は健在。こちらは戦闘不能。勝負にすらなるわけがない。

対して自分は今は起き上がる事すら出来ない。このまま刀を振り下ろされるだけで即ち負け。

けれど・・・・

(ああ、そうか。ようやく、か)

救いの足音は気がついたときにはすぐそこまで近づいていた。







「全軍、突入!俺の妹に手を出そうとした連中をたたき出せ!」

大きく味方軍の後方を迂回してきた浩平は、本陣から聞こえる喧騒に一瞬悪い想像を頭の中に浮かべた。

が、それは本陣に一歩踏み込んだ時点で杞憂であったことを知る。

どうやら、祐一が身を呈して守ってくれたのだろう。慌てて駆けつけた佐祐理に支えられて何とか立った姿勢を保っている祐一が視界に入った。

浩平が連れてきた、ほぼ無傷の三千騎。

大返しに駆けた小一時間の分。それだけの戦果をあげるチャンスは大量にある。

けれど・・・・

(ああ、また俺が文句を言われるのか)

間違いなく傷を負っている。過去のあの事件等比較にもならないほど。

浩平の中で一瞬のうちに怒りが巻き上がる。対象は勿論こんなことをやらかした敵の全てに。

「そこで蹲っている北川潤は捉えておけ!他にも、投降する連中には決して手を出すんじゃねぇぞ!・・・・が、 少しでも手向かう奴には容赦は要らねぇ。いいな!」

そんな大声に帝国兵が次々と戦意を喪って行く。

北川潤、麒麟児のカリスマ性に頼っていた軍。それだけに、その本人の敗北は戦意を喪失させるに十分。

次々と武器を捨てて投降して行く者達に縄が打たれていく。

「どうする?北川潤。お前の仲間の白狼は俺が捕らえたぞ?お前もやってみるか?」

その言葉に潤だけでなく、後方の佳乃もハッと顔を上げる。

「国崎を、か?・・・そうか、折原王太子・・・。分かった。部下に手を出さないと約束してくれるのなら降伏する。」

少なくとも、肩を貫かれた状態では無理だろう。と判断した潤が剣から手を離す。

「良し!これより我が軍は石橋将軍の本隊、その側面を突く。続け!」

そう言いながら駆け去って行く馬群。

祐一は、去っていこうとする浩平が軽く頭を下げるのに手を上げて答えた。

自分のするべきことをやり遂げたことに少し満足感を感じつつ。







その少し、前。

敵本陣の前で急遽燃え出した炎を見て、有人は自分達が最初っから相手の戦術の中で動いていた事を理解する。

「全員、下がってくれ。この陣は放棄せざるを得ない。」

既に、久瀬伯爵軍はその力の半分以上を奪われている。

本隊からの援護が力を成していない。

結果、相手の一万五千の軍勢の攻撃を、直接五千のみの軍が受け止めさせられる事と成っていたのだからしょうがない事と言える。

「し、しかし、有人様は・・・」

「僕まで下がってしまったら味方全員が戦意を失うだろう。僕はもう少しここに踏みとどまった後、退却させてもらう事にするよ。」

尚、『しかし・・』と渋る部下達を強制的に退去させる。

彼らは侯爵家の忠臣達。失うわけには行かなかった。

そして、喧騒がどんどんと近づいてくる。

切り払われる幕の外から現れる人を見て、有人は軽く苦笑をせざるを得なかった。







「また、貴方ですか。・・・やれやれ。どうも僕は自ら先頭に立ちたがる大将に縁があるらしい」

ははは。と笑って軽く頭を下げる。

「勇戦、お見事です。完全にしてやられましたよ。まさか、北川君の軍勢が本陣を突く事を最初っから計算のうちに入れているとは、ね。」

その言葉を受けて、相手の将が軽く笑みを浮かべるのが見える。

「ああ、あれは申し訳ないんですが私の策ではないんですよ。さる方から薫陶を受けましてね。」

さる方と言うのが誰のことだかは分からないけれど、目の前の男性にちょっと共感を覚えてしまう自分が居る。

目の前の男性も、苦労人に見えたから。

「それに先ほど仰られた先頭に立つ。と言うこと、私も今まではずっとそう思ってきたのですが、ね。本当に何時も何時もそう忠告 させて頂いていたものです。しかし、いざその立場について見ると、ついつい出てしまう気持ちも分かってしまいますな。」

困ったもんですよ。と世間話をするかのように笑いかけてくる男。

「まぁ、私がお手本にさせて頂いている方はそんな方々なのですよ。何時も御自身の命を考えずに行動されるのですから。本当に困った物です」

そして、だから私が前に出てしまうのもその影響でしょうかね。とカラカラと笑う。

「・・・それで、僕のことをどうしますか?どうやら貴方の方が腕は立つようですし、特に抵抗しようとも思いませんが。」

ここで、北川潤や国崎往人であったら剣を抜いて斬りかかって行く所なのだろうが、彼は自分の分を弁えている。

「とりあえず、最後に自分を殺す相手の名前くらいは聞いておきたいですね。貴方のこと、王国のことを調べても何処にも情報が無い。」

ああ。と笑った男性が自分の名前を小さく告げる。

「名前、ですか。・・・そうですね。亡国の騎士とでも言って置きましょうか」

なるほどね。とその瞬間に理解する。

王国の軍部を探しても正体が分かるはずが無かった。

相手は、正真正銘の亡霊。

「・・・・立花百騎長・・・・公国の勇者。まさか、王国軍に参加しているとは思いませんでしたよ。」

全く収集の付かないジグゾ―パズルに『公国の騎士』と言う単語を入れるだけで疑問は簡単に解消されてしまう。

と、同時に、目の前の相手に対して抵抗等しても無意味だろう。と剣を前に投げ捨てる。

勝てるわけもないし、それにもし、自分達の罪を自分の命でもって償う事で、 彼等の怒りが少しでも緩和されるのならそれも良いかもしれない。と思えていた。

少なくとも、目の前の人には、自分を殺す理由がある。







そんな態度を見て、一瞬剣を振るってしまおうか?とも考えてしまう。

先の戦で亡くなった多くの仲間。それらの仇を・・・

でも、それは本当に一瞬の話。

「おい!誰か!」

近くに居る味方の兵を呼びつけると、捕縛し、後方に送るように命じる。

「僕を殺さないんですか?」

不思議そうに尋ねてくる少年。

「祐一様の御友人に対して剣を振るう事は出来ませんので。」

やれやれ。と剣を一度鞘に収める。

鬼にはなれないもんだな。と思った。







そんな、戦況全体。

南方においては、戦況は一進一退。

帝国から増援もよく踏ん張り、一時期のような押されている状態からはなんとか逃れても居るが、魔導部隊同士のぶつかり合いで 完全に負けている分の差からか、圧倒的多数でもってしても攻勢に出れない部分がある。

中央では、帝国軍の歩みが主力軍を投入する里村将軍に完全に止められている。

それどころか、相手はこちらの本陣の余力が少ない事を見取ったのか全力で攻勢をかけ始めている。

そして、北方。

「・・・・この戦、負けかもしれませんね。」

一弥が思わずそう呟いてしまうのを秋子が目で静止する。

少なくとも、まだ負けては居ない。それなのに、総司令官がその言葉を発してはいけない。

「ぎりぎりですが、まだ踏みとどまっています。・・・私はこれより軍勢を率いて北の増援に向かわせて頂きます。一弥さんは中央を」

国崎往人は相手に捉えられたらしいことを聞いた。

北方では、北川さんと久瀬さんが危ない状況になっている。

それでも、まだ兵力の上では自分達が上。

戦いようは、まだまだある。







そう。確かに兵力は未だ帝国軍の方が遥かに多い。

しかし、そんな中で兵達にそんな優勢さを感じさせないほどに北方における敵軍の攻勢は凄まじい物があった。

突如現れた、折原浩平本人が率いる騎馬軍、三千の突入を受けると五万の軍勢が一気に崩れる。

北川将軍の、石橋将軍の必死のゲキも効果を表さないほどに。

そこに、久瀬家の軍勢を壊滅させた北方軍の本隊までも参加して来ると、兵達には既に戦意等なかった。

もともと、この帝国軍北方軍においてマトモな軍勢は久瀬の軍と北川の軍。併せて七千と、後は禁軍の一部と言った程度。

それらが壊滅してしまうと、残ったのは数のみを頼りとした烏合の衆と成り下がる。

「潰せ!とにかく、潰せ!ここが正念場だぞ!」

声の限りに叫びまわる浩平は、叫びつつも剣が常に動いている。

敵軍の中で、少数ながらも必死に抵抗しようとする部隊。それを一つ一つ潰していく。

既に、敵軍五万の中で軍勢らしい軍勢は敵の二将軍が纏めている二万程度しか居なかった。

他の軍は、指揮官が真っ先の逃亡したのか、どうしたら良いのかうろうろしているだけの兵も多数。

それらの者達は敵軍が近づいてくるだけで武器を捨てて降参の意を示してくる。

しかし、そんな中でも浩平は、澪は、勇は勝ったとは思っていない。

この状況で、『あの人』が動かないはずが無い。

世界最高の戦術家。

水瀬秋子の存在が、彼等に未だ緊張を与え続けていた。

そして、その予感はやがて的中する。

三軍の全てが、その瞬間大きな力に揺さぶられるような、そんな衝撃を強く感じていた。







率いている兵は僅か八千。

精強であると言うほどに強くは無い軍勢。

しかし、その兵が彼女の指揮の下では精鋭と成る。

水瀬秋子の存在は、味方全てに勇気を与えていた。

「・・・とにかく、指揮系統の再編が先ですね。皆さん、よろしくお願いします。」

秋子の言葉に一斉に数十人が散会して行く。

とにかく、指揮系統が崩れた味方軍を何とかもう一度纏めないと勝負にすらならない。

「残りの方達は私に続いて下さい。敵軍を叩きます」

敵軍の本隊、一万五千ほどは石橋将軍と北川将軍が必死に食い止めている。

だから、秋子は軍勢を折原浩平の三千と上月澪の五千に向けた。

こうして、再度膠着状態の戦場が始まる事となる。







「あー・・・流石は秋子さんだなぁ。あの状態からでも五分に持ち込んでくるのか・・・」

既に説教も楽しく受け終わり、四人の手厚い(?)看護を受け終わった祐一。

みさおからは咄嗟に叫んだことを謝られはしたけれど、軽くあしらう。

あの場面、外したのは自分。何をされようとも撃たなければいけなかった所で撃つ事が出来なかったのは、この弱い自分の心。

謝られる事では、なかった。

まぁ、それはこの後考えなければいけないこと、と割り切って今では戦況を床几に座って眺めていた。

「秋子さんは佐祐理が先生の中で二番目に尊敬する方ですから。」

何処か誇らしげに、佐祐理が話す。

「う〜ん。でも、お兄ちゃんたちにとっては災難ですね。それで、二番目って・・・」

「勿論、一番尊敬する先生は祐一さん、ですよっー」

ああ。と納得したようにみさおが、佳乃が、美汐が頷く。

(そんな会話、本人の目の前でやられてもなぁ・・・)

妙にこっぱずかしい。

「佳乃りんも祐一君が一番だよぉ。」

うんうん。と真剣に頷かれても尚困る。

「あ、あの、私も・・・」

「くすっ。祐一君も大変ですね。でも、勿論私もです。」

あー。と思わず天を仰ぐ。

戦場に出た方がまだ楽かもしれないとすら思えてしまう。

「・・・・しかし、そろそろ戦を終わらせない限り唯の消耗戦に成り下がる、な。」

ふと真剣な顔で呟く祐一に笑い顔の四人の視線が集まる。

「今後の世界を考えれば、消耗することは自分達の首を締めることにつながる・・・」

全ての事情を既に聞いている四人はその意を汲み取る。

もう間もなく、魔族に率いられた異民族の侵入が・・・それも、空前の大進行が始まる。

その時に王国、帝国、そして公国が協力して立ち向かえるような体勢を作り上げる為に祐一は努力してきた。

「・・・・みさお。俺が言っていいのかは分からないけれど・・・浩平に・・・」

うん。と小さく微笑む。

自分の立場に必要以上に拘り、自分を立ててくれる祐一。

そんな想い人に申し訳なさそうな顔をして欲しくは無かった。

「お兄ちゃんに使者を送ります。・・・敵軍に対して停戦申し入れを呼びかけることを考えて欲しい、って。」

その答えにすまない。と小さく。

少なくとも、今よりももっと勝勢の時に送った方が良い条件での講和を引き出せるから。

だから、一頻り詫びるように頭を下げ、暫くするとやがて顔を上げて・・・

「それじゃぁ、こちらも動こうか。みさおが受け取ったものの大きさ、強さを一度見せてあげておかないと。」

そう、一言。







今回の設定はとりあえず複雑になって来た呪文でも説明させて頂きます。

本編では『〜〜級』と書いていますけれど、とりあえずわかり易くするために数字のレベルで書いて見ます。

まぁ、本編の書き方が変わるわけではありませんが、少しでも読解の手助けになれば。と思いまして。

簡単に数字に表した場合、私の区分けでは多分1〜5という事になると思います。

登場した術法と絡めますと・・・・

L1 炎の弾を打ち出す等の初級術法(スノウや瑞佳の軍団等が用いているのはこのレベル)

L2 L1の術を強化させたもの。代表的なところでは白騎士団のライトニングボルトや名雪やあゆの用いたブレイズの術法等

L3 本編では未だ登場ありません。基本的に、佐祐理さんや秋子さんは現状ではここです。

L4 瑞佳の用いたエクスプロージョンや往人のフリーズビースト、浩平の空間転移術等。一般的に禁術と言われる術法。

ちなみに、後ろの二つは単純に魔術と言えない部分もあるので、使える人は先天的に力を持っている者に限られます。

一方でエクスプロージョンのように単純な『質量』を叩きつける術は勿論相当のセンスは必要ですが、結構使える人はいます。(世代に数人くらいは)

L5 祐一の用いたカオスフレア、メテオスマッシュ等(第一部終盤参照)、戦術と言うより戦略的な規模を誇る魔術が含まれます。

また、この『未完成の城』の話の中心だったリィンカーネーションの禁術もここに含まれます。

先ほど述べましたが、『質量』をぶつける術法の方が容易く使えます。

言ってしまえば、リィンカーネーションは3回使っただけで祐一の寿命をほとんど持っていきましたが、基本的に彼にとってメテオスマッシュ等の『質量』を操る 術方は本来であれば普通に使える程度のものでした。(カオスフレアは往人の能力の分野も相当に含まれてはいますが)

とにかく、リィンカーネーションはいろんな意味で特別な術方という扱いです。

まぁ、脳内設定でこれだけ入れている時点で今までの自分は何をしていたんだろう?と言う感じではありますが・・・・・

うん。脳内設定って読者の方には読めませんからね(当たり前ですが)

・・・・・他に脳内設定、何があっただろう・・・・ひとつひとつ潰していかないと。