第十五話








「長森魔導将軍・・・・ですか。」

遠目にも分かる。

それほどの大魔術が行使されていた。

「秋子さん、あれは・・・・大輔様の」

分かっていますと言うように小さく頷く。

「エクスプロージョンの禁術ですね。まさか、そこまでの使い手とは思っていませんでした。・・・・あれほどの使い手だと分かっていたら あゆちゃんと観鈴ちゃんの二人だけに任せるなんてこと、していなかったのですけど・・・。」

単純に魔導士としてのレベルだけなら自分以上かもしれない。と、相手を甘く見ていた自分を恥じる。

おかげで、南側は押されている。

こちらの最強の軍を向けたにも関わらず、である。

巨大な魔術の意味。それは単純な殺傷能力ではなく、恐怖を与えると言う所に意味がある。

彼女の与えた士気における影響は人的被害の数倍、数十倍に匹敵するほどだろう。

しかし、一方で中央の戦いは想像以上にこちらの方に良く動いていた。

名雪と香里の両軍が敵軍の柚木将軍の軍勢を押し捲っている。

結果、相手は里村将軍が旗下の軍勢の一部を投入することで持ちこたえようとしている。

「南方軍に増援を差し向けましょう。中央は余裕もありますから。 ・・・唯、中央も両軍の後詰に予備兵をいくらか投入した方が良さそうですね。」

一弥の提案は的を得ている。と、秋子も賛同するように頷く。

「それでは、兵を四千、南に差し向けましょう。即座に纏めて出陣してください。」

一弥がそう傍に控えている将軍の一人に命令。

と、同時に本隊を前に進めるように、とも。







「わ、わ、わ。まだ来るの?」

その攻勢を一手に引き受けさせられる詩子からすればたまったもんじゃないよ。と言う感じで。

先ほどから攻撃を受け流しても受け流してもまた次がやって来る。

車掛りに掛けられる攻勢を受け止めるたびにこちらの壁が薄くなって行く。

最初に作り上げていた陣は六段。既に二段目が破られかけている。後方からの援軍を慌てて陣に組み込むことで現状を保っている状況。

「も〜。祐一が下手に鍛えちゃうからこんなことになるんだよね。詩子さん怒っちゃうよ〜?」

前回の戦の時よりも強くなってるよ。と

こんな風になる前に・・・・・・・例えば、仮に前回の戦の時の二人が相手だったらここまで苦戦する事は無かったと思う。

「茜に援軍のお願い、行ってきてくれるかな?」

近くの伝令にあはは。と笑いながら告げる。

冗談抜きで、このままでは破られかねない、と思っていた。







「今回は、前回みたいに無様なことはしないんだよ!」

そう思っているのは名雪だけではなく、青の軍の誰もがそう思っている。

先の戦、勲功のあった者として名前をあげられつつも、何処か名雪や香里は納得のいかないものを感じても居た。

間違いなく敗戦だったはずなのに、功があると褒められても嬉しくは無い。

そして、兵達も今回の戦で汚名を返上しようと気合を入れていた。

母親の、また、仮にも相沢の親族の一人としても無様な戦いは出来なかったから。

そしが結果としてそれが良い方向に働いたのか、詩子は結局軍勢を後退させざるを得ないほどに押しやられることとなっていた。

その勢いは、本隊の一弥の陣と自軍の間にいる諸貴族の各軍を置いていくほどの勢いであるほどに。




そんな戦場全体の気を感じながら、尚、祐一は『悪くない』と思う。

中央では押されているものの、本当にまずい状況になったら茜さんも出るだろう。

それに、南軍が作り上げようとしているアドバンテージはそれを補って余りあるほどになりそうでもある。

全体としては五分五分。少しこちらが良いと言っても差し支えないかもしれない。

「浩平の奴、無茶しなけりゃいいんだが」

そんな祐一の言葉にみさおがくすっと笑いを浮かべる。

「私からすれば、お兄ちゃんも祐一君も変わらないです。二人ともすぐ無茶ばっかりするんだから」

そんな言葉に周囲から笑いがこぼれる。

「俺はこれでも、自分の命には気をつけて戦場に出てきたつもりなんだがなぁ・・・」

「祐一さんがそう言っても全然説得力ないですよー。」

佐祐理にそう言われると思わず赤面してうつむく。

先の戦で自分がやったこと。後から考えると相当恥ずかしい。

あんな芝居になっていると思うと尚更である。

「ま、まぁ、とにかくそろそろ準備をして置けよ?」

照れ隠しか、それとも本当に時を弁えたのか、祐一が緩やかに立ち上がる。

「浩平や立花さんがもう少ししたら仕掛けるだろうからな。機を逸した時待っているのが敗北の二文字であることをあの二人は誰よりもわかっている。」

何度も何度も猛攻を繰り返しても、現状のままでは消耗させられて磨り潰される。だから、動かざるを得ない。

昔今は亡き叔父に言われたことがある。

うちの副官と浩平は二十年もこのまま成長したとしたら・・・・そして、俺が引退する時が来たとしたら・・・・きっとこの二人がお前の両腕になるだろう。と。

その二人が今こうして左右で軍勢を率いてぶつかりあっている。

(二十年、長いな)

今から二十年も。そんなに時間の猶予は・・・・・ないだろう。きっと。

既に賽は投げられているのだから。

けれど・・・・・けれど。その二十年と言う期間は・・・・・

亡き叔父がその高みに・・・・祐一の父の後を受けて亡き祖父の片腕と言う位置に上ったまでの時間を考えればそれよりも遥かに短い。

それだけ叔父があの二人を評価している。それを理解しながらもその見通しが確かであることを分かってしまうだけに何とも言えない気分になってしまう。

「・・・祐一さん、ごまかしてますね」

そんなことを考えている祐一に横からの突っ込みが一つ。

う。と思わず祐一が言葉に詰まる。

別に、元から言おうとしていた事を言っただけなのに、それでも反論出来ないのは少なからずそう言う意図があったから。

「とにかく、祐一君も無理しちゃ駄目だよぉ。ね?」

うんうん。とそこに存在する全員に言われて思わず首が下がる。

結局、一番恐ろしいのは団結した時の女性陣なのだ。と祐一は思う。

それでも、不快感は何故か存在していなかったけれど。







「雪花、祐一や大輔さんの血を吸った刀、か。」

クスッと刀を眺めて、浩平。

往人が抜いた、今は亡き先の相沢公爵の用いていた、秘蔵の名刀。

その白銀色の刀身は何処までも透き通って見えた。

「そうだ。俺が祐一や大輔さんを殺した。慎一様から受け継いだこの刀で、な。」

そんなことは言われなくても分かっている。

望んで居たか望んでいないか等関係ない。

それは、確かに一つの事実として存在しているのだから。

往人はその罪は自分が背負うべき物だ、と思っている。

それが、あの三人・・・・いや、先の戦で犠牲となった全ての英雄達に対する答えだろうと。

そして、もう二度と負けない事が彼らに対する礼であろう、と。

「・・・・お前も雪花の犠牲者になってみるか?」

挑戦するかのように切っ先を向ける。

年齢もほとんど変わらない男同士。

その二人が、向き合って刀を構えている。

「上等。やれるもんなら、な。言っておくが俺は相沢のあの三方以外に一対一で誰かに負けたことは・・・・少なくともここ十年はないぞ。」

「だとしたら、大した奴を相手にしてこなかったってことだろうよ。俺が、四人目だ!」

一瞬で間合いを詰めた往人が刀を横薙ぎに一閃。

必殺の間合いで打ち込んだ一撃。恰も雷光のような。

普通だったらこれで終わっていたであろう、けれど。

その刀はガッチリと浩平の刀に受け止められる。

キィン。と甲高い音が戦場に走り、聞こえるのは小さな笑い声。

「甘い。いくらなんでも直線的過ぎる。もう少し頭を使ったらどうだ?」

そのまま三,四回と振り下ろした刀は皆相手の剣に受け止め、流され・・・・・・

ニィッと笑われて蹴り飛ばされる。

単純な前蹴り。唯、吹っ飛ばす為だけの。

遊ばれた?と思わず思ってしまうほどの余裕を見せられると頭に血が上っていく。

と、同時に相手の力量のほどもその数合で理解出来ていた。

確かに、祐一が『折原浩平は別格だ』と言っていた意味が僅か数合で理解出来る。

(・・・全力でやるしか、ないか)

騎馬軍同士のぶつかり合いは互角であっても、本隊同士のぶつかり合いはあからさまに劣勢。

中軍からの援軍を得て持ち直したものの、このままでは中央で得ているアドバンテージが無くなりかねなかった。

「雪花!」

自分の持っている全ての魔力を剣先に込める。

その下に作り出される氷狼は今では9体を数えるほどになっていた。

祐一と戦って以来、往人自身北川潤と剣を交し合い、と、同時に観鈴と共に魔術の訓練も欠かしていない。

それによって、扱う事の出来るようになった数は前回の戦の時の倍以上にまで膨れ上がっていた。

「国崎の法術って奴か。子供だましにしちゃマシな方かな?」

余裕満面の相手を睨みつけて、全ての氷狼を一斉に突撃させる。

祐一に何処となく似た、どんな時にも余裕を持った態度。それが彼を苛立たせる。

まるで自分の行ったことをあざ笑うように見えてしまうから。自分の後悔を浮き彫りにされているように感じるから。

「子供だましかどうか、見てもらおうじゃねぇか!」

往人にコントロールされたその、鋼の鎧を噛み切るほどの力を持っている氷狼が大きくその口を開く。

そして、飛び掛る。勢い良く、そして連携を取って。

一体、二体、三体・・・・。

そんな攻撃に、氷狼を一体ずつ切り捨てていく浩平の動きにも段々と疲れは見えてくる。

本来なら一体一体が戦場を駆け回り、敵を屠っているはずの者たち。それを一人で相手されていると言う事実。

しかも、その中で一撃も喰らわずに避け続けていく体裁きに往人も思わず感嘆の声を上げずにはいられなかった。

祐一に敗れて以来ずっと鍛え続けてきた法術。

それにここまで対応されようとは。しかも、一個人を相手にして、である。

(だが、これで終わりだ!)

祐一に敗れて以来考えていた戦術。

圧倒的な強者と出会ったときの為に練っていた・・・・。

「行け!終わりにしてやる!!」

その残った六体は既に浩平を囲むように布陣を済ませていた。

三体を囮としつつ、その間に標的を取り囲む。それは、往人が編み出した戦法の一つ。

一斉に飛び掛る氷狼が浩平の肩を切り裂いて、もう一度同じ場所に舞い戻る。

単純なヒット&アウェイ。けれど、その一撃一撃が命を奪う狼の牙。

思わず呻き声を上げる浩平。流れる血は本物。

二回、三回と同じことが繰り返される頃には浩平も体中に傷を負いながらの戦いと成らざるを得なかった。

勝った。と往人は確信する。上手く避け続けてはいるが、そう長くは持たないはずだ。と

しかし・・・

「なるほど、な。確かに『白い狼』の名前は伊達じゃない、か。正直甘く見ていたが・・・」

ふと向けられた相手の言葉、そして刺すような眼光。

今までと違う『折原浩平』と言う男の出している雰囲気。

「これじゃぁ、俺も本気でやらないと流石に失礼か。なぁ?白狼」

その男が頬から流れてくる血をペロリと舐め取る。

突撃させれば良いはずだ。と思いつつもその命を下す事が出来ない。

何か、恐ろしい物に取り付かれたような、そんな恐怖に包まれていた。







「さて、それじゃぁ質問をしてみようか?」

そんな中、急に放たれた言葉。

よく見ると折原浩平と言う人物は構えを解いて笑っている。

自分を囲んでいる狼をまるで警戒していないかのように。

隙だらけ。なのに・・・・・

(なんだ?こいつ・・・・・)

何も、動けない。

無視して攻撃すれば良い。

そう思うのに・・・・・

なんと答えればいいのだろうか?とそう考えている自分が居る。

納得がいかなかった。精神をコントロールされているわけではないのに、と。

そんな往人を見て浩平は、笑う。

圧倒的なプレッシャー。昔自分が感じたもの。それを目の前の男が感じていることを彼は知っていた。

実際に実力の差はそこまで大きいわけじゃない。力も、技も。

違うのは、経験。圧倒的強者と戦い続けてきた、その経験。

でも、それは戦場においては決定的な違いとなる。

「先の戦、お前達は祐一と切り結んだんだろう?あいつは強かったか?」

クスリと笑った浩平の問いは往人の思い浮かべていたどれとも違っていた。

『何故祐一達を裏切った?』『お前は何がしたい?』

『俺と組んでみないか?』

そんな問いを考えていた往人が思わず相手の問いに顔を強張らせる。

「あ、ああ。お前よりも強かったんだろう?あいつは」

相手に飲まれてはいけない。と言う一念で答える。

相手の自尊心を傷つけるように。

「ああ、そりゃ当たり前だ。仮に俺が十人居たとしても、全てを解放したあいつがマジになったら勝てるわけねぇな。」

はっはっは。と大きく笑う相手の姿が戦場の中で酷く無気味に見えて・・・・。

「ま、問題は祐一の強さじゃねぇ。・・・・祐一が北川潤とか言う奴を切り裂いた時の話だ。」

くすっと小さく笑われる。

その時のことは往人も鮮明に覚えていた。

いきなり姿を消した祐一が気がついたときには北川の後方に居て・・・・

そして、切り裂かれた。

「さて、問題だ。・・・あの時祐一は何を行った?」

クエスチョン!と小さな声を上げつつ左手を上げて、その人差し指をくるくると回す浩平。

そして、そう言いつつ浩平は地面に刀を突き刺す。

そのまま、刀を手放した状態でくるくる回している指を宙に立てて。

「其の一.祐一は誰も見えないような速さで動いて、一瞬のうちに回りこんだ」

大仰に、まるで子供相手に質問をしているかのように。

指を一本増やす。

理性が常に自分に対して『今のうちに攻撃を行え』と言ってくるのに、それに従う事が出来ない。

「其の二.祐一はお前達の誰もがが知らないような魔術を行使した。」

あたかも、ここが戦場ではないかのように。

指を一本増やす。

「最後に其の三.その他、だ。さて、どれだと思う?」

クスクスと、これ以上楽しい事はないと言うように笑って。

そう王国が後継者、折原王太子は、問う。

往人にとってそれらはどれも実現性がないように思えてしまう。

其の一はおそらく不可能だろう。あれだけの人間が居る中、誰にも気付かれることなく移動を行うのは無理だ。

其の二も、魔導士として世界中に其の名を轟かせている水瀬秋子が分からないような魔術の存在は信じにくい。

「其の三・・・・・・だ。」

呻く様に告げる。

先ほどまでの圧倒的優位が何も行動をしていないのに崩れているのは何故だろうか。

さっきまでは勝ちを確信していたのが嘘のようにすら思えてくる。

「違うな。答えは、全部。全てがある意味当たりであって当たりじゃぁない。」

なんだそりゃ。と思わずあっけに取られる。そんなのは最初っから問題になっていないではないか。と

と、同時に、そう言って緩やかに刀を手に取る浩平に対し、往人はついに全ての氷狼に対して命令を行う。

あまりの不気味さにこれ以上何もせずにいられなかったと言うのも一つの理由。

倒してしまった方が良い。この相手は危険である、と。

が、そんな往人の願いとは裏腹に、全ての氷狼が相手を飲み込もうと大きく口を開けた瞬間に、光景が揺らいだのが見える。

目の前には誰も居ない。動いたはずが無い。何故なら、全ての方角から氷狼は迫っていたのだから。

しかし、魔術を使ったような痕跡もまたない。

魔力の波動が全く感じられない。

「全てが正解であり、全てが不正解でもある。これが答えだ」

自分の首筋に刀が押し付けられている。

「・・・・何故だ?お前、何時の間に・・・・」

周囲の王国兵全てから大きな歓声が、帝国兵の全てから悲鳴が上がる。

「これが答えだ。空間跳躍って奴だな。自慢して良いぞ?・・・・・ 俺が戦場でこれを使うのは初めてのことだからな。今までに使ったのは大輔さんと祐一に対してだけだ。」

(最も、一本取れたのは初めてだけど)

心の中で自分に突っ込みつつ、腕に力を込める。

「何だそりゃ。ようは無敵ってことじゃねぇか。・・・ずるいだろ」

ははは。と乾いた笑いを浮かべる往人。

「いや、まぁそれが実際はそうでもないんだよ。これが・・・な。」

軽く苦笑いするのは浩平。

最初に使ったのは祐一に対して。

『今日こそは一本取ってやるからな!』と自信を持って行使した瞬間、自分の喉元には刃が突きつけられていた。

『せっかく使うんだったらもっといい場面で使った方が良いんじゃないか?それに、相手の後ろに出るだけが全てじゃないし』

そんなことを平然と言われ、覚えた瞬間は自分は無敵だと思っていた自分が酷く空虚に思えた。

そんな感情を呼び起こさないようにと、また、自分を戒める為に、と封印していた術。

今、使えるようになったのは自分のおかげではない。

「お前の家が法術師の力を持っているように、俺の家は代々この空間跳躍の術を使う才が受け継がれてきている。最も、ほとんど使えた奴は いないらしいが」

祐一に聞いたところ、ここ三,四百年の間は一人も居なかったと言っていた。

最も、使えなかったと言うよりその性質からか使おうと思った者も少なかったらしいけれど。

使って敵の真後ろに出た所で、それを討ったあとは敵陣の真っ只中。軍を率いる者の用いる術ではなかった。

使えるのはこういった特別な場面だけだろう。

ある意味で、こう言った場面以外の全てにおいて国崎の法術の方が優れているとすらいえる。

そんな事を思いながらニッと笑って前の人物を眺める。

くそ。と悔しそうに唇を噛む往人。

まるで、昔の自分のように。

「お前の能力は対多数用の能力。俺のは一対一専用の能力。お前は俺との一騎打ちを受けた時点で負けていたんだ」

あのまま互いに兵を相手に戦闘行為を続けた場合自分の戦果はこの男に遠く及ばないであろう事を浩平は理解していた。

あの場面で彼のすべきことは自分の相手を部下に任せて、只管こちらの軍勢を打ち倒し続ける事。それで十分優勢だったはずだから。

そんな言葉を聞いているのかいないのか、往人が首を縦に動かそうとする。

人質にされ、味方が不利になることだけは避けなければいけないと言うように。

じりっと食い込む刀から赤い血が流れて・・・

「って、ちょっと待て!お前に死なれる訳にも行かないんでな、とりあえずこれで我慢しといてくれ」

そう言って、浩平は往人の頭を首筋を何度か叩く。

これで数時間の間は目がさめることはないだろう、と手を離して放置。

味方の兵に対して捕縛するように命じると自身は騎乗し




「おい、七瀬!」

「何よ、全く。危なかったじゃないの」

そう言いながらも、留美は浩平の負けを最初っから念頭に入れていなかった。

そんな留美に対して軽く手を上げる浩平。

「ここのこと、後は任せた。俺は別行動に出るからな」

「ちょっ、ちょっと待ちなさい!どう言う事よ!」

「茜に言ったとおりだ。勝ちを作りに行ってくる。立花さんも待ってるだろうしな」

そう言って、ニヤリと笑う。

「大返しだ」




最後に一言、それだけ告げると浩平が自分の軍勢全てに合図を送る。

前もって自分が受け持った部隊の各隊長には伝えておいた事。

合図を受けた各隊は少しずつ、相手に悟られない程度の勢いで部隊を戦場から離脱させていく。

普段であれば、当然気づかれていただろう。けれど、相手の軍には頭が居ない。

彼らの軍が出来て以来、ずっと絶対的な将として君臨して来た支えが。

その混乱しきった部隊。しかも相手の猛将、七瀬留美が今まで以上に強く、強く部隊を叩きつけてきている。

総大将の失われた後に慌てて部隊の統制を取ろうとしている往人の部下達にそれ以上を求めるのは酷というものだろう。

そして、暫くすると浩平の部隊の大半は反転、離脱。残されたのは留美の五千の騎馬兵。

相手は指揮官が抜けたせいか士気が下がっている、とは言え、未だ倍の兵士を抱えているだけあって厳しい。

「やって、やろうじゃないの」

ここでやれなきゃ自分が居る意味はない。

「全軍、気合を入れなさい!このまま相手を押しつぶしてやるんだから!!」

相手と違って士気が上がっている王国兵。

何しろ、彼等の信頼する王太子は勝つ為に動き出した。で、ある以上其の間戦い続けるのが自分達の役目であることを彼らは知っている。

再度、戦が始まる。

大将が居ない戦。それなのに、むしろ激しさは増しているかのようにすら見えた。




この時点で、帝国軍の中軍は予備兵のほとんどを南方軍に投入している。

北方は互角、中央は優勢。相手が優勢に立っている南方を押し返せば勝ちは見える。

其の意識の上で、水瀬秋子は自らの軍勢、三万のうち二万近くを南方に投入。それによって、一時期の敗勢はなりを潜める。

が、一方で帝国軍中軍の兵力は全て合わせても四万を少し超えた程度。前線を破られた時には薄くなった本陣が見えてしまう状況。

そして、戦の変動は誰もが思っていなかった北方から起こる。







(そろそろ・・・・そろそろだろうか)

戦の真っ只中にあって、立花勇はふと感じる。

彼と浩平は幾度となく共に戦っている。

何しろ、祐一の副官と言う立場に常に身をおいていたのだから当然のこと。

そんな彼だからこそ、浩平の戦をよく理解している。

そして、その予想を祐一が、直接的ではなかったものの示唆してくれてもいた。

「・・・全軍、総攻め。」

小さな声で一度。周りの者が慌てて聞き返す。

決心がつかなかった。何しろ、ミスした場合その代償は自分の命ではなく祐一様やその伴侶の方々の命。

しかし、やらなかったら結局戦は勝てない。少なくとも、負けなくても勝つことは出来ない。

それでは、ここに出張ってきた意味が、それ以前に戦をしている意味がない。

だから。

「・・・全軍、総攻めだ!」

もう一度、今度は原の底から振り絞るように大きな声で叫ぶ。

「後陣の上月将軍にも伝令を飛ばせ!全軍でもって勝負を掛ける!」

『応!』と大きな声が周囲から掛けられる。

ここに居る者達は皆公国時代からの戦友達。

だからこそ、彼の命令に逆らうことなく動いてくれる。

例えその意思が汲み取れて居ないとしても。

「全ての部隊を纏めろ!久瀬の軍勢に総攻めを掛ける!」

そう言うと槍を振り回して先頭を駆けぬける。

一万五千・・・いや、二万の軍勢が一本の矢となって五千の軍勢を叩き潰そうと動く。

防御も何も考えない無慈悲で強力な一撃を。







その行動を見て面食らったのは開戦以来ずっと力を貯めに貯めてきた北川潤の軍勢。

自軍に対する備えが少しでも弱くなったら。相手の軍に少しでも隙が出来たのなら容赦なく叩き潰してやると虎視眈々と狙っていた。

その相手が、いきなり自分達のことを歯牙にもかけないように動き出し、五千の久瀬隊を襲い始めている。

「将軍、このままですと久瀬伯の軍勢が壊滅致します。直ちに増援を!」

そう言ってくる将官に黙って首を振る。

「俺達がここにいるのは常に敵本陣を狙う構えを見せる事で敵の戦力を削ごうとしてのことだ。それが今、俺達への備えを全く考えないで 動き出しやがった。んなら、俺達は当然あそこを狙わなけりゃ意味がねぇ」

そう言って、潤が一点を指で示す。

王国が北方軍、その本陣を。

「今なら相手軍はせいぜい千とそこらだ。これなら、俺達の軍勢で蹴散らせる。逆に、あそこを攻めれば攻勢に出ている敵も 戻らざるを得ない。と、なればこっちが挟撃体制に入る事も可能。」

納得したかのように頷く周囲の将が一斉に馬に乗る。

既に、兵達は何時でも出陣出来るようになっていた。

「よし!こっちも行くぞ。相手の姫さんにご挨拶してやろうじゃねぇか!」

こうやって作り上げられた戦場は酷く不恰好な物となった。

敵軍の最前線に龍のような激しさをもって喰いついた王国軍。そして、その尾に喰いつこうとしている帝国軍。


なぜか、誰かが笑っているような、そんな嫌な予感が潤の脳裏を過ぎっていた。







「・・・・ちょっと早い、な。いや、あっちが遅れたのかも・・・はてさて」

一方で祐一も嫌な雰囲気を感じていた。

昔の自分の副官が行った行動自体は間違っていない。が、もう少し・・・あと13,4分遅いくらいがちょうど良かったと思った。

この時間が勝敗を分ける。それが戦場と言う生き物だとも思っている。

「ま、対処可能な範囲の誤差、か。」

「祐一様?」

思わず口をついて出た言葉に隣に座していた美汐が怪訝そうな顔をする。

が、特にそれに答える事をせず・・・

「麒麟児が来る。佐祐理さんも顔を隠した方が良い」

佐祐理に向かってそう一言。

麒麟児。その一言で誰もが理解。

帝国が最強の武人。『剣持ちし麒麟児』

北川家が嫡子、北川潤。

その武人としての名前はおそらく名将と謳われている彼の父親に匹敵するほどだろうか。

「北川さんが、ですか?」

来る。それは、本陣まで踏み込まれる事だろうか?と佐祐理が表情を変える。

北川潤は戦場における勇者。そんな人にここまで乗り込まれる状況になることは敗北を意味するのではないだろうか?と。

「立花さんの総攻めがちょっと早い。と、同時に浩平の返しがちょっと遅いな。だから、互いの連携に誤差が生まれてる。 この分だとおそらくちょっと間に合わない。」

そう言いながら、祐一は指を使って立花勇と折原浩平の戦術を空中に展開する。

壮大な戦術構想。おそらく、実現させたものはいないであろう。

が・・・・と祐一は一つ心の中で舌打ちを一つして・・・・

(なるほど。20年後・・・・・まぁそういうこと、だろうな。)

二人の戦術眼、武勇は全く申し分ない。けれど・・・・・・

(まだ、時を読む技には長けていない、か)

ふぅ。と一つ息を吐く。

やっぱり、戦の前に感じた自分の出番がある。と言う嫌な予感は間違っていなかったようだったから。

そんな風に祐一が考えている中、その内容を逸早く理解して、軍略に通じているはずの佐祐理までもが思わず唖然とする。

主力軍勢が戦線を一時離脱。逆側の戦場に一挙大返し。

押していたから、長森瑞佳の力があって、そこに相手の予備兵のほとんどが費やされていたからこそ成り立つ戦。

しかも囮に折原みさおと言う最上級のものを用意しての。

しかし、壮大であるからこそタイミングが非常に難しくなる。

そして、今回は明らかにタイミングがずれてしまっている、とも。

だから備えをしないとまずい。と祐一はとうとうと述べる。

「・・・祐一君、私はこのままここを動かないで居ても良いでしょうか?」

みさおはそう問いかけながらも自分は動いてはいけないことを理解している。

大将が退いてしまった時、それは戦の負けを意味するから。

「・・・・まぁ、身内のミスは身内同士で埋めなきゃまずいだろうし、な。何とかしてみせるよ。」

安心させるように不器用な笑みを浮かべる祐一。

でも、その笑みは誰もを安心させる、そんな笑みだった。







「将軍!敵騎馬軍団が本陣に・・・・」

告げてくるのは王国から派遣されている将の一人。

近くには、合流して来ていた澪の姿もある。

「それについては問題はない。とにかく、久瀬伯の軍勢を打ち破ることだけに集中せよ。」

ある意味で冷酷とすら聞こえる言葉。

告げながらも感じてしまう自身の不安を策を示唆してくれた少年の顔を思い浮かべる事で何とか追い払う。

平静に、冷静に。誰よりも、冷静に。

もう一度、総攻めを行うよう。と周囲に告げた。

その言葉に憤慨するような将が怒鳴り声を上げて掴みかかる。

「あそこに居られるのは我らの姫君だ!・・・もう良い。それならば我が手勢だけでも救援に向かわせて・・・」

と、其の言葉を言い切る前に澪が肩に手を置いて首を横に振り・・・・。

「な!上月将軍!」

驚いて振り返る壮年の指揮官にもう一度首を振って、前もって用意しておいた紙を目の前に突き出した。

『立花様の言う事には何があっても絶対従うようにってみさおちゃんも言ってるの』

最初っから用意していたその紙。

澪とて、当然心配は心配。

でも、彼女は祐一の副官として、家族として十数年公国に尽くしてきたこの男性を信じている。

この人のやる事が間違う事は無い。と。

だから、澪は前方を指差す。今を置いて、敵軍を壊滅させる機会はなかった。

突然の進軍に敵の本隊、五万の兵が混乱している今を置いて。

そして、こちらを寡兵で支えている久瀬有人の五千の兵を崩してしまえば、この戦は勝ち。

そんな決意を秘めて毅然と見据える澪の目線に思わず他の将が一歩後ずさる。

誰もが、この目の前の若き将軍と王女殿下の結びつきを知っている。だからこそ、そんな彼女の言うことには逆らえなかった。

そして、数瞬。諦めたように王国の将達も視界を前にやる。

「亡き白騎士団長と相沢祐一様の名前に誓って。もしみさお様に何かございましたら我が命で持って購いましょう」

そう言って頭を下げるのが公国一の騎士と謳われた勇者であることは将の誰もが理解していた。

だから、その言葉に頷くと前方に向かって駆けて行く。

「有難うございます。澪様」

ほっとした顔で勇が澪の方に頭を下げた。

自分一人では説得しきれたか分からない。急遽自身の軍から馬を飛ばして駆けつけてくれたこと自体がファインプレイだろう。

そんな感謝を。一方でその感謝を受けられた方もにっこりと笑みを返す。

この人は、自分に対してもみさおちゃんに対しても、佐祐理さんや佳乃ちゃんに対しても同じように接してくれる。

澪は、その理由を知っていた。

『祐一様の大切な方』

そのくくりの中に自分も一緒に入れてくれている事が嬉しかった。

『こちらこそなの。』

澪がそう返すのを笑顔で見た後、彼もまた敵軍に飛び込んでいく。

澪は手勢を纏めると敵軍本隊からの増援を阻害するように部隊を動かす。

後ろの心配はしているけれど、大丈夫だ。と信じていた。

だって

(祐一君が居ればみさおちゃんに触れられる人なんて一人も居ないの)

そう、心から思っているし・・・・。

それに、それは絶対的な事実なのだから。

彼女と彼が出会って以来、ずっと。

彼は彼女を守ってくれている。本人が自覚しているかはわからないけれど。

それが、澪には分かる。

だって、彼と彼女が出会って以来ずっと、澪自身もその場にあり続けていたのだから。







「やれやれ。責任重大だな。全く」

前方から感じるプレッシャーは相当強い。

「だ、大丈夫なのですか?こちらの軍勢はもうあまり残っていないのでは・・・」

慌てる美汐は初めて見たな。と、こんな時に何故か感慨深げに見てしまう。

一方で、近くに居た佐祐理は、そういえば。と思いをはせる。

昨日、祐一さんが立花さんに与えていた薫陶のことを。

「なに、大丈夫だろうさ。立花さんが一応仕掛けも施しているからな」

は?と美汐が顔を向けてくる。

まぁ、見てれば分かるさ。と前方を眺める。

敵軍がこちらに突入するのはもう目前のことだった。







「良し!突入!」

一方で、彼・・・北川潤はこの戦はもらった。と思っていた。

敵軍は自分達の突撃に槍衾を構えて待っている物の、大した人数でもない。

(あれなら、破れる)

そう思って、全軍にそのまま突撃を行うように命じた。

歩兵の槍衾は馬を待ち構える時に有効ではある。しかし、それは歩兵の方が多い場合。

敵が同数、又はそれ以上の場合、歩兵で作った槍衾など、騎馬軍団に蹂躙されてしまうものだ。

今回の場合も全く予想に違わず、最初に一撃で柵が弾け飛ぶのが遠目にも見える。

矢を受け、槍を受け、又は柵に当たって数十人くらいは落馬したかもしれないものの、所詮は其の程度だろう。

そのまま後方へ武器を捨てて逃げ惑う兵達を騎馬兵が後ろから襲ってくる。

騎馬軍団の圧勝。誰もがそう思う。

そう、破った側は、誰もが。







「あの辺り、だろうな。」

祐一が逃げ惑う味方兵の居る辺りを指で示す。

「あの辺りにおそらく何か仕掛けているんだろうと思う。」

そんな無責任な言葉。

てっきり何があるのかを理解しているのだろうと思っていた美汐が思わず仰天する。

「お、思う・・・とは?」

「あー・・・実際に見ておこうと思ってたんだけど、佐祐理さんと碁打ってたから見てないんだよ。だから、見てのお楽しみってことで。」

その言葉に思わず誰もがポカンと口を開いて。

「え、あ・・・さ、佐祐理のせいなんですかー!?」

きょとん。と一瞬の空白を置いての佐祐理の叫びはおそらく心からのものだろう。

「で、では・・・もしも何の備えもしていなかったとしたら・・・」

其の言葉に祐一がああ。と、思いついたように手を打って・・・

「ま、当然全員お陀仏だろうなぁ。」

はっはっはっ。と愉快そうに笑い声を上げるのは少年。

誰もが呆れのあまり言葉もなく。

四人とも無言のままに。

そして、相手の騎馬部隊が祐一の指し示す場所に到達しようとしていた。







(なんだ?ありゃ・・・)

一方で、潤は馬で駆けながら不思議そうに前方を眺める。

相手の本陣に全く動きがないのだ。

(・・・・どういうことだ?)

分からない。相手の意図が。

敵軍だとしたら当然王女を逃がすべきだし、そうしない理由はないだろう。

けれど、本陣には動きがない。逃げようと言う反応すら見えていない。

しかも、遮ろうとする部隊すら現れてこない。

と、其の時ふと嫌な予感がした。・・・と、言うより、鼻が悪い匂いを嗅ぎ取った。

「・・・・油・・・・!?」

気がつくと壊走したはずの敵軍の動きは前方、と言うより側面に移動し始めている。

そして、その弓部隊が構えようとしているのは・・・・

「火矢・・・・!」

嵌められた!と唇をかみ締める。

周囲の者達は皆前方にある『手柄』に目を奪われているのか気づいてすら居ない。

「全軍!さが・・・」

そんな連中にさがれ。と叫ぼうとした瞬間。其の瞬間、馬の足が何かを踏み破るような音。

バリン。と。まるで空中を踏んだかのように。

気が付くと、体が馬から離されていた。