第一〇話








「お疲れ様です。みさおちゃん。・・・・・あと、ごめんなさいね」

ペコリと、姪に向かって頭を下げる。

何も出来なかった、いや、何もしなかった自分を恥じて。

今まで、浩平と祐一様と言う二人の天才に全てを頼ってきた。

二人が居なくなって、そうなった時に何も出来ないのは、決して二人のせいではない。

「え?・・・あ、えっと、別に私も・・・自分で動いたわけじゃないです。」

全部、佐祐理さん、佳乃ちゃん、立花様がやってくれたんですよ。と微笑んで答える。

それに、いち早く情報が伝わってきたのも祐一君の作り上げた情報網のおかげですから。と。

そう、自分は何一つしていない。周囲に優れた人材がいるからこそ、自分は動いていられる。

「そうですか。祐一様は本当に大切な方々を与えてくれたんですね。」

千兵は得やすく、一将は求め難し。と言う言葉は、おそらく事実。

それだけのものを与えてもらった。だから、自分達はそれに答えなければいけない。と、思う。

「・・・・女王陛下」

唐突に声が上がった方向を見ると、今まで俯いていた茜がしっかりと由起子の顔を見据えていた。

「・・・・茜ちゃん、どうしたのかしら?」

「里村さん?」

シン。と静まり返った部屋。

それは、呼吸の音まで聞こえるかのように。

「浩平の代理としての総司令官の任、謹んでお受けさせていただきます。」

何かを決意したような目は、黒く透き通っていた。

「・・・・そう。ようやく受けてくれる気になったのね。」

実際、浩平が書状を送ってきた時点で、茜は既に浩平の代理の総司令官である。

そう。名目上は。

ただ、これは茜の覚悟。

自らが浩平の代理を勤め上げようと言う。

「皆もそれでいいかしら?」

文句を言うものはいない。

誰もが、自らの不甲斐なさを心の中で悔いている中、一人だけ自らを律していた茜に、彼女等はもう一度取り残されたような気すらしていた。

頑張ろう。と、だから思う。

祐一が、浩平が帰ってきた時に、しっかりとした形でバトンを渡せるように。







「ようやく、ですね。」

戦の詳細についての指令書が送られてきていた。

それを見て、宰相水瀬秋子は、静かに・・・・笑む。

総司令官に倉田一弥、参謀長に水瀬秋子。

禁軍筆頭の石橋将軍は、あくまで禁軍の指揮官であり、禁軍自体の指揮権は総司令官に委ねられている。

考えうる限り、最高の布陣だった。

「俺の親父も出てくるのかよ。また小五月蝿いのが・・・・」

やれやれ。と肩を竦めながらも、何処か嬉しそうな潤。

「全く、素直じゃないわね。お父様に会えることを少しは喜んだらいいのに」

香里の言葉に、全員が笑みを浮かべる。

「んなわけあるか!俺は別に・・・」

そう言いながらも、彼が父親の事を誰よりも尊敬していると言うのは周知の事実である。

「まぁ、北川君をからかうのはそれくらいでいいんじゃないかな?香里君。今は・・・」

どう動くか、だろう?と場を纏めるのは有人。

「前回同様、と言うのは勘弁してもらいますよ?候。」

ニィッと笑いながら告げる彼自身、先の戦をクレスタの砦の防衛に回され、参戦出来なかったことを悔いている。

戦術の全てをぶつけ合えるのは、武人の本懐。今度こそは。と言う意識が出てくるのはしょうがない事。

「分かってますよ。久瀬さんには今回は右軍の先陣をお任せするつもりでいます。」

そう言いながら、紙の上に名前を書き込んでいく。

「中軍は当然一弥さんです。そして右軍は石橋将軍の禁軍のつもりです。その中で、彼が先走りしすぎないように静止をかけるのが貴方の役目です。 期待していますよ。」

ニッコリと微笑まれて、文句を言う事も出来ない。

「・・・今度は私にお守をしろ。と言う事ですか。・・・相変わらず侯爵は私に重荷を押し付けになる。」

「大丈夫ですよ。貴方になら出来ます。・・・あ、あと、副将には先の戦同様北川さんをお貸ししますので、精一杯こき使っちゃっていいですよ」

げ。と思わず声を上げるのは当の本人。

口煩い大将と、兵卒からのたたき上げでプライドの高い禁軍将軍。おまけに、自分の親父まで来たもんだ。さぞかし 楽しい行軍になるだろう。と想像するだけで嫌になる。

「騎馬軍を二千預けますから、好きに動いてくださいね。・・・基本的に、久瀬さん、北川さんの両軍には戦場における指揮系統からの制約を受けない独立行動権を 半分認めますから。」

それは、破格の待遇と言えるだろう。

そんな待遇を受ける軍と言ったら、故白騎士団の相沢大輔団長が相沢祐一の下で部隊を動かす時くらいと言われていた。

それは、それだけこの二人のことを信頼していることに他ならない。

不満そうに口を尖らせていた二人が、それを聞いて思わず驚愕と興奮を顔に張り付かせる。

(この二人なら、自らを見失って崩壊することもないでしょうね)

静の久瀬と動の北川。二人が組めば、模擬戦においておよそ無敗のコンビであったから。

「・・・・それで、次ですが・・・・」

二人のことはとりあえず済んだ。と顔を別の方向に向ける。

視線を向けられたのは、往人。

「左軍、これは国崎さん、貴方です。勿論、霧島さんも神尾さんも一緒に行って頂きます。」

おう。と笑顔で頷いたのは、一弥の旗下に入って間もない往人。

彼の抱えている三万弱の軍勢は、おそらく帝国最強の軍勢であろう。と秋子は思っているし、他の誰もがそれを事実だと思っている。

「予定としては、左軍から敵を食い破り、中軍と挟撃すると言うのが戦の基本的な構想となっています。期待していますので 頑張ってくださいね。」

「突き破れ、ね。・・・随分厳しいことを言ってくれる」

「それだけ私達が信頼されていると言う事だろう?」

「ま、ウチはアンタについてくだけや。せいぜいきばってくれや」

「観鈴ちんも一緒?」

この四人は、最初っから共に行動している人達。それだけに結束が固く、いざと言う時に非常に頼りになる。

それに聖からすれば、先の戦の前に祐一の策を崩そうと送りつけた佳乃の存在もある。

故、相沢大輔は、佳乃のことは王国に無事に送り届けて、頼りになる者に面倒を見てもらう。と言っていたから。

「そうですね。当然観鈴さんは旗下の魔導部隊でもって国崎さんと一緒に行動して頂きます。・・・あ、あと、あゆちゃんも そちらに合流させてもらいますから、そのことも合わせて宜しくお願いしますね。」

「え?秋子さん!・・・ボク、水瀬軍から外れるの?」

寝耳に水。と言った感じに、慌てて名雪とあゆの視線が交差する。

初陣の時から何時も行動を共にしてきた姉と離れての行動。それに対する不安があったから。

「ええ。今回の戦、左軍に戦力を集めます。あゆちゃんには、スノウを率いて観鈴さんと一緒に魔導部隊を率いてもらわなければ行けません。」

王国には、白騎士団亡き今、世界最高峰の魔導部隊がある。

王国が魔導将軍、長森瑞佳。世界の三大魔導士の一人。

三大魔術師、そのうち一人は既に失われた倉田佐祐理皇女。

そして、水瀬秋子と長森瑞佳。

その旗下の魔導部隊は、相沢家の協力を受けて編成されたとも聞いている。

おそらく、王国で最も警戒するべき部隊。

「・・・・そして、中軍ですが、分かっていますね?名雪。香里さんも、お願いできますか?」

言葉が口から出てくる前に、視線を向けられるだけで全てを理解していた名雪、香里。

言わずもがな。中軍の先鋒部隊、他に勤められる者等いるわけがない、と二人は自負している。

先の戦において、倉田皇太子は戦勝報告と共に、国崎往人と水瀬姉妹、美坂姉妹を特に功のある者として奏上していた。

それ以来、彼女達は『帝国の戦姉妹』とも称されている。

互いに、その片割れを欠いた状態。それでも、親友同士の繋がりは帝国の中でも最高のコンビの一つであることに疑いは無い。

「勿論です。前回は相沢君相手に不覚を取りましたが・・・」

二度とあのような無様な真似はしませんよ。と不敵に笑う香里は、先の戦において戦場の芸術を目の当たりにした。

それを学び、自らの血肉とする。

美坂香里の一番凄い所は、彼女が『努力する天才』である所。

「うん、お母さん。・・・じゃなかった。宰相閣下。あ、え、えっと・・・」

ふにゅう。と舌を噛みかけて、蹲る名雪に、笑いが巻き起こる。

「期待していますよ、名雪。・・・中軍は勿論一弥さん、後詰は、私ですね。」

最後に一弥の名を、自身の名を書き上げると、戦の布陣が出来上がる。

先の戦で皇女が自ら勤め上げた後方支援の役を自らに課したのは、それが一番の難所であるから。

十五万の兵の食糧。それに何かあった時点で、戦は終わってしまう。

「それでは、とりあえず本国からの兵が到着するまでは各自に自身の部隊を纏め上げ、行動の確認を行ってください。」

解散。と言われて、一斉に人が動き出す。

先の戦によって、全員がしっかり成長したことを秋子自身がその目に見せ付けられていた。

そして、心の中で秋子は一つ、呟く。

秋子にもまた、王国に行ってやりたいことがあった。

公国の関係者に会って、渡さなければいけないもの。

その為にも、負けるわけにはいかない、と。







「・・・・」

隣の伯爵の声が少なくなってきたのは疲れたからだろうか?と思って、祐一も一先ず立ち止まる。

「・・・少し休憩いたしましょうか?お疲れでしょう」

気遣うように、一言。

祐一からすれば、先行していた部隊との合流も近く、合流してから休憩を取ろうと思ってはいたものの、別にここで一旦休憩を とったところで大して影響はない。

「あ、いえ、・・・失礼致しました。別に私自身が疲れたと言うわけでは・・・」

ふぅ。と軽く笑って汗を拭う伯爵を眺める。

確かに、疲れが溜まっているようには見えない。他の者が簡易馬車で移動する中、一人だけ共に歩くと言い出したのはしっかりした 自信に裏打ちされたものだったらしい。

数の少ない馬を、体の弱い老人や女性が乗る為の簡易馬車の為に回してしまった為に、 騎乗する立場のはずの浩平、祐一も歩いている。澪は一緒に歩くと主張したものの、祐一に説得されて御者の立場に甘んじていた。

「はぁ、そうですか。・・・これはこちらこそ失礼を。まさかこれほどまでに健脚な方とは思いませんでした」

既に歩き始めてから半日は経っているだろうか。合流地点まではもう四〜五時間程度歩けば。という程度。

「・・・・・・・・・ちょっと、娘の事を考えていたものでして。あの子には私達のせいで酷い生活をさせてしまっています。 何とか私達の無事を知らせる事が出来れば・・・・」

そう言って、一瞬の後ハッと。慌てて、気にしないで下さい。と、とりなす。

こんなことを言ってしまっては、この誠実な方はまた自分達の為に力を割いてくれるに違いない。

いくらなんでも、それだけはしてはいけないだろう。と、思う。

相手の好意に甘えるにも、限度はあるのだ。と

一方、冷や汗を掻いているのは祐一と、隣の浩平、澪。

「・・・・お、おい、お前、今まで言ってなかったのか?俺はてっきり・・・」

『・・・祐一君が言っていると思ってたの』

完全に自分のミスなだけに文句の言いようも無い。

「・・・・・忘れてた。・・・・・もうこっちとしてはそれが当然のことと思っていたもんだから・・・・・」

美汐を助けたからこそ、この人達を助けることができた。それが彼等の前提。

が、相手にとって前提が違うのは当たり前すぎること。

「あ、あの・・・・・」

伯に気遣うように声をかける。

悲しそうに、老け込んで見えるのは気のせいではないのだろう。

「は、何でございましょう?」

声にも何処か元気がなく、とっとと言って置けばよかった。と、後悔。

そう言えば、戦闘以来何処と無くぼぉっとしているような気がする。こんなミスをするなんて自分らしくなかった。




数秒後、祐一が申し訳なさそうに




『美汐さんは・・・・・』

とこれまでの経緯を説明し終えた時には、彼は慌てて連れてきた彼の妻と共にもう一度自分の前に平伏していた。

なんだか、妙に気まずかった。







「えっと、これはこちらに運べばいいんですね?」

飲み物の入ったビンを載せた籠を、あたふたと運ぶ。

元は侯爵の次女、そして倉田一弥旗下の将となり、そして罪人・・・・その後に逃亡者となった少女。

「ああ、はい。それで構わないですよ。すみませんね、侯爵家の娘さんにこんなことさせてしまって」

そう言いながら微笑む青年も慌てて動いている。

人が足りないので手伝って下さいませんか?とお願いされて、快く受けたのは凡そ小一時間ほど前のこと。

元々急な移動だった。

いきなり、『すみませんが帝都から離れます。準備を』と言われ、帝都から連れ出され、馬車の中に乗る事二,三日。

そして、事情を聞いたのはそのあと。

それは、自分の目的にも合致すること。

『帝国領内の政治犯の解放』

それを聞いたとき、栞はこの団体の内部に疑問を抱く。

王国の勢力化にある団体ではない。そうであったならば、自分を助けるわけもないし、政治犯を解放させるよりも 悪辣な者を野放しにし、心ある者を牢に入れたままの方が都合が良い。

(・・・・帝国内の反皇帝派の勢力でしょうか?)

「今からいらっしゃる方が私を助ける事を命じた貴方方の隊長さんなんですよね?」

一番興味のあったのは其の事。

自分を助けるように手を回したのは、彼等のリーダーの希望だと聞いている。

(・・・・私の、美貌を狙っての事でしょうか・・・あぁ、でも私には祐一さんと言う心に決めた人が・・・)

脳内で繰り広げられる常に快晴な劇場。

お蔭で、目の前の石ころにも気づく事は無く・・・

「きゃっ!」

蹴躓いて、ヨロメク。

「ああ、気をつけて下さい。・・・・ああ、えっと、そうですね。あの方は厳密には我々の隊長って訳ではないんです。あの方は私達の長ではありますが、 この団体に属しているわけではありませんからね」

そう言った青年が、遠くからの『お〜い、油売ってないで料理運んでくれ!』と言う声に頷いて駆けて行く。

「まぁ、とにかくもう少ししたらお着きになられますよ。それまでは、こちらの手伝いでもしていてください。 本当に人手が足りないもんで」

彼等は馬車を二十台程度も移動させていた。

元々貴族と言う立場だからか、門兵に中身を咎められる事もなく、『王の特命である』て通過していたが、 もし中身を確認されていたら大変な事になっていた、と栞は思う。

自分を乗せてくれた馬車。罪人を連れ出すだけでも大変。

でも、それ以上に他の馬車に積まれていた物。

金。・・・・溢れるばかりの金。

貨幣に直すといくらになるのかも分からない。

唯、少なくとも小さな国が一つ買える位の大金であることに間違いない。

「う〜ん・・・。分からないですね」

気がつくと、さっきの衝撃のせいで一部のビンから中身がちょっとだけ毀れていた。

慌てて手ぬぐいで拭う。

ちょうどその時、遠くから馬の嘶きが聞こえてきた。







「なぁ、祐一、お前・・ちょっと顔色悪いように思えるんだが・・・」

突然の浩平の言葉に、放たれた矢のように澪が馬から飛び降りて駆けつけてくる。

「そんなことはないさ。まぁ、ちょっと疲れはしたけれど。・・・あ、すみません、澪さん」

慌てて祐一の体を抱きかかえる様に支える澪は、あの夜の一件以来、祐一の身体能力の低下を今まで以上に意識するようになっていた。

勿論、祐一に対する個人的な感情もありつつ、本人が体が不自由と言う事でより一層祐一のことを心配している部分がある。

澪は、抱きかかえるように両手を使っている為に、画用紙に文字を書くことが出来ず、パクパクと口を動かすだけ。

「・・・・えっと、・・・『だいじょ・・う・・ぶ』。か、どうなんだ?祐一」

澪の言葉は、浩平の口を伝って紡がれる。

唇の動きで、会話は出来るんですよ。とは彼の妹に聞かされた言葉。

そして、急に止まった三人に、周りの者も慌てて駆けつけてくる。

澪の目から見た祐一は顔色が明らかに悪い。

何処と無く、白く見える。

どうして気づかなかった。と浩平が自分を責めている。

そういえば、美汐のことを話し忘れていた事自体が何時もの祐一からしたら信じられないような失態ではなかったか?と。

天野伯爵が慌てて自分の着ていた上着を『失礼致します』と前置きした上で、背中にかける。

それを脱いだ時点で、老齢の伯爵の着ているのは薄着の布地一枚だけ。

「いや、そんな・・・皆さん、あまり気になさらないで下さい。伯、これから寒くなりますよ。これは貴方に必要でしょう?」

やんわりと澪を離して、背中の外套を笑顔で差し出す。

『ダメなの!』

画用紙に書かれたわけでもない。声が聞こえてきたわけでもない。

でも、しっかりとそう聞こえたような気がして、そして、再び澪の腕の中に頭が収まる。

「おー、積極的だなぁ。みさおや佐祐理、佳乃が見たら泣くぞ」

ヒュゥ。と小さく口笛を吹く浩平に澪の冷たい視線が一つ。

「や、そんな視線を向けないでくれ。冗談だって、冗談。・・・すみません!誰か!」

頼みます。と言われて、一人が慌てて馬車から馬を離して駆け出す。

もう少し先には、先行隊のキャンプがあるはずだった。

困ったなぁ。と苦笑いを浮かべる祐一を、軽くねめつける。

こいつにもしものことがあったら、自分はあの三人に殺される。

それは、帝国十五万なんかよりよっぽど浩平に恐怖を与えるものだった。







「誰か!医者は居るか!!」

いきなり乗り込んできた男は、騎乗のままで怒鳴りながら駆けている。

「どうした!誰か怪我でもしたのか?」

あまりの急な行動に、数人の男が慌てて近づいて行く。

部外者の自分は行ってはいけないんだろう。とその場で静止。

そして、数秒後、近寄っていった者の全員が顔面を蒼白にして、医者を呼び始める。

「医者ぁ!誰か!・・・急げ、祐一様が倒れられたそうだ!」

ビクッと立ち止まる。

『祐一様』確かに、彼等はそう言った。

そして、氷解。

あまりにも規模の大きすぎる目的不明の団体。

自分を助けるようにと命じた謎のリーダー。

決して彼等の隊長ではないのに、彼等の上に居るもの。

あの人が生きているとしたら、全ての疑問は解かれる。

思わず涙腺が緩んで、慌てて目で擦る。

どうして生きているのに連絡もくれなかったのか、それ以前にどうして生きていられたのか

佐祐理さんはどうなったんだろう。

疑問は尽きない。でも、今はそれよりも重要なことがある。

「あ、あの」

そして、栞は近くに居た者に声をかけて

「私は、少々ですが治癒術法の心得があります。祐一さんの所に連れて行っていただけますか?」

目を軽く潤ませながら話し掛ける。

頷いた男が近くの者に合図をして、馬を引いてこさせた。

当然、栞は馬に乗れる。そうでなければ、騎馬兵を主力とした美坂侯爵軍には参加出来るはずがない。

えいっ。と掛け声を小さく上げて馬に跨る。

「急ぎます。付いてきてください」

青年の声にはい。と小さく答える。

そして、馬の脇腹を『宜しくお願いします』と言うように軽くつま先で突付く。

疾走する馬の首に両手を巻きつけて、駆ける。

彼女の、美坂栞の時間はこうして動き出す。







先ほどからずっと、澪は必死に口を開いている。

哀れむのは本人に失礼。それでも、浩平は哀れと思わずに居られない。

大切な人に、想いを言葉で伝えられない苦しみ、いかほどの物か。

自分が言葉を話せなかったら・・・何時も、そう想像するだけで心胆が寒くなる。

「澪、言いたい事があるのなら俺に向かって口を開けてくれ。・・・出来るだけ代弁してやる」

近寄って話し掛けるも澪の視線は祐一の顔に向いたまま。

どうやら、祐一は澪の腕の中で意識を失っているのだろうか。目を閉じたその表情は今まで気を張って隠していたのか、歩いている時と顔色が目に見えて違う。

『祐一君!祐一君!』

必死に口を開けて、届かない悲しさに胸が痛む。

唯抱えることしか、唯心配する事しか出来ない。

一言、元気付ける事も出来ない。

みさおちゃんが、佐祐理ちゃんが、佳乃ちゃんが羨ましいと思えた。

遠くから聞こえてくる馬の嘶きは祐一を助けに来てくれる使いのはずなのに、その音が何故かとても悲しく聞こえていた。







馬から慌てて降りる。

目の前には、女性に抱かれた男性が目を閉じていた。

見間違えようがない。

それは確かに、自分の想い人の姿。

「祐一さんっ!」

急いで、駆ける。

遠目にも、顔色が悪い事は分かった。せっかくの再会がこんな形なんてロマンチックじゃないですね。と思う暇もなく・・・

そのまま、慌てて駆けつけ・・・ようと、する。

が、祐一まであと4,5歩。と言う所で目の前に突き出されたのは、刃。

浩平の助けが来た時に一瞬緩んだ顔は、馬から下りてきた人物を見て強張っている。

風貌については聞いていたから・・・。美坂栞と言う女性の風貌については。

「・・・・アンタが美坂栞か。公国を滅ぼした英雄って所かな?悪いが、俺はまだアンタをそこまで信用出来ていない。」

見据えてくる視線は、何処までも冷たい。

下手な返答をしたら、斬ることも辞さない。と言うような構え。周りの者もあまりのことに一歩後ずさる。

その気迫は、オーディンの国境橋で祐一が見せたものにも匹敵するほどの。

そこらの兵卒ならば、当てられるだけで気を失いそうな、気迫。

それをしっかりと受け止める。

「本来なら、アンタは黙って倉田一弥の所に戻されるはずだった。少なくとも、祐一はそのつもりだったはずだ。が、アンタは 祐一に会っちまった。いいか?・・・こいつに会っちまったってことは、アンタはもう姉の所に・・・倉田一弥の所には戻れない。 おそらく祐一は戻す。と言うだろう。が、祐一が戻すと言っても俺が許さん。大輔様の犠牲を、公国の勇者達の犠牲を無に しかねない。そんな行動を俺は絶対に許さん。それでも帰りたいって言うんであれば・・・」


「ぶった切る。」


それは、誇張でもなんでもない。と栞には感じられた。

目の前の男は本当にやるであろうと。

と、同時に相沢祐一と言う人物の生存を隠す理由は、それだけの理由があるのだと言う事を知る。

単純に、保身の為に身を隠しているなどと言う事ではない、もっと深い理由があることを。

でも、今はそんな場合ではない事も分かる。

「私のことはどうでもいいです。・・・・・・・・貴方が私を殺すと言うのならそれでも構いません。でも、今は祐一さんを見る事が先です!」

キッとおそらくは百戦錬磨の将であろう男を睨みつける。

気がつくと、辺りの視線が全て集中。

こちらを見ていないのは、祐一と、心配そうに髪を梳きながら泣きそうな顔をしている女性だけ。

そのまま、数秒。

ふっ、と青年の顔が柔らいで・・・・・・・

「・・・・・・分かった。とりあえずはよろしく頼む。さっきの続きはその後だ。」

チン。と音がして、青年は黙って道を開ける。

そして、目の前には青い髪の女性と、抱きかかえられた祐一だけ。

「あの・・・」

女性に声をかけるも、聞こえていないのか、それとも祐一以外の全ての思考を止めているのか、返事がない。

「えっと、すみません!」

にゅい。っと目の前に顔を突き出す。

綺麗な、と言うより可愛い女性に思えた。

祐一さんの周りには何時も誰かしら女性が居るような気がする。と思うと何処となく面白くない。と思いつつも、言葉を紡ぐ。

「祐一さんを見せていただけますか?私は少しですけれど医術の心得があります。」

覗き込んでくる年下の少女の顔は何処までも真剣。

軽く、頷く。

そして、祐一の頭を膝の上に乗せて、栞の前に出す。

栞は、祐一の体を見て、ハッと息を飲んだ。

左腕が、ない。

三国に並ぶ者なし、と称えられた勇者の、その片腕が。

その気配を察したのか、軽く自身の腕が掴まれて、顔を上げる。

青い髪の女性は、『そんなことより祐一君を』と目で語っていた。

そう、今は祐一さんの腕のことより、祐一さんの体を。と自分の中で思考を再起動させる。

そして、集中。

栞の手が淡い光を放つのが浩平の目にも見えた。

妹のものとはレベルが違う物の、一般的な治癒術法を売りにしている医者と同程度の腕前ではあるだろう。

栞が用いているのは癒すのを目的としたものではなく、相手の体の中の『気』の流れを見る事で、何が悪いのかを特定する為の術法。

(・・・どうやら、別に何処かに異常があると言うわけでもないみたいですね。)

ホッと一息吐くと、安心のあまり額に汗が流れた。

全体的に気の流れが弱っている。

『過労』ですね、と断定する。そして、周囲は『暫く休めばしだいに回復します』と告げられて、安堵の声をもらす。

「出来れば、布団の中で休んでもらいたいんですけど、・・・ここでは無理ですね。少なくとも、馬車を一台開けて頂けないでしょうか?」

当たり前のこと。と言うように周囲のものが頷く。

全部で8台ある馬車。既に、乗っている者は一人としていない。

誰もが祐一の異変を聞き、慌てて馬車から転がるように降りてきていた。

「・・・・とにかく、キャンプまではこのままだ。おい、美坂栞、祐一と一緒に馬車に乗れ。澪、お前もそのままだ。」

そう言うと、青年が馬車の馬にサッと跨る。

出来るだけ揺らさないように。そのためには、一番馬の扱いに優れた者が行くのが一番良い、と。

そして、ねめつけられた栞が小さく溜息を吐く。

まだ信用されてはいない。当然のこと。

自分は、相沢祐一と言う人を、相沢大輔と言う人を、この世界から追い出した実行犯の一人。

元より、こんなことで全部許してもらおう何て思っても居ないから。

でも・・・と、眠っている少年を眺める。

この人に対する恩返しはさせて欲しい。と、思う。

例えそれが自らの父を、母を、・・・姉を裏切る行動だったとしても。

近寄って来た男に軽く頷く。

そして、力のある者の助けを借りて、栞たちは祐一の体を馬車の中に運び込んだ。