馬に乗って先頭を進む往人が横を向く。
「もう、ここって王国の領土なんだよね?秋子さん達と別れて、この後・・・」
ああ。と軽く頷く。
「そうだな。俺達は3つの部隊に分かれて進んでいる。当然最終目標はオーディネルだが、勿論相手の抵抗もあるだろう?」
うん。と頷く観鈴。
「で、だ。俺達が3つに部隊を分けたのは、そうした方が攻めやすいからだな。一つの部隊だけでも通しちまったら相手の首都は陥落だ。 相手も当然部隊を3つに分けて対処せざるを得ない。だろ?」
「そういうことだ。ちなみに、国崎君の部隊は最主力部隊として期待をされているらしい。君の将来の旦那様は有望だぞ?」
「なっ!おわっ!」
振り向こうとして馬から滑り落ちそうになる往人。
隣で林檎のように頬を染める観鈴を見るだけで妙に恥ずかしさも覚える。
「どうしたのかな?事実を言っているだけなんだが?」
悪戯っ子の笑みでニヤッと笑われると言葉も出ない。
「霧島さん、そこら辺でやめとき。居候に馬から落ちられるとうちらの仕事が増えるだけや」
ふむ。それもそうか。と両手を上げる聖。
「まぁ、さっきの国崎君の回答だが、水瀬侯爵が3隊に分けた理由の半分は相手の出方を見るということもあるんだろう。所詮は 合流地点まで決めているわけだからな」
「そう言う事、や。相手が3隊に分けてくれば、ウチラも相手がどういった編成で進行してくるんかが分かり易い。」
相手としても、そうした進行をしないわけにも行かない。そうしなければ、がら空きの街道を通って王都までの進行を許す事になる。
最も、一つの手として、分散したうちの一部隊に全戦力を叩きつけることで各個撃破を狙うと言う一発逆転の手も考えとしてはあるのだろうけれど、 それに対応する為の策は既に浸透されている。
何処かがそう言った総攻撃を受ける場合、その部隊は即座に他部隊に連絡。攻撃を受け止める部隊は、相手の攻撃を受け止めることだけに全力を傾け、 援軍の到着を待つこと。
そして、その上で挟撃し、相手軍を食い止め、もう一部隊がそのままオーディネルを突く。
勿論、それを理解しているからこそ、里村茜と言う将軍はそう言った行動には出てこないだろうと言うことまでも。
「ま、とにかく、どちらにしても邂逅はまだまだ先の話だ。気楽に構えていれば大丈夫だろう。」
「にはは。うん。それじゃぁ観鈴ちんはあゆちゃんの所に行ってお話してくるね。」
馬首を返して下がって行く観鈴を眺める。
強くなった。と、思う。初めて会った時と比べれば、まるで別人のように。
唯、それは往人も同じ。
最初は唯の無頼漢の長だった立場から、帝国三軍の一つを任されるほどにまで大出世を果たした国崎往人。
目の前の二人も、本来であれば唯の主婦、町医者でしかなかったはずの者達。
彼等の存在自体が、帝国の血筋が全てだとする体勢の矛盾を表していた。
「・・・・そうですか。こちらの正面はあの・・・・」
くすっと秋子が笑う。
正面から中央道を東進してくるのは里村将軍。そう聞いてみると、思わず胸が躍るような気がする。
「王国随一の戦術家、ですね。・・・・一弥さん、頑張ってください。」
視線を向けられた先の少年は、弱弱しく笑う。
「そうですね。・・・・しかし、戦の指揮は秋子さんが取った方が確実だと思うのですが・・・。」
昔も同じことを言って、同じように断られた。
でも、一弥は常に思っている。
自分は、軍を率いる器ではない、と。
自分に出来る事、自分がすべきことは、あくまで将官の為、少しでも個性を引き出せるような環境を作り上げる事。
昔から一弥自身が思い描いていたのは、兵権を義兄に預けて、政治のことは姉に任せる。
自らの総顧問に師である目の前の女性を置いて、支えてもらう。それで国は安泰だろう、と。
ある意味、そんな空想をし、尚且つ嫉妬と言うものを感じずにそれがベストであると思えるところが彼の一番の長所と言えるのかもしれない。
「ダメですよ?一弥さん。貴方は佐祐理さんと同じくらいの才覚を持っているんです。あとは、自信を持つだけです。」
そう、何時も言われながらもそう思えない所がある。
仮に、自分が死地に追いやられた時・・・・
先の戦における白騎士団のように、自らの体を燃やしてまで主の為に命を散らす者がどれだけ居るのだろうか?
そう思うと、やはり自信がなくなってしまうのであった。
「秋子さんからそろそろ私達が引き継がなくてはいけないのよ。そうじゃないと王国との戦、先がないんだから。」
その時、自信を・・・と言うより、決意を込めた口調で話す香里に周囲の視線が集まる。
「あちらの総司令官・・・・折原王太子はまだ二十歳過ぎ。里村将軍達、並みいる将軍の面々も私達の少し上って程度よ。 私や名雪達と彼等の間には、悔しいけど相当差があると思うの。だから・・・」
少しでもその差を縮められるように努力しないといけないんじゃないかしら?
秋子が頷く。そして、一弥が、名雪が黙って香里を見つめた。
その目に一弥も黙って頷く。
彼自身とて、亡き二人から受け継いだ物の大きさは理解出来ていたのだから。
「分かりました。何処までやれるのかは分からないですが・・・・名雪さん、香里さん、お力をお借りします。」
それでいい。と秋子が目を細める。
彼女自身が思っているのは、『自分は祐一さんや佐祐理さんの代わりに一弥さんを見守っていかなければいけない』と言う事。
そのことに、一歩近づいていったような、そんな気がしていた。
「あーっ畜生!うっとうしい!!」
ガスっと地を蹴り上げる友人を、覚めた目で見つめながらお茶を啜る。
「あの連中の顔を見たか?あんな貴族のドラ息子共に『ああ、皇太子に阿ったおかげで・・・』なんて目で見つめられてるんだぞ!」
お前は平気なのかよ。と。怒り心頭と言った感じで怒鳴るのは北川潤。
この軍・・・北方侵攻軍の副官の一人、である。
それに対して、やれやれ。と溜息を吐きながら久瀬有人・・・こちらも同じく軍の副官・・・が湯のみを机の上にコトリと置く。
紡ぎだされる言葉は、目の前の友人を静止する言葉。
「言わせておけば良い。どうせあの連中は実戦になったら何も出来やしないんだから。」
落ち着いたらどうだい?と言いながら椅子を薦める。
「だいたい、あんな連中、話を聞くだけ馬鹿らしい。むしろ、君があんな連中を歯牙にかけていたこと自体が僕にはびっくりだけどね」
そう口にする彼自身は、幼少の砌から貴族の立場でしか物を図れない愚か者を相手にする事に慣れている。
だが北川潤と言う少年は、久瀬侯爵家と言う国家三家の一家に数えられる名門と違って、そこまで貴族と付き合わされることもなかった為か 『貴族』と言うものに慣れていなかった。
だからこその、怒り。
いや、実際には違うかもしれない。彼自身、先に述べたような事を言われる程度では軽く笑い流すだけで終わっていた事だろう。
しかし・・・・
「だいたいあの連中、相沢や佐祐理様のことまで馬鹿にしやがった!それが一番許せねぇ!!」
そう言って、思いの丈をぶちまける。
馬鹿な連中が先の戦で散った友人のことをピエロ等と罵った事。共に身を投げた皇女のことを色に狂った女だ等と形容したこと。
「そう、か。そんなことを・・・ね。」
ほぅ。と目を細める有人の目にも怒りが点る。
滅多に怒りを露にしない冷静な男の目に映った怒りを見て、潤も一歩後ずさる、
彼にとって、いや、彼や彼の仲間達にとって、自分を馬鹿にされることより周りの者を馬鹿にされることの方が最も許しがたい行動。
・・・・最も、この二人の場合、馬鹿にされる対象が互いの目の前の男等であった場合は、進んで賛同の意を示しかねない所でもあるのだが・・・。
まぁ、とにかく、この二,三日後、一部の貴族が地面でいきなり夜営の最中、道端で転んで気絶した、と言った事件が3,4件起こっている。
しかし、特に犯人が見つからず、また、怪我と言う怪我もほとんどなかった為か、本人の不注意で片付けられたのは・・・・・・・・・また別のお話。
ある意味、相沢祐一と言う人物の知り合いは皆同様に悪戯好きといえるのかもしれない。
「くぁぁ・・・ねみぃ。なぁ、眠くないか?」
そう言った男が『黙れ』と頭を叩かれて悶絶。
「一体誰のせいでこんな強行軍になっていると思っている?・・・ど・こ・か・の!馬鹿な!王太子が!!」
うぉ。と思わず体をのけぞらせる青年に、怒りを隠しきれない少年が怒鳴りつける。
「何処かの王太子が王国の存亡の危機に戦場に間に合わないなんて言う後世に名を残す偉業を果たさないようにする為だろうが!」
『げしっ』と蹴りを入れられて腹を抑えたまま蹲る浩平。誰も庇おうとする者もいなかった。
「祐一さん、何か何時もと違うみたいです。」
不思議そうに眺める栞の直ぐ横には澪が歩いている。
あれ以来、馬車の御者は別の者に譲り、常に祐一の傍を歩いている澪。祐一がいくら説得してもがんとして聞き入れなかった。
『何時もあの二人はあんな感じなの』
苦笑しながら掲げられる画用紙。栞も、最近ではこの間に慣れてきていた。
「私達と一緒に居る時の祐一さんは何時も大人びて見えていましたから」
今思うと、無理をしていたのかもしれない、と思えてしまう。
それだけ自分は、帝国の誰もが祐一に、と言うより『相沢』と言う家に頼っていた・・・・。
『幻滅したの?』
悲しそうに書かれた文字は何処となく元気がない。
本当の祐一君の姿を見て、それで幻滅する人が居るとしたら・・・とっても可哀想な事に思えた。
でも、その顔は目の前で勢い良く首を振る栞の姿を見るや否や笑顔に変わる。
「逆にちょっと安心しちゃいました。祐一さんも私達と同じなんだな。って分かって」
うん。と澪も頷く。
『神の末裔』『世界の調停者』
そんな肩書きより今ああやって友人と戯れている姿の方がよっぽど祐一君らしい。そう澪には思えていたから。
「祐一様!」
浩平とふざけながら笑っている所に馬で駆け込んで来た男の姿を見て、思わず真剣な顔を取る。
「貴方は・・・・オーディネルに詰めていた・・・・」
その伝令の男が、祐一の下に見を寄せ、耳元に囁く。
「里村将軍閣下の指揮で王国軍が動きました・・・・折原王女殿下も北方軍として行動を開始されております。」
ん。と頷いた祐一の表情が固くなる。
(出来れば出陣前に合流したかったが・・・不可能、か。)
想像以上に倉田一弥の進軍速度が速かった事から、祐一の想像以上に王国の出陣も早まっていた。
「伯、それに栞。」
ちょっと・・・と声を掛ける祐一に二人が黙って近づいて来る。
二人には伝令の内容は聞こえていない。が、祐一の表情を見れば只事でないことだけは理解出来た。
「はっ!・・・祐一様、どう致しましたか?」
祐一の前で膝を付く天野伯爵と、黙って見を寄せる栞。
救出して以来ずっと、祐一はこの老齢の男性に『もっと普通に扱ってください』と主張していたものだが、ついには 祐一の方が折れる形となっていた。
「祐一さん、どうしたんですか?えぅ。ちょっと顔が怖いですー」
こちらは何時もどおり。と軽く苦笑を浮かべる。
「一弥が進行を開始し、王国も動いたようです。どうやら一緒に旅が出来るのもここまでのようです。残念ですが」
栞がハッと息を飲む。
帝国の進行、それはつまり・・・・
「そう、香里も居る。だから、栞は皆さんと一緒に先に俺達の家に帰ってくれ。」
「しかし・・・・祐一様方はどうなされるおつもりで?」
その問いに当然。と言う感じで笑いを浮かべる祐一。
「合流しますよ。こいつを届けることを瑞佳さんに約束してきましたからね。」
振り向いた時には既に三人分の荷物が纏められている。
「そう言うこった。・・・・行くか、祐一。」
既に馬に乗っている浩平は今にも走り出しそうで。
「ああ。今すぐ行くからちょっとだけ待ってくれ。・・・・ああ、そこに居ましたか。すみません。後の事は・・」
皆まで言うな。と言う感じで手を上げる男性を見やって、頭を軽く下げた。
「浩平さんっ!」
一方、浩平は近寄って来る栞の姿を見てバツが悪そうに頬を掻く。
流石に今までの態度が悪すぎたなぁ。と反省しているだけに・・・。
「色々酷い事言って悪かったな、栞。俺が悪かったみたいだ、お前は信頼出来る。・・・・・だから、祐一の帰りを待っていてやってくれ」
差し出された手を軽く握り返す。
「はいっ!・・・・あと、私がこんな事言っていいのかは分からないのですけど。・・・・皆さん、生きて帰ってきてくださいね」
目の前の男性は姉の敵。でも、栞には姉も、友人も、そして祐一も浩平も澪も。誰もが生き残って欲しい。そんな我侭なことしか考えられなかった。
浩平からすれば、自分が死ねば目の前の少女の友人、家族が生き延びる確率が跳ね上がることを理解している。
それだけに、その言葉を受けると笑い顔を浮かべるしかなかった。
「ははは。まぁ、努力するさ。・・・・それじゃぁ、また、な。」
『ィヤッ』っと掛け声を上げて駆け去っていく軍馬。
気がつくと後ろでは祐一も馬に跨っていた。
澪は、軽く自分に笑いかけた後に浩平の後から馬を蹴り上げて掛け声のように息を強く吐くこと一つ。駆け去っていく。
「祐一さん・・・」
そして、近寄って来た想い人の姿を見上げる。
「ああ、栞。皆さんに迷惑かけないように気を付けろよ?」
「そんなことしませんっ!・・・・頑張ってください。待っていますから」
ははは。と乾いた笑みを浮かべる祐一。
「そう、だな。栞を佐祐理さんやみさお、佳乃に会わせてやるって約束したからな。まぁ、適当に頑張ってくるよ」
じゃぁな。と高々と右腕を掲げる。
後方から見守る栞は、黙って小さい(?)胸の前に腕を組む。
気がつくと、誰もが同じように前方に向かって祈りを掲げていた。
戦勝を祈る為の祈りか、無事を祈る為の祈りか、祈っている本人達にすら分かっていなかったけれども・・・・・・
「お、祐一、来たか。・・・・で、お前の読みだと合流まで後何日程度か?」
少し走ると、速度を緩めて走っていた浩平の後姿を捉える。
道が舗装されていないだけに、馬で走ると相当に走り辛く、会話もし辛かった。
「そうだな。まぁ、順当に行けば五日・・・。帝国軍を迂回していかなくちゃいけないんだろうからな。で、相手とこちらの 動きを予想すると・・・互いの合流地点は・・・・」
横で澪がパクパクと口を動かす。彼女は、流石に片手で馬の手綱を取りながら文字を書けるほどには馬術に精通していなかった。
「そう、ですね。おそらく『聖者の丘』においての会戦。俺もそう思います。」
茜さんならそう考えるだろう。と祐一も思う。
丘の上は広い草原。民家も特にないし、何より古来に置いて神の率いる軍勢が敵軍を破った聖地。
民に損害を出さず、一度の戦で全てを決められる。しかも、兵士の士気と言う部分においても利用しない理由がないような場所と言える。
読唇をしてもらった澪がコクコクと頷いて、浩平もそうだな。と軽く頷く。
「と、なると、王国軍の布陣はおそらく7〜8日後。帝国軍がその2〜3日後と言った所だろう。 俺達は帝国軍より現状では後方だけど、途中で迂回したまま追い抜くことは十二分に可能。 おそらく、帝国軍より早く、今から8日もあれば着くはずだと思う。軍隊は徒歩の者の方が多いからな」
もう一度澪がコクコクと賛同の意を表す。
「とにかく、行くぞ!・・・・総大将が戦場に遅参なんてことだけは洒落にならないだろう?」
今となっては、ある意味浩平より祐一の方が必死なのかもしれない。
それは、世界のことを考えているのか、それとも自らの守らなければいけない者達のことを考えているのかは分からないけれど。
「それじゃぁ南方軍、出陣するよ!」
槍を高々と掲げるのは長森瑞佳。
直接率いている兵は少ないものの、他の南方軍の将・・・留美や雪見も最初っからそのつもりで居ただけに文句もない。
彼女達二人は将軍。瑞佳は副司令官。元の地位からしても瑞佳の方が上にあり、王国内部の立場としても 王太子妃・・・未来の王妃になることが確定している彼女の立場は彼女自身の自覚以上に高い。
実際に、軍部においては女王の由起子、それに浩平、みさお。そして、王室以外では総司令の任を受けた茜。その次に来ると言っても過言ではないくらいに。
その、瑞佳の号令に兵が一斉に歓声を上げる。
南方軍は、中央の本隊よりも一日速い出征となっていた。と、言うのは、迂回路を進む方が移動距離が長いと言う単純明快な 理由でしかないのだが。
「長森さん、貴方に直接指示されるのは初めてだけれど、貴方の力は理解している。宜しく頼むわね」
「瑞佳があの馬鹿王子のせいで大変なのは理解しているけれど・・・・とにかく、宜しく頼むわよ」
両隣から掛けられる声に緊張しながら頷く。
本来であれば、この南方軍の指揮官は茜のはずだった。でも、浩平の穴を茜が埋めた分つけが瑞佳の下に回ってくるのはしょうがないこと
「う、うん。精一杯頑張るんだよ。・・・えっと、深山先輩も七瀬さんも、宜しくね。」
見るからにガチガチな状況に周りの者達が失笑を浮かべる。
瑞佳自身、自分はナンバー2に向いていると常日頃から思っているだけに、本心から『自分は向いていない』と思っていた。
だから、無理をせず、しっかりと合流を果たしさえすればそれで良い。と。
「浩平が帰って来るまで、何とかして戦線を保たなくちゃいけないんだよ」
(浩平を、『戦に遅参した王太子』なんて不名誉な名前で後世に語り継がせるわけには行かないもん。)
「あの馬鹿はともかく、祐一が付いているんだからちゃんと戦には間に合わせてくれるわよ。もうちょっと瑞佳は祐一を信頼してあげたら?」
決して『浩平を信頼しろ』とは言わない所が彼女らしい、と思う。
何しろ、留美自身が『浩平は戦に遅れるなんて言う無責任なことは絶対にしない』と言う瑞佳や茜、みさお達の考えと全く同じ事を 信じている事を瑞佳自身が知っているんだから。
そして、それと同じ事を雪見が思っている事も。
南方軍、総勢二万八千八百余。差し向かいに居るのは、兵力においてほぼ同数である国崎往人の三万余。
そして、部隊構成も騎馬軍、歩兵隊、魔術部隊と同じような構成の両部隊。
それを知った両軍は、むやみに騎馬軍を先行させることをせずに、軍隊としての纏まった行動を貫いた。
各地において、誰もが『決戦は一度』と思っている。
それは、それだけその『一度』の戦いに置いて相手を妥当出来るという自信が両者にあったことを顕著に表しても居た。
「長森さん達、景気良く出立して行ったねー。茜ー。詩子さん達もそろそろ支度しないとまずいんじゃないかな〜?」
「私の方は支度は既に出来ています。将官で未だに支度が出来ていないのは詩子だけです」
「あれれー?・・・困ったなぁ。それじゃぁ、今から支度するから茜も手伝ってよ」
「嫌です」
何時もどおりの掛け合いをするだけで何処となく緊張がほぐれるような気がする茜。
茜自身、実は詩子が誰よりも早く全ての支度を整えている事を知っている。
そして、自分の緊張を解す為にワザと明るく振舞っている事も。
「う〜ん。詩子さん、茜に振られちゃったよ。」
「もう芝居はいいですよ、詩子。私は大丈夫ですから」
あちゃー。と顔を抑えて詩子が苦笑する。
「でも、私『自身』の身支度がまだちょっとだけ終わってないのは事実なんだよねー。茜だってまだなんじゃないの?」
三つ編みがピクリと揺れる。
「あれ?やっぱり図星?・・・そうだと思ったんだよねー。茜、ずっと全体のことばっかり考えていて自分のこと全然考えていなかったもん」
笑いながら見やった友人は、必要以上にあたふたと狼狽しているように見える。
これほどまでに焦った茜を見るのは久しぶりかもしれない。と、思うと共にちょっと嬉しくなる。
「しっ、詩子!どうしましょう?・・私、本当に全く何も用意してないです」
無表情なだけに普通の人には見分けの付かない表情が、詩子には直ぐに理解出来る。
完全に動転しきっている顔だった。
「ま、これからやれば間に合うんじゃないかな?詩子さんも手伝ってあげるから。ほらほら」
ついつい、と背中を押し出す。
「で、でも、詩子もまだ準備が終わってない部分があるって・・・・」
「ああ、詩子さんの場合は、折原君と飲むお酒を用意するだけだから平気平気ー」
だから茜の手伝うよー。と言って来る詩子は、友情に満ち溢れているように・・・・見えた。
にこにこと、自分のことを考えてくれているように見える友人に、茜はゆっくり振り向いて。
「詩子、お酒を持ち込むのは禁止です。」
それらは一括管理するものですよ?と。
王国軍本隊、三万一千が出立したのはその翌日。
「お帰りなさいませ」
館に帰ってきた王女を出迎えるのは留守中を任せていた者達。
その人たちに丁寧に頭を下げると、にこやかに笑う。
「出陣の支度、ありがとうございます。皆さん」
周囲の者もどう致しまして。と答えて、笑う。
そんな中、彼女達を見て溜息を吐きながら一人が・・・
「祐一様方は・・・・お帰りになれませんでしたか。」
帰って来たのは三人。その発言を聞いた周囲からも溜息が洩れた。
目の前の三人。それと、祐一、澪。
人の体に直すと、みさおが頭で佳乃と佐祐理が両手、澪が足。
そして、それらを繋ぎ合わせる胴体が・・・・祐一。
「大丈夫だよ。祐一君は帰って来るから」
朗らかに答える佳乃は、その事を微塵も疑っていないようで・・・周りから苦笑が集まる。
「あははー。佐祐理もそう思うんですよー。」
単純に、信頼しているから。帰って来ることを。
「私もそう思います。お兄ちゃんも祐一君も、今まで約束を破った事は一度もありませんから」
だから、自分達は今自分達の出来る最善のことをしないといけません。と周囲を見る。
「それで、全軍で向かわれるのですか?おそらく北方軍の司令官を拝命為さったとは思いますが・・・」
問い掛けてくる将軍に軽く笑みを浮かべる。
(この人は、軍議を行う必要もないみたいですね)
後方で苦笑を浮かべている佐祐理も全く同じ感想を抱いているようだった。
「その通りです。私達は、北方より遠征、基本的に交戦はなるべく避け、合流の後に帝国軍を迎え撃つことになります。」
「と、なりますと、全軍で行くことになりますね。聖者の丘での一戦で戦を終わりに為さるおつもりなのでしょう?里村総司令官閣下は」
戦に対する王国の姿勢は基本的に公国のものと似ている、と彼は思う。
戦を長引かせ、戦の期間を長くする事は民に余計な負担を強いる。
だから、一戦で相手を屠って、それでもって戦を終結させる。
「はぅ。・・・はい、全くその通りです。」
何で茜さんのことや戦の地点まで読まれているんだろう?と顔を不思議一杯にして。
「了解いたしました。それでは私はこれにて。・・・・出陣の支度は明日には完了致します。兵站の整備は勝手にですが、既に終えております。」
そのまま苦笑いを浮かべるだけの四人を尻目に、相沢大輔の、相沢祐一の片腕であった男は一礼をして下がっていった。
「あ、あの・・・佐祐理さん」
冷や汗をかいている友人を眺める。
佳乃は目をキラキラさせていて、美汐は黙って平然としている・・・・ように、見えた。
「はい。なんでしょうか?・・・・う〜ん。佐祐理にもみさおさんの言いたいことが分かっちゃっているんですけどね〜」
あははー。と苦笑する佐祐理を見て、みさお自身も軽く苦笑を一つ。
『私達って、居なくても別に関係ないのでは?』
そう顔を見合わせて、もう一つ苦笑するしかない。
「あっあははー。頑張りましょう。祐一さんが帰って来るまでなんとかしなきゃいけないんですから」
必死に慰めてくれる友人を尻目に、軽く肩を落とす。
そして、顔を上げて不器用に、笑む。
「とっ、とにかく、佐祐理達も支度しないと、ですよっー。」
GOGOーと腕を上げて士気を盛り立ててくれようとする佐祐理の後をゆっくりと歩んでいく。
(お兄ちゃんや祐一君はまだとっても、とっても遠い、です。)
徒競走で言えば、あっちはもうゴールを駆け抜けていて、自分はまだ出発地点にも着いていない。
「佐祐理さん、佳乃ちゃん、美汐さん。あの・・・えっと、一緒に頑張りましょう。」
周囲を見渡して、力強く。
「はいっ。佐祐理も頑張りますよー」
「うん。佳乃りんも頑張るよぉ〜」
「微力を尽くさせていただきます」
三者三様の答えを聞いて、笑顔を満面に浮かべた。
「えっと、これは一緒に持っていくのかな?」
「う〜ん。そっちは一応持っていきましょうか。右手のそれは、置いて行く事にしましょう」
小首を傾げながら色々と手にとる佳乃の横には佐祐理。
ここには、公国から移された魔術武具や、魔導書等が保管されている。
周囲を魔術武具に囲まれていると、どれも持っていきたいと思ってしまうのはしょうがないことなのかもしれない。
特に、魔導士としての才能を開花させた佳乃にとっては、それらの強大な力が全て読み取れてしまう為、尚更である。
「う〜ん、余り大きな武器を持っていくのは止めた方がいいですねー。佐祐理は槍を使うといっても、長柄はとても扱えません。 グングニルの神槍も長柄と言うよりは短槍のような長さでしたし」
長柄と言うのは、主に歩兵の槍隊が用いるもので、長さは凡そ人の身長の2倍程度はある。
短槍は、人の身長の・・・・一人半に満たない程度。
「う〜ん。でも、ここにあるのって皆大きな武器ばっかりだよぉ?グングニルみたいな槍ってあんまりないみたい」
不思議そうに小首を傾げる佳乃。
確かに、騎馬軍団を中心とする公国にあって、短槍の数が少ないと言うのはおかしい。
むしろ、一番多くあっても良いくらいで・・・
「それでは、これは佐祐理さんにどうでしょう?」
変ですねぇ。と考え込む佐祐理が、後ろからの声に振り返る。
「ほら。これなら佐祐理さんにぴったりです。えっと、先ほどの佳乃ちゃんのお話ですけど、祐一君や大輔様、慎一様方が、 家宝の魔力が篭った槍についてはどんどん配下の方達に配っていったと聞いていますから・・・・」
ああ。と周囲の三人が軽く頷く。あの三人なら十分に在りそうな事ですね。と笑みを浮かべた。
「あれ?でも、それじゃぁ何でこの一本だけ残っていたの?」
佳乃の答えにみさおが心から笑みを浮かべて、槍を軽く撫で・・・小さく頬を寄せる。
「これは、祐一君の槍です。・・・と言っても、グングニルを慎一様から譲られる前、練習の為に使っていただけですけど。」
どうでしょうか?と渡されて、佐祐理も軽く1回、2回とゆるやかに動かしてみる。
・・・・・しっくりきますね。と思える。
重すぎず、軽すぎず。手にしっくり来る感覚。
「・・・・佐祐理がこれを使っても構わないのでしょうか?」
これは、みさおさんが貰った物ではないのですか?と尋ねる佐祐理。
それに対して、軽く首を振って、微笑む。
「祐一君ならこう言うと思います。『佐祐理さんが使ってくれるならそいつも喜ぶだろうな』って」
でも、大切に使ってあげてくださいね?と微笑んで槍を差し出すみさお。
朗らかに笑って受け取るのは佐祐理。
「はいっ。大切に、大切に使いますね。」
そう言って顔を上げると、みさおが今まで以上に大きな笑顔を浮かべていた。