外伝三話








「由起子さん!・・・・俺が行く。由起子さんが行かない。他に率いる事の出来る人間が居ない。 だったら俺が行くしかないだろう?」

ドンッ。と机に拳を叩きつける音が響いて思わずみさおが小さく息を呑む。

会議室の中に居るのは女王に王子、王女。後は国の高官が幾人か。

最も武官はほとんど居ない。有能な人材はほとんど既に戦場に居る。結局、オーディネルに抱えている 一万弱の兵士。その全てが動く事も出来ずに立ち往生しているのが現状だった。

「無理を言わないの。浩平。・・・・貴方はまだまだ子供よ。叔父上が戻られるまで待ちなさい」

「それを待っていたら長森のおっさんが殺されちまう。だいたいが爺さんがこっちに兵を返したのだって こっちで軍事行動を起こす為に決まってる。そうじゃなければ唯の戦力分散。動かないのなら まだ爺さんの方で城攻めに参加させた方が良かった!」

う。と一瞬誰もが言葉に詰まる。

確かに彼の言っていることには整合性があった。ここで動かないで居てはここに居る一万の兵はなんら 価値を持たない遊兵となる。

「長森のおっさんだけじゃない。柚月、里村辺りの爵もそれぞれ奮戦をしてくれている。それを 見捨てたら俺達は唯の糞野郎だ!!」

浩平、駄目だよ。と横から袖を引かれて、黙って椅子にもう一度座りなおす。

小さく舌打ちを一つ入れるのを忘れずに。

黙った理由は一つ。浩平は隣の少女・・・・長森瑞佳がこの中で一番心を痛めているのを知っていた。

何しろ今話題に出ているのは彼女の実の父親だし、他にも家族、縁戚、又は顔見知り等等。

言ってしまえば彼女にとっての全てがそこにあるのだから。

「・・・・・分かっています。ですから、私も公国に対し救援を願う使者を送らせていただきました。 その結果が来れば己ずとこちらの行動も見えてきます。」

俯いて小さな声で一言。

握った手がふるふると震えているのを見ると浩平自身もそれ以上何も言えなかった。

浩平は今の公国に二人の英雄が存在していない事を知っている。所詮は気休めでしかない、という事を。

救援の知らせを受けて急遽軍を揃えて進行。それではとても間に合わない。

「あ、あの・・・・・」

そんな中でおずおずと。

「え、えっと。祐一く・・・・様・・・はきっと来てくれると思います。」

真剣な目つきで一言。

浩平は、そうおずおずと切り出した妹の発言にちょっと驚きを顔に浮かべる。浩平からすれば、こうした場で 妹が自ら口を出すのは初めてのこと。だけに、驚きも大きかった。

それについては由起子や瑞佳、他の官も同じ。誰もが思わず目を見張っていた。

あの一件以来どうもスターに対する一種の憧れのような感情がより身近な別の物に変わっているように見えて、それが 実の兄にとっては微妙に面白くない。

最近では手紙もちょくちょく交わしていると言うのだから尚更の事。

しかも手紙の内容もわからない。女の子の秘密とせがんだ自分がみさおと澪のコンビネーションで追い払われたのはつい先日の事だ。

今回だってそう。妹は、みさおは絶対に間違いない。と言う様に必死に目で訴えかけている。

掛け値なしの信用。しかもそれを否定出来ない。

それは彼の家のもたらすものか、それとも彼自身のもたらすものか・・・・おそらくは、両方。

そして、今回においては彼女の予感・・・・と言うより寧ろ『知っていた』と言う方が正しいであろう ようなそれは、当たる。

城外に旗を掲げた使者が訪れたのはそれより小一時間の後のことである。







自分は公国に仕える武官であり、自分の受けた命は相沢公爵代理閣下から直接受けたものである。と 入ってきた人間は全員の前で述べる。

それは即ち半分『命令』の形を意味する行為。勿論直接的な上下関係は存在していないものの、 事軍事行動においては彼の国の声はまさしく『天の声』に近かった。

だから、由起子はその使者に慌てて上座を譲る。規定ではないけれど、それが由起子にとってはあるべき 姿のように思えたから。

けれど

私はあくまで唯の使者でございますので。と辞去されて、由起子もそのまま座する。

「ここに書状が。・・・・・本来であれば遠征軍自らオーディネルに馳せ参じ、軍に合流するのが常なれど この度はその猶予はなし。ただちに軍事行動に移ることを許されたし。と」

使者の顔に見えるのは余裕。

彼は自分に指示を出した者が誰であるのかを良く知っている。つまり・・・・

この指示を実行しさえすれば今回の一件は片がつくと言う事を知っている。と言う事。

続いて如何か?と問われた由起子が慌てて首を縦に振る。

その後に生まれてくる疑問。つまりは・・・・・

「あ、あの・・・祐一様は既に・・・・・」

「公爵代理閣下は既に王国が北方領に入られた頃でございましょうか。長森伯との 合流を優先。その後に共同で軍事行動に当たる。とのことでございます」

その言葉を聞きながら慌てて書状を開く。

書かれている内容はまさに今言われている内容。

「・・・・祐一様が・・・・・御自ら・・・・・?」

せいぜい公国の勇者を借りられれば。という程度に考えていた。彼を借り受けオーディネルにて 軍権の全てを委ね、一戦において反乱軍を打ち破り、その後に長森伯と合流し異民族を打倒。それが 由起子や他の官の描いた青写真だった。

「立花百騎長以下白騎士団を動かす権利は祐一様には所在して居らず。故に彼らは国の 守りに専念させざるを得ない。との事でございます」

はっと思わず由起子が顔を上げる。

その通りだ。確かに、公爵代理に委ねられている権利に白騎士団を率いての対外戦の権は含まれて居ない。

と言うより、まず、白騎士団の行動を定める権利はあくまで団長にあり、公爵の権とはあくまで団長に 命令を下すことだけ。故に団長が不在であれば動けない。考えてみれば当たり前の事だ。

それが権利の分散。万一の公爵と言う機関が狂った時は団長がそれを正さなければいけない。それが神の血を受け継いだ者が背負うべき責務である、と。

「・・・・そして、折原浩平様にはこの書状を。と承っております。」

そんな風に考え込んでいる由起子を尻目に使者の男が由起子の隣の少年に向けて書状を手渡す。

中にあるのは、地図だ。

王国の地図が一枚。その中に×印が一つ。

そして、日付と、時刻。

それだけ。他に文章も何も無い。

「これは・・・つまりは、俺に対する挑戦ってことか・・・・いや。・・・ですか?」

ニィッと笑いを浮かべる浩平に愛想笑いを一つ。

わざわざ文章で一つ一つ指示を出さなかったのはまぁ、悪戯心が芽生えての事である事を彼は知っていた。

そして、彼はもう一つ知っている。

こうした宿題を出す、と言う時に彼は『相手が絶対に解けると確信しているから出す』と言う事を。

「・・・・由起子さん。軍勢、使わせてもらいますよ?祐一だって軍を動かしている。だったら、俺が やらない理由もないですよね?」

クシャリ。と紙が歪んで・・・・

浩平の言葉に異論を挟める者は居なかった。

それで全て終わり。軍議等も無く・・・・。

全ては王国の麒麟児に委ねられた。

「あ・・・忘れておりました。そう言えば、一つ伝言を承っていましてな。・・・・年は取りたくないもので」

全員が立ち上がり、室を出ようとする時になって思い出したように一言。

「みさお様に。・・・・全部が終わったらまた。と」

全員を前に、一言だけ告げる。

手紙等も無い。そう一言だけ。

らしいと言えばらしい。微妙な不器用さが、どうにも彼らしく。

だからそれを受けたほうもそれを聞いて、少し目をパチクリさせて・・・・・

その後に小さく微笑む。まるで、蒲公英のように。控えめに、それで居て明るい笑みを。







一方でその頃には王国の北部戦線にも変化が生じている。

北方の守護神の篭る城に突如現れた小勢。

それが掲げている『ありえない』軍旗に城壁に詰めていた兵の誰もが警戒を強める。

そして彼らが行うのは迎撃体制の準備。彼らからすれば、今この城にこの方角から敵兵が現れる事は ありえないはずだった。何故ならこの方角では未だに前方で里村の軍勢が玉砕戦を繰り広げようとしている からである。

けれど、その敵兵、と言う可能性の方が味方の可能性よりもそれでも高い。そう思ってこその迎撃準備。

最もそれを受けての祐一の考えは単純だった。元よりこうなることはある程度想像の範疇のこと。

彼は身の証を立てる術を知っていた。だから・・・・

一人で門の前に進み出ると、城内から武器を持って警戒しながら出てきた者に自らの槍を預けた。







受け取った兵士が半信半疑の中で差し出した槍を見た城将、長森伯爵の喜びようはまるで 今にも踊りださんがばかり。

味方が一人、また一人と討たれ、又は何処かで誰かが内通しているのではないか?と 言う疑念を味方にまで向ける日々。援軍も期待していなかったその中のことである。

その槍・・・・・神槍を丁寧に、両の手でしっかりと受け取るや否や、全ての武官を集め、自らが 城門まで走り寄って迎えに出る。

仲間が討たれ、兵が討たれ。とまるで地獄のような日々の中に急に差し込んできた救いの光を求めに。







「まさか、王国軍では無い軍が救援に来てくださるとは思いもしておりませんでした。・・・・ この偉業、まさか反乱軍や異民族とて知る由もありますまい」

城内から聞こえてくる大歓声。誰もが死を覚悟している中での戦。自分達はまだ見捨てられていない。と 言う事実だけでどれだけ嬉しい事か

例え三千と少しと言う程度の人数であっても。例え率いているのがまだ十にもならないような子供であっても、である。

そんな後方からの生気を体に受けながら、嬉しそうに両手で掲げた槍を少年に差し出して、頭を下げる。

「この城を長森伯が守っている限りそうそう落とされる事はありえない。とは思っておりましたが まさか未だに敵軍の影すらないとは驚きました。良い味方をお持ちのようですね」

それを受ける祐一がにっこりと笑いながら槍を受け取って、同時に、話す。

彼からすれば、既に敵軍が城攻めにかかっているのなら後巻きにすれば良いと考えていた。それで 城に入ってしまえば後はどうにでもなる、と。

タイミング的にはこの城まで敵が達している可能性と達していない可能性は半々。と言うのが当初の予想だった。

「いえ。まことに恥ずかしながら・・・・こちらの軍兵を率いていた将十二人、うち九名までは討たれ、 二名は負傷いたしました。全ては私の落ち度と致す所・・・・」

考えれば考えるほどに涙が出てくるのを抑えられない。一人一人が数十年共に戦ってきた戦友。 一人もがれる度に体がもがれるように、辛い。

「いいえ、伯爵。小勢で敵軍の進行を抑えるにはこれしかありませんでした。それに、まだ 三人も残っておられます。それは寧ろ喜ばしいことと言えるのではないでしょうか?」

三人しか残らなかったのではない。三人も残れたのだ。と。

冷たい言い方かもしれないけれど、祐一からすれば彼以外の全てが・・・・さらには、もしかしたら彼自身が討たれている可能性を考えていたのだから 朗報とすら言える。

「北方では未だに里村の九百余りの軍勢が迎え撃つ準備を進めております。・・・・・しかし、 主が負傷し、その一人娘が陣頭に立って指揮を行う、と。・・・・全く自分が情けなく・・・・」

里村の娘。と言われて思い浮かぶのは一人しか居ない。勿論会ったことはない。けれど、情報としては 持っていた。

里村の家には嫡子が居ない。居るのは公女が一人。

里村茜。年は今年で・・・・・

「浩平と同い年の・・・・?」

思わず口をついて出る言葉。それならまだまだ子供だ。と、自分を棚に上げて思わず考える。

「はい。我が娘や王太子殿下と同い年の・・・・・笑ってやってくださいませ。我が愚かさを」

自嘲するように思わずそう呟いて、項垂れる。

彼自身どうしようもないくらいに悔しくて、けれどどうしようも出来ない。そのもどかしさに苦しんでいる。

と、同時に。

祐一の中にも考えが生まれる。

先日王国で出会った少女の事を思い出す。折原みさお、年は自分より一つ、下。

今でもたまに・・・・一ヶ月に一度程度の割合で手紙のやり取りを行っている。そんな、子。

浩平と同い年と言う事はほとんど彼女と年も変わらない。そう考えて。祐一はもし彼女が今戦場に たたされようとしていたら、と考えて・・・

「伯爵。私はこれより里村男爵公女殿下の救援に向かわせて頂きます。了解して頂けるでしょうか?」

思わず、口に出る。

助けられる命であれば助けたい。そう思って

「・・・・っ・・・・・しかし・・・・」

「同時に、伯爵にも一つ願わなければいけません。私はこちらに来ると同時に折原王太子殿下に向けて 策の立案をさせて頂きました。おそらく、受け入れて頂けるでしょう。彼は王師を率い、 これより五十日の後に南方三十里の平原にて敵軍との一戦に及びます。伯爵にはその敵軍の 後方を突いて頂きたいのです。」

本来の予定からは既に代えている。祐一の本来の策は、この城での防衛を主点とし、自軍は近隣の森や 山を拠点に敵軍の補給路、及び敵軍本隊への奇襲を主眼とした戦術を展開しつつ、約束の日時に 自らが敵軍の後ろを突くつもりだった。

それまで城を支え、王国軍本隊と合流して敵軍を討つ。と。

それを代えるのは危険も伴う。けれど・・・

オーディネルに居る少女の事を考えてしまうと、見捨てることは出来ない。そう思う。

「お願いします。この槍に誓ってそれまでの期日、我が軍は命に代えてでも敵軍を食い止めて見せましょう」

目の前の男性、40と少し、と言うような壮年の男性に向かって、その胸と腹の間程度しか身長のない 少年が深々と頭を下げる。

迷うのは、数瞬。

頭の中に巡る幾つもの思考。

「・・・・・・お願い、致します。策についても私共の方こそ命に代えましても成功させてご覧に入れましょう。 ・・・・・ご武運を」

深々と頭を下げる少年の肩を両の手で元の位置に戻し、自らは両膝を地に付いて拝手する。

後ろで黙って会話を聞いていた者達が次々とそれに習い、それが段々と一般の兵にまで波及する。

誰もが助けたいと思っていた。だから、願う。







もっとも、ではその助けを必要としている。と思われていた・・・・いるはずの九百人が全員玉砕 覚悟で。と言った悲壮感を持って戦に望もうとしているか、と言うとそうでもない。

茜が最初に全員に対して徹底させたのは、この戦は玉砕する為の戦ではなく、味方援軍が来るまで耐え切る 為の戦である。と言う意識を兵一人一人に持たせることだった。

確かに計算上、最速で二ヶ月程度持たせれば援軍が来る可能性は十二分にある。

そして歴史を紐解いてみれば、九百人の軍勢で二,三万の軍勢から二,三ヶ月程度の篭城を成功させた例は 多いとは言わないまでも0ではない。

死ぬための戦ではなく、生きる為の戦。その意識を徹底させることで兵の士気を上げ、と同時に、 敵軍が押し寄せてくるまでの短い間で必死に城の改修をも行った。

先ず攻める立場で考える。自分がこの城を攻めるとしたらどう言う方法で攻めるのか。 同時に今度はその考えを守る方の立場で一つ一つ潰していく。

詰め将棋の逆の思想。どう攻められたらどう受けるか。より可能性の高いものから順に対処して行った。

僅かに年齢は二桁に届かないような子供、しかも女の子供が、である。

最初は諦め半分と言う雰囲気だった兵を十人、百人束ねる将も日に日に『もしかしたら』と言う感情を 抱き始めていた。

ある意味で、こうなってみると本来の城将の負傷は彼らにとって吉と出ていたのかもしれない。

長森将軍旗下の将は戦には滅法強いけれど、それはあくまで戦場における武働きであってこうした受けと主とした戦には向いていない。

猛将は数限りなく居れども知将は居ない、と言う事である。

最も野戦における軍略を絞れる者は多々いるので決して猪武者と言うわけでもないのだが・・・・・







「・・・・・・う〜ん。想像と違うと思いませんか?」

ありゃりゃ。と頭を2,3回掻いて遠目にその城を見つめる。

彼の想像の中では、あくまで城将の娘が必死に立て直そうとしている。そのように考えていた。

けれど、その城から漏れ出てくるのは戦気。城壁の上で見回りを行っている兵は自信を漲らせているし、 何より遠目に見る限り弱点らしい弱点が全く見当たらない。

「まだ、これほどの用兵を行える将が居りましたか。本当に引き出しの多い国でございますな」

隣から声をかけてくる男性に苦笑を一つ。

「それを公国の兵士が言いますか。まぁ、否定はしませんけれど・・・・。」

「いやいや。我が国は引き出しは多くはありませんかと。どうせ引き出しを用意しようと全て慎一様、大輔様、祐一様が為してしまうのですからな」

あはは。と声を上げて笑いあう。

公国において万の兵を率いる人間と言ったらおそらく片手で数えられる程度しか居ないだろうか。

それは、率いる事の出来る人間が、ではない。率いる可能性のある人間が、である。

基本的に、千人程度の軍勢を手足のように扱い、前線で敵を蹴散らすような将の数の方が多く、 後方から戦場を眺める将は少ない。これは公国の伝統に近かった。

結局、彼の家において兵を率いるのはあくまで当主であったり、又は血縁の誰かであり、他の者が 後方から指揮をとる事などまずありえないのだから。

その点において、公国は他の二国とは異なっていた。帝国も王国も基本、国主は城に居て、別の者が兵を率いる。

王国であれば折原大公であったり、帝国であったならば石橋禁軍将軍。

公国も場合によっては祐一が良くすることではあるが自らの副官に部隊を任せる事はある。今回等は正に典型。 けれど、それはあくまで例外事項。と言う事。

「しかし、まぁ・・・・攻めるに難しい城ですね。しっかりと嫌な所を補強してあります。これなら我々が 来ないでも十分に・・・・どう少なく見積もっても一ヶ月は持ったでしょう」

ふと興味が芽生える。

祐一にとっての貴族の子女と言って先ず出てくるのは折原みさおのような大人しい子であったり、又は明るい・・・・ 水瀬の、自分の従兄弟が出てきたりする。

彼女達にはこう言った芸当は不可能だろう。寧ろ、別のベクトルに考えを変えなければいけないのかもしれない。

例えば・・・男勝りの豪傑のような人とか・・・・

「ふむ。そう、でございますか。・・・・何しろ我々は篭城は苦手ですからな。私は既に戦場に出ること、 五十を超えてはおりますが・・・・一度も篭城等行った事がございませんし」

そんなのは私だって同じですよ。と7つの子供が小さく笑う。

演習では幾度となく。クレスタの砦群。その一つを使っての篭城と攻城の訓練は幾度となく行ってきた。 まぁ、軍事演習で、だ。

けれど、実戦は一度もない。これは当たり前のことで、基本的に公国の、又は彼の、彼ら、白騎士団の戦とは 野戦の一戦において敵軍を完膚なきまでに屠ることが前提であり、城に篭って戦う。等と言う戦は先ず ありえないのだ。

馬の機動力も生かせないし、時間もかかる。時間がかかれば民にも損害が来る。だから、やらない。

前者の理由だけであるのなら、クレスタの城砦群を使えば足る。あの要害は基本的にそのために作られていた。

けれど後者の理由は絶対的。大体がクレスタは公国の南方に位置しているのだから、北方からの異民族の 侵入には対応出来ない。みすみす領土に入られる事になってしまう。

だから、篭城戦は行わない。それが基本だった。

「さて、と。それではそろそろ先発の使者を送る頃ですけれど・・・・・」

そう言いながら祐一が鎧の隙間に手を入れる。皮製の簡単な鎧の隙間には一枚の紙が折り畳まれて仕舞われていた。

長森伯爵から受け取った全権委任を表した書状。これを渡す事で北方における全ての王国軍が祐一の旗下に付くこととなる。

「すみません。僕・・・・じゃなくて、私の代理に立って頂けますか?それとついでと言っては難ですが一つ、 お願いが」

「はっ・・・・。何でございましょう?私に出来る事であればなんなりと」

腰を二つに折って膝を付く腹心の男性に思わず小さく笑う。

これからやってもらうことにはその逆のことが要求されるのだから。

「私を、小姓としてお連れ下さい。一つ、気になる事がありますので」

一瞬表情が顔から抜け落ちる男。おそらくいままでの人生の中で最も難しい分類に入る命令であろう。

しかし、それを言い出した祐一の方はあくまで真剣。

感じたから。城の中から異質を。

漲っている戦気の中から別のものが漂っている事を。

まるで、紅茶の中に一滴だけクリームを入れたかのような、そんな小さな歪を。







「公国が遠征軍の将軍の方・・・・・ですか?」

失礼になっていないでしょうか?と髪を手で触れる。三つに編んだ髪の束がふるふると揺れた。

「はい。我等が主君の総代としてまかりこしました。こちらにつかえるは・・・・あ・・・えぇ・・・・わ、私の小姓。・・・・の、ようなもの・・・・・で、ございます。」

ぺこり。と隣に黙って立っていた男性・・・・いや、男の子が頭を下げるのを見て茜もそれに頭を下げることで答える。

礼儀の正しさから鑑みるにおそらくは公国の高官の息子か何かでしょう。と頭の中で考えながら。

きっと、この男性が入ってきて以来ずっと気を使っているように見えることからも相当地位が高い者の子供か何かなのなのだろうか?とも。

どちらにしても、自分たちはあくまで陪臣。直臣である目の前の人たちは自分よりは地位が上にあるはずだった。

最もそのくくりで話したとしたら、王国全土でも直臣と言えるのは折原王家以外存在しないことになってしまうのだけれど。

とにかく、だからこそ上座を薦め、一つ一つの事柄に気を使う。失礼は許されることではない。

「しかし、驚かれていらっしゃらないのですね。他の方々は皆我等が軍、ここに在することに驚きを浮かべていると言うのに」

「驚いてはいます。けれど、驚いては失礼に当たると思いましたから・・・・・」

ほう。と対面に居る使者が。そして何故か小姓の子までもが驚きを顔に浮かべるのが見える。

目がそれは何故?と聞いているように見えて

「相沢公爵代理閣下は年少と言えども既に戦場に出ること幾度となく。その全てに勝利を収められた名将です。そのお方に対して私達が出来ない事をしたと言うだけで 驚きを浮かべるのは失礼なことに当たるのではないでしょうか?」

そう、理由を述べる。

確かにいきなり物見の兵士から公国の旗が上がっている。と聞かされたときには驚いた。驚いた、けれども同時にこうも思った。

『確かに、あの方ならそれくらいしてもおかしくないかもしれない』と。

噂で聞いた公爵代理閣下の話。勿論誇張されているであろう部分はあるのだろうけれど、その全てに共通するのは全く批判されることがなく、そしてほとんどが彼を讃える 内容であったこと。百人が九十九人褒める相手にはそれなりの理由があるものだ、と思っていた。

残りの1パーセントだって『流石に相沢公爵代理閣下が全てを為しているわけではないだろう。あの方には公国の 勇者が補佐としてつき従っているのだから』と別の原因を視野に入れただけで、決して批判していると言う事ではない。

「あ、あの・・・一つ、質問をさせて頂いても宜しいでしょうか?」

と、いきなりの場で一人だけ立っていた少年の声に一瞬のうちに視線が一点に集中する。

そして、少し時間をおいてその視線は茜の方に。

通常であればこう言った立場の者が声を挟む事は先ず無い事。けれど、茜はあえて首を縦に振って促した。

別に真剣な会話の最中でもない。し、何故か茜には気になっていたから。

「里村公女殿下は相沢公爵代理閣下をご存知なのでしょうか?」

「いいえ。直接にお会い出来る立場ではありませんから。噂を聞いて、それを纏めているだけです。 噂によると相沢公爵代理閣下は身の丈が六尺。熊をも素手でお倒しになる怪力を持ちながら、同時に望めば 何時でも天候を操る事が出来るそうです。」

くすくす。と茜が小さく笑うのを見て周囲の者が思わず顔を見合わせる。

この少女が笑うのはそれくらい珍しいことだった。実際にここ一ヶ月以上は見た事が無い。

一方で

「そ・・・・それは、また。なんと言いますか・・・・」

呆然とどうしたものかな?と首を傾げつつも苦笑する男性。

勿論この少女がそんな噂を鵜呑みにしているはずもないのだけれど・・・・

実際問題として、6つ7つの人間で身長六尺と言ったらほとんど異常に近い。

現状において祐一の身長は四尺三寸。まぁ、同世代では平均と言えるくらいだろうか。

思わず後ろを振り仰ぐ男性を見て、祐一も力無く笑いを浮かべた。







「はい。了解致しました。・・・・それで、公国遠征軍につきまして、ですが・・・・総大将は一体何方なのでしょうか?」

一通りの今後の取るべき行動についての会話が終わった時に出てきた一言。

思わず祐一も、その前に座している男性も小さく顔に笑みを浮かべる。

「・・・・里村公女殿下は何方だとお思いでございましょうか?」

さっきからずっと彼は何かにつけて茜に問い掛けるようにして話している。最もそれはさっきの祐一の一言も 同じ。結局の所、二人とも・・・・と言うより、おもに祐一の意思として彼女の『器』を量っている部分があった。

「普通に考えたとしたら立花百騎長が遠征軍を率いるのが当然ではないでしょうか?しかし、白騎士団の 任務が国内の、そして相沢公爵代理閣下の護衛であることを考えれば彼の方が一人でこちらに来るとも思えません。 ・・・・私は寧ろ、使者として来られた貴方様が指揮官であると考えています。」

胆力と言い、会話の一つ一つに現れる迫力と言い歴戦の将と呼ぶに相応しい人。と言うのが茜の見立て。

その褒め言葉に褒められた方は小さく笑みを浮かべて

「これは・・・・買いかぶられたものですな。私なんぞ祐一様は言うに及ばず立花のような若造にすらも遠く及びませぬよ。 とても軍勢を預けられる器ではございませんな」

温かい目つきで、一言だけ話して

「さて、それでは・・・・・ある意味これが本題になるのですが・・・・・もし、宜しければ個人的に話をさせて頂きたいのですが? 私と、貴女様と、そしてこの者と、三人で」

そして、いきなり話題を変える。

個人的な話と言う事だろう。他の者を除いて話す、と言うのはそういうことだ。

けれど、茜からすれば何でいきなり自分だけが?と言う疑惑が先に来る。

周囲の者だって同じ。これが平時の時であれば縁談、とかそう言う話もありえるけれど今は状況が状況なのだから。

「これは・・・・そうですな。公国の国家としての依頼。と思って頂いても構いません。如何でしょうか?」

その言葉に場が固まった。

つまり、彼はこう言ったということ。

里村茜と自分。そして自らの小姓の三人のみで会談の席を設ける事が、相沢慎一であったり相沢祐一から の直接依頼の意味合いを持った請願である、と。

それに対して断ることは、公国の臣である王国の、そのさらに臣である自分達がするにはあまりにも失礼極まりない。

結局はこう言うことだ。

『彼がその言葉を出した時点で、里村の家はそれを受け入れる義務が生じる』と言う事。

そして同時にもう一つ。

そのカードは交渉において考えうる限り最強のカード。けれど、それを切る為には当然それに値する 理由がなければならない。

むやみやたらに使えるカードではないのだ。それくらいに、その二人の名前は重いのだから。

「・・・・・分かりました。それでは、こちらに来て頂けますか?・・・・全員、人払いをお願いします。 合図があるまでは決して部屋には近寄らないように指示を徹底させてください」

立ち上がる茜の後ろに黙って少年が続く。

手にはその少年の身の丈2倍くらいの長さの棒・・・・いや、槍か何かだろうか?が、袋に仕舞われて存在していた。

(扱えるのでしょうか・・・・・?)

思わず、そう思う。彼女自身は言うに及ばず、友人の柚木詩子や城島司も武器の扱いは得てではなかった。

だからか茜は武器を扱う。と言う感覚が余り良くは分からない。祐一からすれば武器を扱うのは体の腕力等よりも 技術である。と確信しているから特に不思議ではないのだけれど。

目が合うと少年は小さく微笑んで、茜は黙って視線を前方に向ける。

「どうぞ。・・・・こちらの部屋で宜しいでしょうか?」

少年の後ろから付いて来た男性が小さく首肯する。

それではどうぞ。と小さく言って自分から部屋へ入る。後から二人の男性が続いて入って、そして、茜は部屋の 扉をゆっくりと、閉じた。