第二十四話








後方で聞こえる轟音に、秋子じゃ『やはり』としか感じなかった。

その行動が、最初っから計画されていたことは、その行動後の展開を見ても明らかである。

と、言うのも、崩れた岩場を、なんとかよじ登ろうとする兵士に向かって、崩されていない側の崖から放たれる矢の嵐がそれを 物語っていた。

だいたい、あそこまで深く、戦略を練って、公爵自らを囮として使った彼等がこんな見落としをするはずがない。

むしろ、ここまで綺麗に嵌められてしまうと逆に清清しさまで感じる。

「でも、まだ終わったわけじゃない・・・ですよ?」

まだまだロンディアにおいて、数の上ではこちらが圧倒的に有利なのだ。包囲網の一点でも破ってしまえば、今度はそこから逆包囲も可能になる。

敵はどうやら6つの軍に分かれていて、それぞれに指揮官が存在しているような動きを見せている。

何処かしら一つ、一つでも突破出来れば・・・・。

手近の部隊を手早く掌握すると、いくつかの指示を与える。

前方の部隊は、香里や名雪が食い止めてくれるのだから、相手にするべきは横、そして後方の敵部隊。

おそらく、甥か、大輔様がが支隊を任せられるとまで信頼している者が指揮しているのだろう。

その、侵攻の早さは秋子自身が舌を巻かざるを得ないほどに見事だった。

仕方がなく、秋子自身も、香里達と同様に部隊の方針を守りに置く。

何しろ、彼女の預かった兵はお世辞にも精強とは言えない新兵ばかりで、とても公国の精兵と戦えるような者達ではなかったから。

左右、後方。相手にしなければいけないのはおよそ8000程度。

「それに、大輔さんの白騎士団・・・・・ですね」

やれやれ。と溜息を一つ。それが一番の強敵であろうことは言うまでもなかった。







「名雪さん、どうすればいいの?」

慌てて駆け込んでくるあゆに、視線を向ける。

既に前線で敵軍を追撃していた部隊は敗走している。

それも、3000人以上はいた部隊が僅か一度の攻撃だけで、である。

そして、同時に、左右からも3000人程度の支隊が二つ接近。

その部隊は、後方にて本隊をも牽制する構えを見せていることから、こちらにその全勢力がぶつかることはないであろう。と思えた。

「あゆちゃんは、前方の敵本隊に魔術による攻撃を。私は本隊を率いて攻撃をかけるよ。」

にっこりと笑って「ファイト。だよ」と言って来る名雪に、あゆも冷静さを取り戻す。

敵本隊の数はおよそ5000程度。数の上ではこちらが有利なのだから。

「側面からの攻撃への対処は香里に任せるよ。って、香里に伝えてね」

傍に居た伝令に口早に告げる。

「青の軍が退くわけにはいかないよ。私達まで守りに入っちゃったらあとは押し潰されちゃうんだから」

自分を納得させるように一言。自ら前線へと走り出す。

せめて、祐一に笑われないような戦をしなきゃ。と胸に思いながら。







と、同時に、帝国軍本陣においても、総司令官倉田一弥が顔を真っ青にしていた。

―――先鋒隊のみが取り残された―――

その事実に。

「あとどれくらいで道を開ける??!!急がないと秋子さん達が・・・」

周りの者に勢い込んで問いただす。と、周りの者は揃って顔を背ける。

皇太子の機嫌を損ねることを恐れるかのように。

「落ち着きなさい。一弥。・・・・あの壁はそう簡単には開けません。まず、道を開くためには崖上の弓兵大隊をなんとかしないと・・・・ですね?

「はい。そう思われます。アレをどうにかしないかぎり、とてもあの狭い峡谷での作業は・・・」

頭をふかぶかと下げて答えるのは、実戦経験の乏しい一弥を補佐する為に秋子がつけた、北川子爵代理・・・北川潤。

普段の祐一等と絡んで馬鹿をやっているような雰囲気はなく、そこにあるのは―――武人としての姿。

そんな姿に、佐祐理も絶対の信頼を置いても居る。

内政は香里さんや名雪さんに、軍事は北川さんや久瀬さんに・・・・・そして、それらを祐一が束ねて、帝国を支える。それが元より佐祐理の 描いていた未来の帝国。

実際に、北川子爵の下で、副官的立場と言っても彼の今の地位は彼自身が得た物。

香里や名雪等は、軍の中では上の立場ではない。せいぜい、10人、50人を束ねる程度の立場にしか置かれていなかった。

あくまで、彼女達の今の立場は『諸侯』としての立場である。その中で、彼女達は数千の軍勢を率いて、ここにいる。

しかし、北川潤と言う男の今の立場は、禁軍の武官としての物である。

二十にも満たない者が、皇太子の傍近くに仕えることの出来る立場にいる。

それは仕官学校における成績は当然、加えて、卒業後の彼自身の功績が招いたものであった。

「・・・・・北川さん、お願いしてよろしいでしょうか?」

気を取り直して一弥は一言。そう告げる。

それに対して、頭を大きく下げて、後ろに下がる。

ようやく出番が貰えた。という事実が今の彼には最も嬉しかった。







「祐一様、青の軍、体勢を立て直して反撃を開始して来ています。」

言われずとも分かっている。と思う。何しろ、自分がいるのは前線だ。

「瑞佳さん」

短く「お願いします」と告げるだけで、相手もその意思を汲み取る。

と、同時に、彼女の指示で小部隊が動き出していく。

「スノウは相手にしないでください、あの部隊が対処しますので・・・。ただ、敵軍を粉砕することだけに全力を。」

そして、周りの者に落ち着いた声でそう、告げる。

それらの者が、前線の指揮官の下へ向かっていくのを見送ると、祐一は戦場全体を見渡す。

「ま、負けることはないだろな。これなら。問題は・・・・」

往人。と心の中で呟く。

祐一が帝国に送った、考えうる中で最高の槍。

それを上手く使えるかが、この戦の鍵。

使えるのであれば、それでいい。使えないのであれば・・・・・

「それはその時。だろうなぁ。」

隣に立っているみさおにくすくすと笑いかける。

何の脈絡もなく、いきなり笑いかけられて目をパチクリさせるみさおの頭をポンポンと叩く。

「や、助かった。あれを瑞佳さんの前に出されていたら流石にやばかったよ」

照れ笑いのようなものを浮かべて笑う祐一。とても、それは・・・・

「何で、・・何で祐一君はそんな風に笑えるんですか??」

病人のようには見えなくて。

(これは・・・・祐一君が吐いた血・・・・私や、私のような人達を祐一君が助けた代償・・・)

赤く、黒ずんだように赤い布切れを持ち出す。持っているみさおの手すらも赤くなっているのは、まだ、布切れに付いた血が乾いていないと言うこと。

それでも、目の前の人は笑っている。まるで神様のように、何もかも分かっているかのように。

・・・・・自分が、目の前の自分が、命を吸い取って生き延びていることをまるで忘れているかのように。

恨まれた方が、憎まれた方がまだ楽だと言うことは世の中にいくらでもあるのではないだろうか。

「もっと・・・もっと、・・・・私はともかく、お兄ちゃんや、瑞佳さん達のことを信頼・・・・してみてください。」

半分泣きそうな顔でそう言われて、祐一の方が逆に詰まる。

彼自身、浩平達のことは信頼しているつもりだったし、大輔のことは誰よりも信頼している。

それでは足りないのだろうか?と

分からない。

一弥達のことも心の中で信頼しているからこそ、往人達、被差別者の扱いを任せた。

彼等なら、上手く同盟軍として処理し、そして、往人達は公国の代わりに、来るべき争いにおいて帝国の槍になってくれるだろう。と思ったから。

それは、彼等に対する信頼の証ではないのだろうか?

自分の家族のような民達を、みさきさんに任せたのは信頼しているからではないのだろうか?

自分は、周りの人間を信頼しているはずだ。そう自信を持っていただけにみさおの一言は衝撃的だった。

当然、みさおはそんなことは知っている。自分達が祐一の感性の中では、祐一に信頼されている事など。

でも、祐一は絶対自分の奥底には人を入り込ませていない。それを誰よりも理解しているから・・・。

自分に対して治癒を施した時も、今回の戦の時だって、自分の体のことは誰にも話していない。

祐一にそれを言えば、「心配をかける必要がなかった」というかも知れない。

でも、それを言って、そして、心配し合うことが本当の信頼し合うと言う事ではないのだろうか?

つまり、みさおにとっての信頼。と、祐一にとっての信頼とは、意味が全く異なる物であるということ。

それを言おうとして、言えなくて、黙って俯く。

上手く言葉にすることが出来ないことをもどかしくも思いながら。







そんな会話が公国本陣で交わされている間にも、戦況は刻一刻と変化を見せる。

包囲された中、新兵を率いているにも関わらず、 必死に敵の四方向からの攻撃に耐えようとする帝国軍三万を切り裂くのは一瞬の閃光。

「よし。浩平の方はこれで大丈夫だろう。次は・・・あそこかな?」

戦場を常に駆け回りながら、敵守備陣の固い所に雷光を浴びせ、去っていく騎兵団。

一回撃たれるだけで、100人、200人が戦闘能力を奪われる、その威力に兵士が戦意を失うのは至極当然と言えた。

そして、その雷撃で出来た隙間を的確に切り裂いていく連携攻撃によって、少しずつ綻びが出来ている。

「何とかして、白騎士団を止めない限り光明が見えません!!」

前線の指揮官が自ら進言にやってくるのを苦々しげに見る。

それでは、どうすればいいと言うのですか?と。

白騎士団が、その本領を発揮する場――神速と、自由――を与えられた状態での戦闘等、対応のしようがない。

魔術戦闘においても、近接戦闘においても世界最強の軍勢。そして、率いているのは世界最高の騎士。

そんな風に悩んでいる間にも、また500人程度の規模の部隊が切り崩され、各個撃破されて行く。

応急処置を手早く。切り崩された部隊の代わりの部隊を即座に投入する。

既に、彼女に残された予備兵力は底をつきかけていた。もうこれ以上の猛攻には耐えられそうもない。

余りにも無様な戦。未だ彼女はこれほどの敗戦を経験したことがなかった。

既に、30000の軍勢のうち、軍隊として動いている者は半数もいるかどうか・・・。 防衛戦を抜くのにかけた3分の1程度の時間しか過ぎていないのにもかかわらず。

前線の両先鋒軍も善戦はしている様子だったが、相当苦しんでいるようだった。

また、峡谷を埋め尽くした土砂を取り除き、本隊が到着するにも相当の時間がかかるのは間違いない。

救いと言えば、前回の敗戦の時と違って、まだ軍が敗走の状態になっていないことくらいだろう。

あと、もう1時間・・・・下手したら2時間。それくらい耐えればきっと増援は来るはずだ。と言い続け、何とか兵の士気を保っている。

秋子自身が、そこまで持たないのではないか?と言う予感を抱えながらも。







が、戦況はそこで終わりを見せることはない。その事に最初に気がついたのは、秋子の本陣を目掛けて突撃を敢行しようとした大輔。

東の方角から戦気を感じて、微笑を浮かべる。

「大輔様・・・・??」

隣で控えていた立花が不信そうに見上げ、一瞬の間をおいて納得が言ったように笑いかける。

遠くから聞こえてくるのは、軍馬の嘶き。

「どうやら、来ましたか?最後の祭りの参加者が」

おうよ。と楽しげに大輔が返す。

そして、手を上げる。指揮官を集めろ。と言う意味を込めた行動に、伝令が慌てて駆け出していく。

「一弥坊ちゃんも中々考えるもんじゃないか。てっきり裏切り者の往人なんか使うのは嫌がるかと思っていたが・・・」

あと、一時間・・・いや、三十分遅れているだけで、水瀬侯爵の首は飛んでいただろう。

山を迂回してくるのには、およそ100と2〜30キロ程度はある。

馬で駆けるにしろ、4時間・・・・下手したら5時間はかかっただろうか?

逆に、公国軍が、敵を平原に閉じ込めてからの戦は、まだ僅か2時間強。

即ち、防衛戦を抜こうと戦っている間には、既に往人の部隊を差し向けていた。と言う事だろう。

指揮下の騎士団を纏めながら雑談を繰り広げる。

「皇太子は祐一様が信頼された方々です。あの帝の下であるにも関わらず、帝国にもまだまだ人はいる。と言う事でしょうか」

ふむ。と改めて考え込む。実際問題、大輔自身は一弥が往人等を信頼するとは思っていなかった。

誠実で、それでいて、人を疑うことが少ない皇太子にとって、往人達の裏切りは許せないものであったに違いないのだから。

最も、それが彼のいい所と言えばそれまでではあるが・・・。

「と、なると、佐祐理ちゃんか」

合点が行ったかのように頷いて、笑う。

先日会った時の会話。どうやら、こちらの考えにも少なからず気づいているらしい。

「倉田佐祐理・・・皇女殿下ですか。祐一様のご友人の・・・・」

「あっちはただのご友人とは思ってはいない様だがな」

二人で大きく笑いあう。10年以上、公国に仕えている彼に対して、慎一も大輔も、祐一も家族のような親近感を持っていたから。

「祐一のことなら分かるんだろう・・・・さ」

小さく呟く大輔を、寂しそうに見つめる。

と、その時、各地からちょうど騎馬の兵が集まってくる。準備が出来たことを報告する為に。

「さて、メインゲストのご到着だ。・・・精一杯出迎えてやろうじゃねぇか」

既に、その頃には東からの軍勢がもはや音によって聞こえるようになってきている。騎馬が10000近い軍勢の音は、凄まじく大きい。

「おい、立花。・・・・・お前だけは死ねないんだぞ?・・・・それだけは覚えて置けよ?」

馬上の人となって、一言。頷く方もそう言われる事が分かっているようで・・・。

「よぅし。行くかぁ」

はぁっ!!と馬を掛け声と共に蹴り上げて戦場へ向かう。

何処か楽しそうに、嬉しそうに。

それを一番に望んでいるかのように。







そして、周りの指揮官達も、その新手には既に気がついている。

浩平が、軽く「流石祐一が鍛えただけあって強そうだわ・・・なぁ?」と笑い

茜が「備えを致しますか?」と聞いてくる部下に対して、「別にいいです。大輔様が迎え撃たれるようですから」と、 いち早くそちらに向かっていく白騎士団を指差し、

また、一方では祐一が安堵したかのように笑いを見せていた。

「こちらからの増援は??」

本隊の予備兵を差し向けても・・・と尋ねてくる部下に、大笑いで答える。

「大輔さんにそんなもの送ったら『馬鹿にしてるのか?』ってこっちが襲われかねないじゃないですか」と。

軽く笑い飛ばして逆に真剣な顔になって一言。

「前線に集中してください。水瀬侯爵軍は甘くないですよ?唯でさえ白騎士団の分重圧が減って、その分相手が楽になるんですから」

了解致しました。と敬礼一つ、部下が離れて行く。

「信頼していない・・・か」

妹のように大切に思ってきた本人にそう言われると、やっぱりショックは多少ある。

あの後、気まずくなったのかみさおは救護部隊の中に戻って、治癒術法を使い続けているようだった。

瑞佳は前線で、スノウと渡り合っている。と言うより、軽くいなしていると言う方が正しいだろうか。とにかく、相手を封じ込め、 そして、味方への損害を0にすることだけを目的に戦っているから。

当然、祐一自身は、本陣で部隊の総指揮を開戦以来行っている。

しかし、それを行いながらも、先ほどの会話の内容が頭の中を渦巻くのを止めることは出来なかった。

そして、胸から沸いてくるムカムカ感も。

咳は、甲冑の中に向かってする。そうでないと、血を隠すことが出来なくなってしまうから。

ハンカチは数枚程度隠し持っていたものの、既に全て使い切っていた。

口元を軽く、手で拭う。

仮に、自分が体調を崩していて、血を吐いていることを言ったとして、それでどうなると言うのか?

他の者達には心配をかけるだけだし、治療法がないことは自分が一番良く知っている。

しかし、話していないことは信頼していないからだ。と言われた。

分からない。自分にはどうしても分からない。

そして、自身が何故腹立たしく感じているのかも、また理解出来なくて、それがさらに彼を不愉快にさせる。

そんなことを考えていて、祐一自身は自分の顔が憮然としたものになっていることに気がつくことすらなかった。

そして、周りの者は祐一が段々と機嫌を悪くしていく様をハラハラと見つめる。と、同時に驚きをも込めて。

彼等からすれば、ここまで感情が外に現れている祐一を見ることが珍しく、微笑ましく思えていたから。

何しろ、普段から祐一は常に大人びていて、年相応の行動をすることがまず見られなかった。

しかし、今の祐一は年相応に見える。

そのことが、彼等には嬉しくも感じられていた。

ガールフレンドに機嫌を損ねられて悩みだすなんて、まるで少年のようではないか・・・と。




しかし、彼等がするべき役目は、それではないはずだった。

あくまで、部下として、集中が別の方向に向きかけている若き当主に諫言を行うべき。

彼等は、その当主の日ごろからの余りの能力の高さに、一つのことを忘れてしまっていた。

彼は・・・祐一はあくまでまだ二十にも届いていない子供であると言うことを。







一方、祐一が悶悶としている頃・・・・いや、公国軍の本隊が水瀬侯爵軍とぶつかって以来ずっと、戦場では水瀬あゆが苦しんでいた。

先ほどから全くスノウが機能出来ていない。

先ほどの疲れが見えていると言うわけではない。

全く同じように魔術を撃ち出させている筈なのに、それが全く相手に向かって行っていない。

「うぐぅ。・・・何で?・・・・全然効かないよぉ」

何度も何度も撃ちだす魔術が、全て糸に絡め取られるように霧散して行く。

そして、撃ち終わった後の硬直を狙って矢の雨が降り注ぐ。

既に、スノウのうち20名近くが死傷に追い込まれていた。大惨事としか言いようがない。

「うぅ・・・、全員、敵の矢の射程外に一時退避して〜」

味方の兵士に囲まれながら、慌てて指示を飛ばす。一瞬判断が遅れるだけで、味方の損害は呆れるくらいに増えてしまう。

既に、戦が始まって8〜9時間ほどは経過していた。

戦が始まった時は、東の方に見えていたお日様が、既に西に沈もうとしている。

常に最前線に居たあゆやスノウが疲れるのはしょうがなかった。

「う〜ん。まだまだ経験が足りないんだろうね。可哀想だけど。」

一方、公国側の瑞佳は、特に疲れる風ですらない。

柵の攻撃と、全く同様の攻め。既に、柵の防衛の時点で敵の行使する魔術は全て確認していた。

一度見せられたものを、魔術の力で勝る軍勢が防衛することは余りにも容易い。

「司令官。このままこちらから魔術攻撃を叩き込めば敵魔術部隊を粉砕することも可能ですが」

と、奏上して来る将校に黙って首を振る。

「祐一様が、私達にお命じになったのはあくまで防衛戦です。」

何時もと祐一に対する言葉使いも、自身の言葉使いも変えて話す。何処から情報が漏れるかなんて分かりようがないのだから。と。

「しかし、ここで撃ちこめば敵軍は総崩れとなり、こちらの勝利が揺ぎ無いものに・・・・」

黙って首を横に2回。

名目上は、命令に反するわけには行かない。と言って。

しかし、彼女には実際の所が理解出来ている。

祐一は、水瀬姉妹や、美坂姉妹のような帝国を背負って立つ人間を失わせたくはない。

それが祐一の意思である以上、それに従うのが自分の役目だ。と瑞佳は思っている。

王国からすれば、帝国は間違いなく仮想敵国である。

既に、公国へ義勇兵としてでも向かいたいと言っている将兵は、3000を軽く超えているし、民からも 攻撃を受けている公国へ援護を行わない由紀子への批判が大きくなってきていた。

また、帝国からしても、長い、長い間緩衝材的役割を果たしていた公国が無くなってしまえば、間違いなく王国を滅ぼして 統一を図りたいと考えているはずだった。

なので、瑞佳や、浩平の個人的な立場としては、ここで帝国の中枢たる人物を討ってしまえば、後々の王国の利益になる。

それが本音ではないか?と聞かれて、「否」と言えない事を自分勝手ということは誰にも出来ないだろう。

「私は・・・私達は、祐一様の指示に従うことこそが正義・・・そうではないのですか?」

卑怯な言い方だ。と思う。そう言ってしまえば相手には反抗のしようがない。

実際、多少悔しそうに将校が離れていく。彼としても、功を欲しがっているわけではなく、ただ、勝利する為の方策を口にしただけだった。

この軍には、自身の為に戦っている兵士がいない。その一事実だけを見ても、慎一や祐一の偉大さが理解出来る。

「みさおちゃんと祐一。浩平が考えるのも無理ないよ・・・。」

はぁ。と溜息。祐一が味方になってくれたらどれだけ心強いんだろう?と本心から思える。

「浩平と祐一がタッグを組んだら神様でも倒せそうだよ。」

クスクスと笑う。何処となく似ている二人。二人がここで共闘しているのは運命と言ってもいいのかもしれない。

「うん。もうすぐで第三幕が開幕だね。それまではしっかり仕事をしちゃわないと。」

よぅし、と気合を入れなおす。一発たりとも魔術弾を撃ちこませない、と言わんばかりに。







「観鈴?やっぱりお前は後ろに下がっていた方がいいと思うんだが・・・・・」

横を駆ける観鈴に困ったように語り掛ける。

祐一や、自分の手ほどきを受けて、ようやくなんとか馬に乗れる程度になった観鈴に、白騎士団との戦闘は無理だ。と思ったから。

「にはは・・・。でも、往人さん、魔術使えないから。私が守らないと危ないよ?」

「・・・・それを言われると厳しいが」

「祐一さんも、私や佳乃ちゃんは、祐一さんが知っている中でもトップクラスのせんざいのーりょくがあるって言ってくれた」

むぅ。と考え込む。何故か観鈴や佳乃が飛びぬけた才能を持っていることは祐一からも、そして聖からも聞いていた。

「だから、私も往人さんと一緒。一緒。」

仕方がないように頷く。確かに、観鈴の言うことも一理あったから。

祐一に体を治してもらって以来、ずっとはしゃいでいる観鈴。自由に動けることはやっぱり嬉しいらしかった。

「往人さん、白騎士団がこちらに向かってきております。・・・・大輔様の姿も。」

びくびくとしながら自分より5〜6歳上の兵士が近寄って来る。白騎士団の恐ろしさは何度も見せられていた。

「大丈夫だ。何も、勝てと言うわけじゃあない。ただ、相手を引きつけて、足止めする。それで、本隊を楽に出来れば作戦成功だ。」

そう言いながらも、往人自身が恐ろしく感じている。

なるほど、自身は帝国軍の中で馬の扱い、武器の戦闘。どれを取ってもそうそう負けることはないだろう。

しかし、そんな自分が、あの連中の前では雑魚同然だった。

「退くな、怯むな、臆するな・・・・か。」

自分に言い聞かせるように呟く。

「とにかく、魔術攻撃範囲に入ったら黒焦げだぞ?敵に当たるな。常に、一定の距離を置いて対峙すればいいんだ。・・・・・ いいな、こちらからは決して攻撃を仕掛けないことだけを徹底させろよ?・・・・それで、一時間もたせればこちらの勝ちだ。」

左右の将官に戦の前から言い続けていることを、再度繰り返す。

味方本隊が、峡谷を抜けることさえ出来ればこちらの勝ち。それが彼等に与えられた状況であった。

既に、峡谷においては、崖の上に伏せられていた軍勢に、北川子爵公子の部隊が立ち向かっている。しばらくすれば、寡兵である公国軍 は撤退するであろう。

だから、それまで・・・・それまで耐えればいい。そう思えば、少しは勝算もあった。







「ふむ・・・・・往人も分かってはいるようだな。」

距離を置いて、そして、止まることなく左右に動いている軍勢を見つめる。

もしも、5倍兵力がいるからと、馬鹿げた攻撃を開始して来たら、その時は好きなようにしていいと祐一から許可も得ている。

勿論、それは祐一が往人がそんな馬鹿なことはしないだろう。と信用しているからである。

「それは・・・・国崎殿は決して猪武者ではないとは思いますが・・・・」

「なぁに、猪武者でないものが、白騎士団相手に突撃をかけてくるものか。あれが戦であったら奴らは今ごろ全滅してるさ」

はっはっは。と豪快に笑い飛ばして一言。最も、大輔自身そういう者は嫌いではない。

「・・・・・・それで、国崎殿は殺さぬように・・・ですね?」

「ああ。・・・あと、観鈴ちゃんもな。流石にあの子を殺しちまったら寝覚めが悪いだろうし。」

まるで、遠足に行くかのように、笑いながら駆ける数騎。

「さて・・・他の主演達が皆名演をしている所で、俺達がダイコンをやるわけにはいかんぞ?」

よし。と刀を抜いて辺りを見渡すと、各隊が、整然と陣形を組み上げながら行軍を開始していた。

「こちらからも積極的に仕掛ける必要はないぞ?所詮は遊戯だ。・・遊んでやれ」

周囲の将兵にそう告げると、ニッコリと笑顔が帰って来る。

それは、唯の自信でも、当然慢心でもない。彼等にとっては、それは息を吸うのと同じくらい当然のこと。

つまりは、単純に騎馬軍団としての自由を与えられた局面において、白騎士団と渡り合える存在等この世に『存在し得ない』のである。







「さて、と。後方は大輔さんが抑えてくれるようだし・・・・俺達もそろそろ切り込むぞ?お前の得意技だ」

ぽんぽんと、肩に手を乗せられたのを大きく払いのける。

「分かってるわよ!!そんなことより、アンタは気をつけなさいよ?祐一様の考えには不本意ながらアンタも必要なんだからね?」

「ほぅ。まさか、お前に心配されることが人生の中であるとは思わなかった。どうした?何時もならもっと男らしい言葉を発している所なのに。 ・・・・・・悪いもんでも食べたか?」

周囲に居た者は、後に「血管が音を立てて切れる音を初めて聞いた」と述べたと言う。

「・・・・どうやら、やっぱりアンタとは一度腹を割って話し合わなければいけないようね・・・・。」

ポキ・・・・ポキ・・・・と音を立てながら近寄って来る死神に、一瞬浩平は自らの死の光景を脳裏に浮かべることとなった。

ある意味で、この時浩平の命を助けたのは、帝国軍と言ってもいいくらいかもしれない。

「将軍!!敵前線部隊を前線が突破致しました。敵本陣の旗印が視界内に入っておりますが・・・・」

その言葉に、大仰に頷くと、手早く指示を与えていく。

目の前の悪魔から逃れようと・・・。

浩平は、この時初めて帝国に親近感を抱いていた。

「とりあえず、水瀬『英雄』侯爵様にご拝謁と行こうか、なぁ七瀬。・・・・こちらが正体を見せられないのは残念だが。」

「全く・・・油断してやられんじゃないわよ?正体を現せないってことは『アレ』も使えないんだからね」

うきうきしている自らの主君を不信気に見守り、一歩一歩と歩みだす。

祐一の与えた、『浩平のお守り』と言う役目は言いえて妙である。結局、普段より彼女の役目は浩平の本隊の為に、敵陣に道を切り開く ことなのだったから。

最も、実際に彼等が秋子の下に辿り着くか?と言えば、それは無理と言える。

そう、彼等の狙いは、敵本陣を攻めようとすることで、他所に向けられる敵軍の圧力を、少しでも軽減しようとしたと言うだけに過ぎない。

しかし、この行動は、別の形で戦況に大きな影響を与えることにもなっていた。







その、浩平旗下支隊の行動を見て、香里はもうこれ以上温存していられる状況ではないと判断。

「栞。後方の軍団に伝えてちょうだい。・・・・騎馬軍団を出すわよ」

本来であれば、相手を歩兵隊で牽制し続け、弱点を見出した所に投入するはずの虎の子の騎馬軍団。

しかし、味方本陣を狙われるような状況下にあって、そんな余裕はもはや――なかった。

「分かりました。・・・・お姉ちゃんはどうするんですか?」

「当然、私も出るわ。騎馬軍団は私が作り上げた軍団よ」

その言葉にくすっと笑う。

指揮官が自ら一番危険な場所に飛び込むのは、リスクを考えられない愚か者のすることよ。と常日頃から言っている姉が、 今となっては自らその愚行と呼んでいた行為を成そうとしている。

しかし、それは現状では最も効果的な作戦であろう。と言えた。

先頭に立って突撃する主君の姿を見れば、部隊も士気を取り戻すであろう・・・・と。

「・・・分かりました、お姉ちゃん。でも、気をつけてくださいね。」

心配そうに礼を返す妹を苦笑しながら見つめて・・・・歩き出す。

結局の所、既に何処にも安全な場所等存在していなかった。







その気配を、いち早く察知したのは、むしろ一番遠い所にいるはずの大輔。

ついに帝国軍もジョーカーを切ったと言うことを察知して苦笑を露にする。

騎馬軍団などというものは、自由に動ける局面があって初めてその効力を発揮するのであって、囲まれた状態で、しかも周囲に味方軍が 密集している状態ではその存在意義は半減する。

しかし、そうであっても、歩兵のみの部隊に対して騎馬軍団・・・しかも、統制された騎馬軍団1000人は歩兵隊の3000にも匹敵 する戦力である。元より、同数以下の兵力で支え続けている部隊にとってはとてつもない痛手となる増援であろう。

「美坂がジョーカーを切りましたか」

隣で、同様に苦笑している副官に笑いかける。戦気だけで敵の動きを察知出来る力を持っているものは稀である。

それは、ある意味予知能力にも近い力と言えた。

何しろ、相手はまだ動いてもいないのだから。

「だな。浩平が本陣を伺おうとしたことで焦ったんだろう。もったいぶらずにいればもう少し使いようもあっただろうに」

まだまだ若い。と苦笑しつつ、続ける。

「俺だったら、最初に平原に引きずり込まれた段階で、騎馬軍団による突撃をかけさせるな。まだ囲まれていない段階で 包囲網を敷こうとする軍勢に突撃をかければ、包囲されずに済んだかもしれん。・・・・だろ?」

それを、『騎馬軍団は、歩兵隊の攻撃で弱点を作り上げ、そこを突き破る為に用いる』と言う固定観念に縛られていたために逸した。と続ける。

「しかし・・そう動いてきた時には、また別の行動をしていただけでしょう?」

そして、二人で顔を見合わせて「そりゃそうだ」と笑い合う。

「ま、祐一も備えはしてあるだろうさ。最初の突撃さえかわせば、後は騎馬軍団に対する備えをしていた両軍も総攻撃をかけられる。」

それで、壊滅・・・だ。と真顔で敵軍を一望。

「・・・・・さて・・・と。往人も上手くやっているようじゃないか。助演男優賞をくれてやりたいくらいだ」

目の前に視線を向けると、皮製の甲冑を身に纏った兵団が、上手くいくつかの部隊に分かれてこちらの攻撃を受け流しているように見える。

実際、死者はほとんど皆無。負傷者は相当数出ているであろうが、死に至るほどの傷を負ったものは少ないであろう。

「ここまでは祐一のシナリオどうりに来ている・・・・か。さて、この後どうなることやら・・・」

あ〜あ。と空を見上げて一言。

「しかし、まぁ・・夕日が沈む空ってのもこんな時に見ると血の色を見せられているようで気分が悪いなぁ」

くつくつと笑いながら言われて、隣の副官も苦笑を浮かべる。そして、真顔になって一言

「大輔様は、祐一様のシナリオどうり行ったほうが良い。とお考えになっておられないのでしょう?」

ボソッと、大輔にしか聞こえないくらいの小さな声で問い掛ける。

答えは――――なかった。

しかし、彼等は今の祐一の状態を知らない。本来の祐一であれば、万に一つも見落とさないような敵軍の行動。

祐一には、それを察知する力が本来は・・・ある。

が、今の祐一には、それがなかった。







「畜生!!・・・・あの連中はどうしてこんなに元気なんだ??!!」

真横を通り過ぎて行こうとする矢を、自らの刀・・・雪花で叩き落しながら罵声を上げる。

こちらも、全力でかけ続けて馬が疲れていることはいなめない。

が、相手はロンディア会戦が始まって以来、ずっと戦闘行為を続けていたはずである。なのに、相手はこちらの運動量をはるかに上回っていた。

「国崎さん、敵魔導部隊、詠唱を終えようとしています。」

そして、何よりも想定外だったのは、敵魔導部隊の能力の高さ。

と言うのは、観鈴に言わせれば、魔術の構成は、酷く集中力を使うもので、それをやっている途中は他の事など『目に入らない。』 と言うことである。

実際、彼自身、刀に力を借りていても尚魔術の構成を行うためには一時馬の制御を諦めざるを得ない。

で、あるのに敵軍は、馬で全力で駆けながら尚魔術構成を行ってくる。

「全軍。散会しろ!!集中していたら的になるぞ!!」

周囲に怒鳴りつつ、自らは馬にかけていた集中を一時解いて、剣に力を込める。

と、同時に、周囲の観鈴旗下の魔術部隊も同様に魔術構成を開始。

敵軍から放たれた数十の雷光を、氷の狼が、透明の壁が弾き返していく。

が、それはあくまで往人達の本隊のみ。他所では、雷光に打ち貫かれて、地面に転がり落ちる兵士が続出している。

万が一、敵軍が手加減なしに本気で撃っていたとしたら既に死者は三桁を軽く超えていたであろう。

僅か、2〜30分の戦の間に・・・。







そして、本陣では、祐一が近づいてくる戦気にようやく気づく。とうに相手が動き出してからようやく・・・。

彼にとって不運なことは、ちょうど数分前に手持ちの予備戦力を敵を包み込むために両端に回してしまっていたと言うこと。

既に、5000の兵士の、その中での祐一の周りには兵士が2000も残っていない。

「・・・・何でだ?」

何故気づかなかったんだ?と自問する。答えるまでもなく、自身がくだらない事を考えていて、集中を欠いていたからであることは明白だった。

と、同時に、彼自身は決して認めないことではあるが、痛み続けている内臓、そして、頭。それらの要因も絡んでいたのかもしれない。

このような状況に陥って、初めて露になったことではあるが、祐一には一つだけ弱点がある。

彼は、その能力の高さゆえに、失敗をしたことがない。

故に、自分が失敗した時のことを少しも考えていなかった。

これを見て分かるのは、彼は実際未完成な人間であると言うこと。そして、彼にとって不幸なことは、それを指摘出来る 者が、幼少より周りに存在していなかったことであろう。

両親を早くに失い、親代わりの者は人質同然に取られていたのだから・・・・。

こんな状況になった時、周囲を見渡しても彼に助言を与えられる者はいない。

それは無理もないこと。彼等は、あくまで祐一の指示を完璧に成すことに長けているのであって、慎一→祐一と英雄が続いた この公国軍において、彼等に対して助言を与える立場になると言うことはありえなかった。

つまり、このような事態に慣れていないのである。

ここに来て、祐一が置かれているのは孤立。

そして、前と、後ろを一瞥ずつ。

前には瑞佳が、後ろにはみさおがいる。

彼女達だけは失えない。ただ、それだけを混濁した頭の中で考える。

彼は、混乱していた。生まれて初めてと言っていいくらいに無様に・・・。

そして、彼にとって最も不幸なことに、彼にはそれを打開する力があった。

激しくむせ込むのを手で抑え付ける。既に布切れはなく、手がドス黒い色に染まるのを冷淡な目で見つめ・・・

槍を片手に掲げ持ち

周囲の者に、下がるように命じて

・・・そして、指でもって血を頬に擦り付ける。

端整な顔に、赤黒い線が二本。それだけで、彼の外見は遥かに恐ろしいものとなった。

そして、自らの脳を自身でコントロールする。

痛みを・・・感情を・・・理性を。

・・・・掲げ持った槍で、地面に一本一本線を描いていく。

無表情のままに、全ての感情を捨て去ったかのように。・・・まるで、悪魔のように。

と、同時に前方からは激しい物音が聞こえてくる。味方軍に、敵騎馬軍団が突撃してくる音であろう。

「時間がない・・・。急がなきゃ・・・」

ぶつぶつと、声を書き上げた魔方陣に注ぎ込むように、体中の魔力を注ぎ込むように詠唱を始める。

前線が突破されれば、後方の救護部隊まで丸見えになってしまう。つまり、それくらい公国とて危ない戦線を支えていた。と言う事であった。

それまでに、なんとかしないと・・・。それだけを考えて祐一は行動している。

もはや、何時もの『全てを見通したかのように』行動している祐一は、そこには存在していなかった。