第一三話








「折原王太子殿下が軍の中に存在していない・・・ですか?」

最終的な諜報からの報告によって大体敵軍の構成、動きは伝えられてきていた。

問題は、当然相手軍の総司令官であるはずの英雄の存在がつかめてないと言う事。

当代最高の名称である水瀬秋子の智謀を持ってしても、まさかこの重要な時期に相手の総司令官が自分達の本拠に忍び込んでいたとは 想像出来ようはずも無かった。

「ですね。中軍が里村将軍の3万余。北方からは折原姫将軍が2万余。そして南方からは長森将軍がこれも3万弱の軍勢・・・ しかし、王太子のことはともかく想像以上に敵の軍勢が多いのは・・・」

苦々しげに話す一弥に秋子が、名雪が香里が・・・思わず顔を顰める。

「隠された部隊が存在していたか、又は予想以上に義勇兵の数が多かったか・・・ですね」

その秋子の答えに一弥が一つ、頷く。

「それだけ、私達に反抗する力が強い、と言う事ね。嫌われるようなことをして来た以上しょうがないんでしょうけど」

自嘲するように言葉を紡ぐ香里に対して答える者は誰も居ない。

だって、それは誰もが思っていた事だったから。

「でも、でも・・・私達がもしも戦に勝てば・・・もう戦は起こらないんだよね?お母さん」

それだけが救いであるかのような名雪の言葉はある意味、真実。

敵を全て倒せば・・・帝国の旗の下に全ての国が一つに集えば戦は起こらない。

でも、元より戦をする気などなかった者達に一方的に戦を仕掛けていったのは自分達だった。

(私は・・・地獄に行くのでしょうね。大切な甥を殺し・・・娘達をこんな所に放り込んでしまった私は)

神殺し。天に唾吐く行為。

その罪を全て自分一人に与えられんことを・・・・。

せめて、周囲の人達の罪も自分が背負えますように。と願う。

「そう・・・ですね。とにかく、私達は今自分が出来る事をしましょう。」

顔に浮かべた笑みは・・・しっかりと自然に振舞えているだろうか?

そんなことをふと考えながらも乾いた笑みを浮かべる事しか今の秋子には出来なかった。

彼女自身にも、どうしてこんなことになってしまったのかが理解しきれていなかったから・・・・







そんな暗い雰囲気の者達とは打って変わって、一方の軍ではまるでピクニックのような会話が続けられている。

しかも、周りの者もそれを微笑ましげに眺めている。

ある意味、公国以来これは彼らの特徴と言えるのかも知れない。

「佐祐理さん、こっちは終わったよぉ〜」

みさおから預けられた鍋をよたよたと抱えて歩いてくる佳乃を佐祐理が迎え入れる。

大鍋なだけあって、多少は重い。

少なくとも、祐一に軍事訓練を施される前の佳乃にはもつことは出来なかったであろうほどには。

「はい。佳乃さん、有難うございます。・・・う〜ん。ちょっとお塩が足りないですねー」

そして、受け取った佐祐理がぺろっと一舐め。ちょっと眉を潜めて塩を一つまみ、鍋の中に入れる。

「うぅ〜。佳乃りんもお料理してみたいよぉ」

常に配膳やお手伝いに回される佳乃。

自分としてはお料理は苦手ではないはずなのに。とちょっと不満そうに頬を膨らませる。

だって、何時もおねえちゃんは『佳乃の料理は美味しいな』と涙を流して食べてくれたし、祐一君達に料理を振舞ったときも お姉ちゃんは『ほら、皆佳乃の料理に感動して二の句がつげないんだぞ』と褒めてくれた。

なのに、誰も自分に料理をさせてくれない。それがちょっと不満。

「あははっー。佳乃さんにも、戦が終わったらお料理の仕方教えてあげますからねー」

何時もこう言って笑われてしまう。別にお料理は苦手ではないのに。と小首を傾げる。

でも、佐祐理さんやみさおちゃん、美汐ちゃんの作ってくれるお料理はとっても美味しい。

だから、ま、いいか。と納得してしまうのだった。

「今日はシチューですよー」

嬉しそうに笑う佐祐理。向こうではみさおと美汐が楽しそうに笑いながら野菜を刻んでいる。

その頃には匂いにつられて人がちょこちょこ集まってきていた。

佳乃の役目は、彼らの椀にシチューを盛ってあげること。

実際に、彼女達がそういう行動をしたところで、その食事を口に入れるのは軍勢三万の中のせいぜい毎日二、三〇〇程度だろう。

けれど、そんな一つ一つの行動が人の絆なんだ。と祐一なら言うのかもしれない。

普通であれば、軍の上に居る者は自分で飯を炊き、小屋を作る事等するはずがない。

そんな中、彼女達は自ら食事を作り、足手まといながら力仕事も一生懸命・・・と、言うより共同作業を楽しむかのように行っている。

否応無く、この軍の士気は上がっていた。







そんな彼女達の陣幕の戸を叩く者があったのは夕食を済ませ、誰もが陣幕に引き上げた後。

相談しなければいけないことがある。と告げてきた自らの将軍をみさおは快く受け入れた。

「立花様、とりあえず中に入ってください。お茶を今お出ししますから」

その言葉に軽く首を振る男性。

「今は甲冑を着ております。具足を脱ぐほどのことでもありませんから。この場で失礼させて頂いても宜しいでしょうか?」

クスッと佐祐理が、みさおが笑う。

如何にも彼らしい。と思えたから・・・

床几を用意し、そこに座って貰って、自身も黙ってその場に座す。

「それで、どう言ったご用件でしょう?大抵のことならお任せさせて頂きましたけれど・・・」

軽く小首を傾げるみさお。

「はい。・・・澪様が万が一間に合わなかった時のことを・・・と」

なるべく想像したくないことだった。だって、祐一君や澪さんは絶対大切な時には帰ってきてくれると信じているから。・・・・・・一応、 お兄ちゃんも。

当然、そんなことは目の前の男性においても百も承知。

しかし、戦場において、起こりうる・・・例えそれが万分の一の可能性であっても可能性があるのなら、それは対応出来るようにしなければいけない。

それが、彼の・・・彼等のポリシーである。

「そう、ですね。・・・ごめんなさい。私が本来なら言い出さなくちゃいけないことです。」

こう言った時、直ぐに謝ることが出来るのは美徳である。と、佐祐理は思う。

そして、それについては出陣が決まったときから考えていた事があった。

帝国の姫、と言う立場を離れて、大切な人達の家族としてだけの生き方を見つけ出してからずっと。

「佐祐理に、任せていただけませんか?」

一度だけにっこりと笑って・・・目を瞑って胸の前に手を組む佐祐理。

「あ、勿論、祐一さん達は帰ってきますから。あくまで、もしものことですけど。」

「でも、佐祐理さんは・・・」

思わず顔を曇らせるみさおの感情は、当然。

相手軍を率いている将帥は皆佐祐理の兄弟であり、師であり、仲間であるのだから。

信頼していないわけではない。疑ってなど勿論ない。

けれど、それによってこの人の心は傷ついてしまうのではないか?と思ってしまう。

「佐祐理は、いけない子なんですよー。・・・だって、あっちに一弥が、秋子さん達がいるって分かっているのにみさおちゃんや佳乃ちゃんや美汐ちゃん、 澪さんや祐一さんの事の方を一番に思っちゃうんですから」

そんなみさおに、そう言ってあははー。と苦笑する佐祐理の目には、迷いが無かった。

そして、だから任せていただけませんか?と聞いてくる佐祐理。

残酷な事に、これ以上の適任者は存在していなかった。

最も、ここに居る誰もが、これはあくまで暫定に過ぎない。実現する事は無いと言う事を誰もが理解していたのだけれど・・・。

それがはっきりと明らかになるのはもう少し先のことである。

でも、この佐祐理の覚悟は周囲に勇気を与えていた。

絶対に負けるわけには行かないんだと。







そして、軍勢は一同に集結して行く。

互いが、その場を会戦の場と最初っから定めているかのように。

その場の名前は、『聖者の丘』

神話の世界において、クレスタで魔族の進行を跳ね返した人々が、魔族を現王国領から追い落とした大会戦が行われた場所であった。

王国軍約九万。

正史上最大規模の大会戦。帝国軍が到着していないにもかかわらずそれを予感させるような錚々たる布陣だった。







「流石に壮観だなぁ。・・・・王国軍が到着してそれが十万弱。それだけでこの光景なのに、あと数日で帝国軍も来る。」

丘から少し離れた崖の上からそれらの軍勢を眺める三人。

「そう、だな。俺も二十万を超える軍勢が一同に終結するのを見るのは初めてだ」

「先の大戦でもお前が望んでいたとしたらこうなっていたんじゃないのか?あの時と今の違いは・・・」

『祐一君や大輔様が率いる立場に居るか居ないか、なの』

その通りだ、と頷く浩平。

戦場において重要な事、兵の数、練度。それらのことは当然無ければいけない。

が、それ以上に大変なことは、その軍勢を手足のように扱う事が出来る将の存在。

千兵は得やすく、一将は求めがたしとは事実なのであろう。

「白騎士団も居ないな。おそらくみさおが置いて来たんだろう」

ふ、と。戦場になるであろう場を見ていた祐一が呟く。

「なんだ?お前、ここからで分かるのか?」

驚くように声を上げてくる浩平に対して苦笑。

「いや、何か、な、あの人達は分かるんだよ。独特な気を纏っているからな」

少なくとも、あの九万の布陣の中には存在していないと思うぞ。と小さく笑う祐一。

そう言いながらも、あの人達が・・・・・あの祭り好きな人達が黙って訓練の場で鍛錬を続けているだけで終わりにするとも思っては居なかったけれども。

そんな祐一になんじゃそりゃ?と苦笑する浩平と、同じように苦笑する澪。

でも、まぁ、彼等の固いつながりを考えればそんな物かもしれない。とも思う。

「さて、行こうか・・・浩平。おそらく皆さん俺達の弔い合戦のつもりでもいてくれるようだし、な。」

明らかに軍から滲み出てくる気迫が普段と違う事が三人共に分かる。

元公国の兵達は自分達の不甲斐なさから主家が滅びてしまった事に対する慙愧。 王国の兵達は公国の滅亡を指を咥えてみていたことに対する怒り。

「そりゃ、そうだ。俺からしても大輔さんの弔い合戦はしてやらなきゃいけないからな」

浩平の言葉に澪も勢い良く頷く。

澪からすれば、先の大戦で何もしていないと言う悔しさもあるだけにその想いは一際強い。

「そんな理由で戦われても困るんだがなぁ。俺達は自分の思い通りに命を散らせたつもりだったし、戦後の流れも 王国への無謀な出兵と言う事実を除けば理想どおり。それで怒りをぶつけられては秋子さん達に悪い」

やれやれ。と戦後何度も言っている事を呟く祐一。

思えば、自らの副官だった青年も『祐一様や大輔様のお考えは理解しております。が、水瀬侯爵達に対する憤りは未だあります』と言っていたし、 おそらく事情を知っている公国の兵の大半が同じように考えているのだろうか。

そんな気持ちが分かるような分からないような、不思議な感覚だった。

祐一からすれば、先の戦で亡くなった公国の人は帝国軍が殺した、と言うより自分が殺したに等しい、とすら思っている。

だから、その咎が叔母達に行っていると思うとどうも申し訳なくてしょうがなくなってしまうことがあった。

「ま、とにかく、・・・合流しないと、な。どうやって合流したものか・・・」

そんなことを色々と考えながらも溜息を一つ。

問題なのは、今これからの自分達の行動だろう、と。

少なくとも、立場は明かせないからなぁ。と困惑する祐一。

「ああ、それについては大丈夫だ。我に秘策ありってやつだな。」

ニィッと笑って胸を叩く浩平。

浩平が自信有り気にそう言うとどことなく不安はある。が、一方で祐一には特に策がないのも事実。

澪に目を向けると『仕方ないの』という様に目で伝えてくる。

そして、祐一も仕方なく頷かざるを得なかった。







「皆さん、ご苦労様でした。」

そんな中、王国軍の一陣・・・本陣の中では真ん中に座った茜が将官に対して労いの言葉をかけている。

集まっているのは、各軍のトップだけ。

みさおの軍からは二人しか出ていない。本来出るはずの立場にある一人と、浩平が無理矢理参加させていたであろう一人は未だ姿を見せていなかったから。

「相手の軍勢は予定通りですね。あと二日もすれば到着することでしょう。戦力は互角・・・いえ、こちらの方が少し悪いくらいでしょうか・・・」

特に、南軍の戦力は相手の方が圧倒的に高いだろう。と思う。

「浩平が居れば、帝国南軍の国崎往人将軍とも渡り合えたんだけどね・・・。」

難しいね。と苦笑する瑞佳。

心の中には、浩平に何かあったんじゃないか?と言う心配が渦巻いている。

間に合わない、と言う事は考えていない。相沢祐一と言う人物のことを瑞佳は心から信頼している。

あの人がついていて、浩平が何らかの失態を犯すことはありえないであろう、と。

・・・と。

「ん?何か騒がしいわね。兵同士の喧嘩でも起こっているのかしら?」

ふと、外がざわめいているのを感じ、留美が陣幕から出ようとする。

が、それより前に・・・

「申し訳ありません!会議の途中であることは重々承知していたのですが・・・」

陣幕の外から内部への声がかかる。

「先ほど、な・・・・南軍より伝令がありまして・・・怪しげな三人組をひっ捉えた、と。」

別に珍しい事ではない。と、誰もが思う。

相手軍のスパイが潜り込んでいる事など当然のことだから。

問題は、それをわざわざ自分達に言いにきた理由。

「しかし・・・どうも、そのうちの身なりの良い男・・・・・いえ、三人ともそれなりに整った格好はしているのですが・・・・とにかく、その一人が王太子妃殿下や王女殿下の尊名を 恐れ多くも直接呼び、『会わせろ』と叫んでいるようでして・・・」

とりあえず、捕縛致しましたが・・・。と言う声を聞いてみさおが、瑞佳が思わず立ち上がる。

「やはり、間に合われましたか」と言う男性の嬉しいような、感嘆したような声が陣幕の中に響いた。

そして、みさおの「佐祐理さんと佳乃さん、美汐さんを呼んできてくださいますか?」と言う声に緩やかに頷く。

その瞬間、誰もがこの戦の勝利を確信していた。







三人の姿を最初に見た瑞佳が思わず『わっ』と声を上げる。

「とりあえず、その三人を連れてきてください。尋問はこちらでします」と言う 茜の答えを受けた者によって三人が連れてこられたのはその三十分ほど後。

浩平が縛られている。その光景は見慣れたもの。

問題は、その後ろに背中合わせで後ろ手を一緒に縛られている一組の男女の姿。

男性の方が明らかに怒っている。

猿轡を噛まされて、後ろ手を女性と一緒に縛られる。こんな屈辱は彼の人生において一度としてなかっただろう。

思わず笑いそうになってしまうような光景。

でも、怒りの矛先を向けられている方はたまった物じゃないよね。と、体を震わせて視線を受け流している男性を眺めて、俯いて溜息を一つ。

一方、一緒に縛られている澪は困惑したような、それでいて何処か嬉しそうな。そんな姿を見て茜が苦笑い。

そして、慌ててあたふたと猿轡を外し始めるみさお。既に人払いは済んでいるので、そんな態度を見せても問題はない。

慌てて外そうとしている為手元が覚束ないのかたまに祐一が苦悶の表情を浮かべる。

そんな姿を見た瑞佳がため息を一つ吐くと短刀で猿轡を断ち切って、同時に縄も断ち切ってやる。

ちょっと残念そうにしている澪の姿が印象的だった。







それからの騒ぎはテンヤワンヤなもので。

知らせを聞いて雪崩れ込んできた佳乃が祐一に飛びついて

みさおがちょっとテレながら近づいて

澪は佳乃に奪われそうな祐一の右腕をギュッと引き寄せる。

美汐に対して祐一が軽く拳を握るだけでと美汐が目を覆って泣き崩れた。

佐祐理は、栞を助けたことを聞いて嬉しそうな、それでいて栞の心の内を知ることからの罪悪感も少しと言った感じ。







一方で、こんな状況を作った元凶に対する扱いは、厳しい。

祐一や澪が縄を解かれる中放置された浩平がようやく解放されたのはその数分後。

でも、そこまではある意味予想通り。

だって、それは何時も行われている事でしかなかったから。

だから、その場で行われている事を見て、現実の物だと理解出来た者は祐一以外誰もいなかった。

「悪かった!」

唯、単純に。

土下座。

それも、地面に頭を擦り付けるような、本当の土下座。

「ちょっ、ちょっと、何いきなりシリアスになってんのよ。アンタらしくないじゃない!」

慌てて叫ぶ留美の言葉が空虚に響く中、祐一は温かく、笑む。

ようやく、上に立つ覚悟が、自覚が浩平に生まれてきた事に。

それは、直接的に能力に関わるものではない、という人もいるかもしれない。

でも、覚悟と言うものが持つ力を祐一は知っている。

この時に、故相沢大輔に『俺よりも軍勢を率いる才覚は上だ』と言われた王国一の才能が本当の意味で・・・

『覚醒』したのかもしれない。

余りの事に全体が言葉を失っている中そんなことを考えながら、祐一は浩平のことを抱え、起こす。

あの夜に行った会話が、行動がこのことに繋がっているとしたら嬉しい。と思った。




起こした浩平の脇腹を膝で蹴り上げるのはそれとは全く異なる理由から当然行ってしかるべき行動だったけれども。







そして、その夜。

祐一は一人で急遽与えられた北方軍の陣幕の中に居る。

目の前には碁盤。

対面にはまだ、誰も居ない。

一つ目を閉じるとあの4人の顔が浮かんでくる。

自分が居ない間に随分成長した。そんな気がする。・・・・そう、これなら自分が居なくても大丈夫だと言えるほどに。

「祐一様」

自分の想像に思わずクスリと笑いを浮かべると同時に陣幕の外からかかる声。

「ああ、立花さん。とりあえず入っていただけますか?」

そういわれて、慌てて具足を脱いで入ってくる勇。

祐一が入ってほしいと言うからには、外にいるままで話をするようなことではないのだろう。と。

外にいるままで伝えられることであれば、わざわざ入るようにとは言わない。

この人の言葉には常に何らかの意味が込められているのだから・・・と部屋に入って。

「・・・碁、ですか?」

そして、目の前に置かれている分厚い碁盤を見て目を白黒。

「最初に教えてくれたのは貴方でしたよね?・・・・・・ちょっと久しぶりにやってみようと思いまして」

それで呼んだんですよ。と言って小さく笑う祐一。

「今更祐一様と碁を打っても勝負にすらなりませんが。・・・・何しろ初めて一ヶ月で私より強くなられましたから」

あはは。と苦笑しつつも対面に座する。

「それでは、三子置いてください。どうせ真剣にやろうと言うわけでもありませんから」

そう言って、黒石が三つ並べられるのを見届けて白を持った祐一が左上隅の星にパチリ。と。

楽しそうに碁を打つ主を見ると、彼自身も『ま、いいか』と言う感じになってしまう。

戦前の息抜きもまぁ大切だろう、と。

パチリ。パチリ。と石が盤に置かれる音。

そんな中、急に口を開いたのは祐一。そういえば、と。

「白騎士団は何処に隠しているんでしょうか?みさおは動かさないと言ってましたけど、貴方のことですから保険は立てているのでしょう?」

くすくす。と笑みを浮かべたままそう言ってもう一度パチリ、と石を打つ祐一に『参ったなぁ』と言うように勇が苦笑いを浮かべる。

「・・・・・やはり、分かりますか。ええ、三百ほど一応動かさせて頂いております。最も、万が一に敗戦の様相を呈した際にみさお様方をお救いする為のものですが・・・・」

分かっています。ともう一度祐一が一つ笑う。

元よりそういうことだろう、と思っていましたよ。ともう一度笑って、石を打つ。

結局、時間にして小一時間。その間にやって来た佐祐理が感心しながら碁盤を覗いていた。

他にも佳乃が一緒に来ていたものの、碁には興味がないのか、それとも煩くしたら悪いと思ったのか、みさおの所に帰ってしまっている。

「はぇ〜・・・祐一さん、強いですねー。佐祐理は七子くらい置いてもらわないと勝負にならないですよー」

終わってみれば3目差で白の勝ち。

「ここの差でしたかね?・・・これで右辺をやられて・・・」

そう言って一ヶ所を指差す勇。

「この一子、打ったときには何もないように見えて、でも凄い効いています。祐一さんは最初っからこの展開を睨んでこの手を入れたんですか?」

しかし、と勇は思う。

確かにこの一手の効果は結果的な後々への影響を考えれば相当に大きい。多分、後々を考えれば20目以上・・・。

しかし、他にも手は・・・それも、もう少し大きいであろう手はいくつかあったような気もする。それなのに・・・と。

「そうですね。この一手、他にももっと大きい手はあったと思いますよ。」

そんな心のうちを読み取ったのかくすっと笑う祐一に二人が不思議そうな顔をする。

「この手、もし、ですが。・・・仮に最初っから・・・戦が始まる前から置かれていたら効果は甚大でしょうね。 ・・・最も、一手交代の碁ではそんなこと出来るわけ無いんですけど」

何か不思議な感じがする。・・・・そう、まるで碁の話をしつつ、別の話をしているような。

そう、碁では出来ない。それは、当然碁が一つの盤上競技であり、一手交代に打つと言うルールの下で成り立っているから。

「それにしても、明日の戦・・・おそらく相手のハンデは三子。ちょうどこれくらいでしょうか、ね?」

でも、戦場ならどうだろうか?

祐一はそう言っている。

おそらく、目の前の主には戦の展開が予想できているのだろうか?その上で自分に薫陶を与えようとしている。

局面を見る。

この一手の意味合い。石の流れ。

相手は3子のハンデを利用して上辺、下辺からの攻めを狙ってくるだろうか?今回の自分のようにそこで地を稼いで・・・・

中央は五分に持ち込めば十分であろう、と・・・・。

そして、祐一の言葉をもう一度考える。

では、こちらがそれを跳ね返す為にはどうしたら良いだろうか?と。

「・・・・・・・申し訳ありませんが、石の片付けをお願いしても宜しいでしょうか?」

その言葉に、祐一は笑みでもって答えとし・・・・・

そのまま彼は駆け足で陣幕から立ち去っていく。

遠くの方から人を集める声がしていた。







「祐一さん、イジワルですね。」

彼が出て行った後の陣幕の中。

ジャラジャラと石がぶつかる音の中で呟くように告げる佐祐理。

「直接教えて差し上げれば良かったと佐祐理は思いますよ?」

遠くからは夜の静寂の中、喧騒が聞こえてくる。

相手にばれないように、それでいて効果がしっかりあるように行動するのは手間がかかるだろうか?

「別に、俺は碁を打っただけですよ?何もイジワルなんてしていませんって」

思わず何時もの癖で両手で掴もうとしたのか、盤上に零れ落ちる石を、佐祐理が集めて、片付ける。

「もう、祐一さんっ!」

叩く真似を一つ。そして、にこっと微笑むと祐一の対面にちょこんと座る。

「・・・それじゃ、罰として佐祐理の相手もして頂きます。いいですね?」

ようはそれを言いたかったのだろうか?ちょっと顔を赤らめながら伺うように上目使いで祐一の方を見つめる。

「いや、別にそれは構わないんですけれど・・・・」

じっと見つめられて祐一の頬がちょっと赤らむ。

栗色の髪と整っている顔、そして綺麗に透き通った目で見つめられるとどうも弱い。

「それじゃあ七子ですねー。お願いします。」

ぽんぽんと星に並べられる石。

祐一はお願いします。とお辞儀を返すと一手目を左上隅の石にかかる形で打ち込んでいく。

結局、そのまま3局。途中からはみさおや美汐、佳乃、澪達も合流して来て、そこまで広くは無い陣幕が一気に込み合う事となった。

その後佳乃に簡単にやり方を説明して・・・

その頃には夜もすっかりふけている事に気がつき、全員が睡眠することとなる。

よりによって、『今更護衛をお願いするのは皆さんにご迷惑ですから』と言う尤もらしい理由からそのままの部屋で。

祐一が全員が寝静まった後に陣幕の外で寝る羽目になったのは言うまでも無い。







「浩平?今なんて・・・」

遡る事2,3時間ほど。

会議が終了した後、未だその場に里村茜が、長森瑞佳が。そして、折原浩平が残っていた。

「俺は今回の戦、その剣をもつ事は出来ない。そう言ったんだ、茜。」

茜から差し出された総司令官を示す剣が宙に浮く。

茜は、あくまで自らの総司令官の役は代理であることを自覚していた。

で、ある以上当然本来の持ち主に返すべきであろうとも。

「俺は南軍に入り、七瀬の騎馬軍を三千ほど貸してもらうつもりだ。」

「浩平?」

何か何時もと違う。と言うように瑞佳が浩平を眺める。

「今回の戦、負けるわけにはいかない。・・・・いや、それ以上に大勝しなくてはいけない。」

その為には、俺が総司令官の役目にいるわけにはいかないんだ。と、浩平は説く。

「中央の戦はおそらく互角の戦いは出来るだろう。それは、俺であろうと茜であろうと変わらない。だから、そこはお前に任せたい。」

ある意味では馬鹿にしているようにも取れるかもしれない台詞である。少なくとも、茜は今までの軍歴生活でこのようなことを 言われた事は無かった。

が、不快に思わないのは今、それだけ目の前の男が輝いているからだろう。

「俺は、勝ちを作る。その為に俺はここに居るんだ。」

頼む。と頭を下げられると断れようはずもない、と思う。

「里村さん、私からもお願いしていいかな?」

と、同時に親友からも頼まれては尚更・・・

そう。茜と浩平では先ず第一歩が違っていたから。

茜は負けない事を第一とし、浩平は大勝することだけを考えている。

その時点で、浩平の言う事に対して抗おうと言う気にはなれない自分が存在していた。

「・・・・分かりました。今回の戦は終わるまでは私が『これ』は預からせていただきます。しかし・・・」

「分かってる。戦が終わり次第、俺は由紀子さんの所に詫びに行く。処罰をしっかり受け、その後もしも許しが得られたら 返してもらいに戻ってくる。それで良いか?」

真剣になられると思わずこっちが緊張しますね。と心の中で呟きつつも頷く。

「ねぇ、浩平。祐一と何かあったのかな?」

そんな浩平は、きっと、長旅の間に祐一と何かあったんだろう。と瑞佳は思う。

これほど真剣になった浩平。一体祐一は何をしたんだろう?と。

ちょっと、ちょっとだけ・・・本当に、ちょっとだけ・・・・嫉妬してしまう自分が居る。

そんな瑞佳は、浩平から返された言葉を聞いて・・・

この二人の繋がりの強さを、そして、祐一がどれだけ自分達のことを考えていてくれるのかが分かって。

心の底から祐一に感謝を込める。

少なくとも自分では『浩平があんな風に何かなるわけないもん!』と言う位が精一杯だったと思うから・・・。

そして、何時までも今のように、皆で一緒に居られたらいいな。と心の底から思った。

(でも、やっぱり祐一にはみさおちゃんの傍に居て貰いたいよ。そうすればきっと可愛い子供が生まれるよ。あの二人だもん)

そんな本人達が聞いたら唖然とするような快晴劇場を頭の中に展開しながら。