第二十二話








「祐一、見えてきたぞ?」

その言葉に祐一が頷く。

彼にも当然遠くから近づいてくる旗が見えていた。

彼らがいるのは、ロンディア平原の公国側から見て帝国よりにある峡谷の、峡谷を見下ろす崖の上。

そして、彼等の真下には、公国の軍隊が布陣している。

狭地・・・つまり、大軍で攻めるのが難しい場所に布陣して、敵を迎え撃つ。大軍を相手にする時の教科書のような戦い方と言える。

当然、崖の上からの攻撃を受けないような備えは取れている。敵軍が山地を乗り越えて、裏に回るためには、大量に仕掛けられた 罠や、潜んでいる山に熟知した百人以上の兵士の攻撃を乗り越えなければいけないし、大体、大軍が通れそうな道は既に岩や木等で封鎖している。

敵軍にも、こちらの構えは分かっているだろう。

7〜8倍に及ぶ軍勢を受け止めようとするのであれば誰だってそうする。

「じゃあ、俺達もそろそろ配置に着いたほうがいいんだろう?」

そう言って、平原に向かって歩みだそうとする浩平。

おそらく、敵軍は布陣後即座に攻めてくるだろう。それは、敵軍の先方からは活気が見れば分かることだった。

それに、大軍を持っているからこその問題もある。

そこまで戦を長引かせてしまうと、食糧が底を尽きるのは時間の問題であろうし、こちらに先手を打たせるのも好ましくないと、 相手も考えるだろうと言うことは予想が出来た。

「それじゃぁ、楽しもうか。なぁ?」

後ろを振り返って何かこれから悪戯をするかのような笑顔を浮かべる親友に苦笑を浮かべる。

「戦は遊びじゃないぞ?と言いたい所だが・・・・」

やれやれ。と首を振る。自分にもそう思っているところが少なからずあるだけに強く文句も言えない。

「そう・・・だな。お互い祭りを楽しむことにしようか」

完全に振り返ってこちらを向いた浩平に右手を上げる。

と、同時に浩平も自らの右手を上げて・・・。

直後『パァン』と手と手の打ち合う音。

そして、お互いが顔を見合わせてひとしきり笑いあう。

「それじゃぁ、予定通りに。任せたぞ?」

しかし、その後に行く先は別。祐一は真下の峡谷に作り上げられた柵に、そして、浩平はその後ろ。平原に布陣している部隊へ。

公国の布陣は全部で5部隊に分かれている。浩平の部隊に茜、雪見、詩子。そして、祐一の本隊。

祐一の部隊のみが8000の兵を持ち、あとの4隊は3000ずつ。

そして、それとは別に、独立した部隊として白騎士団の2000。これは、祐一から一つだけ与えられた指令を実行することだけに 全力を注ぐことを要求された独立行動権を持った特別隊。

併せて約20000。これが公国軍の全軍である。

最も、祐一の部隊のうち3000ほどはあくまで兵站を受け持ったりと言う予備兵力と言うことで数えられている。

なので、峡谷において実際に防衛線を敷いているのは5000。

「敵軍が参りましたか?」

その柵に祐一が入ると、老齢の兵士から明るい声がかかる。

まるで20倍以上の敵を受けることを忘れているかのような明るい声に思わず笑みを浮かべる。

「ええ。予定通りに。先鋒の青の軍が見えてきましたから。」

「水瀬侯爵、その軍略帝国一・・・。全く、臍で茶を沸かすと言うもの・・・??!!」

そこまで言った兵士が横の兵士に肘で突付かれる。

「お主も少しは考えたらどうだ?・・・・今の水瀬侯爵は祐一様の叔母上にあたられるのだぞ?」

全く。と叱り付ける兵士に慌てて祐一に謝る兵士。

戦の前とは思えない明るい雰囲気に祐一も思わず頬が緩む。

祐一は気にしないでください。と両手を体の前で振って会話の列を離れる。

周りを見渡しても全員いい感じに緊張が解れているように見えて、特に何かをいう必要がなかった。

「祐一様」

そして、横から差し出された槍を手に取る。

往人達を相手に渡り合った前回のように、袋の中に入った神槍。しかし、祐一はその袋を黙って外す。

と、キラリと光を放つその光沢に周りの者が言葉を失う。

袋を傍でそのまま待っていた近習に渡し、2回、3回と槍を軽く回す。

軽く、そして空気を斬っているかのような感覚。実際、この槍は人をも獣をも、そして魔獣すらも空気のように切り裂き、突き通す。

大丈夫だな。とそのまま切っ先を地面に下ろす。そして、周りの将官達に号令。

「戦闘用意!!」・・・と。

それに答える声は祐一の想像していたものより遥かに大きかった。







一方で、帝国軍、水瀬侯爵率いる第一軍の最先鋒、名雪とあゆの率いる約5000の将兵もロンディアの平原手前の峡谷にさしかかろうとしていた。

侵攻作戦を考えた時点で、敵軍がここで防衛線を敷くことが予想できていただけに、相手が待ち構えていることを聞いてもさほど驚く風でもない。

「ゆういち・・・・」

ただ、目の前にそびえるのは間違いなく公国旗、そして、公爵旗。

その旗を立てることを許されているのは一人しかいない。それは即ち、相沢慎一亡き今現公爵の立場を引き継いだ一人の青年。

自分達の役目は、目の前の防衛線を突破し、敵軍をロンディアの平原まで押し込むこと。広い平原に戦場を移してしまえば5倍以上の 兵力を誇る自分たちの勝利は間違いなかった。

そう、元より、5倍以上の兵力での戦場が決まった状況でこうなることは分かっていたはずなのに・・・・。

秋子も名雪も、誰もが今回の戦での勝利は疑っていなかった。

これが、オーディンの本城での攻城戦と言うのであれば話は別だったのかもしれない。

しかし、これは野戦。それも、狭い峡谷さえ抜けてしまえば広い広い平原が広がる地形においての野戦。

大軍にとって、これほど有利な条件はなかった。

だからこそ、相手に降伏勧告をすれば受け入れてくれるものと信じて事を進めてきたのだ。

相手の戦略眼の確かさを信頼して。

それが、こんな結末になった。もはやどうしようもなかった。

秋子も、名雪も、誰もが自分に与えられた役目を果たすしかしょうがない。と諦めと決心を胸に抱いていた。

なるほど、確かに自分に与えられた役目を放棄して、自身のやりたいように、自身の正義を貫くことは美しく見えるかもしれない。

しかし、それほど無責任な行動があっていいはずがない。

それが立場であり、彼らの双肩にかかる民達への責任と言うもの。

「名雪様、参謀長官閣下並びに総司令官閣下より攻撃開始の指令が・・・・」

後ろから気の毒そうに壮年の将校が声をかけてくる。

彼自身、長年侯爵家に仕え、公爵家と侯爵家の関係も熟知している。

名雪やあゆの心境を考えるだけで、彼自身何とも言えないくらいの空しさが存在していた。

その声に迷いを断ち切る。自分が迷っていることを部下に見せたら、また自分は部下を余計に失ってしまうのだ。と。

「うん。分かったよ。・・・あゆちゃん?」

だから、名雪は特に気にした風もなく答えて、横の義妹に声をかける。

「うん。大丈夫だよ。」

そして、あゆ自身も。お互いが自身に課せられた責任を自覚し、その責任をまっとうしようとしていた。

「・・・・全軍、攻撃・・・・・開始!!」

剣を抜き放ち、空に向かって掲げる。と、兵士達がときの声をあげて駆け出す。

目指すは前方の公爵旗の軍。

こうして戦端は開かれる。約5000の青の軍隊が、公爵旗を掲げた柵に向かって突進を敢行したその時に。







「始まりましたか・・・」

その遥か後方、第一軍の司令部で水瀬侯爵・・・帝国遠征軍参謀長官が呟く。

こうなることだけを止めようとして動き続けた数ヶ月。既にそれは灰燼に帰していた。

こうなってしまっては、今や自分に出来る事は、敬愛する大輔や、自らの甥を相手に恥ずかしくない戦をすること。

己より遥かなる高みにいる武士との戦。それを成し遂げることに全力を尽くすことだけが彼女に残されたたった一つの道だった。

辺りを見渡すと、見覚えのない将官に囲まれている自分がいて、多少の違和感を感じる。

元からの自分の子飼いの部下達は全員名雪に付けてしまったので、ここにいるのは全て帝国軍からの出向命令を受けてやってきた参謀達であった。

「状況は逐一報告を。・・・あと、美坂侯爵代理の軍にも出陣の要請を」

先鋒隊の援護を・・・。と伝えられた伝令が馬に乗って美坂侯爵軍の陣に向かって駆けて行く。

本来は第二軍団に所属しているはずの美坂家の軍団。

しかし、クレスタが無血開城した結果、第二軍団には騎馬軍が10000弱加わっていた。

だから、一弥が第一軍団に増兵として参加させた。と言うわけである。

結果、第一軍団は単体で40000の兵を抱え、また、美坂家の軍隊が上手く連携を取って攻め立てている。

遠目にも名雪の軍は思い切りよくぶつかって行った事が確認出来ていた。

相手も何重にも張り巡らせた柵で防衛をしているようではあるが、こちらが波状攻撃を加えていけば瓦解するのもそう遠い話ではないだろう。

それなのに・・・それなのにこの不安感はどう言うことだろうか?

もはや彼の軍には軍神は存在していない。そうであるのに、とてつもなく強い圧迫感を感じる。

・・・・むしろ、恐怖感と言ってもいいくらいに強い圧迫感を。

(気のせい・・・・そう、気のせいですね。私が気が進まないからそう感じているだけの・・・)

首を2,3回振って雑念を追い払う。第一軍全体を預かる身である自分が迷っているわけには行かなかった。

「本隊の総司令官閣下にも伝令を。第一軍は予定通りに攻撃を開始しました。とお伝えしてください」

伝令に口早にそう伝えるとその場から立ち上がる。

「それでは、皆さんも用意の方、お願いします。」

そして、周りの将校に告げる。

「私たちも、司令部を前方に移動させます。」

鞘に収まった剣を右手で取り、そのまま陣幕の外へ。

他の将校が皆、突然の司令官の命令に驚いて反応が遅れている間に秋子は馬に跨る。

そして、渋い顔。本来の自らの参謀達であったならばもっと反応は早かったはずなのに・・・と。

おそらく、参謀達は自分達は後方で指揮をすることが仕事で、前線等と言う危ない所には行きたくないとでも思っているのだろうか?

前線を見ないで指揮など取れるはずがないと言うのに・・・。

どうして帝国はここまで腐敗してしまったのだろうか・・・・・?

そう改めて考えるだけで虚しさのみが頭に溢れて来るのを止めることができなかった。







最も、帝国軍の上層部が腐敗していると言っても、当然例外は存在している。

実際に、先鋒を任されている両侯爵家の部隊は、四段に構えられた柵に繰り返し激しい突撃を敢行していた。

「祐一様、そろそろ最初の柵が・・・死傷者も増加しておりますし・・・」

ある意味で予想通りの猛攻に祐一も顔を顰める。

最初の突撃から、これで激しい猛攻は8度目。僅かの間にこれだけの突撃を繰り返し行われては流石に兵達にも疲れが見えてきている。

最初の2〜3回は柵にすら近づけないで撃退出来ていたものの、段々と弓や魔術の攻撃でおされ始めていた。

「死傷者は現状で既に7〜80人程度は・・・増援を出しているものの2000人での防衛陣に綻びが生まれてきております」

特に、魔術部隊による攻撃が厄介だった。

矢の攻撃だけなら、こちらの方が遥かに練度は高いし、柵の中から盾に守られながら撃つほうが平地から撃つよりも遥かに効果も大きい。

しかし、矢を受け止める盾ごと焼き払う魔術の攻撃は堪えようがない。

戦が始まる前からある程度こうなることは予想していたものの、実際に自らの民がそれによって失われていくことはまた別の話だった。

「祐一?あの魔術部隊・・・止めたほうがいいんじゃないかな?」

今回の戦場において、祐一の副官的に付いている、フルフェイスの兜を付けた瑞佳が止めろと言うのなら止めて見せるよ?と心配そうに覗き込む。

「いえ、・・・瑞佳さんに預けてある部隊の出番はもっと後じゃないと・・・・今は前線に堪えてもらうしかないです」

黙って首を振る。ここで投入するのは余りにも早すぎた。まだまだ作戦の前段階なのだから。

ごめんなさい。と心の中で将兵に詫びながら。

「それなら私一人で・・・。それだけでももうちょっとはマシになると思うんだけど・・・?」

対魔術防御壁を作り上げれば多少は戦いやすくなるんじゃないかな?と続ける。

「・・・??!!それは・・・駄目です。貴方をそんな危険な目に合わせるわけには行きません」

それに対する祐一の声は余りにも慌てたもので・・・。それだけはなんとしても認めるわけには行かない。と言うように。

「貴方や浩平、茜さん達の命は俺の命より遥かに重い。・・・自重してください。」

袖を掴んで首を振る。あたかも懇願するかのように。

この戦はあくまで公国と帝国の間での戦。いくら友人として、立場を隠して手伝ってくれると言っても仮にも王国の王太子妃が失われては 王国と帝国の間での開戦すら近づいてしまう。

それだけは避けなければいけない事態だった。

「・・・・ごめんね。祐一が一番辛いはずなのに・・・」

その声を聞いて黙って祐一に頭を下げる。常に民達を家族のように扱っている祐一が一番辛いのは明白だったから。

「傷を負った者は後方の救護隊に回すように指示を。くれぐれも無理をさせないように。あと、柵が倒されそうになったら無理せず後方の柵に防衛線を下げてください」

瑞佳の声に小さく微笑んで頷き、近くの将官に大声で指示を与える。と、その将官が馬に乗って駆けて行く。

「流石に秋子さんの鍛えた軍勢は強いですね。・・・浩平の鍛えた王国の軍隊とどっちが強いですか?」

くすくすと場を和ませるように話し掛けて来る祐一に、どっちが年下なんだろう?と心の中で呟く。

「浩平だったら『俺の鍛えた軍隊』って言うと思うよ。絶対」

そうですね。ともう一つ朗らかに笑いあう。

ただ、瑞佳は祐一が槍を、手が白くなるほどに強く握り締めていることに気づく。相手が無理して明るく振舞っていることに。

最も、祐一が槍を強く握り締めている理由は何もその心境から来るものだけではない。

開戦以来、ずっと祐一の体はまるで熱があるかのように熱く火照っていた。

数日前からの体調への異変。それが何による物かはある程度理解出来ている。

軽く首を振ってボォっとする頭を覚醒させると、前を強くにらみつける。

プレッシャーが強くなって来ていた。最初の柵が遠目にも破られかかっているのが見える。

最初の柵を抜かれると、残りの柵はあと三枚。

が、彼等の戦はそこが全て破られた時に初めて始まることを将官達は皆理解している。

実際に、柵が抜かれかけていても、その防衛に当たっている兵の引きは見事で、特に引くことを躊躇していない。

前線指揮官がよく祐一の指示を守っていることを良く表していた。







「名雪様、一段目、突破致しました。」

そう報告を受ける本人が軍内で一番疲れていたのかもしれない。

最初の突撃以来、ずっと前線指揮官として指揮を取り続けていたのだから当然と言える。

敵軍の防衛線は僅か2〜3000人。それに対して、両侯爵家、そして、第一軍の一部、併せれば10000を大きく超えるような軍勢で 何度も何度も突撃を敢行してようやく最初の柵を引き倒すことに成功。

しかし、それまでに失った兵は死者だけで100を遥かに超えていた。

負傷者も数えてしまうと、その数はおそらく2〜3倍に膨れ上がるだろうか。

逆に、相手に与えた損害は3分の1にも満たない程度だろう。本来なら、相手と死傷者が逆になっていてもおかしくない状況であったと言うのに。

攻撃の方法が間違っていたとは思えない。数で劣る相手には、休ませず繰り返し繰り返し攻撃をかけることで突破口を開くと言うのは戦術の基本である。

「うん。それで、次の柵への攻撃はもう開始しているの?」

「はっ、既に美坂の軍隊が次の柵に向かって攻撃を。我が軍には多少の休憩が必要であるとの・・・」

心の中で親友に感謝する。開戦以来息を吐く暇もないくらい忙しかっただけに、その申し出は有難かった。おそらく他の将兵も同じだろう。

「あゆちゃんは大丈夫?」

心配そうに横を見ると案の定あゆがぐったりと座り込んでいた。

無理もない。と思う。何しろスノウは全ての突撃において最前線で戦い続けていたのだから。

「うぐぅ・・・流石にちょっと疲れたよぉ。名雪さん」

ふにゅ・・・と潰れているあゆを苦笑しつつ眺める。先ほどまで見せていた見事な魔術戦が嘘のように思えるくらいその見た目が 子供のように見えたから。

「それじゃぁ、皆もちょっとだけしかあげられないけれど休憩を取ってね。・・・・ もう少ししたらまた最前線に行ってもらわないといけないんだけど・・・」

申し訳なさそうに、頭を下げる。周りの者達は前線指揮を取ったり、場合によっては自ら槍を取って戦っているのに、後方にいるしか 出来ない自分の立場がちょっとだけ恨めしかった。







「さて、一時的に、戦線を引き受けるわよ。・・・・最も、今までと立場が変わるだけなんだから、 これで状況を悪化させたら、私が名雪に劣っていると天下に示すことになるのよ?全員、気合を入れてね?」

悪戯っぽく笑いかける主に、周りの者が屈託なく笑いを浮かべる。

「まぁ、とは言っても、ただ気合を入れて攻めるだけじゃあの陣は破れないのでしょうけれど・・・・ね。」

はぁ・・・と溜息を吐く。

あれほどまでに強固なただの柵を未だかつて見たことがない。と実感していただけに水瀬家の魔術部隊が一時的に戦場を離脱したのはとてつもない痛手だった。

最も、戦の流れ自体は想像以上に良い。相手の側からの攻撃魔術が予想していたよりも遥かに弱かった。

聞いた話では、公国は白騎士団の中に魔導騎馬部隊を大量に抱えているだけでなく、一般の正規軍の中にも高レベルの魔術師が大量に 存在している。と言うことであったのだが・・・・。

(相手が神家と言うことで誇張されていた。と言うことかしら?)

ふむ。。と考え込む。水瀬の軍隊の動きが精彩を欠いているものの、本隊の水瀬侯爵がそれをカバーするように上手く動いているし、そこまで 全体としての流れが悪いようには見えなかった。

「栞、部隊の状況はどう?」

「はい。現状で死傷者が122名出ています・・・。えっと、軽い傷を負ったと言う程度の方ならもっと・・・。でも、全体的には まだまだ行けるはずですよ、お姉ちゃん」

そこまで言って慌てて司令官閣下。と言い直す妹に微笑みで答える。

妹がまだまだ行けると言うからにはまだ行けるのだろう。と即座に判断する。香里は自分の妹を信頼していた。

「それじゃぁ、もう一押し行くわよ??!!名雪達が帰って来る頃には全部破ってやるんだから」

その司令官の一言に周りが歓声を上げる。

そして、一斉に動き出す。司令官の一言に呼応するかのように。

「さぁ、先ずは次の一枚よ。秋子さんの出番をなくすくらいに張り切って行くわよ!!」

その後起こった歓声はさっきの物より一段と大きい。

勢い良く柵に向かって突進して行く兵をまぶしそうに見つめる。

(最も、白騎士団が参加してきたら一気にひっくり返されるかもしれないけれど)

何故か戦場にその姿を現していない世界最強の騎士団。温存を図っているのか?それとも・・・

改めて相手の底しれなさに溜息を吐かざるを得ない。戦が始まる前は敵の防衛線のみ突破してしまえば数で包み込んで終わりだ。等と 考えていたものだがとんだ勘違いであったことはここまでの戦で分かっている。

矢の撃ち合い、そして、柵においての槍のぶつかり合い。明らかに相手の方が個々の技術で上回っていた。

最も、相手も疲れているようで2枚目の柵は一枚目を攻撃した時よりも容易く取り付けている。

これを倒してしまえば残りは2枚。平原での野戦に持ち込めば一気にこちらが有利になるはずだった。

「栞、私も行くから・・。ここは任せたわよ?」

「あ・・・お姉ちゃん??いきなりそんな・・・ってちょっと待ってください!!」

答えを待つ間もなく香里は自身自ら馬に跨り、駆けた。

悪戯を成功させた子供のような笑いを顔に浮かべて。







「第二防衛線も突破されそうですね。う〜ん・・・相手も流石に。秋子さんのフォローも見事ですけれど。予想よりも小一時間ほど早い」

長い長い、公国で最も長い峡谷も既に半分以上が突破されて、既に部隊の後方は平原に差し掛かっている。

その後方の部隊は少しずつ少しずつ後方に移動している。最も、そうと聞かされていなければ気づかない程度の遅さで、でしかないが。

「祐一?祐一もそろそろ下がらないと・・・相手はもうすぐ傍まで来ているんだから」

慌てて袖を引っ張る。まるで母親が子供を連れ出そうとしているかのように。

「・・・・・いえ、まだまだやることは残っていますから・・・俺には。瑞佳さんは先に本隊に合流をしておいてください。」

後ろの部隊を指差しながら、告げる。

4つの柵、最初の柵の防衛は2000人。そして、次の柵の防衛は千人。そこに最初の柵の兵士の半数が加わってやはり2000人。

残りの半数は第三の柵に回り防衛。

結局、公国軍が4つの柵の防衛に割いた人数は3000人余りと言う程度。つまり、同じ人間が何度も何度も繰り返し防衛に参加している。と言う構図になっている。

そして、後方には無傷の本隊が2000人ほど。これは正規軍の中でも特に精鋭を集めた部隊。瑞佳に与えられた魔導部隊もこの中に存在している。

「どうやら、4つ目の柵は必要なさそうですね。流石にそこまでは持ちそうにありませんし。」

開戦以来ずっと三千人弱で敵の攻撃を支え続けている兵達には流石に疲れが見え始めている。

何しろ、相手は水瀬家、美坂家の一万だけではなく、水瀬侯爵率いる本隊も攻撃に参加してきているのだから。

計40000。城の城壁を使っての防衛と言うのならともかく、唯の木で組み上げただけの柵でそれだけ防衛し続けると言うのは並大抵のことではない。

いくら峡谷で、一度に大軍を相手にすることがないとは言っても。

「でも祐一・・・、まだまだ前哨戦の段階で祐一を失うわけにも行かないよ?そしたら大輔さん達だって危ないもん」

心配そうに覗き込んでくる幼馴染の手を外す。

「大丈夫ですよ。・・・・俺を殺すことの出来る人間なんて存在しませんから・・・ね」

自嘲するように苦笑して、馬に跨る。

同時に、傍近くに仕えていた老齢の騎士に瑞佳を本隊まで護衛して連れて行くように命令。

「瑞佳さんも戦の準備をしておいてください。本隊の指揮は合流するまでは任せますから」

未だに心配そうに眺めている瑞佳に軽く笑いかける。大丈夫だから。と

「うん・・・。わかった。よ。でも、死んじゃ駄目だよ?・・・私も、浩平も・・・みさおちゃんも悲しむんだから」

約束を交わす。そして、完全に馬上の人となった祐一は軽く槍を振り回す。

「100人ほど続け!!第二防衛線の撤退の援護に向かう!!」

そして、祐一が存在していた第三防衛線から勢い良く、馬に乗った兵士が100人ほど出撃していく。

前方で柵が引き倒されるのを確認しながら。







当然のように、、第二防衛線の指揮官達は兵に撤退を命じていた。

踏みとどまって防衛しろ。と言う命令を出せば一時間程度は持たせる自信はあるものの、あくまで前哨戦。ここで余計に戦力を 減らしてはいけないことを指揮官の誰もが理解していた。

だからこそ、撤退戦は厳しい。開戦以来ずっと戦い続けてきた部隊は早めに引かせて、自分達1000人で敵を一時的に食い止めるしかない。

そう思って決意を新たにする。そして振り返り、兵士に命令を出そうとして、・・・・・そして、安堵の溜息を吐く。

後ろから駆けてくる見覚えのある甲冑。

「全軍、後方の柵へ撤退しろ!!急げよ??!!」

後ろから来る部隊の先頭に公爵その者を見て、並んで敵を食い止めることを願い出る兵を無理やり下げさせる。

今の祐一様に、疲れた自分達では足手纏い。寧ろ、早く撤収することが一番の手助けである。と

駆けて来る馬上の人に軽く頭を下げ、槍を掲げる。

そして、ひたすら後方に向かって駆ける。傷を負った兵を馬に抱えあげながら。

普通であれば、自重を促し、自らが代わりに敵を食い止める立場であろうが、彼自身、自らの主の力を知っている。

そう、彼がやる。と言ったらそれは必ず成されることなのだから。

少しだけ振り返ると、祐一が槍で追撃の兵士を2〜3人突き伏せるのが見えて・・・。

多少心配していた自分を恥じる。あんな雑兵に討ち取られるような方ではないことは誰もが理解しているはずなのに。と







一方、その攻撃は前衛で指揮を取っていた香里にも即座に伝わることとなる。

「一体どうしたと言うの?柵を破ったはずなのに逆に押し戻されているじゃないのよ」

「それが・・・どうやら、あの騎馬小隊は相沢公爵が自ら指揮を取っているようで、こちらの兵も浮き足立っておりまして・・・」

慌てたように告げる部下。どうやら、慌てているのは前線だけではないようだった。

「はぁ・・・・伯爵のお墨付き・・・ね。全く、厄介がことをしてくれたものだわ」

帝が相沢家の者の首を取ったものは伯爵に取り立ててやる。と言って以来ずっと嫌な予感はしていたが、どうやら的中してしまったらしい。

「全軍一旦引かせなさい。どうせ相沢君の首を取れるような勇者なんているわけもないでしょうに・・・」

やれやれ。と重い溜息を吐く。

自身の鍛えた軍勢。それなりに統制の取れている軍だと信じていたものが、単なるハイエナの群れだと分かったときの無念さは どうとも表せるものではなかった。

「しかし、いくら相沢公爵相手と言っても皆で囲めば討ち取れると思われますが・・・」

「そんな状況になる前に引くわよ。相手の目的は一旦こちらの動きを止めること。もう目的は果たしているじゃないの」

貴方までそんなことも分からないの?と落胆したように言われ、壮年の将校が恥に顔を赤く染める。

「これで相手の指揮もまた上がる。本当に厄介だわ・・・。相沢君もそれを分かっていて出てくるわけね。」

やっぱり格が違うわ。と心の中で呟く。

自分だったら、そうなるとは分かっていても、この状況で少人数で相手に突撃なんて出来ない。万が一自分が負傷した時のことを考えてしまうから。

そうなったら、自軍の指揮はズタズタ。自身の武芸にはさほど自信を持てていない彼女には、そんな博打は打てない。

自分には出来ない。子供の頃に相沢家の戦い方は、常に当主が自ら先頭に立って戦う。と聞かされたときには非合理的だ。と思いはしたが、 実際に見せられると、認識を改めざるを得なかった。







当然、その先頭で槍を振り回す従兄弟の姿は、戦場に復帰しようとしていた名雪の目にも捕らえられることとなる。

「・・・・・・・ゆういち?」

ポカン・・・・。とまるで精神感応の魔術を体に受けたかのように立ち止まる名雪に、周りの者が慌てて駆け寄る。

今までの、『敵軍を束ねるのは祐一だ』と言う意識が、真っ向から見ることで名雪の中に一気に膨れ上がっていた。

「閣下!!・・・・・名雪様!!」

「うん・・・。うん。分かってるよ。あゆちゃんや栞ちゃんも頑張っているんだから・・・ね。」

頑張らなくっちゃ。と腕を上げてニッコリと笑いかける主を周囲が痛ましげに見守る。

彼等は、名雪が幼少の頃から仕え続け、彼女が自らの従兄弟や、その親類を好意的に見ていることは理解出来ていたから。

それだけに、部下達は逆に奮起する。

当主に無理をさせずとも、自分達が頑張ればそれでいいのではないか?と言わんばかりに。

そして、その意識が軍の中枢部から、100人、50人を束ねるクラスの指揮官にも浸透していくと、軍全体の士気も己ずとあがっていくものであった。

将官一人一人が、『命を捨ててでも!!』と言わんばかりに凄まじい働きを見せてあっという間に公国の柵に肉薄していく。

そこで自ら防衛に当たっていた祐一を驚かせるような勇猛さで。