第二十六話








そして、後方ではまた一つ流れが動いている。

崖上の弓兵大隊を襲撃しようと、上れる場所を探して、森林部に突入。そのまま敵伏兵に狙撃されて、二〜三十人の兵を失いつつも 目的地に辿り着いた北川支隊。

しかし、敵軍は甘くは無い。

「くっく・・やってくれる。流石は相沢公家」

やられたな。と笑って、剣を鞘に戻す。

そこは、既にもぬけの殻で・・・。

つまりは、こちらの軍が伏兵の攻撃を受け始めた頃には既に撤退を開始していたと言うことだろう。

「本隊に合図を出せ!!こっちも降りるぞ!!」







その頃には、本隊の両翼、詩子、雪見の両隊が、今までにない激しさで持って美坂、水瀬両軍に突撃を敢行していた。

彼女達には、本陣で何があったのかは理解出来ていない。でも、非常事態であることは良く分かる。

「指揮官殿!!本隊で祐一様の副官を名乗る方から伝令が!!」

ようやく来たわね?とほぼ同時に報告を受けた二人が、ほぼ同じ感想を抱く。

「足の速い部隊を救援に回していただきたいと!!」

最後まで言葉が発せられる前に、既に彼女達は動き出している。

「騎馬隊、今すぐにどれだけ用意出来る?!」

その、雪見の報告に答えがすぐに返って来る。

二百五十の騎馬兵。それを、本隊の救援に即座に向かわせて、考え込む。

(もし、自分が突出して、これで柚月さんが同時に攻め立ててくれなかったら、崩壊するわね・・・)

考えて、苦笑する。

そんな間柄では、なかった。

「全軍。突撃しなさい。余力はいらないわ。全ての力を吐き出すの。良いわね?!」

応!!と一層大きな声が上がって、全軍が勢い良く彼の軍へと雪崩れ込む。

と、同時に、対面からも部隊が敵軍へ急迫しているのを見て、安堵の溜息を一つ。

(ま、流石。と言った所かしらね?・・・あれで、もうちょっと真面目になれればいいんだけど・・・)

でも、そうなったら私の立場がなくなっちゃうわね。と一人呟いて、小さく笑う。




「さっすが深山先輩!もし、こっちだけ突撃することになっちゃったらどうしようかと思ったけれど。・・・」

同様に、公国軍右翼。率いているのは、柚月詩子。

その彼女が、そんな心配、失礼だったかな?と軽く首を傾げる。

「ま、元から大して詩子ちゃんは心配していなかったけどね。」

――――もし、思い通りにならなかったら茜になんとかしてもらうし――――

その問題発言を聞く者はいない。

もし、茜が聞いていたら『嫌です』と言い放ってくれるだろう。

想像するだけで、笑みが浮かんだ。







そして、水瀬侯爵本陣へと激しい突撃をかけた両翼軍。

既に、浩平の部隊は本陣を視界に捉える所まで侵入して来ている。

「さて、と。七瀬。右転回。行くぞ?」

は?と周りの将兵が首を傾げる。

このまま行けば、相手本陣を蹂躙出来る。ここで転回する意味など―――ない。

「あのなぁ。あそこに居られるのは公爵閣下の叔母君だ。討つわけにもいかんだろう」

初めて目の前の男がマトモなことを言っている。と留美は激しく感動する。

「ま、一応ご挨拶だけは済ませておく。けどな」

でも、そこで退いては浩平ではない。

彼は、用意していた紙を矢にくくりつけて、敵本陣へと・・・撃つ。

「さ、挨拶も済んだことだし、離れるぞ?茜もほら。な?」

促されて前を向くと、多少遅れて敵陣を突破して来た茜の部隊が、やはり彼女達から見て左に転回している。

「俺達も、あれと合流するぞ?そのまま前線の両侯爵軍を、討つ!!」

その言葉に、半分頷きつつ半分悔いを残すかのように、敵本陣を眺めつつも、部隊は敵本陣を避けるように移動して行く。

――――敵中突破。である。――――




その矢文は、戦場にあって尚、秋子の下へ届く。

既に自分の命が奪われることを覚悟していたのに、敵の両部隊は本陣を目の前に部隊の方向を転換。

帝国軍中央を、そのまま東に突き破ろうとしていた。

「閣下!!・・・・敵司令官と思われる、仮面の男からこのような文が・・・」

取って、読む。

――――再戦を、楽しみに待つ――影の英雄様より――

戦場にあって、それでも思わずくすっと笑う。

「誰だかわかりませんが、多分もう一度お会いすることになるのでしょうね。」

フフフと。

何故だか、敗戦だと言うのに妙に楽しかった。




そして、公国軍の右翼。

率いている里村茜が、目の前の軍を見て思わず溜息を一つ。

「流石は、浩平ですね。」

自分としては、出来うる限り最速で敵の囲みを突き破ったはずだ。

それなのに、それなのに浩平の部隊の方が一歩、早い。

彼女が、浩平の部下でいることを受け入れている理由が、そこにはあった。

結局、浩平を部下にするのがどうとか、以前に、彼女が王国で一番戦術家としての折原浩平を認めているのかもしれなかった。

そろそろ、敵本隊が到着してくるはずだ。それまでに、出来るだけ敵軍から離れなくてはならない。

(急がなきゃいけませんね。浩平と違って、私は乱戦の中で生き延びることは出来ませんし。)

王国軍総司令官と違って、個人としての武勇は英雄と言うにはほど遠いばかりか、平均以下を自認している茜は、心の中で愉快そうに 笑いながらも、仮面の下の表情は変わっていない。

何時でも何処でもポーカーフェイス、それがある意味で彼女の強みとも言えるのかも知れない。







そして、それに遅れて雪崩れ込んでくる軍勢。その帝国軍本隊は、峡谷を押し合いへし合いしながらも、戦場に一気に突入して行った。

哀れだったのは、秋子の率いていた先鋒部隊の本隊と言える。何しろ、整合の取れていない部隊の突撃した場所には彼の部隊が 存在していたのだから。

そして、この時の折原、里村両隊の行動は、特筆に価する。

敵先方隊の混乱に付け込んで、敵先方隊の本隊、前方に突入。そのまま、敵先方隊の前衛部隊を後方から挟撃する策を敢行した。

急に後方から現れた両隊は、敵本隊・・・相沢大輔率いる五千の軍勢、それに、側面からの両隊、各三千。それに、後方からのこれまた 五千ほどの精鋭に一時的に囲まれることとなってしまう。

これは、折原・里村の両隊も敵軍の中央・・・つまり、敵軍の挟撃を受ける位置にいることになってしまってはいるのだが、 敵軍が混乱の最中に居た為にほとんど後方からのプレッシャーを受けずに突撃を実行することに成功した。

この、折原・里村両隊が戦場を抜けて、相沢大輔の本隊と合流するまでの数十分の間の美坂・水瀬両隊の損害は、とても直視出来ないほどの 物となってしまっていた。

敵防衛陣を破る為に、その後の包囲網の中で敵本隊の攻撃を必死に支え続けた長い・・・長い時間は彼の軍の将兵を恐ろしいまでに疲弊 させていたのである。

結果、両軍併せて一万は居たであろう軍勢にあって、マトモに戦いうる将兵は、既に半数残っているかどうか?と言う有様になってしまっていた。

しかも、その半数も無傷の者は皆無と言っていいほどの・・・・つまり、両軍は実質的に壊滅状態に追い込まれた。と言うことであった。

「早く、早く先鋒隊の救護をお願いします!!」

完全に疲弊しきった状態で、秋子は突入して来た味方軍将官に懇願する。

数分遅れるだけで、おそらく数十、数百の命が失われる可能性があったから・・・・。

それも、未来の帝国を支えなければいけない、帝国軍の最強部隊の両隊が。である。

その両部隊が壊滅させられたと言う事実だけで、この三〜四時間の間の公国軍の攻撃の、その凄まじさが如実として現れてもいた。

そして、秋子から要請を受けるまでも無く、佐祐理と一弥は部隊に敵の追撃よりも味方部隊の救出活動を優先させるように。と命令。

公国軍の二万弱の軍勢は、敵の追撃をほとんど受けることも無く戦場から離れることに成功していた。

こうして、ロンディアにおける会戦は一時的に終戦を迎える。

この、帝国軍と公国軍が初めて大々的にぶつかった大戦は、公国軍死者が二千に満たないかどうか?と言う程度の被害だったのにもかかわらず、 帝国軍はその二倍、三倍もの死者を出し、しかも、それと同数にも及ぶほどの負傷者を出すと言う惨憺足る有様に終わる。

が、その一方、帝国軍はその本隊を無傷で残したまま最難関とも思われた峡谷の防衛陣を突破。結果として、戦略的には帝国軍が優位に立ったとも 言えなくも無いような状況で終わりを迎えた。







が、当然、秋子達戦場で戦った将官は、とても勝ち戦だ等と思えるはずもなかった。

その保持する最強部隊を壊滅状態に追い込まれ、有能な将官はほとんど前線に自ら立ち向かい命を散らしてしまっている。

むしろ、生き残った将校は、部隊の総司令部程度と言っていいくらいにされていた。

特に状況の厳しかった水瀬、美坂両隊等では、その五千の兵士のうち、三割以上程度は還らず、中でも将校の死傷率は七割以上と言う 悪夢のような状況を表してしまってもいる。これは、将校が味方の尻を叩いて自らは後ろでのうのうと戦をするのではなく、 自ら危険に飛び込んでいくことで味方を奮い立たせることが出来る有能な人材が多く存在していたことの現われではあるものの、 だからこそ、これだけの将校を失ったことは両軍にこれ以上ないほどの痛手となってしまっていた。

「申し訳ありません・・・・」

鎧もボロボロ、もはや立っているのがやっと。と言う状況において、秋子、名雪、香里と言った戦の責任者は一弥の前で頭を深く、下げる。

「敗北の責任は間違いなく敵の誘いと知りつつもそれを止められなかった私達指揮官にあります。・・・・どうか、 将兵にはお咎め無きよう・・・・」

土下座をするように必死に謝る三人を、一弥が自ら駆け寄って・・・・・起こす。

秋子は自身の負けだ。と考えているし、名雪や香里は将兵を止められなかったのは自分の責任と恥じてもいる。

が、最も自身を責めているのは一弥・・・。

自分が迷ったから、そして、相手を過小評価してしまったからこそ今回の敗戦は起こった。

むしろ、目の前の三人に謝らなければいけないのは自分自身だ。と一弥自身は考えている。

それは、彼の人柄が成せる技。失敗を人に押し付けるではなく、自らがあえてそれを、被る。

祐一が一弥を認め、そして往人達を預けたのは一弥のこのような所を信頼していたからだとも言えた。

「お顔を上げてください。・・・・今回の敗戦は全て公国を過小評価した私にあります。・・・・書記官も記録して置いてください。 今回の敗戦の責は、全てこの倉田一弥にあります。・・・・いいですね?」

睨み付ける様に、振り向いて書記官に命じる。

本来ならば、領分を侵すものだ。と文句の一つも言えようが、この皇太子に睨み付けられると頷かざるを得なかった。

この、目の前の少年は、まだまだ若いとは言っても英雄としての資質を十分に兼ね備えているのである。

「そして、敗戦の中において、勲功第一は、国崎殿に。・・・・そして、姉上にも感謝を。ご忠告を頂かなければ私は 一生秋子さんや名雪さん、あゆさん、香里さん、栞さんに謝り続けて生きていくことになっていました。」

戦場に立ち、その流れを各隊の報告によって知り、そして知ったのが、国崎以下、異端者の投降軍の・・・・・奮戦。

仮に5倍の兵力を持っていたとは言っても、一時間以上の間白騎士団と互角に戦い続け、 ついに味方軍にその矛先を向けさせなかったことは賞賛に値する。

と、同時に、もしも姉の忠告を無視して、彼の軍をそのまま留め置いていたら・・・と考えると、恐ろしい。

おそらく、目の前の顔見知り達は一人としてこの場所に立っていなかったであろうから。

ちなみに、その当事者・・・国崎往人は、相沢大輔本人から受けた傷によって後方に下がって治療を受けている。と報告が入っていた。

そのことも、また彼の名声を高めた。

白騎士団の英雄。

武神。

そんな、稀代の英雄に対して自ら戦いを挑んだ彼の姿勢は、敗戦の軍において、大いに賞賛される。

誰もが、敗戦の時は英雄を欲しがるものだからである。

そして、勲功第二位は、敵伏兵部隊に損害を恐れず立ち向かい、ついに峡谷を塞いでいた障害物を取り除くことに成功した北川潤に。

最も、北川子爵軍を先陣とした、敵追撃軍は既に進発している。

彼が実際にその勲功論証を受けるのは、戦が一段落した後であろう。

「とにかく、秋子さん達は後方に下がって休息をお取りに成ってください。我々は、このまま公国軍を追撃しなければなりませんので・・・・・」

そう言って、立ち上がり、姉を従えて陣幕を・・・出る。

周囲の兵士に水瀬侯爵達に救護班を呼ぶように。と命じながら。

「・・・・姉さんは、こうなることを予感していたんですか?だから国崎さん達をああやって・・・?」

聞かれて、答えに詰まる。

「佐祐理はただ、万が一に備えておいただけです。祐一さんの深謀なんて佐祐理にはとても読めませんから」

そして、軽く首を振って一言。

(本当のこと、言っちゃったら・・・・一弥みたいに優しい子は戦えなくなっちゃいますから)

「さぁ、水瀬侯爵軍や、美坂侯爵軍の仇を討たなくちゃいけませんね。国崎さんの部隊も、両侯爵軍も動けないんですから大変ですよ〜?」

ようし。とワザと明るく話す姉に、軽く疑念を抱きつつも、思考を戦場に向ける。

戦場に急に感じた余りにも強すぎる魔力。

裏切り者の、唯の卑怯者のはずなのに、献身的に尽くしてくれた国崎往人の部隊。

そして、見事なまでの相手の引き際。

何かを隠している自らの姉。

不思議なことがあり過ぎて、何から考えれば良いのかが一弥には分からない。

だから、今出来る最善のことをしよう。と思った。







「よぉ。・・・ご苦労さん」

近寄って来る青年に右手を上げて一言。

「あぁ・・・・祐一のせいで酷い目にあった。あんな恐ろしい副将を付けやがって・・・・」

肩をブンブン。と振り回す。

常に、副将をからかい、また副将に睨み付けられ続けていた浩平は、むしろそっちが戦よりも疲れた。と笑う。

ちなみに、別所では瑞佳が留美に似たようなことを言われて必死に頭を下げる光景が、確認されたとかいないとか・・・・

「いや、お前にはアレくらいがちょうど良いんじゃないか?お前一人でほって置くとろくな事に成らん気がするぞ?」

ぐぅ。と息を詰まらせて、悔しがる。

確かに、今日の自分が留美によって抑え付けられて、結果として攻防のバランスが完璧であったことは事実であったから。

実際に、戦功第一は間違いなく浩平の部隊であろう。と言う事は、大輔や茜達の誰もが認めることであった。

「で、祐一は何してるんすか?あんな馬鹿げた禁術を使おうとして、それでいて発動前に止まって・・・・ま、 あんなもん発動されたら俺達も逃げるしかないんですがね」

はっはっは。と笑いながら。

明るく、話す。

「まぁ、止められたのはみさおちゃんのおかげだ。それを考えれば、勲功第一位はお前よりみさおちゃんかもしれんぞ?」

「で、みさおの所であいつが眠っている・・・・と。・・・・責任取らせてやってもいいですかね?」

二人が聞いていたら仰天しそうな会話。ある意味、公国と王国の首脳会談とも言えるのだろうか?

「あ〜・・・好きにしろ。好きに。ま、祐一がしっかり生き残ったらの話だがな」

「その言質さえ貰えるんなら意地でも生かしておいてやって・・・・」

くっくっく。と笑う浩平の頭を軽く小突く。

そして、差し出される馬に、乗り込む。

一旦補給点まで下がって、各人が馬の乗り換え、と同時に、武器を受け取ったりもしていた。

と言っても、直ぐ後方から敵追撃が迫ってくるであろう状況。ここにいるのは、僅か七〜八百程度の補給部隊。

代えの馬、二千と弓矢。それに、槍を数百程度を持っているに過ぎない。

食糧等の輸送に手間取るもの、そして、大量の武器は既に運び去られていた。

そして、浩平が軽く、配給された弓を片手にとって、引こうとして顔を顰める。

立ったままでも相当力を入れないと引けない弓。馬に乗ったままではとても狙いを定めて撃つことは出来ないだろう。

黙って弓を返す、と、これがあるから・・・と言うように背中の剣を指でさす。

「よぅし、頑張れば祐一は俺の玩具。何時も大輔さんがからかってるの羨ましかったんですよね。これからは俺が義兄としてたっぷりと・・・」

「だ・・・が、ライバルは多いぞ?オーディンに帰還すれば佳乃ちゃんだって居るんだからな」

はいはい。と、らしくないくらい素直に返答。

浩平も目の前の男性に対しては、昔から分が悪い。

何を言っても包み込まれるような、引き込まれるような、そんな相手だったから。

「つまりは、敵本隊の追撃戦をどうかわすか。で、どうせ相手の主力部隊は軒並み叩いたんですし、ま、結構楽に・・・」

そう行かないことは浩平自身知っている。

何しろ、相手は白騎士団の五十倍以上いるのだから。

流石に、如何に剣豪であろうと、優れた魔導師であろうと、それだけの兵士と戦っては、勝てない。

それを知りつつ、でも勝ち戦の後くらい、多少は楽しい気分で過ごしてみたい。と思ってもいいだろうさ。と二人ともが思っていた。

だから二人は、顔を見合わせて・・・・一頻り笑う。







そして、その遥か後方。

撤退を敢行する部隊の中に、彼等は存在していた。

槍を持った兵士が、整然と行進していく中に存在する、馬車。

それは、乗っている者が望んだわけではなく、周りの者達がそれに乗ってもらおうと自ら望んだもの。

中に乗っているのは、一人の少年と、二人の少女。

「それで、茜様はこの部隊を任されたのですね?両将軍と御一緒に。」

報告を聞いて、理解出来た。と言わんばかりに、頷く。

それに対して、先ず『様付けされるのは、嫌です。』と前置きした上で、茜。

「そうです。浩平も、長森さん達も、大輔様も、皆で私達に押し付けていきました。」 恨めしそうに、告げる。

同様にこっちに回された深山、柚木両将軍も同じような顔をしていたことを茜は知っている。

勿論、負傷兵を含めた一万五千ほどの軍勢をオーディンへ無事に送り届けるのは非常に大切な仕事ではあるのだが、 白騎士団二千と共に最後尾で敵を迎え撃つ死線から外されることに何か疎外感を感じていた。

そして、クスッと笑う主家の姫に、怪訝そうな目を向ける。

「・・・・何か?」

「あ、・・・・ごめんなさい。でも、おかしくなっちゃって・・・」

そして、彼女はさらに語る。

「茜『さん』のような、王国きっての名将と、私みたいな何も出来ない・・・・何も出来ない人が同じ事を考えちゃうなんて」

クスクスと笑われて、茜自身も顔に笑みを浮かべた。

目の前の少女は、信頼するに値する方だ。と思えた。

その膝の上でスヤスヤと眠っている少年と同様に。

「・・・・そろそろ、後陣に北川子爵代理の無傷の軍勢が迫って来ます。 大輔様が二十人程度の部隊を護衛に付けてくれては居ますけれど、油断しないでください。」

ぶっきらぼうに言われて笑顔を浮かべる。

目の前の女性は、言葉は多くないけれど、優しい人だと言うことをみさおは知っている。

「茜さんも、気をつけてくださいね?茜さんみたいな人はお兄ちゃんや王国にとって必要なんですから。」

にっこりと笑って一言。そして、付け加えるように・・・

「お兄ちゃんを『浩平』って呼ぶのなら、私のことも『みさお』でいいですよ?」と。

膝の上の少年の髪を、もう一度梳くように撫でる。

鎧を外すだけで、体中に生傷がいくつか見えていた。

つまり、撤退のフリをした時に何発かは矢を受けていたのだろう。いや、むしろ致命傷にならない所にワザと受けていたのかもしれない。

一つ一つに治癒術法をかけて、目を閉じる。

おそらく、彼もまた、起きれば後方の戦場に向かうのだろう。

だから、せめてそれまではゆっくり休んで欲しい。と思えた。







そして、最後尾で殿を務めることとなる白騎士団には、敵軍本隊がゆるやかに迫りつつあった。

「先頭は禁軍の、北川潤子爵代理の部隊。総勢で七万はいるかな?ありゃ・・・」

「で、水瀬侯爵等も治療を終えたら軍勢を再編成して合流してくるでしょうね。三割四割は戦力として耐えうるでしょうし。」

そんな報告はどうでもいい。と苦笑する大輔。

相手が誰であろうと、十万人であろうと百万人であろうとやることは変わらないのだから。

「で、だ。残念ながら祐一は遅刻する模様で、それまでは俺達だけで楽しまにゃならん。・・・・・ご馳走はちゃんと残しておいてやれよ?」

「俺も軍人としての歴は短いが、相当数の戦場には出ているんだが・・・流石にここまで面白そうな戦場は金輪際ないんだろうなぁ」

しみじみと、浩平。

実際問題として、公国の戦い方は本来祐一や大輔の考える軍略とは掛け離れている。

所詮、戦力で劣った状態で会戦を行わなければいけない時点で、それは戦略上の敗退であり、会戦の勝利も、薄氷の上に立っているような 状況の中、ほとんどトリックのようなやり方で戦術的に一時的な勝利を収めたに過ぎない。

しかも、会戦に勝利したとは言え、撤退する羽目になっているのは公国側である。

つまり、マトモな戦略家・・・祐一や大輔、浩平等にとっては、所詮は会戦自体が祭りのようなものであって、最初っから帝国軍に 勝利すると言うことを念頭に入れていない。と言うことでしかなかった。

「少なくとも、足を引っ張るのだけは勘弁してくれよ?浩平」

はっは。と笑いながら頭を叩かれて、多少ムッとする。

最も、大輔自身も浩平のことは認めていて、冗談だと言う事など言うまでもないのではあるが。

「留美ちゃんや瑞佳ちゃんも頼むな。最も、瑞佳ちゃんは前線には出ないように。万が一のことがあったら俺が祐一に殺される。」

瑞佳が苦笑して、頷く。

自身が近接戦闘に向いていないのは十二分に承知していたし、自分が前線に立った所で白騎士の足を引っ張るだけになるであろうことは 予想がついていた。

「結局、又今回も私はこの馬鹿のお守りってことね。・・・・祐一様がいらっしゃったらお任せしたい所だけど」

「その時は、お守りの相手が二人に増えるだけのこった。あいつはあいつで結構無理するからな」

黙って、天を仰いで目を閉じる。

「白騎士団と並んで戦える名誉を頂けるだけで光栄と思うしかないわね。・・・・・しょうがないけど」

大輔が、浩平が、瑞佳が笑う。

そして、「誰のせいだと思ってんのよ??!!」と浩平が張り倒されて・・・

「大輔様!!」

そして、報告が、来る。

その報告に大輔はニヤリと笑って・・・・。そして、周囲の騎士達も朗らかな笑いを浮かべる。

「さて、往人の相手だの、水瀬侯爵軍の牽制だの遊びにつき合わせて悪かったな!!」

大音声で、叫ぶ。

「今回の相手は帝国軍本隊だ。迎え撃つのは俺達だけ。・・・・さて、それじゃあ白騎士団の戦を見せてやろうじゃねえか!!」

なぁ?と周りの者に笑いかけると、歓声が場を満たす。

「全員で慎一様の所に向かうのも一興だが・・・・ま、そう言う訳にもいかん。若い者は残すように。」

そして、小声で隣の副官・・・立花百騎長へ。

それに対して、彼も『分かっております』といわんばかりに頷く。

「最低でも、五百騎は残してくれ。そうじゃないと祐一が・・・・みさおちゃんもきつい。」

はい。ともう一度頷く。既に話し合っていたこと。これは最終確認にすぎなかった。

「そして、お前だ。お前だけは失えない。・・・・いいな?もう一度、言う。お前だけは失うわけにはいかん。部下を見捨てて、 同僚を見捨ててでも生き延びろ。・・・・分かってるな?」

最後に、肩を強く掴まれる。

真剣な顔に、同様に真剣な顔で・・・・頷き返す。

「大丈夫です。私はまだ・・・・狂ってはおりませんから」と。

「よし。・・・・さってと、最初は禁軍最精鋭の北川子爵率いる部隊だ。それさえ潰しちまえばもうマシな部隊はやつらには残っていない。 水瀬侯爵軍も、美坂侯爵軍も壊滅。ま、久瀬家の部隊がクレスタに温存されちゃあいるが、そいつらだけじゃ王国はつぶせん。 ・・・・王国の王太子殿下達がわざわざ手伝ってくれているんだ。そんくらいの恩返しはしなきゃならんよなぁ?」

最後に、そう大声で叫んで、騎乗。

それに続いて、各隊が次々と馬に跨る。

「よし!!白騎士団。突撃するぞ??!!」

そして、番えられた神の矢は・・・・放たれた。

地獄の戦場に向けて。







矢が放たれる先には、当然敵がいるもので、それを直撃させられる方からすれば冗談で済まされる問題ではなかった。

追撃軍の最先鋒では、北川潤は余りの事態に焦りを隠しきれなかった。

追撃しているのは、自分達の方だ。それに向かってくれば、当然本隊にも追いつかれて、やがて包囲殲滅されるだろう。

何しろ、自軍は敵の5倍以上。それも、無傷の軍隊が。である。

軍全体からすれば、敵のこの行動は有難い物と言える。

敵の一部を殲滅しておけば、当然後にくる難攻不落のオーディンの攻城戦が楽になるのだから。

しかし、敵の突撃を真っ向から受ける彼の立場からすれば・・・・それは洒落にならない事態である。

「将軍!!・・・・あの部隊は・・・・白騎士団です!!」

分かっている。分かっているからこそ洒落にならない。

先の戦闘においても、水瀬侯爵の本隊を翻弄し尽くし、そのあげくに国崎往人率いる5倍もの騎馬軍団を翻弄し、 そして、悠々と戦場を離脱して行った無敵の部隊。

常に、帝国の守り神として存在していたその軍隊は、敵に回した時これ以上恐ろしい物はなかった。

「槍隊を前に。とにかく一旦あの突撃を止めない限りは勝負にもならねぇ!!」

流石と言うべきか、彼は自身が混乱する前に、最善の策をたたき出す。

先ず、槍隊で敵の突撃の足を止め、そこに弓隊の一斉掃射。その後、相手を倍の兵力で足止めしている間に、 皇太子殿下の本隊が敵を包み込む。

それが、彼が即座に立てた、シナリオである。

直ぐに、1500人程度の槍を抱えた兵士がわらわらと部隊の前に進み出て、槍衾を作り上げる。

そこに突撃してきた騎馬兵は、馬を槍で貫かれて、足を失う。・・・・はずである。

最も、その策を立てた自身、上手く行くと心から信じては居なかったのだが。







そして、白騎士団。

相手が前方に槍衾を築き上げ、と、同時に弓隊を整列させるのを確認すると大輔は軽く右手を上に上げた。

だけで、部隊全体に指示が行き渡る。

彼等の、最強部隊として君臨し続けるその理由は、勿論各団員の凄まじいまでの練度の高さ、そして、どんな役割も自在にこなせる 万能部隊としての資質。

そして、この各人としてではなく、部隊としての強さ。その3つの理由を上げることが出来る。

この右腕をあげる指示だけで、各隊が真ん中から二つに、左右に分かれて横に並走。

直接突っ込んでくるかのように見せかけて、分かれた先から出てくる歩兵部隊、約五百程度の部隊が、敵の槍衾へ向けて一斉に矢の雨を放った。

彼等は白騎士団ではなく、弓兵としての練度を特化させた公国軍の正規兵であり、大輔が瑞佳に五百人程度を預けて後詰を任せていた。

彼等の保持している弓は、普通の弓兵の持つ弓と異なっている。

強く弓の糸を張ることで、並大抵の力では打ち出せない代わりに、威力と、射程に優れた弓である。

だから、この矢は敵弓兵の射程外から一方的に敵部隊に降り注ぐ。

公国軍正規兵の中でも、ある意味白騎士団と違って意味で、一つのことだけを特化させた部隊ある。

会戦においては、崖の上から敵兵を一歩的に狙撃。その後、影となって崖を降りた後、後方における再編成の間に、瑞佳に大輔が直接預けていた公国の切り札でもあった。

そして、これと同時に白騎士団が騎射を始めるに至ると、槍隊のあちこちに綻びが生じてしまう。

騎射によって放たれる矢は、本来、騎上の者が弓を撃つ時には地上を両足で踏みしめる時と比べて力が入らなく、また、所謂長弓 と言う系統の物は、馬に乗ったままでは非常に使いにくいと言うことで、もう少し小型の、撃ち易く、しかし射程と威力によって劣る。 と言った物が使われるものではあるが、彼等の用いている物は小型ながら非常に強く張ることで射程や威力は通常の物に劣らない物となっていた。

その代わりに、撃つ方への負担は非常に大きくなるのだが、それが出来ない者はこの部隊には・・・いない。

これによって、本来ならば槍隊が受けられたはずの騎上からの矢は、彼等の盾を貫いていた。

死者は増加し、一方で帝国側の弓隊は動き回る騎馬軍相手に目標を絞れない。

結果として、北川子爵代理の先鋒隊は、後方から本隊が駆けつけてくるまで、ほぼ無抵抗で叩かれ続けることとなってしまったのである。







戦場の喧騒は、既に相当離れてしまった公国軍本隊にも届いてきていた。

そして、戦の疲れから目を覚ました英雄が・・・・一人。

目を開けて、状況が分からず目を白黒。

そして、目の前に見覚えのある顔を見つけ、同時に自分がどんな状態に居るのかに・・・・気づき。

慌てて跳ね起きて、立ち上がる。

「・・・って、何で俺は?・・・ここは・・・??」

周囲を確認する。

ここは、恐らく簡易的に作られた馬車であろう。

で、何故か自分はこれに乗っていて、で、みさおが一緒に居た。

状況が全く把握出来ない。自分は、あの場所で術法を行使しようとしていたはずだ。今となっては何であんなことをしようとしたのかすらも 理解できない行動であったのだが。

そして、何故か痛み続ける頭。内部からと言うより、外的要因として痛んでいる気がした。

「おはようございます。祐一君」

ゆったりとそう言われて、なんとなく「おはよう」と返す。

まるで、戦を行っていた記憶が夢のようにも思えてしまう。

ただ、周りを行進している兵士。そして、後方に感じる激しい戦気のぶつかり合い。

おそらく、自分はなんらかの要因で倒れて、ここにいるのであろう。と推測する。

「で、今現在の状況と、これまでの経緯。説明出来るか?」

そう、早口で聞かれて、クスリと笑う。

覚醒してから10秒も立っていないのに、直ぐに冷静さを取り戻せる所は凄いなぁ。と思った。







「・・・・・だから、頭が痛む訳か。確かに悪いのは俺だから文句は言えないけれど・・・なぁ」

やれやれ。と頭を擦る。

もう少しは上手い戦い方があったろうに。と苦笑。

理性を切った相手なら、別に頭突きなんてしないでもいくらでもやりようなあったろうに・・・。と。

「大輔様は、確実な方法を、1%でも祐一君を助けられる可能性が高い道をお選びになったんだと思います。」

その言葉に、分かってるよ。と笑いかける。

「ま、いっか。・・・・とりあえず、体の調子もいいようだし、俺も戦場に向かうとするよ。・・・ずっと治癒術法かけてくれてたんだろ? 暫く休んでいた方がいい。」

おかげさまで体の調子もいいようだ、と笑って・・・

周囲の兵士に、護衛を頼んで騎乗。

みさおが、止めるまもなく駆け去って行く姿に・・・微笑みと、心配が合わさったような目を向ける。

自分の兄のように、自分の想い人と並んで戦える人がちょっとだけ羨ましいと思いながら。