始まりは、折原浩平王太子達が予想していた通り。

ロンディアの会戦、それから僅か一年後のこと。

オーディネルに、帝国皇帝からの親書が、届く。

そこに書かれていた内容は、帝国の民などから伝わってきた噂で、王国の女王・・・小坂由起子にはどうしようもなく王国の国民の間に広がっていった。

それは・・・・

――――我が国を裏切り、内乱を仕掛けた者の残党が貴国に身を寄せている疑いあり。願わくば、我が国にその罪人達を引き渡されんことを――――

切に、願う。と。

その内容が、一般にもどう言う訳か伝わりだすと、連日オーディネルの王城の前には長蛇の列が出来上がる。

公国の崩壊以来、溜まりに溜まってきた国民の怒り。

それが、この時になって、一気に噴出していた。

元より、公国の崩壊を黙って見過ごしたと言うだけで王国首脳は民から相当に叩かれている。

民からの抗議を受け付ける公的な場所には常に人が列を作っていたし、帝国領となった元公国領付近の王国領では、 国境警備隊が単身公国へ乗り込もうとする義勇兵を必死に押しとどめても居る。

その上、今回のこの一件。

もはや、王国と帝国の間の亀裂は・・・・少なくとも、片方の民心においては明らかだった。

王国の首脳達にも、こうなっては止めようがない。

元より彼等とて黙って要求を受け入れる意思等なく、実際問題として、本来であれば誰よりも公国へ援軍として参上したかった者達が文武百官に集っている。

開戦までの流れは、スムーズに進んでいった。







それから数十日遅れて、帝国帝都、ヴァルキリアにオーディネルからの返書が、届く。

――――要求は不当な物である。我が国としては、一度受け入れ、民と成した者に対し、他国からの如何なる要求であっても それを引き渡すことは、ありえない――――

そのような内容の文を見た皇帝は一人、ほくそえむ。

この、余りの予定通りの事の運びに。

これで、世界の全てが自分の物になったのだ。と

彼は、即座に倉田家の属国扱いとなっている旧公国領の総督、倉田一弥皇太子に命令書を発行。

――――王国に対し、宣戦布告をせよ――――と







これを受けた倉田一弥皇太子は、自らが師と仰ぎ、最も信頼の深い水瀬秋子宰相に相談。

先の大戦で公国軍を破った稀代の戦略家にどうした道を取るのが最も良いのか?と

結果、数千程度の部隊を一つだけ、王国に対して派兵すると言う方針が取られ、派兵が行われる事となった。

そうすることによって、早期における戦の激化を防ごうと。

勿論、兵力の分散投入の愚は誰よりも分かっている侯爵。唯、それ以上に彼女は相手を信じていた。

互いが、なるべく本格的な戦を引き伸ばそうと努力するであろう事を。

そして、指揮官は久瀬有人。副将に北川潤。

総勢八千の軍勢が、一路王国へと向かうこととなった。

新しく、ようやく作り上げた王国との橋を通って。







この軍勢を迎え撃ったのは、これもまた、先の大戦の後新たに作りかえられた軍事体勢。

折原王家は、王太子折原浩平に軍事の実権の大半を授けるとともに、対帝国用の備えとして、 その国土の北6分の1程度を、新規の領土として、王族に分立させる。

そこに、新たに折原分家として伯爵号を授けた折原みさおを。

と、同時に王家に折原王太子ともう一人だけ残っていた男子であり、王太子がその任に着くまで数十年の間王国の軍事を支え続けた 齢八十を超える自身の大叔父を後見として付けた。

王太子殿下は妹姫に軍事的にも上級将軍位・・・折原王太子兼総司令官に次ぐ立場を授けて、また、その領土内から五千程度の寡兵を行い、訓練させる。

この姫将軍の下には、彼の白騎士団の中で勇名を轟かせた人材が数人ついていた。

実際、彼女は生き残りの白騎士団、併せれば七百人超全ての忠誠を受けてはいるものの、彼女自身がその存在意義を知っている為、 帝国との争いに参加させることを固辞。

同様に、公国から逃れ、尚公国の正規兵として働く事を望んだ一万超の兵士にも、同様の理由から出兵を拒否した。

唯、その中で彼女は一番の、そして最も信頼出来る側近からの助言を受け入れ、特に白騎士の中でも人を束ねる立場にあった者だけを数人だけ譲り受け、軍を作り上げる。

総司令官は折原みさお姫将軍にあるが、実際に軍を動かす立場になるのは、相沢大輔の後継者として世界に名を轟かせている立花勇元百騎長だろう。と 事情を知っている誰もが思い、そう認識した。

この五千程度の軍勢が、王太子からの直接の命令を受けて、迎撃の任につく。

と、共に後詰として、折原王太子は自らの最も信頼する里村将軍に、三千強の部隊を預けて送り出した。







水瀬秋子、折原浩平。

この、二人の稀代の戦略家の頭にあったものは、「本格的な戦は出来るだけ引き伸ばしたい」と言うこと。

水瀬侯爵からすれば、むやみに大軍を・・・特に、国崎将軍旗下の主力軍を出してしまうと、相手としても折原王太子が出てくる ような総力戦となり、損害も凄まじい物になる。

だから、小規模な軍勢を繰り出す事で、帝からの命令は遵守しつつ、尚互いへの損害を小さくしよう。と言う訳である。

王太子殿下も、その侯爵の意思が分かったからこそ自らの妹の新兵だけの軍勢を差し向ける。

所詮は、半分軍事訓練のような戦。

新兵だらけの軍勢を鍛えるには丁度いいだろう。と

それに、下手に大軍で迎え撃ってしまっては、それこそ相手の大軍を引き出すようなものだ。と言わんばかりに







こうして、調停者を失った世界で、新たな流れが始まっていく。

新しい英雄の名前と共に。

第一話








第一話








「佐祐理さん?」

「ふぇぇ?・・・祐一さんっ!!。何か御用ですか!!」

慌ててパタッと日記を閉じる。

中でガリッと音が聞こえた。中で鉛筆が擦れているみたいで、後で消さなくちゃ。と思いつつ、慌てて振り返る。

「用も何も、何時もの時間だから迎えに来ただけなんだけど・・・」

ふと空を見上げる。

日は、既に高々と上がっていた。

王国に逃れてきてから、ちょこちょこと暇を見つけては佐祐理は文を書いている。

自分達の生きている時代についてを、後の世界に残してみたい、と。

英雄が集うこの時代を。

「ご、ごめんなさい。今すぐっ、今すぐ行きますっ!!」

慌てて服を着替えようとして、短い叫び声に・・・さらに慌てる。

「ゆ、祐一さん!!部屋から出てください!!」

「おぁ!!って・・・いきなり着替え出さないでください。外で待ってますから。」

顔を真っ赤にして飛び出て行く祐一を、これまた赤い顔で見送ると、服を脱いで・・・そして、軽服に着替える。

何時も何時も繰り返している事だった。







「佐祐理さん、遅いよぉ。こんなに待たせるなんて極悪だよぉ・・・祐一君と何かしてたの?」

『遅刻なの。・・・みさおちゃんが居ないからって祐一君を独り占めするのはずるいの』

「ごめんなさいっ!!ちょっと、考え事をしてたら遅く・・・ってふぇ?!澪さん。何か長々と書いていると思ったらそんなことですか! 佐祐理は『まだ』何もしていないですっ!!」

詰問して来る二人と、とっさに謝る一人。

はたから見ていると、面白い。

「どっちかと言えば、佐祐理さんも何か書いていませんでした?俺が行ったら慌てて隠していましたけ・・・・」

ジロっと睨まれて、留まる。

食糧を預かっているものに喧嘩を売るのは命取りであろう。

「それで、今日は・・・何を説明することになっていましたっけ?・・・前回は、確か往人が帝国軍を奇襲で破った時の 軍略を説明したんでしたっけ?」

恒例となっている、軍事教練。

個人としての戦闘能力は勿論、全体を大きく見渡せる目が彼女達には必要であったから。

そう、あの時、馬車で5人で話した時以来。







――――それで、佐祐理さんはこれからどうするんですか?今更帝国にも戻れないでしょう?――――

――――佐祐理は、祐一さんの左手になります。それで・・・――――

――――みさおちゃんを守るんだよぉ。私が一号さん、佐祐理ちゃんが二号さん。祐一君は、特別会員に任命しちゃうよぉ――――

――――えっと、佐祐理さん、本当に大丈夫なのでしょうか?だって、私の傍に居ると・・・弟さんやお父様と・・・――――

――――お父様は、間違っています。・・・一弥も巻き込んで・・・。佐祐理は、お父様の悪行をお止めしたいです。だから・・・――――

――――・・・・何か、俺も組み入れられているのは気のせいか?俺はもう・・・――――

両国の争いに関わる気はないぞ?と続けようとして、肩に手を置かれたのを、感じる。

「それは無理だな。祐一。・・・いくらお前と言っても大切な妹を『キズモノ』にした以上は責任っても・・・・」

黙れ。と腹に拳を一撃。蹲る浩平を、馬車から蹴り落とす。

転がって行く様は、何処か満足そうにも見えたけれど。

「あ〜あ。浩平は・・・大輔様みたいに祐一をもっと上手く扱わないと、ね。」

やれやれ。と見送る瑞佳が恐ろしく見える。

もう少し心配してあげてもいいんじゃないか?と

「でもね、祐一。浩平はやっぱりみさおちゃんが心配なんだよ。だから、祐一に守ってあげて欲しいんじゃないかな?」

そう言って、瑞佳が祐一に、現在みさおがどんな役割を受けることになりそうなのかを、聞く。

「里村さんや、将軍位についている皆が推薦したらしいんだよ。本来だったら、この軍部においてNo2に当たる役割は 里村さんが就くべき要職なんだけどね。」

なるほど。と頷く。

確かに、みさお以上にこの役目に適している者はいないだろう。自分が由起子さんの立場でも、そうする。

それが、本人の心にどれだけの負担を強いるのか。それを考えてしまっては国家は成り立たない。

「でも・・・・そんな情報、何処からやって来たんですか?まだオーディネルにも着いていないってのに。」

「うん。えっと・・・今、お迎えが来てくれたみたいで、その時に聞いたんだよ。祐一はまた寝ていたから・・・」

顔を上げると、馬が一頭、並走しているのが見受けられる。

「澪・・・さん?」

『お久しぶりなの。これからもよろしくしますなの』

馬上の人影に頬を緩める。

そこに居たのは、10年来の知り合いの姿だった。みさおの親友でもある、上月澪将軍。

「これ・・・からも?」

「あ、えっと、澪ちゃんはみさおちゃんの補佐役に任命されそうなの。って言っても、立花様が付いているからどっちかと言えば 澪ちゃんがお世話になっちゃうかもしれないけど」

それに、澪ちゃんが祐一の方に行く事、一番強く立候補したらしいから。と続ける瑞佳。

『頑張るの!!』

!マークまでわざわざ書き込む所が丁寧と言うか何と言うか・・・と苦笑する。

つまりは、自分が寝ている間に自分の役割は既に決定されていたようだった。

でも、佐祐理さんや佳乃が、裏切り者としてではなく、しっかり受け入れてくれるのならそれでもいいか。とも思う。

「しかし、残念ですけど・・・今の俺、それに、グングニルの神槍もほとんど力残っていないですよ?アレは、そういう場所ですから。」

神界と現界を隔てる場所。そこは、神としての相沢祐一の『生』を、奪っていた。と、同時に神たる武器の力も。

「力がないって・・どれくらいに?・・大丈夫なの?」

心配そうに瑞佳にまで詰め寄られて、危うく膝の上の佳乃を落としそうになり、慌ててバランスを取る。

「そうですね・・・」

そして、ちらっと後ろを、駆け寄って来る浩平の方を一瞥。親指をさして・・・

「少なくとも、体の力はもうほとんどないです。多分・・・普通の武器ではもう戦えないでしょうね」

にぱにぱと右手を。握力は昔とは比べ物にならない。

「とは言っても、・・・自分の剣を使わせていただけるのなら、浩平を相手と言うのなら二〜三十分は耐えて見せますけど・・・・それ以上は持たないと思いますよ」

が、瑞佳は、そう言われてちょっと安心する。生活に影響があるような状態でないことに。

「うん。それなら大丈夫だよ。祐一に前線に立って欲しいなんて全然思ってないから。ね?みさおちゃん、澪ちゃん。」

祐一には、みさおちゃんの師になって欲しいんだよ。と

二人が、同時に大きく頷く。

目を見るだけで、何故か相当期待されているのが、分かった。

「しかし・・・・わざわざ帝国に備える為だけに、俺を使うんですか?・・・よもや負ける事もないでしょうに」

苦笑を一つ。

そして、もう一つ笑って・・・・

「・・・言わなくても分かっているとは思いますが、一つ言っておきます。もう俺は人を率いる 気もありません。少なくとも、『相沢祐一』と言う指揮官を王国が求めていると言うのなら今すぐこの場を去らせて頂きます」

そう言われる事が分かっていたかのように瑞佳は微笑む。

その微笑が、答え。

「・・・分かりました。有難くお受けいたします・・っと、よろしくお願いします。上月将軍閣下・・・王女殿下」

「はいっ!!・・・・でも、公務ではない時は今まで通り名前でお願いしますね。」

『こちらこそなの。私も名前で呼んで欲しいの』

二人の返答を受けて、目を閉じる。

「それと、ね。王国の方からも里村さんが遊撃隊を率いてそっちに赴任することになると思うんだよ。そっちも宜しくね。里村さんは 私にとっても浩平にとっても大切な友人なんだよ」

「わざわざ茜さんまでこっちに来るんならわざわざ俺を雇う必要もないでしょうに。・・と、言うか、あの人をこっちに差し向けて 、それで持つんですか?そちらの軍部は」

その言葉にちょっと・・ちょっとだけ瑞佳は苦笑するように笑って・・

「浩平が、ちゃんと働けば大丈夫だよ、多分ね」

澪が、みさおが、笑う。

(まぁ、生きてみると・・色々楽しいもんだなぁ。ねぇ、叔父さん)

まだまだ楽にはさせてもらえないようだった。







それ以来、みさおが公務の間は三人に、そうでない時は四人を相手に軍略の講義を行っている。

「ん〜・・・じゃぁ、今日は・・・何を教えればいいかな?」

特にないんだよなぁ。と苦笑して、立ち上がる。

基本的なことは大抵叩き込んだし、戦術眼等は実地で実践訓練を行う以外どうしようもないから。

「それじゃ、後は外での訓練をして、上がりにしようか。佳乃は佐祐理さんに、澪さんは・・・・そっか、今の俺じゃ出来ないですし・・・」

そのまま少しだけ顎に手を当てて考え込んで

「いいや、三人で一緒にやってください。基本的に、澪さんに何時も俺がやっている役割任せますから。」

は〜い。と三人が駆け去っていくのを眺めつつ、遠くを見つめる。

戦場は彼の方角だろうか?と。

次の戦場までには、なんとか二人を仕上げないといけないな。と思った。

今回は、いわば前哨戦。

秋子さんが両軍の損害をなるべく減らそう。と思ったからには、きっと次の戦までには前大戦で疲弊した軍団を再編成してくるのだろう。

その戦では、いくらみさおの軍勢に極めて優秀な数人の指揮官がいるとしても、無事で居られる保障は、ない。

誰もが、次の戦の時には兄弟同然の少女を守ろうと必死に訓練を重ねている。

「『神の名を継ぐ者たち』って所か。」

遠くで訓練を行っている三人を見つめる。

既に、相当高い戦略眼と、稚拙ながらも重要な所で良い読みを見せる佐祐理。

指揮官としては使えようもないが、個人の魔導師としては至極優秀な佳乃。・・・最も、ムラがあるのが心配点ではあるが。

そして、王国で将軍位を受け、里村筆頭将軍の片腕とまで言われた、澪。

この三人を、みさおの片腕。と言う位置まで鍛え上げるのが今の祐一の役目と言えた。

つまり、三人を自分にとっての大輔のような存在に鍛え上げると言う事。

「ま、頑張りますかね。」

右腕を、回す。

遠くでは、受け損ねた佳乃が地面に仰向けに倒れ、佐祐理が慌てて駆け寄っている。

それを見て、朗らかに笑った。

ここに来てから、確実に祐一は笑う回数を増やしている。それも、心からの笑いを。

初めて、祐一は人生を楽しむ。と言う事を行っていた。







―――――――― 一方その頃、戦場―――――――――

歓声が大きく鳴り響き、軍馬の嘶きが、人の声があたり一面に響き渡る。

相沢祐一率いる公国軍を打ち破った帝国軍。そして、その最も濃い部分を引き継いだ、帝国軍の独立部隊。

「全く、正直、ここまでやれるとは思わなかった。所詮は人気取りの工作だろうと思っていたんだが」

僕の見通しが甘かったみたいだね。と愉快に笑う。

(公国との戦闘に参加出来なかったのは残念だけど、世界は広い。か)

世界最高の軍勢と、軍略を競い合う。その機会に触れられない残念さを、彼・・久瀬有人はいかんなくぶつけていた。

彼の率いる軍勢、五千。それに、副将の北川潤新子爵の率いる、三千。

ちなみに、久瀬の軍隊は久瀬家の軍としての扱いではあるが、北川潤子爵が率いている三千の兵士は、倉田一弥の独立国の兵士である。

貴族の私兵と国軍。

立場は違えども、両軍ともが互いを尊敬しあっていて関係は非常に良い。

何しろ、独立国建国以来、疲弊した他の軍隊・・・水瀬侯爵軍や美坂侯爵軍等が再編を余儀なくされている間、国家を支えたのはこの八千の軍なのであったから。

彼等は、前大戦を生き延び戦の厳しさを知る、・・・元々異端者と呼ばれ、迫害されて来た者を 公国が主導となって作り上げた国崎往人の軍勢を除けば、現帝国軍における最強部隊である。

その部隊が、人数においても、その練度においても劣る軍を、抜けない。

勿論、彼等とて本気で相手を叩き潰そうと思っているわけではないが、もう少しはやれるはずだと思っていたのは事実。

「全く、思わず宰相閣下の命を忘れそうになりそうだね」

思わず、全力で敵指揮官と軍略を競ってみたい。とも思えてしまう。それを、必死に抑え付ける。

「きっと、北川君も同じように感じているだろうけれど。」

隣の副官に、声をかける。

「北川君に連絡を。・・・役目をお忘れなき用に。と伝えてくれればそれでいい。」

駆け去って行く部下。先の大戦で他の二侯爵家がその力を凄まじく奪われた事に対し、久瀬侯爵家だけは 損害なく乗り切っていた。

戦の終了後には、相沢祐一公爵と道連れにこの世を去った佐祐理皇女が、久瀬公子と個人的な関係にあったから贔屓したに違いない。 等と言う噴飯ものの噂が流れたりもしたが、彼自身が全く取り合わず、同時に他の侯爵家が真っ向から贔屓説を否定し、そう言って 取り入ろうとする者を遠ざけた事で、そのような噂はあっと言う間に立ち消えとなった。

ちなみに、民達の間では、逆に公国の若き公爵と帝国の若き皇女の報われぬ恋。などと言うストーリーがはやっていて、登場人物の名前を変えつつ 芝居等も行われている。

帝国の上層部からはあまり好ましいとは思われていないようだが、この存在も久瀬公子と失われた皇女の作り話を減らす役割を果たしていた。

そんなこともありながらも、とにかく、彼の家は力をそのまま・・・いや、むしろ、戦功によって膨れ上がったともいえた。

現久瀬侯爵の領土に加え、有人はそれとは別に戦の功と、皇太子を支えると言う意味で旧公国領に領地を受け、一代限りの特例措置として伯爵に奉じられている。

これは、他の将軍位に付けられた者も同様(往人だけは別ではあるが)で、各人が領地を持ち、と、同様に美坂家も久瀬家も それまで自家が抱えていた常備軍を子供にそのまま譲り渡し、自分達は後進の育成に励んでいる。

結局、損害を受けた両家にも援助を欠かさず、久瀬家は他の二家を支えるようにして、戦後を乗り切っていたのである。

今回の遠征の役目を立候補したのも、彼の家が一番行軍に耐え得るだけの余裕を保持していたからに他ならない。

「折原姫将軍。作られた英雄ではないと言う事だね。」

ほぅ。と溜息を吐くと共に、手を上にあげる。

(龍の妹もやはり龍・・・)

今は亡き相沢公子と並び表されたほどの戦の天才、折原王太子。その実力のほどは計り知れないが、目の前で繰り広げられている戦場に思いを馳せる時、己ずとその実力の片鱗がうかがえる。

「深く入り込まないように。暫くしたら、退く。・・・遅れないように」

パチンッ。と手に持った扇子を閉じる。

戦の終結は近いだろうな。と思った。







「ったく、あいつは俺のことをどう思っていやがるんだか・・・」

そう言いつつ、残念そうに椅子に、座る。

何度も何度も自重を促す伝令が。

確かに、こうやって逐一止めて貰わなければ既に彼は戦場に突入していたかもしれない。

「それにしても、兵の動きは稚拙。数もこっちが上・・・。」

でも、押し切れない。

相手の指揮は、巧みと言うより、むしろ狡猾。

五隊に分けられた敵兵は、こちらの兵の攻撃を、受け流すかのようにして、同士討ち紛いの状況を作り上げていた。

敵ながら見事な采配。と彼は思う。

下手したら、指揮官の練度だけなら在りし日の水瀬侯爵軍にも匹敵するかもしれない。

「折原姫将軍、か。今まで名前を聞いた事はなかったが・・・」

なるほど、王国のジョーカーかもしれない。と思う。

そう思うと、今は亡き公国の友人が、その少女と仲が良かったと言うのも頷けるような気がした。

おそらく、あいつはその軍才を見抜いていたに違いない。と

それは、相当ズレタ考えではあったのだが、北川潤と言う人物が見た、相沢祐一と言う人物は、 そういった理由もなしに女性と仲良くなれるなんてことはない。と言うものである。







そして、公国軍。

折原の姫将軍。とか呼ばれることも多くなり、その軍勢は軍隊としての動きを少しずつ洗練させているのだが・・・

彼女の本質は、結局の所あんまり変わっていなかった。

「みさお様?敵軍が戦線を収束させようとしておりますが」

答えが、ない。

ただ、ふわりと、微笑むだけ。

それに対して、彼女の副官であり、全軍を統率している立花勇が、全く。と言うように軽く、笑う。

――――あいつの大きさは、兄貴より上かもしれないですよ?――――

戦前、彼が今でも主と仰いでいる少年はそう言って、笑った。

――――あれほど部下の力を引き出せる指揮官を、俺は他に知りませんから――――とも。

実際に部下として戦場に立ってみると、その言葉の意味が分かるような気がした。

彼女は、自分で指示を出すと言う事を・・・まずしない。

『全てお任せ致します』と言わんばかりに黙って座っている。

ゆったりと微笑んで、戦に怯える感じも、興奮する感じも、ない。

唯、周りの者を信頼して、そこにその存在を置く。

先頭に立って的確な命令を告げて行く祐一様や大輔様とは一線を隔した戦い方を為さる。と思う。

実際、みさお自身も、色々考えてこんなことをしているわけではない。

ただ、掛け値なしに信頼しているだけ。祐一が、大輔がくれた自らの槍であり、自らの盾である者達を。

「立花さん。全て、お任せいたします。・・・でも、私に何か出来る事があったら何でも言ってくださいね?」

戦場に咲き誇り、そして、味方を癒す。

残酷ながら、彼は何故王太子殿下や女王陛下が、この少女をこんな立場に持ってきたのがが痛いほどに理解出来ていた。

(早く、祐一様達が合流してくだされば良いんですが・・・。)

慣れない戦場は彼女の心に傷を作っているだろう。

支えになってくれる人が傍にいれば良い。そう、思った。

自らが主と仰ぎながらも、実は苦痛な事に、立場的には自分の下に位置してしまっている少年の顔を浮かべながら。

里村将軍が折原王太子より上の立場には絶対付きたくない。と言ったことがあると彼は聞いている。

彼女の気持ちが、今の彼には非常に良く分かった。

自分より優れた部下を持つ事は、相当に疲れることなのである。

しかし、彼にとっての不幸は茜の場合はその立場を固辞出来たことに対して、彼はそれを固辞することが出来なかった。

唯、その一点。しかし、それはとてつもなく大きいことなのではないだろうか?と思えた。







「将軍。我々は参戦しないでも宜しいのでしょうか?」

少し離れた丘。王国の軍旗を掲げた部隊は、陣を構えるだけで動く雰囲気をもっていない。

「結構です。その必要はありませんから」

編まれた栗色の髪が風になびくのを感じながら、将軍・・里村茜は目の前の戦場を眺める。

元より、これは自分が与えられそうだった役目。王国に対する備えとして、新兵の鍛錬。と、同時にその地域の治安維持と経済的な発展を 目指そうと言う大きな、大きな役目は。

それを、先日誼を持った王女殿下に推薦した自分の判断が間違いでなかった事を、目の前の戦場は証明してくれていた。

自分がここに来る必要なんて本来はないはず。唯、浩平がここに自分を寄越したのは戦術の無限の可能性を自分に見せようと。 それだけのことであることが今では理解出来ていた。

「このまま待機していてください。それと、日暮れと共に私達は撤退させて頂きます」

準備を。といわれて、周囲の将官が慌てて飛び出して行く。

はっきり言って、ショックだった。

目の前の戦場で行われている事、それを自分がやれ。と言われたらおそらく・・・いや、間違いなく出来ない。

最も、祐一辺りに言わせれば、仮に互角の状況で、立花さんや他の公国の将が茜さんと互いに総司令官として当たったとしたらおそらく勝てないだろう。と言うだろう。

逆に、先鋒の一部隊の将として当たった場合は逆になるだろうとも。

つまりは、あくまでそれは互いの得意分野と苦手分野の問題であり、さらに言えば本人の資質の問題であるのだ。と

「浩平が私に見て来い、と言ったのはこれを見せる為ですか。」

軽く笑みを浮かべると、彼女自身も黙って踵を返す。

既に、戦は終結を迎えようとしている。







やがて、この戦は終結を迎えた。

双方共に損害を軽微に収めようとする意図が見られた為、ほとんど小競り合いのままに。

そして、相手の実力の見極め。帝国軍からすれば、それが目的の一つ。

先に退き始めたのは、帝国側。空の色が赤くなるのを見ると、遠征軍総司令官、久瀬有人は部下に撤退の命を発す。

それに従い、退いて行く部下に、王国軍は追撃をかけなかった。

お互いがそろそろ退き際であろうと考えていたからである。

こうして、王国と帝国。その長い長い歴史の中で、初めてと言っていい両軍のぶつかり合いは、半分拍子抜けのような形に終わっていた。

その頃みさおの館で、三人の訓練風景を眺めながら昼寝を始めていた祐一の、予想通りに。








と、言うわけで、とりあえず新章と言うかそのまま続きと言うか・・・なお話です。




前回の話を読んでいない方には半分意味不明でしょうけれど、その点は何卒ご理解の上・・・って今更書いてもしょうがないですが。

この話は、当然祐一。それに、みさお、佐祐理、佳乃・・・(+α)。そして、何故か入ってきた澪達を中心としつつ、尚浩平や往人、一弥や名雪達をもしっかり 主役級使いたいと言う、むちゃくちゃなコンセプトの下に書き出されています。

ちなみに、前回と違って、主人公の立場が立場なだけに、もっと戦場を一点に掘り下げる場合が多くなってしまうかもしれません。

あくまで戦場の動きを書きつつ、その中である程度、個人。と言うものの物語を書いてみたいと言う心境に立ってのことですね。

(と言っても、別に個人戦闘を中心に書くというわけではありません。)




ちなみに、澪が何故か入ってしまっているのは、前作で「使おう使おう」と思いつつ、設定まで書いて、そのあげくに使わなかった。と言う 汚点を解消する為・・・かもしれません。

前作の最後、澪が合流して、祐一がこの立場に付くところ(つまり、今回の中ほど)で切るか、それともあそこで切るか。

悩んだ上であそこで切ったので澪がほとんど消えました。なんとも見事なまでに。




また、前作から常に名雪や秋子さん達は敵と言う立場に置きつつ、尚憎めない敵。と言う立場に立ってもらっている・・・つもりです。

そのうち味方になることも、ある・・・かもしれませんね。