そこで待っていた元帝国男爵達は、馬車の中の眠る王子に馬車の外から拝謁。
その後に、祐一の代わりに暫定的にリーダーの立場を預けられた青年が、『この理由で全員の労を労う為の宴会を 取りやめなんかにしたら、あいつは自分を責めるだろう?』と言う一言によって、予定通りに軽い宴会が設けられた。
「ふぅ。」
はふ。とグラスから口を離すと息を吐く。
衝撃的な一日だった、と思う。
祐一さんとの思わぬ形での再会、そしてその体を診て、祐一さんの知り合いである男性や女性にも会った。
そこには、彼女自身の知らない相沢祐一と言う人が居た。
当然、彼は帝国以外にも知り合いがたくさん居る。
そんなことは、元から栞にも理解出来ている。
でも、ちょっと、ちょっとだけ、寂しい。と思う。
「おい、美坂栞」
後方から声をかけて来るのは先ほどの、祐一さんのことを案じていた青年。
自分に対して敵意を抱いているのは、それだけ祐一さんや大輔さんを想っていた事の表れ。だから、不快ではない、と思う。
でも、フルネームで呼ばれるのはちょっと嫌。
そう思った。
「何ですか?正体不明のナイト様」
我ながら言葉に棘があったかも知れない。と、思いつつもちょっと満足する。
最初の時から、この青年は自分に対しては冷たかった。
勿論、浩平からすれば目の前の少女は先の大戦で敵として渡り合った相手、面白いはずが無いが、そんなことは栞には分かりようが無い。
栞と、佐祐理に対するファーストインプレッションが違うのは、佐祐理が祐一の事を第一に考え、そのために身を捨てられる事を 最初っから実証して見せたから。そうでなければ、佐祐理もこう言う態度で扱われていただろう。
「正体不明、か。まぁ、アンタが信頼出来ると分かるまでは身分は隠しておきたいんだよ。どうなるかわかったもんじゃないからな」
「そうですか?それでは、私も貴方に話す事はないです。人と話すときに自分の名前も名乗れないような人は嫌いです。」
ニヤッと青年が笑みを浮かべた。
先ほどからずっと撒き散らしている殺気にも臆する事なく、これだけの事を言える。
(なるほど。流石は帝国の誇る名将の一人・・・)
公国を破った事も頷ける。いくら、彼等に勝つ気がなかったとは言っても、そう簡単に破る事が出来る二万ではなかったはずだ。
目の前の少女は、唯の立場に甘えていただけの人間ではない、と言う事。
「両親の教育が良かったのか、それとも師が良かったのか・・・・あるいは、姉か?」
「貴方に話す事はありません。と言いました。」
ありゃ、嫌われたかな?と肩を竦める。
自分の正体を明かさないのは栞に対する少しばかりの好意も働いての事だったんだがな。と心の中で苦笑を一つ。
「ま、そんなに聞きたいって言うんなら名を明かすくらい構わないが・・・・そうなると本当に後戻りは出来なくなるぞ?」
その覚悟があるって言うんなら全てを話してやっても構わないが?と。
「祐一さんの存在以上に隠さなければいけないことなんてないと思います。・・・・それに、どうせ私はもう後戻りは出来ないのではないんですよね?」
ご意見ごもっとも。とからかうように言って、大声で笑う。
「それじゃ、お言葉に甘えて。・・・俺はアンタ達の敵の親玉だな。まぁ、こっちが望んだわけでもないが」
どうだ?首を取れば昇進は間違いないぞ?とからかわれて・・・
一瞬言葉に詰まる。
自分達の『敵』それが指すものは一つ。そして、その親玉と来たら二人しか居ない。
その内一人は女性だ。王国が女王、折原由起子。そして、直接的な敵は王国の龍とも獅子とも呼ばれる稀代の英雄。
「折原・・・・王太子殿下?」
該当する名前はそれ以外に思い浮かばなかった。
「王太子殿下と呼ばれるのはあまり好きじゃない。祐一は何時も名前で呼んでるが・・・特別に『浩平さん』で許してやろう」
「・・・そんな簡単に名前を明かして良かったのか?お前のことだからもう少しもったいぶるかと思っていたよ」
気がつくと、後ろから聞き覚えのある声が聞こえ・・・。
振り返った先には見覚えのある少年が、女性に肩を借りて歩いてきていた。
「よぉ、栞。久しぶり。・・・だいたい一年ぶりくらいかな?」
手を上げようとしたのだろうか?左の肩辺りが少し上がったような気がした。
「っと、そういえば左手はないんだった。・・・昔馴染みに会うとどうも忘れそうで怖い」
右手は女性の肩に回されていて、動かせる状況ではないようで、軽く笑みを浮かべる事で挨拶に代えていた。
「ゆう・・・いち・・・さん?」
思わず目を逸らしてしまう。
毎日のように夢に見た男性。
思慕、恐れ、そして、悔恨。
もう一度会えるとは思えなかった。・・・思えなかった。だから、会ってしまうと、怖い。
おそらく、左手を失わせたのは自分達。親代わりの人を失ったのも自分達のせい。
拒絶されたら、嫌われていたら・・・・恨まれていたら・・・・
目を合わせられない。
実際に今祐一の顔は、栞の態度に戸惑っていると言う感じ。
「ったく、しょうがねぇなぁ。」
浩平が栞の顎をぐいっと持ち上げる。
視界の中に見られたのは、優しい笑み。
ずっと、夢にみていた優しい笑顔。
「一度、一度会って謝りたかったです。祐一さん」
一歩、二歩、自分の足で近寄って行く。
「ごめんなさい、祐一さん。」
下げようとした頭は、差し出された女性の手に阻まれる。
何で?と向けた非難の目に返って来たのは首を横に振ること。
そして、手元の紙にサラサラとペンを走らせる。
『祐一君は謝られることを望んでないの』
筆談?と首を一つ傾げるとともに、栞自身、一人の心当たりに辿り着く。
『王国の沈黙将軍』帝国内に揶揄されるように伝わっている名前だった。
「ま、そういうことだ。謝られるようなことを栞はしていないし、あの事を言いたいのならあれは俺が勝手にやったことだから。」
だから、気にするな。と。
「そんなことより、皆に挨拶しようと澪さんに連れて来てもらったんだけど・・・浩平、皆さんは何処に居る?」
大丈夫だと言ってるのに離してくれないんだ。と苦笑混じりに話す祐一。
『ダメなの!』
ムッと目を吊り上げて抗議する澪。
な?と声を上げる祐一に、浩平が、栞が笑う。
「それにしても・・・・一年経っても栞は変わらないな。もう少し成長しているかとも思ったんだが」
「そっ!そんなこと言う人嫌いですっ!!」
その言葉を聞いて、思わず笑みを浮かべる祐一。
その言葉を発している限り、美坂栞は美坂栞で居るような、そんな気がした。
「さて、・・・・・・・色々聞きたそうな顔をしているな。」
聞きたい事あったら聞いても良いけれど?と話し掛けて来る祐一は、既に顔色も段々良くなっている。
あの後、暫くいろんな人に挨拶をして回り、その中で全員から下げられる頭を苦笑交じりで眺めていた祐一が印象に残った。
「は、はい。色々、です。・・・えと」
何から聞いて良いのか分からない。と言った感じに混乱する栞。
「・・・それじゃぁ、あの後のこと、俺から説明してやるか?アンタは祐一と佐祐理が落ちた所から後のことが分からないんだろう?」
佐祐理。と言う言葉にピクっと眉を上げる。
(佐祐理さんも祐一さんと一緒に居るんでしょうか・・?)
ずるいです。と頬を膨らませる。再会したら一度文句を言おうと思った。
「あ、えっと、栞で良いです。浩平さん・・・でいいんですよね?」
ああ。と頷いて・・・『それじゃぁ、栞、だな。・・・説明を始めるぞ?』
「えっと、それじゃぁちょっと飲み物でも貰って来るよ。浩平、頼む」
『私も一緒に行くの』
『あっ』と声を上げる間もなく陣幕から出て行ってしまった祐一の方を寂しげに見やる。
「ああ、栞もか。・・・なんでこう祐一の周りには女ばっかり集まるんだろうかね」
あぁ。と天を仰いで溜息を上げる浩平。
(むぅ〜。『ばっかり』と言う事は相変わらずライバルはたくさんいるんですね。でも、負けません!)
「ああ、そう対抗心を燃やす必要はないぞ。今の所祐一が誰かに心を寄せていると言う事は全くないようだから、な。」
苦々しげにそう語る浩平は、祐一はおそらく全てを終えたら一人で姿を消すのではないか?等と思っている。
瑞佳にも、みさおにも告げていないながら、それは一つの確信として彼の中にあった。
誰かが繋ぎとめてくれれば良い。勿論、政略とかを抜きにして、祐一と誰かの心が本当に繋ぎ合わされば。
「まぁ、それだけあいつを落とすのは大変ってことだな。・・・・まぁ、頑張れ。」
哀れむように一言。
「さて、それじゃぁそろそろ本題に入るか?・・・あの後のことだったな。」
そして、態勢を立て直し、胡座を組んだ。
「あの、澪さん・・・・流石に、そろそろ支えていただかなくても大丈夫ですが・・・」
張り付くように右腕をとられると、正直言って恥ずかしかった。
『ダメなの!』
そう言いながらも顔がちょっとだけにやけているのが正面から澪の顔を見れば分かるだろう。
(役得なの。)
みさおや栞達と違って、自分には命を助け、助けられたような繋がりはない。何となく微妙な敗北感があったから。
ギュッと腕を胸に強く抱きかかえながら歩いて行く。
隣の祐一が諦めたように首を振るのが見えた。
「や、ただいま。・・・浩平、終わったか?」
「ちょうど、な。・・・・酒は持ってきたか?」
これで我慢しろ。と差し出された杯の中は果実を絞った物。
勿論、酒ではない。
「子供じゃあるまいし・・・・ま、いいか。で、お前からも話があるんだろう?」
「栞が聞きたいんなら、な。・・・・どうする?このまま秋子さん達の所に帰りたいんだったらそう言えば、俺や浩平のことを 他言しなって約束付きでならオーディンの辺りまで送り届けさせる。」
首を横に二回。昔佐祐理さんが同じ事やってたなぁ。と思って。
「この後を聞いたら、もう後戻りは出来ない。少なくとも、先の戦、俺は王国側になるだろうし、付いて来たら栞も中立か、 悪ければ王国の味方って扱いになるぞ?」
それでもいいのか?と言われるとちょっとだけ詰まる。
姉を、友人達を向こうに自分は武器を持つ事は出来ない。
「・・・・・」
沈黙。唯、栞は顔を伏せた。
そのまま数秒、数十秒。
「くくっ、なぁ、そろそろいいんじゃないか?祐一。」
耐え切れないように噴出した浩平を祐一が軽くねめつける。
「栞、お前はちょっと試されていただけだ。最初っから祐一はどっちにしてもお前を帝国との戦に関わらせる気なんてないんだよ」
「こら、その言い方だと俺が嘘を吐いたみたいだろう?どんな形であろうと関わることには間違いない。例え戦場にいなくても、だ。」
はい?と思わず顔を上げる栞に向けられたのは、悪戯っ子のような笑み。
「俺に付いてくるって言うんなら、とりあえずは事が起こるまでは城で待機。帝国との戦の間も、だ。」
そう言いながらも祐一はちょっとだけ安堵していた。
即座に栞が『姉や友人とも戦います』と言い切ってしまったら、祐一の失望はどれほどのものだっただろう。
ようやく騙されたことに気づいた栞が再起動。
何時もの台詞を思いっきり叫んだのはそのちょっと後のこと。
「・・・・ようやく、出陣の準備が整いましたね。」
ふぅ。と物思わし気に外を眺める。
先の大戦を生き抜いた兵達、そして、新たに帝国において徴用されて来た者達。
倉田一弥が直接に与えられた兵の数は十万。そして、帝国本土にも同数程度の兵が存在している。
その中から差し向けられた五万人。計十五万。その中から領土の防衛、後方での兵站等を差し引いても戦闘要員は凡そ十三,四万程度。
対する王国は兵数は六万強と言った所。唯、兵站が伸びきっていない、地形に熟知している。
そして、一線級の指揮官の数の差等を鑑みれば、一方的に有利な状況とは言えないものがあった。
「8対2、いえ・・・・下手したら7対3くらいまで持ち込まれるかもしれませんね・・・。」
楽観出来ない。7対3と言えば確かに有利だ。
しかし、10回やって7回勝てる。では、残り3回が出てきたらどうするのだろうか?と。
今まで彼女の戦は、彼女が率いる限りに置いて戦の趨勢は開戦前から決まっていた。しかし、今回ばかりはどちらとも言えない。
遠くから禁軍の旗が見えてきた。既に禁軍の半数程度は着いている。見える旗は石橋将軍のもの。
彼の軍が遅れてきた原因は、一週間ほど前にヴァルキリアで起こった乱に発している。
食糧庫に火をかけられ、挙句の果てに政治犯収容所を襲われて、囚人の全てを取り逃した。
その犯人達は未だ逃亡中。旧異端者領・・・今においては国崎伯領に逃げ込んだ後は、行方が知れていない。
いや、知りようがない。かの場所にはまだ治安維持の為の部隊すら存在していないのだから。
唯、間違いのないことは一つ。
(今回の一件、栞ちゃんを助けてくださった団体が裏に居る・・・・)
その事は、既に全員に伝えてある。
(しかし、何故・・・栞ちゃんを助け出してくれたり、と思ったらヴァルキリアに乱を起こしたり・・・・)
単純に考えれば、帝国を恨む人間の反抗。・・・王国の間諜か・・・公国の残党。
または、世界に乱を起こそうと目論んでいる第三勢力。
しかし、それらの事を秋子は真実だと思えない。
(あまりにも、あまりにも手際が良すぎます。・・・・それに、あれだけのことをする準備を一年、二年の期間で作り出せるわけがない。)
乱に加わったとされる者の中には、帝国一の豪商や、帝国の兵士。挙句の果てには帝国の貴族まで加わっていた。
それだけの根回しをする割には、逆に彼等のやったことは大人しい。
貴族を、豪商までも取り込んでいる勢力、ヴァルキリア全体で乱を起こす事だって不可能でない。
トントン。と扉を叩く音がして、思わず思考を現実に戻す。
「侯爵閣下、石橋禁軍将軍が侯爵閣下と皇太子殿下にお目どおりを、と。」
気がつくと、既に部隊の先頭はこちらの砦の入り口に差し掛かっていた。
「まったく、悔しいわ!・・・どうして勝てないのよ!」
バンッと剣を地に叩きつける。
目の前には、苦笑しながら剣を・・・布を巻いた剣から布を剥ぎ取って鞘に収める少年が一人。
「私と北川君が模擬戦をやったら負けたことは一度もないって言うのに・・・・」
名雪と組むから悪いのかしら?と恐ろしい事を呟く。
「それは酷いよ、香里〜。私、一生懸命やったよ?」
間延びした声で不平を口にする友人を見て、軽く謝罪する。
「貴方と久瀬君が組むとどうしてこうまで強力になるのかしら・・・・・・先の戦の時も二人で一緒に戦場に出ていたら相沢君にも一泡吹かせることが出来たんじゃない?」
やめてくれないかな。と体の前で思いっきり両手を交差させるのは話されている対象。
「僕と北川君程度であの方達と同列視するのは余りにも失礼だと思うよ。だいたい、 僕たちが二人組んだ所で彼の人達一人相手に勝てるわけもないと思うけどね」
模擬戦を、名雪、香里と北川、久瀬の二組、各自千人ずつ。
武器は布を巻いた槍、剣。及び、矢尻を外し、これまた矢先に朱を染みこませた綿を付けた弓矢のみ。
こう言った形態の模擬戦は、この帝国分国においての訓練に良く用いられている。
一部隊同士における模擬戦では、香里や往人と言った所が無類の強さを誇るものの、こと二部隊、三部隊と言った実際の 戦場さながらに軍勢が入り乱れる形態になると、久瀬、北川と言ったところが真価を発揮する。
「そちらは二人共、戦の形が似ているからだと思うよ。こちらはまるっきり正反対の性格がこうした所では役に立つ」。
そう苦笑する有人は、実際に優れた指揮官であると香里は思う。
彼の戦は、自分が主役になることを考えていない。
常に、どうしたら味方友軍が動きやすいか。それだけを考え相手に隙を作るような戦をし、北川勢はそこを的確についてくる。
詰め将棋のような戦。そう言ってみるのが一番本質を捉えているだろうか。
「おい、どうやらあちらさんもお着きのようだぞ。秋子さんも一弥も既に向かったらしい。」
小走りに駆けて来た往人の発言に全員が頷く。
「名雪さんっ、行こ。」
あゆがひょい、と差し出した手には濡れたタオルが一枚。
あゆ自身は、名雪の部隊に入れてしまうと指揮官が一人増えると言う不公平から、こう言った形の模擬戦では別々に動いている。
「あ、うんっ。あゆちゃん。」
タオルを受け取って、ちょっとだけ汗で濡れた髪を拭う。
そして、義妹の手を取って、駆け出す。
「う、うぐぅ!・・・名雪さん、速い、速いよ!」
手を引かれると、あっと言う間に引きずられる。
それを見やった香里達が笑みを浮かべ、後をゆっくりと歩き出す。
「あの子達は相変わらずね。でも、それがいいのかもしれないわね。」
全く。と有人が頷く。
「でも、もう少ししっかりしてくれるとこちらとしても助かるんだけどね。」
ははは。と乾いた笑顔を浮かべる往人と潤。
間違いなく皮肉を十分に込めた一言は、彼等の心にも十分に突き刺さっていた。
「皇太子殿下にはご機嫌麗しゅう」
目の前で叩頭しているのは石橋将軍や北川将軍。他、禁軍の並みいる将軍達。
頭を下げている、その見えない顔はどのような表情を浮かべているのだろうか?と一弥は思う。
自分を馬鹿にするように笑っているのかもしれないし、扱いやすい奴だとほくそえんでいるかも知れない。
(秋子さんの人形・・・姉が居ないと何も出来ない飾り物・・・)
そんな揶揄はもう聞き飽きていたし、自身も特に否定しようとも思っていなかった。
一弥にとっての誇りは一つ。
兄と慕う男性が、その守るべき友人達を自分に託してくれた事。
国崎往人、霧島聖、神尾晴子、観鈴。
それらの人が居る事が、相沢祐一と言う人物が自分を信頼していてくれた事の証。
それさえあれば、もう十分。
「長旅ご苦労様です、将軍。これより貴方は私の指揮下に入っていただく事になります。宜しいでしょうか?」
毅然と、誇りを持って話す。
隣に優雅に座っている母親のような、師が『それでいいんですよ』と言うように微笑んでくる。
「勿論、殿下の命に一命を賭して従う所存にございますれば・・・」
言質は取った。と言うように心の中で笑みを浮かべる。
彼等からすれば、第一線で功を立てる機会は得られる物と思っているだろうか。
でも、既に彼等の役割は決まっていた。
「では、石橋将軍には左軍の大将を。副将は北川子爵閣下、そして久瀬伯、北川子爵公子を。但し、久瀬伯、北川子爵公子には 既に戦場における独立行動権と、総司令部の代理人としての役目も与えております。」
む。と軽く眉を上げる将軍。
実質的に、ここに居る貴族の子倅達が自分と同等の立場にあると言うこと。
水瀬侯爵より下になるとは思っていたものの、ナンバー3には居るだろうと思っていた彼等にとっては、侮辱にもなる。
斜め後ろに鎮座している北川子爵からすれば、面白くなった。と思える。
ずっと自分の副将でしかなかったひよっこが自分と同等、それ以上の立場に来てしまった。
ニィッと息子に向かって笑いかけると、潤も軽く片目を瞑る。
「な!独立行動権等!・・・それは・・・・」
黙っていられなかったのは、むしろ石橋、北川両将軍のさらに後方の者達。
自分より遥かに年下の者に命令をされる。屈辱だと思ったのだろう。
「独立行動権等前例にありませぬ!・・・前例と言えば、せいぜい相沢公爵が旗下の白騎士団に与えた程度。殿下に置かれましては・・・」
そのような戦場の経験も少ない青二才を彼の白騎士団と同等に見なす御つもりでございますか?!
そう続けようとした言葉は、ゆるやかに立ち上がった侯爵の睨み一つで声に成らない。
「・・・貴方方は誰の許しを得て皇太子殿下に向かって顔を上げているのですか?」
ギロリと睨まれるだけで体が竦み上がる。
怖い。彼等は自分より遥かに弱い者を蹂躙する戦しか行った事がない。
それだけに、目の前から殺気を・・・・今にも剣を抜いて切りかかられそうな殺気を出している女性の目を、マトモに見ることすら出来なかった。
そして、一拍遅れて・・・彼等の意地が折れる。
平伏して頭を擦りつける人たちは、もう二度と逆らう事はないでしょうね。と思いつつ正面の石橋、北川両将軍を見ると、諦めたように 、苦笑するかのように頭を下げていた。
彼等も一つ、この場で学んでいる。
『帝国の若い連中にはロクなのがいない。』
一弥の周囲に居る者達と、自分の後ろに居る者達。それを比べるだけで明らか過ぎていて・・・もう、笑う他やりようもなかった。
「全て、殿下の思うがままに。・・・・久瀬伯、北川公子。宜しく頼む。」
軽く頭を下げてくる禁軍最高位の将軍に目を見張る。
プライドと意地の塊のような老体がこんなに腰を低くするのを見たことがない。
「いえ、こちらこそ。まだまだ未熟者。色々ご指導ご鞭撻の方、よしなに」
先に近づいていって膝を付いたのは有人の方。潤は慌ててその場で頭を下げた。
全員が一弥を見ると、一弥もホッとしたように息を吐く。
「それでは皆さん、出陣の支度を」
その言葉を聞いて秋子達、立っている物は拝手を、座している者は黙って頭を下げた。
「・・・・結局、浩平は間に合わないみたいね。・・・・本当にごめんなさいね。茜ちゃん、皆。」
はぁ。と溜息を吐いたまま頭を下げる由起子を責める者はいない。
「とりあえず兵は集まりました。浩平抜きでもなんとかやるしかないです。」
蜂蜜色の編んだ髪が緩やかに揺れる。
実際、あの後の茜の行動は非常に素早く、あっと言う間に指揮系統を作り直し兵を集めてしまっていた。
その速さは、瑞佳が思わず舌を巻くほどに、速い。
「そうだねぇ。詩子さんからすれば折原君が居た方が楽なんだけど・・・・・・流石にみさおちゃんに頑張らせて 自分がサボるのは気が引けちゃうんだよねぇ」
「・・・・ふざけていると怒りますよ?詩子。」
「わわわ。そんな睨まないでよ、あかねー。ちゃんと、ちゃんとやるから、ね。」
目が本気だった。普段大人しい人が怒った時ほど怖い物はない。と詩子は思う。
だいたい、元より浩平が居た所で第三陣まで兵団を作る場合三人目はどちらにしても詩子だった。
結局の所、彼女の役割は浩平がいようといまいと大して代わりがない。
「兵を率いるのは、主に私と雪見さんになります。七瀬さんは浩平の代わりに騎馬軍団の指揮を」
「ああ、折原君が居ない分はやっぱり私なのね。まぁ、諦めてはいたけれども。」
むしろ、詩子と違い浩平の穴を埋めさせられるのは雪見。
本来であればみさきと共に後方支援に回って後方支援の総指揮を取るはずの彼女。でも、この場合ではしょうがなかった。
苦手なのよね。と顔を顰める女性は、それでも外す事の出来ない戦力だったから。
(せめて澪が居れば・・・)
自分の可愛い妹のような少女の顔を浮かべる。
浩平が居なくても、彼女が居ればまだ穴は埋めようも有った。でも、浩平は自身と言う穴と、祐一と言う穴。そして、上月澪と言う穴も 作り上げて出て行ってしまった。
結果、ピースが足りない。北方を立花将軍一人に任せきるには対面に来るであろう敵軍は強靭であろうから。
「当然、魔導兵団は長森さんです。・・・・出来る事なら長森さんにも魔導兵団と同時に一兵団を受け持ってもらいたいくらいなのですけれど・・・」
「わ、わ。私は魔導兵団だけで手一杯なんだよ。うん、ごめんね?里村さん。」
そう言ってくる瑞佳は、本気でやろうとすれば少なくとも自分と同等の才覚を持つ将だと思っている。
浩平を立てることを第一に考えすぎて、それが故に三大魔導士と呼ばれる三人の中でも、水瀬侯爵や倉田皇女に劣る評価をされていた。
(決して将としての才覚も水瀬侯爵に劣る物ではないと祐一は言っていましたけど・・・・そう言ったところで・・・)
『御世辞だよ。祐一の。もう、里村さんも本気にしちゃ駄目だよ?』と笑い飛ばされる事が必死なだけに言おうとも思わなかった。
思わず溜息を吐く。圧倒的に人材が足りない。
「・・・・本隊は私が率いて、それが二万一千。それに、詩子の一万。この二部隊は中央道を東進します。そして、深山先輩の諸貴族の軍等諸々併せての一万九千。 さらに加えて七瀬さんの騎馬軍団が八千と、長森さんの魔導兵団が護衛の兵を入れて千二百。これらの部隊は南部から。 あとは川名先輩の後方支援部隊が約三千。これは、基本的には本隊の後をついてきてもらいますが、 他の部隊との連絡は常に保っていただきます。・・そして・・・・」
会議が始まって以来、一度として口を開く事のなかった一団に目を向ける。
鎮座しているみさお、佐祐理、佳乃。美汐は外で警護に当たると言って出て行った。佐祐理や佳乃は、本人達が遠慮して出て行こうとするのを 由起子自身が『みさおちゃんの近くに居てあげて』とお願いして同席している形。
「・・・・立花将軍は同席していらっしゃらないようですね。」
意見を貰いたい。と、思う。彼の将軍の助言を貰えれば非常に為になる。
「あ、えっと、私がお願いして残ってもらったんです。えっと・・・・やっぱりまずかったですか?」
自信なく狼狽を明らかにするみさおは、あたふたと顔を左右に振る。
それを見て、茜が『いえ。』と首を軽く横に。そして、
「みさお様には独立部隊として、北の方角からの進行の指揮をお願いします。」と告げる。
独立した指揮系統で動いて頂きます。と続けられて、はいっ。としっかりと頷くみさお。
「基本的に・・・最も相手の布陣しだいにはなりますけれど、両翼から相手を包み込むように攻める事を主眼に置いています。」
みさおと、留美をそれぞれ眺める。
両軍は、間違いなく最強の部隊を持っている。相沢の公国軍の精鋭と折原浩平直属の騎馬軍団。共に敗北と言う言葉に縁のないような王国自慢の軍勢と言える。
本隊を多少薄めにして両翼に戦力を回したのは、自分が耐え切れると言う自信と、 そうしないと勝利はおぼつかないと言う確信から。
最初っから、綱渡りの戦となる。相手の兵力はこちらの倍近いのだからしょうがないと言えばしょうがない。
「そうそう、茜ちゃんにこれを渡しておかないといけないわね。・・・・はいっ。これ」
突然思い出したように由起子がどうぞ、と。差し出されるのは短い刀。
総司令官の証となる、刀。
武器としてではなく、象徴として用いられる物である。
「これは・・・・浩平の物です。私が受け取るわけには行きません」
「違うわ。これは、総司令官の証。浩平がこれの持ち主なのではなく、浩平が総司令官であったからこそこれの持ち主だったの。 今は茜ちゃんが総司令官。代理と言っても、ね。だから・・・」
これは茜ちゃんの物よ。と言われて、仕方なく受け取る。
「分かりました。それでは浩平が帰って来るまでの間『お預かり』しておきます。」
但し、そう一言だけ添えるのを忘れないように。