第二十五話








前線で、そして戦場全体において、いきなり異様な雰囲気が辺り全体を覆っている。

それは、大抵の者には理解出来ないこと。

しかし、一部の者達――魔導を志した者達は、その異様な雰囲気の正体がおぼろげに分かってしまっている。

それは・・・・・余りにも大きすぎる魔力の奔流。

たった一箇所。戦場の一箇所だけから、まるで数千人、数万人の魔導師が魔術構成を行っているかのような、とてつもない魔力が 溢れ出ていて、その場所を中心に、異様な空気が滲み出ていた。

前線に突撃を敢行し、今にも敵陣に突入しようか。と言う所まで突き進んでいた美坂家騎馬軍団の目の前で。

「なんなのよ・・・・これは・・・」

魔術にはほとんど精通していない香里にも、その存在は痛いほど感知出来ている。

いや、むしろ、彼女自身が気づいていなかったとしても、嫌でも気づかされていたであろう。

周囲では既に騎馬軍団の、その存在意義とも言える騎馬自体が怯えの余り暴れ出してもいた。これではさらなる突撃は難しい。

しかし、それでもやらなければいけない。それこそが自分達の存在意義なのだから・・。

美坂家と水瀬家の違いは、その構成にある。

水瀬家が帝国最強の魔導軍団を作ろうとしたことに対して、美坂の家は帝国最強の高機動部隊を作ろうとした。

勿論、両者とも、両方の戦場における優位性は了解していたものの、道は異なっている。

水瀬家は、その攻戦、防戦をオールマイティーにこなせる能力を、そして、美坂家はその野戦における絶対性を重んじた。と言う事である。

つまりは、魔導部隊を相手にしても『詠唱より早く懐に入ってしまえばいい』と言うのが基本的な考えとなっている。

その中に、このような場合は想定していなかった。否。例え想定していても、対処のしようがなかったと言うべきかも知れない。

戦術的魔術攻撃のレベルを超えて、戦略レベルに達しているほどの魔術構成に対抗する方法。

それは、既に人間の域を出てしまっていることだったから。







同様に、戦場の各所で、この異様な状況は察知出来ていた。

ある場所では、壮年の男が思わず自らの膝を思いっきり殴っていた。

彼―――相沢大輔が、数分前の美坂の突撃に対する、祐一の信じがたいミスを察知、顔色を変えた矢先のことである。

「俺のミス・・か。」

畜生!!と罵声を一つ、そして、項垂れる。

自分自身が誰よりも知って居なければいけないことなのに、それを失念していたことは悔やんでも悔やみきれない。

誰があれだけ体調を崩していて冷静な判断が出来るものか。しかも、アイツはまだ二十にも満たない子供じゃないか・・・。と

大輔の周囲の将校は呆然としかけている。

戦場で、彼等が一番何が起ころうとしているのかを把握していた。

そうであっても、しっかりと敵部隊に牽制を与え続けている所がこの部隊の非凡さを表してはいるのだが。

「しかし・・・・・あの祐一様がここまで理性を失われるとは。・・・・私には信じられません」

「そう・・・・かな?俺はある意味ではああなるのを分からないでもないがな。」

呆然と呟く自らの副官に自嘲するかのように語りかける。

「なぁ?もし、・・・・・もし、だ。お前の目の前でお前の家族が殺されようとしていたらお前はどうする?」・・・と

は?と不思議そうな顔を一つ。2,3秒ほど考え込んで、顔を上げる。

「当然、その相手を討ってでも救い出して見せます」

当然のことと言わんばかりに答え、彼自身も息詰まる。相手の言わんとしていることが分かったから。

「そう、だ。俺だってそうする。・・・・が、人間には誰でも限界がある。仮に、100人の兵士がお前の家族を殺そうとしている時、 お前一人しか味方がいなかったらどうしようもない。まぁ、必死に抵抗して、10人、20人は殺せるだろう。が、それが限界・・・」

「そして、私は悔やみますね。自らの力の無さを・・・・」

その答えに頷く。

「普通の人間なら・・・そう、だ。が・・・・・」

『そこから脱却できるだけの力を持っていれば、それが禁忌と分かっていても・・・』

そう、使うだろう。そう言い掛けて、二人とも止まる。

それは、言ってはいけないことであることを二人とも理解していたから。

「とにかく、動くぞ?アレは止めさせなきゃならん。いくらなんでも帝国軍十万を皆殺しにするわけには行かんぞ?」

その言葉に、周囲に仕える兵達が一斉に敬礼をする。

「まず、帝国軍の翼を落とす。そうでないと、浩平達に被害が及ぶ。・・・・帝国軍の翼を落として、直後に祐一の所に大返しせにゃならん。 ・・・・・時間がない。急ぐぞ!?」

『応!!』と唱和される声を背中に聞きながら、馬の腹を掛け声と共に思いっきり蹴る。

目標は、前方の国崎勢本隊・・・・・祐一の授けた、帝国の翼。

もはや、遊び等と言っている時ではなかった。







「・・・・これって・・・・」

大変!!。と後ろを振り返る瑞佳。

相手の騎馬軍団の攻撃に対して、彼女は即座に美坂家との戦線に自らの指揮する部隊の半数を投入。

それによって、一時的に空いたスノウとのせめぎ合いは、後方の味方友軍に援護を一時的に頼み、戦線を縮小させつつも持ちこたえることに成功。

多少の犠牲を払いながらも、一時的には敵軍を撃退することに成功していた。

最も、それは完全ではない。後方の祐一がしっかりとした対応をしてくれることが前提条件である。

確かに、騎馬軍団の突撃を止めることは出来なかったまでも、この分なら祐一の本陣近辺に残っている兵力、その4〜500と連携を取れば 十分に美坂騎馬軍団を撃退することも出来ていたはずであった。

そう考えていた矢先の、後方での凄まじい魔力の奔流は、王国屈指の魔導師である彼女には、逸早く察知出来る。

自分が見たことのある最高レベルの術法は、こと戦術用術法としては、相沢大輔が得意とするエクスプロージョンの禁術が最高レベルであり、 そのレベルの術法なら、彼女自身も怖くて使ったことは無いまでも、使役できないレベルではない。と言える。

が、今感じている感覚は、そんな生易しい物ではない。

もはや、戦術レベルと言うよりも、それは戦略用術法と言えるような、それほどの大きさに思える。

それほどの術法を彼女は一つしか知らなかった。

「祐一が・・・・・禁術を発動させた・・・・・・ってことだよね?」

信じられない。と言わんばかりに口を手で覆う。

祐一ともあろう者が、戦場の動きを把握出来なかったのだろうか?

あと2〜30分耐えれば、両翼から援軍が到着して敵軍団を挟撃出来ていた筈で、今、自分達はそれを稼げるだけの戦力を持ち合わせているはずであるのに・・・。

そして、ふと先ほどの一連の行動を思い出す。

祐一の元気さは、何処か危なさを孕んでいなかっただろうか?・・・・みさおちゃんは、何かを言おうか言うまいか悩んでいるように見えなかっただろうか?

「・・・・・私が・・・・気がついていれば・・・・」

黙って拳を握り締め、そして、今後の行動を素早く頭の中で構築する。と、共に、左前方の白騎士団が急に行動を変えるのを感じた。

そして、即座に方針を固める。

とにかく、敵軍を足止めすることを第一に。そして、祐一のことは大輔様にお任せするほかやりようがない・・・・と。

傍に居た兵士、十数人を呼び止めて、伝令を頼む。

「私は、祐一様の副官を勤めている者です。祐一様の代理として指示を与えます。周囲の指揮官に伝えてください・・・。とにかく、一兵たりとも本陣に敵を通さぬこと だけを目的にせよ。と。」

と、同時に、左右の友人の軍に対して、自分の名前で即座に足の速い軍を回して欲しい。と伝える。

その頃には味方の前線が、混乱をきたしていた。

何しろ、大抵の者が多少なりとも魔導の調練を受けている公国軍の方が何が起きているのかを把握出来てしまっているからである。

それだけに、混乱した前線に、この瑞佳の指示は浸透する。

目的を一つだけ与えられ、それだけこなせばいい。と言われるのは、如何に混乱しかかっている指揮系統と言ってもこなし易い命令と言えたからである。

全軍が、自らの主に対して指先一本足りとも触れさせない。と意識を明らかにし、敵に立ち向かっていく。

既に、敵騎馬軍の攻撃でズタズタにされかけていた軍は、そこには存在していなかった。

(みさおちゃんや浩平も・・・・当然気づいているよね。)

浩平はともかく、みさおはどう動いてしまうだろうか?と心の中で一つ心配してしまう。

最も、心配したからと言って、どうしようもないことなのだけれど。







戦場の各所で、動揺が見られ、また、各地で指揮官がそれぞれの葛藤にさいなまれる中、実際にこの件で最も実害を被ったのは 往人以下の騎馬軍団であった。

今までは、大輔の騎士団も、相手に損害を出すことよりも、相手の誘いに乗ったフリをすることを目的にしていた為、特に大きな被害を出すことも無く 済んでいた物だが、そこに急に目の色を変えた白騎士団が、本隊だけを目掛けて突進してきたのだから。

「ったく・・・・訳分からんぞ・・・。祐一は化け物じみた魔術構成を急に始め出すし、しかも大輔さんはこっちに向かって本気で突っ込んできやがる」

4隊に分けて、敵の攻撃を分散させつつゆるやかに攻撃と防御を繰り返していた軍勢に、いきなり急迫してくる軍勢。

『止められない』と誰もがそう思う。

「全軍!!・・・・散れ!!」

往人が持ちうる限りの大声でもって周囲に指示を出す。

相手の狙いはこの自分だ。と即座に理解出来ていた。

ならば、例え自身が犠牲となろうとも一人でも多くの兵を逃がすことが自分の役目であろうと考える。

(・・・・初めて祐一と出会った時に似ていやがる)

苦笑する。あの時には、暴走していたのは自分だった。

が、今暴走しているのは、あの時自分を諌めてくれた年下の聖賢。

「観鈴。お前も逃げておいてくれると助かるんだが・・・」

そう告げながらも、何故か大輔達は観鈴には手を出さないような気がしていたし、観鈴は退かないだろうとも思った。

実際に、予想通り、首を激しく横に振り回す観鈴の姿に軽く笑う。

皮肉なもんだな。と祐一の居る方角を眺めて、そして、目の前に迫ってくる見覚えのある人を一瞥。

「まさか、祐一がしくじるとは思いませんでしたよ。」

世間話をするかのように切り出されて、大輔自身も笑いを浮かべる。

もはや、往人の部下を討つこともやむなし。と思っていたものの、往人自身が自軍を散会 させてくれた為、部下をとっとと他所へ向けることが出来ていた。

結果、500程度を本隊の増援に差し向け、と、同時に残りの1500を現状のまま、往人の部下との戦闘を続けさせることにする。

「や、アレは俺のミスと言っていいだろうな。あいつが、ちょっと子供らしい所を見せてくれたもんだからつい調子に乗っちまった。 こうなると分かっていたら、最初っからみさおちゃんを佳乃ちゃん同様オーディンに送っておいたさ」

自嘲するような笑みを浮かべて、刀を抜き放つ。

「悪いな。こうしておかないと、秋子には分かっちまう。祐一のミスをお前に被せるのは申し訳ないんだが」

そして、刃先を往人に。と、同時に往人も同様に刀を抜き放つ。

集中。とにかく、集中する。相手は武神。一瞬の油断は命取りになるから・・・と。

(今更召喚術は使えねぇ。・・・そんな隙は・・・・)

軽く舌打ちを一つ、往人の方から勢い良く馬の腹を蹴って肉薄する。

先手必勝。と、裂帛の気合を込めて突撃してくる往人に、大輔は黙って左手で掴んだ小刀から手を離す。

カランカラン。という音が戦場に幾度か響く。それだけで、緊張感は確かに、増す。

(ふむ。思ったより冷静・・・か?)

雪花を利用した魔術構成を用いようとしたら、これの投擲の一撃で終えてしまおう。と思ってはいたが、この分ではその機会はなさそうであった。

右手一本で持った刀を強く握り締め、迎え撃つ形を取りつつ、左手に力を込める。

そして、数瞬後・・・

金属と金属が激しくぶつかり合う音が戦場に鳴り響く。

両方とも、用いるのは公国最高の二刀。

それだけに、両者の力を持って、真っ向からぶつかり合っても刃こぼれ一つ・・・・ない。

「片手かよ・・・。ったく、相沢の一家は化け物揃いかい」

おいおい。と小さく呟く。両手で思いっきり振り下ろしたはずの刀は、相手の刀を一寸足りとも動かすにいたらなかった。

押し切れる・・・と思って振り下ろしたのにもかかわらず。

「俺程度を化け物と言ってしまったら世界は狭くなるぞ?・・・・祐一と対等の立場に立ちたかったらなぁ、それこそ俺程度は 片手で軽くあしらえる様になってもらわんと」

小さく、目の前の髭を生やした壮年の男が笑いかけてくるのに、既に答えられるほどの余力は往人には残っていない。

大輔は、笑いかけた顔そのまま、片手で往人の刀を跳ね上げる。

そして、逆に首を横から飛ばすかのように放つ一撃を、今度はあわやの所で慌てて往人が受け止める。

「往人さん?!!」

遠くから自分を呼ぶような声が一つ。名前を呼んだ後、『危ない!!』と言っているように聞こえた。

大丈夫だ。相手の刀はしっかり受けた。今度はもう一度こちらが・・・・・

そう、頭の中で瞬時に構築する。

が、そう思った時には、既に往人の体は馬の上から滑り落ちそうになり・・・・

そして、体が引き戻される感覚。両の手でしっかり握っていたはずの刀が、ゆっくりと手から零れ落ちていた。

「悪いな・・・」

そう言う、朦朧とする視界の中の大輔の姿は鮮血に塗れていた。特に、その左手が。

と、同時に、急に左脇腹に痛みを感じて、そして、何が起きたかを瞬時に悟る。

つまりは、刀で首を狙ったのを囮として、本命は魔力を込めた左手での一撃であったのだろう・・・・と。

結局雑魚扱いかよ。と声に出せない呟きを一つ出来たかどうか・・・・。既に、意識は半分以上飛んでいた。

大輔は、黙って左手を地面に向かって振り下ろす。それは、まるで刀の血を払うかのように。

そして、そのまま往人の乗った馬の手綱を片手で取り、そのまま自身は馬から下りると、往人をゆっくりと馬から下ろしてやる。

「往人さん・・・・・往人さん??!!」

「大丈夫だ。殺しちゃいない」

軽く止血をしてやり、そのまま慌てて駆け寄ってきた観鈴に場所を譲る。

「祐一から治癒術法のかけ方、教わっているな?」

敵であるはずの知り合いの言葉に黙って頷いて、往人の前に膝をつく観鈴。大輔は唯黙って見守る。

祐一の一番弟子の力を拝見してやろう。と言う意識と、万が一にも往人を殺してはいけないと言う意識を持って。

そして、観鈴の右手の光を見て、立ち上がると馬に飛び乗った。

(なるほど。みさおちゃんほど、じゃないにしろ見事な腕だ)

祐一の指導力と、観鈴の才に感服する。あと一年・・・半年祐一の指導を受けていたら、事、治癒術法と言う分野では自分を超えていただろう。

アレなら、暫くすれば、意識を取り戻せるだろう。と確信する。と、同時に意識を別方向へ素早く切り替え、

「立花!!ここは任せる。俺は祐一のところに向かう!!」

返答を聞くまでもなく、馬で勢い良く駆け出す。

既に、時間はそこまで残されては居なかった。







そして、その頃には祐一の本陣を目指して必死にみさおが駆けている。

救護班で、治癒術法を行使している最中での前方における出来事に、一瞬で何が起こったかに気づけた彼女は、治癒をしていた兵士に 術法を駆け終るや否や、前方に向かって駆け出していた。

彼女が冷静であったならば、何処かで即座に馬を調達して駆けていたであろうが、その程度の冷静さすら今の彼女には存在していない。

みさおは、おそらくこの戦場でたった一人、今の祐一の体の状況を分かっている。

つまり、彼女だけが、『これ以上祐一が体に大きな負担をかけるようなことをすれば危ない』と言うことを明確に理解していた。

それだけに、必死に駆ける。心臓が高鳴って、足がガクガク言っているのも無視して・・・。

「祐一君を・・・助けなきゃ。・・・急がなきゃ。お兄ちゃんも瑞佳さんも今は来れないんだから」

暇なのは自分だけ。ある意味、それも彼女自身が祐一相手に声を荒げてしまった原因の一つであってしまったのかもしれなかった。

『自分は、兄や他の皆のように頼りにされていない。』そう考えてしまっていた所も、少なからず存在していたのかもしれない。

最も、それは、彼等の実力と、みさお本人の経験を考えれば至極当然の選択でしかなかったわけではあるのだが・・・

周囲の兵達が奇異の目で見ていることを承知の上で、唯、必死に駆け続ける。

『祐一の所に行って、どうするのか?』と聞かれても、何も答えられないのを承知の上で・・・・・

唯、自分が行かなければいけない。としか考えられていなかったから。

一歩一歩と戦場に向かって歩みを進める。

迷いは、ない。







同時期にみさおが祐一に所に向かっていること等露知らず、浩平は目の前の敵を片手に持った剣でなぎ払う。

「七瀬!!水瀬侯爵の所まで突き破るぞ!!」

真剣な顔で怒鳴りつけてくる主にこちらも真剣な顔で頷く。

どうやら、既に笑っていられる時間は終わってしまったようだった。

対面では、茜の支隊も普段とは打って変わって勢い良く敵軍に突撃を繰り返している。

つまり、両軍とも考えていることは同じ。

『少しでも、祐一にかかる負担を軽減してやろう』と言うこと。

既に祐一のシナリオ通りに事が進んでいないことは明白だっただけに、この後の展開がどう動くか分からない。

ここで力を使い果たしてしまっては敵軍本隊との戦いには持たないかもしれない。

しかし、そんなことも考えずに唯突進する。

「あんたこそ、遅れんじゃないわよ?王国の槍が、事、攻戦においても王国の盾に負けました。じゃあ洒落になんないんだから」

目の前の馬に乗った将校を槍でもって突き落としながら軽口を叩く。

対面の、浩平と並び賞される王国きっての名将の存在。

攻戦は王国の王太子が、防戦は筆頭将軍が・・・。これが王国の双璧。王国の不敗の両将軍である。

「もしそんなことになったら、今度こそアンタと里村さんの立場が逆転ね」

馬鹿にするように笑う留美に冗談じゃねぇ。と返す。

結局、どんな状況においても彼等は彼等でしかなかった。







そして、公国本陣に勢い良く馬で乗り込んでくる人影。

彼は、馬が怯えているのを感じるや否や、馬から飛び降りて馬の尻をポンポンと叩いてやる。

そして、駆け去って行く馬を見送る。それ以上にしなければいけないことがあった。

「祐一・・・」

呆然と、呆然と目の前の少年を眺める。

冷静沈着な普段の顔が、今や痛々しく見えてしまい・・・・大輔は思わず軽く目を伏せた。

ぶつぶつと、ぶつぶつと何事かを呟いている祐一。その足元に描かれた魔法陣を見るだけで、その行為が何を引き起こそうとしているのかが 手に取るように分かってしまっていた。

「やめろ!!祐一。もう敵軍の足は止まっているんだぞ??!!」

怒鳴りつけながら一歩近寄るだけで、魔法陣から噴出してくる魔力の奔流に焼かれそうになる。

正直言って恐ろしい。今までに彼は、ここまで命の危険に晒された事など一度として・・・・なかった。

「馬鹿野郎が!。意識を、自ら断ち切ってやがる」

チッと地面に向かって舌打ちを一つ。自ら意識を絶つ所まで考え込む前に、やり様なんていくらでもあっただろうが。と

どちらにしても、このままでは余りにも危ない。下手をしたら帝国軍どころか、味方軍すらも焼き払う可能性すらある・・・・。 彼が行使しようとしている力はそれほど大きなものであった。

そして、決断する。大輔は、懐から黙って数本小刀を取り出して・・・構える。

「10年ぶりの手合わせがこんな形になるとは思っては居なかったが・・・・やむを得んか。」

やれやれ。と・・・・そして、真剣な顔付きでもって祐一を睨み付け・・・

そして、右手を伝って小刀に魔力を流し込む。

紫色に仄かに輝く刀身。既に、それは大刀にも勝るとも劣らないほどの切れ味を持つ武器となっていて・・・

直後、それを勢いよく・・・・投擲する。

手加減一つない本気の投擲。往人相手に戦った時とは、力の入れ具合が完全に違っていた。

が、その投擲が意味を成すことはない。

甲高い音が一つ。大輔は軽く『だよなぁ。やっぱ』と諦めるように呟く。

特に、槍を振るった気配もない。彼にわかったのは、右手が動いた。と言う一事象だけ・・・。

が、結果を見れば何が起こったのかは明らか。

・・・・・祐一が右手の愛槍で、飛んでくる武器を払いのけたと言うこと。

「やれやれ、どうしたもんかね・・・・格好付けずにあいつらにも付いてきてもらえば良かったよ。全く」

一つの動作を見ただけで、彼には分かってしまう。目の前の少年が自分一人では到底適わない力量の持ち主であることを。

せめて、部下が5人・・・・いや、10人は欲しい所だったかもしれない。と彼は初めて後悔した。苦笑しながらも。

つまりは、単純に『祐一を俺一人では止められないから、助けてくれ』と言うことは彼のプライドが許してくれなかった。と言うだけ。

これ以上近づくことは命取り、しかし、遠くからの攻撃では埒があかないだろう。

でも、止めないわけにもいかない。と頭の中で至極単純なことを整理してみた。

そして・・・・・仕方ない。と腰の刀を抜き放つ。

祐一相手では、手加減をするだとか、適当に傷をつけることで術を止めればいいとか、そんな甘いことを言える状況ではないことが分かってしまう。

「せめて、慎一様・・・・いや、浩平でもいいから、いてくれりゃ楽になったもんだが・・・」

近くに浩平が居たら落胆の余り突っ伏してしまいそうなことを平気で言い放つ。

最も、そこが彼の魅力と言えばそれまでなのだが・・・・

「しかし、まぁ・・・・それでもなんとかするのが俺の役目ってことだよな?・・・・祐一」

キッと前を見据えて、構える。と、同時に剣先に伝わるのは、彼の全身全霊を込めた魔力。

祐一の周りは、既にとても人が入れるような温度ではないことは承知している。

が、それに対抗することに力を使っていては祐一に一撃を与えることは覚束ないであろう。と素早く判断を下していた。

しかし、その判断が実行されることはある意味僥倖なことに・・・・なかった。

神様のご加護か、あるいは亡き慎一が授けてくれた物かは知る由もないことではあったが・・・

ザッと土を踏む音と、そして、ハッと息を呑む音。

事、攻撃用魔術と言う分野において以外では、およそ王国屈指の魔導師である者の姿をそこに見つけ、大輔は一つ安堵の息を吐いた。







これは・・・どうしてこんなことになっているの?

それは一方、彼女・・・・折原家のお姫様がそこに立ち入って最初に感じたこと。

あり得ないほどの力。そして、平常とは思えない、祐一の状況。

そして、一番あり得ない光景は・・・




祐一が親代わりとも慕っている人が、祐一その人に刃を向けていると言う光景。




「ま、何でここにいるのかは聞かん事にして・・・。とにかく、助かった。みさおちゃん。手伝ってくれ」

朗らかな顔で話し掛けながら近寄ってくる顔見知りの男性から一歩後ずさりを、する。

それに対して、怪訝な顔で大輔がもう一歩近づく。

みさおが、困惑したような表情でもう一歩後ずさり。

そして、もう一歩近づいて、・・・・もう一歩避けられて・・・

「・・・・や、別にみさおちゃんに何かしようとしているわけじゃないんだが・・・。唯、ちょっと手伝ってもらえないかと」

出撃前の前夜祭以来、この少女相手に軽口が危険であることは彼は十二分に弁えていたため、話す内容が何時もより堅くなる。

が、不幸なことに、それが故にみさおにはその口調が怪しげに見えてしまった。

先ず、彼女にとって優先事項の第一は相沢祐一。その下に兄や義姉、大輔等が続いていると言うのが彼女自身は口に出さなくとも誰もが知っている事実。

そして、目の前の男性は、その人に対して刃を向けて臨戦態勢を取っていた。

「大輔様まで、祐一君を裏切るんですか?」

キッと涙を浮かべた顔で睨み付けられて、しかも守り刀として、祐一が作り上げた聖刀を抜かれて、 大輔の顔は鳩が豆鉄砲を食らったかのように呆然となる。

「や、ちょっと・・・ちょっと待ってくれ。俺はただ、ただ・・・な?」

おいおいおいおい。と顔の前で慌てて手を交差させる。・・・・とても勢い良く。

「ただ・・・・なんですか?」

疑念の消えない目で、泣き顔で睨み付けられて、大輔は心底ショックを受ける。

(怖いよぅ・・・・うぅ・・・俺だって祐一ほどはないにしろ、・・・祐一の花嫁候補として精一杯これまで可愛がってきたんだがなぁ)

祐一が思考のトップに来るのはともかく、娘のように可愛がって来た少女から刀を泣きながら向けられる。

相沢大輔。その50年近い人生において、これほど心を痛めた出来事は存在しなかった。

「や、俺は、ちょっと祐一を軽く斬って、それでもってアレを止めようと・・・ってちょっと待て。待ってください!!」

『斬って』の時点で、既に祐一の敵と認識されてしまったのだろうか?虫も殺さないような心優しい少女のはずなのに、殺気が表面に現れている。

放って置いたら、本気で斬りかかって来そうだった。

「ちょ・・・・落ち着け。落ち着いてくれ。・・・・先ず、みさおちゃん自身ここにどうしてやって来た?」

(往人より、怖い・・・)

そう思って、慌てて魔力を解き、刀を鞘に収める。

そして、何もしない。と言うように両手を頭の上へ。その態度に、みさお自身からも殺気が消えるのを感じる。

「私は、祐一君の魔力が急に膨れ上がったのを感じて、それで心配で・・・」

心配そうに祐一の方を見つめる少女に、大輔自身も頷く。

「それなら、俺と基本的には同じだ。で、みさおちゃんはどうすればいいと思う?」

「なんとか止めないと。と思って来ました。今の祐一君の体じゃあこんな大魔術・・・」

みさおは、祐一が血を吐いていることを知ってしまっている。

しかも、血の色を見れば、それが表面的な物ではないことは、医療の腕も持ち合わせている彼女には分かってしまう。

「そう、だ。が、語りかけても届かない。」

首を軽く振るう。

そして、不思議そうに自分を見つめる二つの目に、目を閉じて語る。

「あいつは、今理性を失っている・・・・と言うより、自ら閉じている。」

脳の中の、神経の一つを自立的にコントロールさせて、外部との接触を完全に絶っているんだ。と説明する。

「言っておくが、俺には出来んし、慎一様にすら出来んだろう。こんな非人間的なこと・・・っと、悪い。まぁ、こんな超人的なことが 出来るのはあいつくらいのもんだろう。」

会話の途中でもう一度睨み付けられて慌てて修正。

少女の兄相手であったらこう言った軽口も叩き放題ではあるのだが・・・・中々性格を変えるのは難しい、と大輔自身心の中で苦笑を浮かべる。

そして、心配そうに祐一を見つめる少女に、改めて提案。

「気絶させるしかないんだ。だから、手伝ってくれ」と。

暫し沈黙。そして、慌てて、誤解していたことを謝るかのように、頭を深く、下げる。

そして頭を上げると、何かを決意したかのような・・・それでいて、心配そうな顔つきになって・・・

「でも、私はお兄ちゃんや瑞佳さんと違って、力がありません」

シュン。と顔を伏せるみさおに、おいおい。と心の中で呟く。

祐一に曰く

『魔術の才は、あの馬鹿兄貴よりみさおの方がよっぽど上だろう。最も、あの性格だから人を攻撃するような物は使えないだろうけど』

と言われるほどの力は持っているはずである。

「まぁ、とりあえず、俺の周りに魔力による攻撃から身を守る為の壁を作ってくれれば。それを5秒持たせてくれればなんとかしてみせるんだが」

そう言われて、目をキョトン。と。

「えっと・・・・・本当に、それだけよろしいのでしょうか?」

その言葉に、ある意味浩平以上に有難い助っ人だ。と思えた。







「良し・・・。と。それじゃあそっちは準備いいか?」

「えっと、・・・はい、大丈夫です。」

先ほどと同じように、それでいて、先ほどより安堵した表情で、刀をスラリと抜く。

後ろから自分を援護してくれる存在がいると言う事は、彼を安心させるに十分であった。

「それじゃあ、頼むわ」

コクリ。と頷いて、みさおが手をかざす。

と、同時に青白く体の周りが光出すのを見て、大輔は安堵の溜息を一つ。

祐一が昔彼女について述べた言葉に嘘はなかったらしい。と。

最も、与えられた時間はそう多くは無い。と地面を蹴って・・・

疾駆。

祐一の周囲の灼熱の火炎が身を包もうとするのを無視して、唯、駆ける。

淡い光が守ってくれている。間違いはないだろう。

そして、間合いに入るや否や、手加減も何も無く、思いっきり横薙ぎに・・・切り払う。

後ろで息を飲む声が一つ。

みさお自身、『祐一に傷を付ける事が目的なのに、そんなにやったら!』と思っているのだろうか?

しかし、祐一の力はそれほど甘くはない。

自分の、武神とさえ語られる相沢大輔の本気の一撃。

ここ十年以上の間、受けられたことすら数えるほど。しかも、仮に受けた者もその一撃に受けた物ごと体を叩ききられて来たほどの一撃を 軽々と受け止められて、大輔自身笑いを浮かべるしかない。

同じような攻撃を、往人に先ほど行なおうとした時、大輔は相手に受けさせる道を選んだ。

つまり、受けられる程度に計算された一撃でもって、そちらに集中を集め、それでもって本命の一撃を致命傷に成り得ない所に叩き込む。

それが、彼があの時に選んだ道。

勿論、今回も大輔の悪魔の左手は祐一の左脇腹へ向かっている。

「が、届かんのだよな・・・・やっぱ」

やれやれ。と苦笑を一つ。

ズキズキと左手が痛むのを感じ、そこに軽く視線を向けてやっぱりな。と確信を抱く。

左手に刺さっている一本の小刀。

つまりは、祐一は右手の雪風を左手の槍で受けつつ、同時に右手で持って小刀を投げ打った。と言う事。

後方から悲鳴のように自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「大輔様!!危ないです・・・・!!」・・・と

(まさか、30以上年下の娘に心配される日がこようとは思っても居なかったが・・・)

痛え痛え。と心の中で呟く。元々武器を投擲する。と言う物を教えたのは自分ではあるのだが、祐一の腕は既に自分の遥か上を行っているようだった。

「まぁ、俺の勝ちみたいだし、別に構わんが・・・・な」

ズキズキと痛む左手の感覚を・・・・無視。

今やるべきことは、右手の刀を引くことではない。

左手の痛みを気にすることでもない。

大輔が作り上げたのは、3本の矢。

雪風による一撃。

左手による一撃・・・

そして、最後の本命の一撃を彼は最初っから工程に組み入れて考えていた。

祐一が本来の状態であれば決して見逃さなかったであろう一撃。

彼が、つまりは全ての感覚を遮断していたが故に起こった油断。

「いい加減・・・・目を、覚まし・・・・やがれ!!」

ゴスッ。と鈍い音が一つ。と、同時に魔力の奔流が止み、・・・そして、蹲る大輔。

「・・・・・痛え・・・この石頭が・・・」

頭を抑えてうめき声を一つ。後方では口を両手で抑えつつ、『信じられない』と言わんばかりの顔をしている少女が一人。

まさか、頭突きを思いっきりぶちかます。とは誰も思っていなかった展開であろう。

勿論、本来であれば、こんな戦い方はあり得ない。

が、今回の場合、目標は祐一に大きな衝撃を与える。と言う事だけを考えれば良かったため、こんな作戦が有り得た。と言うだけでしかない。

空を本来の色・・・夕暮れの赤に染まっていくのを満足そうに大輔が眺める。

既に、煉獄の火炎は、その世界に帰って行ったようだった。魔力の奔流も止まっている。

「お疲れさん」

駆け寄って来るみさおにか、それとも倒れ行く祐一にか、どちらにかは分からないまでも、大輔は独り言のように呟く。

そして、ふらりと倒れてくる祐一を駆け寄ったみさおが体全体で支えた。







「祐一君・・・?」

ポンポン。と髪を梳くように撫でながら尋ねても返事は・・・ない。

脈はしっかり動いているし、呼吸もある。命に別状がないことを確認出来て、安堵の溜息を吐いた。

「祐一はどうだ?・・・・俺の頭は相当痛いんだが」

「祐一君は大丈夫だと思います。・・・・大輔様の頭は大丈夫ですか?」

本当に心配そうに頭を見つめられて、ある意味馬鹿にされているかのような感想を抱く。

「あ〜・・・まぁ・・・な。とりあえず、ちょっとお願いしたいんだが、祐一を後方に一旦下げてはくれんか?俺は祐一の代わりに全体 を暫く統率せにゃならん。」

みさおの腕の中の祐一を、面白そうに笑って、見つめて、そして、背を向ける。

「えっと、・・・・あの・・・・ちょっと待ってください・・・・あの、大輔様?」

そして、慌てて、それでいて、しっかり祐一を抱えたままで声をかけてくる少女を笑いながら黙殺する。

真っ赤にながら困っている少女に与えられたのは、とても戦場の中とは思えないような・・・・愉快な笑い声。







そして、一方では、一時後退を余儀なくされたものの、敵軍に出来たいくつもの穴を香里は的確に見据える。

これならいけるわ。と心からそう思う。

敵軍の、前線で魔導部隊を率いていた将だろうか?その一人が必死にこちらの軍の攻撃を跳ね返した。

が、相当無理を孕んだ行動に、敵前線には相当穴が出来上がっている。

「名雪に伝令を。援護を・・・と」

『ハッ』と短く返答を残し駆け去って行く影を見るでもなく、香里は自身で馬に鞭を入れる。

「こっちも敵本陣に乗り込むわよ?!何時までも相手の好きになんてさせないんだから!!」

牽制の為に、敵魔導部隊に二〜三百程度の支隊を送り込むと同時に、自らは敵本陣へと、駆ける。

破った。と確信した。

敵軍にはもうこちらの突撃を受けきれるほどの余裕なんてないと。

「お姉ちゃん!!」

「栞?!・・・・どうして?」

が、その目論見は、急に乗り込んできた妹によって推し止められる。

「駄目です。罠です!・・・相手が作った穴に乗り込んだらやられちゃいます!!」

そんなこと・・・と反論しつつ、敵陣を見る。

敵軍には、もはやそんなことを出来るだけの余力はないはずであろう。と思った。

「栞!!・・・・いくら貴方が相沢君を好いているとしても、ここは戦場なのよ?・・・・そんなこと言っていられる状態じゃないでしょう!!」

普段であれば、恫喝されただけで一歩下がる栞。

それが、退かない。これだけは譲れないと香里の前に馬で乗り込んで。

「白騎士団が動いています。・・・お姉ちゃんにはこの魔力の動きが感じられないですか??!!」

白騎士団。と言う名前にピクリと反応する。

そういえば、あの部隊は何処に行った?

後方で、国崎勢が抑えていたはずだ。

そう、・・・・『はず』。

思ってみれば、先ほどからそちらの方の動きが全く入ってきていないことに気がつく。

相沢大輔と言う人は、この状況を罠と変えてくる方・・・。

「・・・・・分かったわ。今回はもう戦果は十分果たしたし、ここでこの騎馬軍団を失ったら総崩れだしね。 貴方の助言、取り入れることにするわ」

ふぅ。と息を吐いて馬首を後ろに向ける。

そして、駆け出した瞬間に、前方に突出していた部隊が雷光に切り裂かれて、その命を一度に散らす。

「な・・・!?」

「お姉ちゃん!!ここはもう危険です。早く下がらないと・・・・」

手綱を慌てて引いてくる栞を眺める。

あのまま突入していたら、自分達があの仲間入りする所だったのね。と

栞の頭を撫でで、微笑む。

「ありがと。おかげで助かったわ」

苦笑するように笑う指揮官に、妹も黙って微笑んだ。