第十七話








「なぁ・・・お前は命がいらんのか?」




オーディネルから馬で進むこと数日。オーディンの城はちょうど王国と公国の国境にある。

そして、その国境を分けているのは王家の谷と呼ばれる世界最大の谷。その橋がちょうど城の 裏門に繋がっている。

その橋の上には白騎士団長が一人で立ち、やって来た顔ぶれを見て数秒硬直。そして、呆れたようにこう言ったのだ。

「なぁ・・・お前は命がいらんのか?」・・・と。

「・・・やっぱりやばいっすかね?俺は・・・」

顔を青褪めさせながら、浩平がちょっと震えた声で問い掛ける。

「お前・・・分かっていて連れてきたんじゃないのか?祐一に嫌がらせをしようと」

二人の会話は小声で耳打ち。他の者には会話は聞こえていない。

「いくら俺でもあいつ相手に本気で喧嘩を売る気はありませんって。俺は嫌だって言ったのに由紀子 さんとあいつ本人が、無理やりに連れて行けと言うもんだから・・・」

その言葉に大輔も溜息を吐く。祐一は自分の妹分に対しておよそ過保護な所があった。

もし、戦場にわざわざ連れてきたことが分かったときの怒りを考えるに恐ろしい。

そして、一瞬で大輔の頭の中に浩平を見捨てて予定通りに物事を進めようと、そのような考えが浮かびついた。

「とりあえず・・・祐一の所に行くか?」

半分現実逃避しつつ大輔は全員にあてて提案をする。浩平の意見を聞くこともなく。

大輔は考える。「どうせ祐一に何かされるとしても浩平であって俺ではない」と。

そして、その思いは瑞佳達もまた同じ。彼女達は「祐一(君)が私達に手をあげたりはしない」と言う所でまた意見の一致を見ている。

みさおに至っては「祐一君に久しぶりにあえて嬉しいです」と自分の責任を全く感じてもいない始末。

つまり全員の頭の中に浩平を心配する気持ちは微塵も見られていない。

「いや・・・ちょっと待て、ちょっと待ってくれ!!おい!!おいって・・・・・・」

その生死をかけた抗議は聞き入れられることはない。

浩平は留美と大輔に引かれて連行されて行く。

留美のその目はまさにこう語っていた。

「祐一にたっぷり搾られてたまには反省しなさい」と。







「お久しぶり・・・と言った所ですか?・・・ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」

一言最初に謝ると浩平、みさお、瑞佳、茜、詩子、雪見、留美。全員戦場で共に戦ったこともある親友達。その一人一人と握手をしていく。

みさおを見て一瞬びっくりした表情を見せたものの、すぐに本来の表情に戻したため、誰もが祐一は怒ってないのではないか?と感じた。

もっとも、その中で浩平だけは笑顔の中に死神を見ていたのではあるが、それはまた別のお話。

「でも、みさおちゃんの初陣の時には祐一に護衛兵としてサポートしてもらったもん。おかえしだよ」

ね。と言わんばかりにみさおの背中をポン。と叩くと叩かれた方も嬉しそうに頷く。

「その時はみさおの護衛・・・と言っても率いていたのは輜重部隊で、浩平の本軍が相手をとっとと蹴散らしたから何もすることはなかったんですけどね」

苦笑しながら祐一。みさおの初陣に付き添って戦場に出たのは一年ほど前のことである。

妹に対して過保護な浩平が来たる妹の初陣に最強の騎士を護衛に付けようとしたのはある意味当然のことで・・・。

結局、その時は祐一が護衛として戦場における補佐をした。

「だいたい、規模が違いすぎて比較にもならないと思いますが?あの時はほとんど小競り合いのようなものでしかありませんでしたし。」

少なくとも、代償が3倍近くの敵とぶつかり合う戦場を手伝いに来るほどの物では・・・絶対になかった。

「でも、祐一君が居てくれたおかげで安心していることが出来ましたから。」

「そうそう。祐一が居なかったら浩平もみさおちゃんが心配で戦にならなかったもん」

ほのぼのと、まるで戦の前ではないかのようなほのぼのとした空気の中、お茶を飲む。

ここにいる全員はともに前に助けてもらったからとかそういう打算で来ているわけでは・・・決してない。

浩平もみさおも・・・来た理由はただただ祐一を助けたいがため。

それは、王太子や王女として、そして、茜達のような一国の将軍としてはあるまじき行為ではあるものの、尊い行為と言えるかもしれなかった。

「それにしても・・・よく私達が来ることが分かっていましたね。祐一」

茜が自分の前に置かれたワッフルをまた一口齧り、満足した顔で呟く。

不思議に思っていることではあるが、自分が美味しいと思っているこのワッフルは自分以外には甘すぎると言われている。

それだけにこれが自分の為だけに作られたと言うことは直ぐに分かった。

つまり、この対面に座っている相手はここに自分達が来ることを分かっていた。と言う事である。

「まぁ・・・なんとなく、感覚として今日来るって分かったんですよね。何故か」

苦笑しながら答える。自分でも良く分からないが確かに数時間前に浩平やみさお達がここにやってくる。と思ったのだ。

「昔からあんた達は繋がってるんじゃない?とか言われていたけど・・・まんざら冗談でもないんじゃないの?」

怪訝そうに祐一を眺める。

留美にとっては祐一がやってくると浩平とのコンビネーションでさらに仕事を増やされると言うイメージがあった。

彼女にとっての祐一は神家と言うより浩平の同類にしか見えていない。

「それは積極的に否定したいところだけどなぁ・・・」

苦笑。小さい頃から何度も言われて、既に聞きなれた内容である。

お互いがもう一人が近寄って来ると何かを感じ、そして、それを感じるとその相手は大抵すぐに自分の所にやってくる。

「でも、羨ましいことなんじゃないかな・・・。お互いがお互いを信頼しあえることは良いことだと思うよ」

にっこりと笑ってみさき。

彼女の前に積まれたお茶菓子の山は最初は他の者の十倍近くあったものの既に半分以上が消費されている。

前もってみさきの為に用意しておいた三十人分のお菓子は無駄にならないかもしれない・・・と思った。

トン。とちょうどその時音が鳴る。

浩平が強めに杯を木の机に置いた、その音。

「で、本題についてはどうなってるんだ?・・・俺達は何をすればいい?・・・お前のことだからどうせ俺達が来ることまで 最初っから計算の内なんだろう?」

その言葉に祐一も笑うしかない。多分来るだろう。と最初っから期待していたことは事実であった。

当然、もしも来なかったらどうするか?と言うことも当然考えてはいる。そのくらいも考えられない者が指揮官であっていいはずはない。

「ま、それは明日にでも話せばいいんじゃないか?・・・今日は長旅で疲れているだろう?」

大輔を見ると大輔もコクリ。と頷く。

帝国が祖父の死を知り、即座に侵攻をしようとしても、まずその情報を知るまでに十日以上、そして、即座の侵攻と言ってもその準備には 少なくともまた十日以上。

そして、彼らが国境を越えてクレスタまで辿り着くまでにも2〜30日はかかる。

逆に、浩平達は四〜五日で知らせを聞いてそして一日で準備。ここに来るまでまた三〜四日。

つまり、まだ一ヶ月近くは猶予があると言うことである。

な。と言う感じに大輔が全体を見渡すとそれに異を唱えるものは一人もいない。

祐一の方を睨み付けるように厳しい目で見据える浩平を除いて。

そして、その視線を受けた祐一も、浩平に対して軽く頷いて答えた。







「と言うわけで先に行っていてくれ」

全員が食堂に向かおうとすると何故か祐一の肩を抱いた浩平がそう言い出す。

「と言うわけで・・・・・・ってどう言うわけか分からないよ。浩平」

「何を隠そう、これから俺たちは二人っきりで熱い空間を・・・・・・ちょっと話があるので先に行っていて下さい」

発言中に殺気を感じて慌てて言い直す。ふと下を見ると祐一が腰に下げた小刀に指をかけていた。

「すみませんが、ちょっと浩平に話があるので先行っていていただけますか?瑞佳さんは食堂の場所分かっていらっしゃいますよね?」

祐一にもそう言われると、そこにいる者たちもそれに従わざるを得ない。

つまり、乱暴な言い方をすれば「邪魔だから先に行っていてくれ」とそう言う事であるから。

勿論、そんなつもりでないことは全員分かってはいるものの、二人だけで話したいことがあるのだろう。と理解すると邪魔を しようと言う気にはならなかった。

そして、瑞佳を先頭に大輔と祐一、浩平を除いた全員が出て行くのを確認すると、先ほどの様に浩平は祐一を睨み付ける。

「お前・・・何か隠しているだろう」

それは確信。

自分が先ほど「何をすればいいのか?」と聞いた時に一瞬祐一は答えに詰っていた。

それは、浩平以外には気づかなかったほんの僅かな躊躇。

あの時祐一は確かに「何処までを答えればいいだろうか?」と考えていた。ように見えた。

その言葉に祐一は(今日は良く苦笑させられるな)と感じる。

ほんの一瞬の躊躇を見せてしまったことは間違いなくミスである。

しかし、その他の誰もが気づかない一瞬の躊躇を見抜くのは流石だ。とも思った。

あ〜・・・と上を向いて頭を二振り。横を向くと大輔も苦笑を浮かべている。

「う〜ん・・・お前全部言うと反対しそうなんだよなぁ」

「ほぅ・・・。それは、つまり、俺が反対するような策を考えている。とそう言う事か?」

参ったなぁ・・・と頭を人差し指で掻く。

往人達に「二百万のお前の仲間を救う為の策だ」と言ってようやく納得させた策を浩平が納得してくれるとは思い難かった。

「言わないならみさお達に『祐一が俺達に言えないくらい危険な策を立てている』と報告してくるぞ?」

それは、みさおが自分に連れて行くようにねだった時の脅迫と実に似た内容で・・・・・・。祐一もそれに頷かざるを得なかった。

「分かった分かった。全部説明してやるから・・・。他の奴等には内緒だぞ?」

溜息を吐きながら・・・仕方がない。と言った感じで浩平の方を向く。

「ただし、これは決定事項で今更覆るような物ではないからな?それと、最初に言っておくが、説明する以上他の全員には内緒にすると 約束するんだろうな?」

この条件の下で言って本当に大丈夫だろうか?と大輔の方を向くと大輔も「それでいい」と言わんばかりに頷く。

浩平も頷く。祐一が他の誰にも知られたくない。と言うのならそれを理解してやるのも大切なことだと思ったから。

そして、祐一は策・・・計画の内容を言葉に乗せていく。

浩平の表情に浮かぶのは驚愕

・・・・怒り

・・・そして、笑み。

「やっぱりお前は天才だ」

全てを聞き終えた浩平はただ一言、それだけを述べる。

浩平自身、王国で軍を率いている立場で、戦場に出たら相手が誰であろうと負ける気がしない。

例え相手が水瀬侯爵であろうと、同僚の茜であろうと戦場でたった一度の勝負をするのであれば自分は絶対に負けることはない、 と自負している。

その浩平が、ただ(こいつだけは敵にまわしたくない)と、ただ、そうとだけ思った。

こいつを味方にすれば、どれだけ心強いだろうか?・・・・・・とも。

「さて・・・説明も終えたところだし・・・皆も待ってるだろうから食堂に行くとするか?」

そして、大輔の話を終わらせるかのような言葉に二人共賛同する。

話を初めてから約30分ほど。そろそろあちらでも遅すぎることを不思議に思っているかもしれなかった。

そこまで来て祐一は一つやり忘れていたことを思い出す。

「そうそう、浩平・・・・・・ちょっとこっちに来い」

「ん?何か用か?」

部屋を出て行く前の最後の行動、それは・・・

「戦以外に心配事を作ってくれた礼・・・・・・・・だ!!」

祐一による渾身の鳩尾への一撃。

その後、楽しい夕食の席で、浩平が腹の痛みから何も食べることが出来なかったのは、ある意味当然のことであった。







一方、浩平達がオーディンに辿り着いてから数日後、ヴァルキリアでは町が沸き立っていた。

異端者へ加担した相沢家の討伐軍の出陣。

その行為に町では賛否両論が方々で語られた。

ある者は「異端者へ加担した者を討伐するのは当然のことだ」といい、またあるものは「神家の言うことに反発 する等とんでもない」と言う。

中にはすぐに神罰が下ると吹聴して回った結果国家によって処罰された宗教家すら存在した。

結局、一弥達は出陣式を簡易に内部だけで行い、必要以上に大事にしないようにはしたものの、出陣に至って父王から 布告されたことに指揮官は全員で頭を痛めた。

つまり「相沢祐一、もしくは相沢大輔を討ち取った者は褒美として伯爵に任命する」と言うこと。

つまりは、賞金首。と言うことである。

彼らが頭を痛めたのは、祐一に対する友情心とかではなく、戦における姿勢としてのその行為。

戦場において、褒美欲しさに軍隊としての行為を無視する者が生まれるのを助長するような布告である。

「まさか・・・お父様がここまでなさるとは思いませんでした」

佐祐理が悲しみの表情で溜息を吐く。

周りの者達もこの行為にかける言葉を見つけられずに重い溜息を吐く。

その表情にある物は空虚。これが仮にも公爵として重んじてきた者に対する行為なのだろうか?と。

既に二家の間の溝は修復不可能な所にあることを全員は理解していた。

「僕達は勝っていいのでしょうか?・・・いえ、当然祐一兄さん相手に僕が勝てるわけはないのですけどね」

一弥が下を向いて自嘲するように呟く。秋子が窘めるように一瞥をするが「僕達以外誰もいませんよ」と苦笑いしながら返答されて言葉を失う。

間違っていることが分かっているからこそ、一弥は迷っている。

その気持ちは全員が持っているもの。しかし、それを抑えなければ戦場に立つことは不可能である。

「それでも、私達は国家を背負う者として精一杯勝てるように努力しなければいけない。そうですよね?」

だから、香里は自分を納得させるように秋子に問いかける。

自分の方を真っ直ぐ向いて問い掛ける香里を秋子は(・・・強いですね。)と感じる。

自分自身ですら甥と殺し合いをすることを躊躇しかけている。

何しろ、彼らのやったことは本来は秋子達が先頭に立って申し入れなければいけないことだったのだから。

人間の中に上下はなく、異端者と言う区別は神に対する冒涜である。そう直接に言うべきは国家に仕える者の役目だったのではないか?

それが今回の一件が起きて以来ずっと彼らが自身に問い掛けていることである。

結局、自分達は自分の代わりに正しい行いをしてくれた者を殺しに行くだけの存在でしかなかった。そう思うと情けなさで胸が一杯になった。

祐一がいつか自分の娘達と肩を並べて国を発展させてくれる日が来る。と信じていた自分が恨めしい。

自分の甥は娘達どころか自分自身より遥か上に居る存在だったではないか?とそう思うたびに自分の傲慢さに腹が立つ。

そして、一弥、佐祐理の落ち込みようは秋子のものをさらに上回る。

何しろそれを行っているのは自分達の父親本人であったから。

出陣間近の司令部は溜息に満ちていた。必死に自身を奮い立たせようとする香里。落ち込む皇子達。名雪やあゆも複雑な表情で黙り込んでいる。







「全員、落ち込んでいるようだね。・・・北川君は落ち込んでいないのかな?」

一方、彼女達に少し離れて男二人・・・久瀬公子と北川公子。その中の久瀬の問いかけに北川本人は苦笑して返す。

「当然、相沢は俺の友人だからな。本来ならやりあいたくはない・・・が」

言葉を切る。その後に続く言葉が見つからない。

「武人の本懐ってやつかな?」

苦笑しながら会話を引き継ぐ久瀬に北川自身も苦笑する。

「そう・・・だな。白騎士と言う存在、それに勝負を付けられなかった国崎とか言う司令官とも決着を付けてやりてえ。 こんな考えは相沢の友人として失格か?」

飄々と問い掛ける北川に黙って首を振る。

「大丈夫。それを言ったら僕も同様だ。・・・国のやり方には憤りを感じてはいるものの体が疼くんだよ。 相沢君と真っ向からやりあえることが楽しみと思ってしまう自分が確かにいる」

その部分が女性である彼女達と男性二人の違いなのかもしれないな。と二人して思う。

男性の中でも一弥は皇太子として国のやり方そのものを悩まなければいけない立場としての苦悩もあるが、自分達は一介の武人でいられる。

それは、幸福だったのかもしれない。とそう思えた。

二人して後ろを振り向く。秋子の声が聞こえた。

「どうやら時間のようですね。・・・それではお互いに」

「ああ、お互いに死なないようにな。これ以上友人は減らしたくない」

二人が顔を見合わせて軽く笑って握手をすると歩き出す。

お互いに今回の戦では四〜五千人を率いる大将の一人であった。







「栞?貴方は別にヴァルキリアに残っても構わないわよ?」

別所では姉妹の会話。出陣前の、最後の姉妹としての時間である。

出陣してしまったらもうそこにあるのは侯爵代理とその一介の指揮官。

しかし、出陣する前であればいくらでもやりようはあると思った。

栞にとって祐一は命の恩人である。だから戦わせるのは酷かもしれない。それは姉としての思いやりである。

が、栞はそれに黙って首を振る。

そして、「私も行きます」と決然として言い放つ。

「私は祐一さんに恩返しをしていません。王都にいて、何もせず祐一さんが亡くなったと聞かされたら私は一生後悔します」

それが栞自身が悩みぬいて出した結論。

ここ数日栞は自分がどうすればいいのか?と悩み続けていた。

祐一とは戦いたくない。敵軍と言う立場で助けることなんて出来ようはずも無い。そして、かといって家を裏切ることは姉や両親、 そして、そこに仕えてくれている者達をどん底に叩き落す行為である。

自分一人が舞台の主役のように愛する者を助けに行く。それは話だけを聞けば尊い行為かもしれないが、自分勝手な行為でしかない。

結局出した結論は「せめてその場に行き、どんな結果も自分の責任において受け入れる。」と言うもの。

それを聞いた香里は思う。この子も大人になったものね。と

小さい頃は病気で臥せっていて、治った後も子供のようだった妹を眩しく見つめる。

香里自身、まだ決心しきれていなかったことが氷解していくような、そんな気がした。







「名雪、あゆちゃん・・・?貴方達はどうしますか?編成の時はああ言いましたが今なら残っても構いませんよ?」

既に戦の方向は真っ向勝負でしかなく、少なくとも公爵家と話し合いの余地があるとは思えなかった。

祐一と真っ向からぶつかり合うのは第一軍、そしてその先鋒、名雪やあゆの部隊である。

祐一相手に魔術をぶつけられるのか?そして、槍を向けられて平常心でいられるのか?そう心配するのは過保護ではないのだろう。

幼馴染であり、従兄弟でありながら面倒見が良く、一時期は家族のように扱っていた優しい甥だった。

戦場に出ること数多く、奪った命の数も数え切れないそんな秋子ですら迷っているのだから。

「大丈夫だよ。お母さん。私達は水瀬侯爵家の跡取りだもん。ね」

にっこりと笑ってあゆの方を向くとあゆもしっかりと頷く。

あゆ本人も自分だけが逃げてその責任を友人達に押し付けるなんてことはしたくなかったし、出来れば祐一本人にもう一度会いたい。 と思っていた。

例えそれが敵であるとしても。

「・・・分かりました。それでは、先鋒隊指揮官水瀬名雪に命令する。これより一時間後に出陣しなさい。 目標は・・・・・・相沢公爵領クレスタです。」

娘達の答えを聞いて満足そうに頷くと、秋子は司令官へ立場を戻す。

出陣をした以上、迷うことなく自分の任務をまっとうする。それが自分の使命である。と

そして、その気持ちは二人の娘も同じ。

「了解しました。一時間後に水瀬名雪、水瀬あゆの両名は先鋒隊を率いて出陣致します」

敬礼すると二人は並んで歩き出した。







「一弥、もう少し胸を張りなさい。貴方は総司令官として十五万の命を預かる立場なんですよ?」

俯いて歩く弟を叱り付ける。

こうやって弟を叱るのは祐一に会ってからは初めてだった。

それまでは珍しくも無かった光景。

弟に立派な皇帝になってもらおうと姉として毅然と振舞っていたのが子供の頃の自分。

それを変えてくれた想い人は今では自分の敵と言う立場になってしまった。

「姉さんは・・・辛くないの?」

そう言ってハッと一弥は口を閉ざし、小さい声で「ごめんなさい」と謝る。

一番辛い思いをしているのは自分の二歳上の姉だと言うことなんて一弥は世界で一番理解しているから。

必死に心を押し殺して、いつものように笑いを浮かべて平常であろうとする。

だから一弥は自分の姉を尊敬していた。自分は兄のような存在に剣を向けると言う事実に押しつぶされそうになっているのに 隣に居る姉のなんと強いことか・・・と。

「佐祐理は・・・皇女ですから。その責任を果たすだけです」

決然と答える姉を見る。

その空虚な目を見て一弥自身も決心する。

ここで、落ち込んで皇太子としての任務を怠る方がよっぽど祐一を落胆させるのではないか?と感じた。

精一杯戦って、そして一人の男として認めてもらえたら、それは相手が敵だったとしても嬉しいことなのではないか?と。

そして、胸を張って歩く。兵達を鼓舞するように。

一弥の率いる第二軍、中軍の出陣は第一軍の一日後。

そして、それに更に二日遅れて第三軍。

最も、兵站部隊はそれぞれの部隊に随従して動くことになっているので、それは所属は第三軍とは言っても指揮権はそれぞれの軍に 授けられる。

だから、実際に佐祐理が運ぶのは全体としての大量の物資、そして、各地の拠点における兵站の確保が任務となっている。

「それじゃあ、姉さん、僕は第二軍としての軍議に参加するからこれで・・・」

佐祐理は去っていく弟を優しい目で見つめる。

祐一に会って身近に目標を見つけたことで弟はどんどん大きくなっている。昔は自分がしっかりした皇帝に育てるんだ。と 意気込んでいたこともあったものの、今ではその必要はないことが今、分かった。







「さて、今日集まってもらった理由は・・・」

そして、クレスタでは軍幹部三人が会議。

「あ〜。言わんでもわかっとるわ。公爵閣下の策の是非についてやろ」

頷く。往人は祐一の策を理解し、そしてその有効性も理解している。

しかし、そうであっても心の中に納得のいかない何かが存在しているのもまた仕方のないことであったのかもしれない。

「俺は・・・異端者と呼ばれて差別されている者の実態を知って助けたいと思ったし、今でも観鈴や佳乃を助けてやりたい。しかし・・・」

「私も君に同感だ。この策は間違っている」

三人の意見は最初っから一致を見ている。

祐一は恩人、命をかけても償わなければいけないほどの。

それだからこそ、こんな策を実行させるわけには行かないと思った。

「でもなぁ・・・あっちはうちらが策の通りに動くと思ってるで?間違いなく」

既に、帝国が動き始めたと言う情報は入っている。

あと、十日もすれば先発隊の水瀬侯爵率いる主力部隊が到着するだろう。

当然、それに向けてオーディンからもこちらの本隊がやってくる。

「ここで裏切ったらどうなるか分からない・・・が、それでも俺はあいつに逆らう。俺だけでもあいつを止めてやりたい」

往人が数日かけて考え出した結論。

策に従わずに祐一を裏切ることになってでも成し遂げなければいけないことが存在するのだ。と思った。

「これは俺だけの感傷だ。別にお前達が祐一の策に従うのは自由だが・・・どうする?」

往人の問いかけに既に二人の答えも決まっていた。

「君がリーダーだ。私達は君に従うだけだ」

その聖の答えに往人も苦笑するしかなかった。

「よし!!祐一を裏切るか!!」

顔を見合わせて笑う。

最後の最後に一泡吹かせてやろう・・・と思った。