「・・・・まさか貴方様が御自ら返答の使者にやってくるとは思っていませんでしたが・・・。貴方様がわざわざやって来ると言うことは 受け入れていただけた。と解釈してよろしいのでしょうか?」

目の前に座る壮年の男性を一目見て、慌てて椅子を立つ。

官位の上では自分の方が上に当たるが、目の前の人の前で自分の方が偉いと言うことは彼女・・・水瀬侯爵、秋子には不可能だった。

事の始まりは数日前、祐一達の本体がロンディアの平原に布陣したとの報告を受けたことに始まる。

その頃には既に国崎勢も部隊に組み込まれ、クレスタの久瀬司令官から異常がないとの報告も受け、直ぐにでもオーディンに向けて進軍 しようと言う時であった。

敵軍団の兵力はおよそ20000程度。中核には相沢大輔の白騎士団。そして、 相沢慎一から公爵の座を譲り受けた相沢祐一が軍団を率いているとの報告に場はざわめき立った。

名雪やあゆも、一弥も・・・・そして秋子自身も、祐一自らが、自分達との戦をしに出張って来るとは思っていなかった。 ・・・いや、思おうとしていなかった。

そして、その場で行われた軍議の中で降伏勧告を行うことが決定され、使いのものが敵軍に向かうこととなった。

一弥や名雪の「降伏より和平と言う形は取れないのだろうか?」と言う旨の意見は秋子や佐祐理によって反対されていた。

つまり、今回の進軍の目標は、あくまで公爵家の討伐であり、その公爵家相手に和平は陛下の許しの得られるはずはなく、 むしろ、降伏と言う形でもって一旦降伏をさせた後に、出来るだけ相手に有利になるような条件を課していく方がよっぽど効率的であろうと。

そして、精一杯相手に敵意を持たれないような、それでいて、あくまでこちら側の威厳を崩さないように。と言う微妙な作業の下に 文書を作り上げ、それを敵陣に送ったのである。

そして、2〜3日後戻ってきた使者は、共に壮年の男を従えていた。

文書の回答を自らの言葉で述べると言う使者を拒む者は存在しなかった。

現公爵となった少年の育ての親であり、相沢家二代に渡って騎士団長を勤め上げた武神。

相沢大輔その人である。








第二一話








「・・・・今、何と仰いましたか?」

大輔が薦められた席について、秋子からの言葉に答える。

そして、静寂。

数秒後、ようやく秋子が一言だけ聞き返した。

「帝国側からの降伏要求に、公国側が応じることはありえん。と言っただけだ。」

それは明確な拒絶。

余りにも毅然とした態度に周りの者が何も言うことのできないほどの。

「先ず、我々は貴国に対して何等敵意を抱いてもいない。そうであるのに、貴国は我が国に一方的に侵略を行った。」

数ヶ月前のことを話しているのだろう。

帝国内に、公国の強さ、そして、帝国の弱さを見せ付けた会戦。

ここにいる秋子も、名雪もあゆも、北川家公子、潤もそれに参加していた。

何しろ、潤の父親はその会戦での負傷によって、今回の参軍が適わなかったのである。

「しかも、こちらは貴国の軍を追い返したあと、何らの抗議も、何らの侵略も行わず、貴国からの使者を待っていたというのに、 再度こうして我等の国に侵略し、事もあろうに降伏しろとは・・・」

やれやれ。と呆れ果てたように言われ、一弥は顔を羞恥に染める。

間違いなく、目の前の男性の述べていることは自分たちの行ったことに相違ないのであったから。

「分かっています。それは分かっていて私達はここにやってきました。

・・・・大輔さんや祐一さんの怒りはよく理解できています。しかし・・・」

そこまで言って一旦言葉を切る。

「そうでないと纏まらないんです!!一度そちらが折れていただけるのであれば、私達も命を賭けてこの件を平和に纏めてみせます。ですから・・・・」

そう言って頭を下げる。

秋子自身も、既に何度も帝に奏上を行っている。それでも、詔を受けてしまえば立場上出陣しないわけにも行かなかったのだ。

ここに居る者は皆同じ。

クレスタに行ってもらった久瀬公子も「相沢君の軍略を見られないのは残念ですが、友人と殺し合いをしない幸福を喜んでおきますよ」 と言って、そして、「相沢君は私の友人ですから、何とか上手く解決させたかったんですけどね」と言って苦笑いしていた。

「それを言う相手が間違っているだろう?もし、平和に事を済ませたいのであればそちらから和睦を申し出てくるのが当然ではないのか? 言っておくが、勝っているのはこちらの側だ」

嘲笑するように言い放つ。

大輔自身、そして、祐一自身も元より降伏等考えてはいない。

文章を読んだ時には、相手側がどれだけ自分たちに気を使って書いているのかが一目瞭然ではあったものの、それを受け入れないという事は 出陣を決めた段階・・・いや、それ以前の段階で既に決まっていた。

「さらに言うが、悪いが俺も祐一も既に貴国の帝を主とは認めていない。」

最後に決定打を放つ。

それは余りにも明確すぎる、そして、絶対的な決裂の言葉であった。

「さて・・・と、それでは我等の考えを告げたところで失礼させてもらうぞ?戦の支度もあるからな。」

「大輔さん!!」

そのまま立ち上がろうとする大輔を秋子が後ろから呼び止める。

「何か・・・・何か方法はないのですか?この戦を終わらせるいい方法は?」

こうなってしまうと、秋子は自分のしてきたことが恐ろしいことのように思えてしまう。

もし、異端者の軍をそのまま敵のままにし、攻略に失敗して帰国すれば暫く戦は延長されたかもしれない。

もし、自分が参謀長の座を拒絶し続ければ、もしかしたら出兵自体流れていたかもしれなかった。

そんな、もしを重ねるだけでいくつもいくつも頭の中に考えが浮かんでしまっていた。

もしかしたら、自分は彼等を追い込んでいただけではないのだろうか?と。

「そうだな・・・」

その言葉に大輔自身が振り返る。

そして、自らの首に手を当てて一言だけ放つ。

「まぁ、俺と、そして祐一の首が地面に転がれば戦は終わる・・・さ」と。

その言葉に、名雪やあゆ、栞達がびくっと顔を引きつらせ、香里と潤、一弥が黙って目を閉じた。

もはや、「それでは戦場で。」と去っていく大輔を呼び止める者は陣幕に存在していなかった。







「大輔様」

そして、陣幕を抜けて、馬に乗ろうとする時に後ろから一声。

「ああ、佐祐理ちゃんか。どうした?」

そういえば、陣幕の中に最初っからいなかったな。と今になって思い出す。

「佐祐理ちゃんにも悪かったな。祐一と戦いたくはないだろう?」

そう言われて、佐祐理自身も悲しげな笑いを浮かべる。

「佐祐理には・・・申し訳ないのですけれど、最初から大輔様が降伏を受け入れにくるはずがないと分かってしまったので・・・」

来た時の雰囲気で分かってしまった。と言われて大輔自身も苦笑いを浮かべる。

二十歳にもならない少女に顔から読まれるとは油断したんだろうか?と。

(いや、祐一のことだから感じてしまった・・・・か)

「悪いな。一応こっちにも色々考えはないわけではないが、流石にここで言うわけにも行かん。」

そう言われて佐祐理は弱弱しくかぶりを振るう。

分かっています。しょうがないんですから。と表情で語りながら。

「大輔様・・・」

だから一つだけ聞かせてほしい。と言って、尋ねる。

「祐一さんは・・・お元気ですか?」と

しかし、今の大輔はそんな何気無い質問に、一瞬答えに詰まる。

「そうだな・・・今の佐祐理ちゃん程度には元気でいるんじゃないか?」

だから、そうとだけ返した。

そして、手を上げて馬に乗り込み、腹を蹴る。

あっという間に視界から消えていく大輔を暫く見送ると佐祐理自身も陣幕の中に入っていった。







くすくす。と馬で駆けながら笑う。

改めて会ったが、皆、気のいい人間たちだ。と思えた。

全軍を持って進軍し、自分たちを討ち果たせば、その功は彼等を更なる高い地位に持っていくというのに、彼等は帝の意思に半分 逆らいながらも自分たちと共存しようとした。

「もしも・・・・もしも、祐一の理想を聞いていなかったら俺自身共存の道を選んでいたのかもな」

確かに、それも可能だったかもしれない。

今回の侵攻、帝国内でも相当割れていると聞いている。

例えば・・・・あくまで例えばではあるが、自分たちが武装解除して、頭を下げて従えばおそらく命は保証されるだろう。

その上で、数年間市井に下りて、帝が亡くなり一弥が皇帝になった後にもう一度公爵家と帝国が仲直りすればいい。唯それだけのこと。

実際、そう直接的ではなかったが、降伏を求める文章にもそれをそことなくほめのかしている部分が存在していた。

が、祐一の理想を適えるためにはそれではいけない。あくまで、その形を取るわけにはいかないのだ。

だから、大輔自身が赴いた。他の部下を送ってしまっては、まだ交渉の余地があるのかもしれない。と無駄な時間が続いてしまうから。

ハッ・・・と掛け声を上げて馬の腹を蹴ると、馬の速度が上がる。

自陣まではもう少しだった。







一方、その頃祐一の策も大詰めを迎えている。

祐一は降伏文章が来ると同時に、みさきを自分の下へ呼び、計画通りオーディンに集まってきている兵の家族を王国へ連れて行ってほしいと 要請していた。

ここに来るまでそれを行っていなかったのは、まだ数日は家族が集まるまでに時間がかかることが分かっていたし、 それに、ちょうど佳乃がやって来たということもあった。

つまり、佳乃をオーディンに送ることでもって、相手は人質を取るような残虐な集団だ。と思わせ、また、往人達を 人質を取られながらも、帝国の為に私情を挟まず戦う勇者。と言う位置付けに持っていくことが出来た。

所詮は結果オーライながら、状況は悪くなかった。

また、同時に、オーディンに残した駐屯部隊に周囲の間諜に対する取締りも命じてある。

今までは、わざとこちらの動きを筒抜けにさせる為泳がしておいた間諜だったが、もはやその存在意義は失われていた。

こうなれば、みさきをオーディンに送り、家族達を王国に亡命させると言う情報は、家族を集めたということで警戒はしていても、 オーディン近辺の間諜さえ追い払ってしまえばそれに対応することは難しくなるだろうし、また、同時に、浩平と祐一の連名でもって、 王国の女王、折原由紀子に対して行った亡命受け入れの体勢も整ったと言う報告も受けている。

だから、このタイミングなら大丈夫だろう。と説明する祐一にみさきが一つ頷いた。

「うん。浩平君や祐一君と一緒に戦えないのは残念だけど、祐一君の赤子達は私がしっかり守って見せるよ。」

そして、力強く、そう語りかける。

それに対して、握手を一つ。感謝の気持ちを込めながら、祐一は小さな手をしっかりと握り締めた。

「お願いします。」

陣幕を出ようとするみさきに後ろから頭を深く下げる。

みさきはそれを見ることが出来ない。でも、感じることで、祐一の取っている態度は分かる。

だから、にっこりと笑って、手を振る。 その後に、陣幕の外で待っていた大輔が付けてくれた老齢の、しかし頼りになる騎士に連れられて公国の陣を出立する。

自分に課せられた役目は、浩平や瑞佳達に比べれば遥かに危険のない仕事。

しかし、自分の課せられた役目は、この戦において最も大切な仕事。

その自覚を、はっきりと持つ。

きっと、彼等は成功して自分たちの所に帰ってくるだろう。

だから、自分は彼等が戻ってこれる場所を作らなければいけないのだ・・と。







「ふぅ・・・。」

大きく溜息をついて、机に肘を付いた。

今回のみさきの行動を持って、戦前の自分の動きは全て終了していた。

今ごろ、大輔も自分に課せられた役目を終えてきてくれるだろう。

彼の役目は、ただの使者ではなかった。

その返答の使者と言う役目の中で、彼もまた一つの役目を背負っている。

その仕事の効果は、およそあるかどうかも分からない程度の小さなもの。

しかし、そのような小さな行動を積み重ねて、初めて策の成功はあるのだ。と祐一は何時も考えている。

このような、失敗の許されない場面では尚更。

・・・・そう考えたとき、どうも体の中がムカムカしてくるのを感じた。

(・・・ここ1ヶ月くらいは何もなかったんだけどな)

やれやれ。と思う。と同時に、咳き込む。

慌てて、口に手を当てる。

ここは陣幕、何時誰が入ってくるかはわからない。

そうであるのに、机に血を零すわけには行かないのだから。

そして、手にべっとりと付いた血を、黙ってハンカチで拭き取った。

顔を上げる。そこには、悲壮感も、辛そうな顔もない。

それは、彼が無理をして作り上げているのかもしれない。実際に大したことではないのかもしれない。

しかし、彼はどんなに辛い状態であろうとも、暫く、もう暫くだけは我慢しなければならないと心に決めていた。

まだ、まだ自分は頑張らなければ行けないのだから。と