外伝一話








歴史とは事象の積み重なった事。言ってしまえば個人個人の一生、その一つ一つが歴史とも言える。

例えば三つの国に分かれたそれぞれの国の中心に同じ年代の少年や少女が存在したり、何処か一つには神の血が流れていると 言われていたり。

それとは別に唯の誰も見向きもしない小さな貴族の家にはベッドで眠っている・・・・ベッドに縛り付けられている 少女が居たり、他にもたくさんの、本来なら歴史に出ることもなく一生を普通に終えていたであろう者がたくさん、たくさん。

それがちょっと歯車が狂うだけで大きな流れの中に巻き込まれていく。

それはほんの小さな家の一室の部屋から・・・・。







『何でまた、我が家に限ってこんな子供が生まれるんだ!・・・口を聞けない障害をもった娘なんて嫁にもやれん!』

そんな恨み声が毎日のように聞こえてくる日々。

生まれつきのことをそうやって責められるのは慣れているけれど、それが理由で家の中が気まずくなるのは嫌だった。

(でも、しょうがないの)

上月の家は貴族と言っても小さな、小さな家。

父親の仕事は事務官の、それも下位も下位。王国の貴族の家で下級の家なんてそんなものだ。

勿論働きによってはもっと重要な地位に付く事もありえるものの、まぁ・・・・そう言う当主、と言う事である。

そんな家にとても、障害を抱えた子供を・・・将来何の役にも立たない子供を養えるほどの余裕はなかったから。

澪には兄が居る。それが次期当主。で、ある以上澪の存在意義等家において皆無に等しい。唯、 放り出す事は外聞を考えれば出来るわけも無い。

結局は、『飼っている』と言うくらいの世話はしている、と言う感じ。

既に罵倒されることも、恨み言を吐かれるのも慣れてしまった日々。

普通の人が見たら、まだ幼年の子供のあまりにも無残な状況に顔を背けたくなるような、そんな状況だった日々。

転機が訪れたのはある日のこと。

「澪、明日からお前は城に行け」

その日、いきなり家族全員の食卓に呼ばれた澪。

何時もだったら自分にはメイドがパンを一つ持ってくるだけだったのに。

その席で急に言われた言葉に、ハッと顔を上げる。

「病気の王女殿下のお暇を潰す為にご学友を探しておられる方が、障害を持つお前に目を付けた。」

そう言われても全く嬉しくない。

要は、元気を出す為にもっと醜い病を持つ者を傍に置く事で気持ちを慰めようと思っての事だろう。と理解していたから。

籠の中の鳥がピエロになるだけだと。

そう思って、何時ものように眠る。

別に今までと変わらない。何もせず、黙ってそこに居ればそれで良いのだ。と。







「こうづきみおさんですね。はじめまして、おりはらみさおです。」

生まれて初めて綺麗な洋服を着て、何度も何度も失礼のないようにと念押しをされて入れられた部屋に臥せっていた女の子は、自分の姿を 見かけるや否や顔を起こして・・・おそらく用意していた言葉を紡いできた。

そこに居たのは、小さくて可愛い女の子。

本当に、お人形さんかと思ってしまうような。

そんなみさおに、自分は言われていた通りに頭を下げる。

喋れない事は相手も知っているのだから、理解してくれるだろうと思った。

だって、自分は話せないから。誰かに思いを伝える事はできないから。

でも・・・

「あ、ごめんなさい。みおさん、おはなしすることができないって」

顔を上げると、笑顔のみさおが自分に向かって紙の束を差し出している。

「これで、おはなししましょう?わたし、もじをよめるようになったんですよ?」

そう、嬉しそうに笑いかけてくる年下の女の子。

それは、澪にとっての生まれて初めての友達。

自分を普通の人と同じように扱ってくれる、そんな。







「今日は、相沢公爵家の方々がお見えになるんだって!凄いよね。私も一度会ってみたいなぁ・・・」

夢見がちに呟くみさおの横で澪も小さく頷く。

『みさおちゃんも、お願いすれば会ってもらえるの』

二人が出会ってからもう1年以上。今では、みさおは漢字も読めるようになっていた。

同じ部屋で寝起きして、同じように食事を取る。

みさおちゃんの親代わりの小坂由起子女王陛下や、みさおちゃんのことばっかり考えて、ちょっと怖くも見えてしまうお兄さんの浩平さんとも会った。

でも、皆良い人。誰もが自分のことを変な目で見ない。まるで、本当にみさおちゃんの姉妹のように扱ってくれる。

そんな夢のような、日々。

「うん。でも、こんな私が病気を移しちゃったら申し訳ないから」

みさおちゃんの病気は重いものだと聞いた。数年内に命を失うような大病だと。

それに比べれば、言葉が話せないくらい何ともない。

『でも・・・みさおちゃん、何時も公国の人に一度会ってみたいって言ってるの』

うん。と悲しそうにみさおが呟く。

部屋から出れないみさおは良く本を読んでいる。

その中で一番のお気に入りが、神話。

空から降りてきた神様が、人々を助けてくれる、そんなお話。

そして、その末裔が相沢の公爵家。

毎日のように、その家の人は多分こんな人なんじゃないかな?と楽しげに話すみさおが、相沢の人が訪れると聞いて一番喜んでいた事を 澪は知っている。

だから、思わず澪は部屋を飛び出した。

後ろからはみさおの驚いたような声が。

そして、遠くからは喧騒が聞こえてくる。

多分、相沢の方々が登城なされたのだ。と理解した。







「お久しぶりです、公爵閣下、白騎士団長様。・・・そして、始めまして、祐一様」

玉座に座っていた由起子は、姿を見るや否や近づいて頭を床につける。

折原由起子。当時、二十前後の女盛り。

兄王夫婦が亡くなり、後を継いだこの女性は婿を迎えることが国に騒乱を招く事を理解し、いまだ小さい折原浩平王太子の代王 と言う立場についている。

「ああ、久しぶりだな、由起子。今回は久しぶりに帝国の方から休暇を貰えてな。ようやく祐一を紹介する事が出来る。」

そう言って、小さな子供を前に押し出す慎一と大輔。

「始めまして、陛下。公国が公子、祐一です。」

小さいからだを丁寧に曲げて、膝を付く祐一。

年齢と行動のあまりのギャップに思わず由起子が困惑する。

後ろの二人は、まるで息子自慢をするかのように朗らかに笑っていた。




そんな光景を澪は玉座の間の端の方から眺める。

由起子様に促されるようにして、二人の子供も紹介されて、その二人が相沢家の公子様と手を結ぶのが見えた。

自分が毎日のように会っている相手。みさおちゃんのお兄さんの折原浩平さんと、その婚約者の長森瑞佳さん。

でも、浩平さんの方は面白くないのかしかめっ面をしている。

多分、何時も自分の大切な妹が憧れのように口にしている相手が目の前にいることに嫉妬しているのだろうと思う。

そのまま、暫しの挨拶。その中、途中で浩平さんが飽きたのか何処かに走り去って行く。

そして、挨拶が終わると三人は身を翻して、膝を付いて頭を下げる人々の間を歩いていく。

気が付くと、澪は飛び出していた。何も考えず、唯、一直線に彼らの前に。




その瞬間、場が凍りつく。

全員が膝をついている中突如、少女が一人尊ばれる方々の前に現れたのだから。

慌てた衛兵が慌てて動き出す中、澪は急いで画用紙を取り出す。

前もって書いてくれば良かった。と後悔するものの今更のこと。こうなっては・・・・

直接!と言う様に衛兵の間を縫うようにして絨毯の上に。

目の前の三人までもが余りのことに凍りつくものの、流石に少女相手に刃を抜く事はしなかった。

唯、立ち竦むだけ。一瞬『刺客!?』と身を強張らせた大輔がゆっくりと腰の刀から手を離している。

斬り捨てられたらどうしよう?等と言う心配が無くなったことにちょっと安心しながら、慌てて画用紙にペンを走らせようとする。

でも、そこまで。

嬉々として画用紙にペン先をつけた瞬間、自分の小さな体が絨毯に押し付けられるのを感じる。

衛兵に取り押さえられたと言う事に気が付いたのはその一瞬の後。

転がって行く画用紙とペンを遠い目で眺めて、慌てて慎一に、大輔に、祐一に口を開く。

でも、声は出ない。

口をパクパクさせるだけ。声を出せない人、と気がついたのは身長が近く、より近い場所で感じ取れた祐一のみだった。

「澪ちゃん!どうしたの?」

慌てて駆け寄ってくる瑞佳が、衛兵に取り押さえられる。

由起子までもがどうしようもない。と言うように顔を伏せた。

公国の、こともあろうに公爵に、公子に対する蛮行。いくら女王と言っても庇い様がなかったから。

「この馬鹿が!・・・障害者のくせに重用されているのを良いことに・・・・事もあろうに公爵閣下方に無礼を行うとはなんてことを・・・・」

必死に開く口ごと絨毯に思いっきり押し付けられて・・・

衛兵の長が三人に平謝りしているのが耳に入ってくる。

遠くでは顔面を蒼白にさせる自分の父親の姿も。

余り感慨はなかった。あちらが心配しているのは自分のことではなく、上月の家の体面に過ぎないことを 澪は知っていたから。

最も特にあちらには罰は下らないだろう、と言う事も分かっている。今の王国には罪は一族郎党まで・・・ 等と言う悪法はない。

と、同時に抑え付けている者の一人が腰から剣を抜く。

「この痴れ者・・・・・・死んでお詫びいたせ!!」

遠くから眺めている瑞佳の悲鳴。

止めようと声を上げる由起子の声。

そんなものは、興奮した兵士には届かず・・・

振り下ろされるのは、白刃。

澪自身も、思わず目を閉じて・・・

でも、聞こえるのは甲高い、音。

顔を上げた澪に見えるのは、いきなり飛び込んできた 少年が腰に付けた短刀を両手で握り締め、衛兵の剣を受け止めている光景。

両手で振り下ろした大剣を子供が、しかも短剣で受け止めた事に周囲から歓声が沸き起こっている。

キィン。と甲高い音が鳴って、振り下ろされてきた白刃が宙に舞う。

クルンクルンと弧を描いた剣。大輔が周囲の者が落ちてきた刃によって傷がつかないよう小刀を放って軌道を変える。

それが落ちる頃には既に少年は由起子の方を向いて失礼を詫びながら刀を鞘に収めていた。

「その子を離しておやりなさい。どうやら私共に用があるようだ」

そんな中聞こえる優しい声。

年老いた声に抑え付けていた者が慌てて立ち竦み

「し、しかし、この者は貴方様方と会話を行えるような・・・」

弁解をするように。けれど、その言葉を最後まで言い切ることはない。

「・・・・・・言っておくが我々は一度として人を身分で区別したことはない。そして、我々は我々の希望において、その子と話がしたい。と言っている 。・・・・・・由起子」

慎一が視線を他方に。

その視線を向けられた当人は金縛りから急に解かれたように慌てて立ち上がる。

正直な所、あまりのことに由起子自身動きを取れていなかった。

「・・・・は、はい。・・・全員、澪ちゃんから手を離しなさい。あと、瑞佳ちゃんからもよ。」

そう、口早に命令を放つ。

離されるや否や瑞佳が澪の所に駆けて行く。

瑞佳からしても、妹同然であるみさおの大切な友人。みさおと同じように妹同然に可愛がっている相手だった。







そんな声に周りの衛兵が離れていくと、少年が画用紙とペンを拾って自分を助け起こしてくれる。

「大丈夫ですか?」

そう言いながら、画用紙とペンを渡してくれる少年。おそらく、この人が相沢祐一様なんだろう。と理解する。

「何か我らに御用があるんだろう?勇敢で小さなお姫様」

近づいて来た男性が頭を軽く撫でてくれる。

大きい、それで居て優しそうな男性。白騎士団長の相沢大輔様。

そして、もう一人が相沢公爵の慎一様。

「慌てないで良いです。ゆっくりと、何か言いたい事があるのでしょう?」

少年の優しい声に、画用紙に慌ててペンを走らせる。

慌てていたからか、酷く震えた、不器用な字。

『みさおちゃんにあってあげてほしいの』

かな文字でそう書くのが精一杯だった。







「・・・由起子、そう言えば、みさおちゃんは何処に・・・・?」

由起子にも瑞佳にも澪の書いた紙は見えていない。

だから、突然出てきた名前に二人は飛び上がるように驚く。

「・・・・みさおちゃんは只今療養中でして、本人が公爵閣下方に風邪をお移しては申し訳ない、と自室で・・・」

二人とも、一緒に列席してはどうか?と勧めはした、が、拒んだのは当人。

「唯の風邪ではないのだろう?とりあえず、会わせていただきたい。この小さな勇者にも敬意を表して、な。」

ぽむ。と澪の頭に手を乗せる慎一。

「僕からもお願いします。一度、会わせていただけないでしょうか?」

慎一に、祐一にそう言われると由起子も断る言葉を持っていない。

「由起子叔母様、私からもお願いします。みさおちゃん、ずっと一度お会いしてみたいって、だから・・・」

そして、懇願するような瑞佳の言葉。

由起子は祐一達に対して、小さく頷いた。

「分かりました。それじでは・・・瑞佳ちゃん、澪ちゃん。御三方をみさおちゃんの所にご案内して下さい。」

ふぅ。と溜息を吐いて、そう告げる。

由起子自身も会わせられるものなら会わせてあげたいと思っていただけに、心の中では嬉しかった。







「別に、お前が会いたい会いたいって言ってた相沢の連中、たいしたこと無かったぜ。ぜんっぜん普通だったぞ」

ふん。とつまらなそうに、ベッドから顔を上げる妹にそう告げる浩平。

基本的に妹馬鹿な子供。まぁ、嫉妬が九割以上を占めている。残りは・・・・優しさ、だろうか?

「お兄ちゃん、祐一様や慎一様にお会い出来たんだ。いいなぁ〜」

面白くない。と浩平は思う。

何時も心配して、何時も一番に考えているのにその相手は他の所ばっかり眺めているのだから。

「な、たいした奴じゃないんだって。あんな神話なんて所詮は作り話なんだよ」

実際に会っての感想は『良い奴』だったけれど・・・。妹のことがなかったならば。

悔しさからついつい祐一や慎一に対する悪口が口から出てくる。

「うん・・・。でも、やっぱり私は一度お会いしてみたいな」

む。と面白くなさそうに顔を顰める浩平。

もう一度相沢の人たちの悪口を言おうとしたその時、扉を叩く音が聞こえた。







「どうせ、澪か長森だろ?開けて来る。」

何時ものように何人もで一緒に居れば忘れるだろう。と浩平は扉の方に向かう。

でも、開けた時に見えた顔は、何時もの二人の他に三人も居て・・・・。

思わず浩平が目を見開いていた。

「お邪魔させてもらえるかな?」

先頭に居るのは先ほどまで叔母と話していた公爵その人。

後ろに居るのは白騎士団長と、自分より年下のくせにやたらと大人ぶった少年。

「・・・あ、あぁ。」

思わず身を引いてしまうのは相手から感じる強さからか。

そのまま部屋に入り込む三人の後ろから、嬉しそうに瑞佳が、澪が続いて来ていた。







「あ、あの・・・・」

突如現れた人たちに人見知りするみさおが思わずどもってしまうのはしょうがないこと。

「始めまして、みさおちゃん。」

そう言って小さい頭を撫でる慎一。

「みさおちゃん、このお方達が相沢の皆様だよ」

後ろから掛けられた瑞佳の声に、みさおが慌てて姿勢を正す。

そして、次に現れるのはみさおの兄よりもちょっとだけ背の低い少年。

小さく微笑んで、『相沢祐一です。始めまして、王女殿下』と丁寧に。

「はっ、はじめまして。折原みさおです。」

突然の憧れの人たちとの出会い。嬉しそうなみさおを見ているだけで澪は嬉しく思えた。

あと何年生きられるか分からないみさおちゃんに良い思い出に成ればいいな、と。







そんな、歓談。

最初は面白くなさそうにしていた浩平までもが笑って喋っている光景。

基本的に浩平は根は良い。妹が楽しんでいるのだから邪魔をすることはあるまい、とそのくらいは考えられる。

そんな中、思い出したように慎一が視線をみさおに向けて

尋ねる。

「・・・・そう言えば、みさおちゃんは病気、と聞いたんだが・・・」

ぴくっと浩平の、瑞佳の、みさおの・・・そして、澪の動きが止まる。

あえて話していなかった事だ。だって・・・・・

「良かったら、ちょっと見せてもらえないだろうか?」

そう言って、慎一が黙って隣の少年に。

そして、みさおの小さな額に促された祐一が手を当てる。

ちょっと冷たくて、でも温かい手のひらを額に当てられて、気持ち良さそうに、くすぐったそうにみさおが笑う。

ほんの少しだけ、頬を赤らめながら

そして、そのまま、数秒。

澪の眼前で祐一の表情が一変していた。

それは、四人とも分かっていた事。

みさおの病気は死病で、医者も匙を投げている。

だから、誰にも治せるはずが無いのだ。と言う事を。

でも、振り返った祐一の顔はとても・・・どこまでも真剣で。

「叔父さん、爺ちゃん。」

そして、出された声も、真剣。

それを受けた二人が『まさか』と言う顔をする。

簡単な病ならわけもないこと。それなのに祐一がこの顔をする。つまりは・・・・・

「やってみて、いいかな?」

そういうことだ。

何の事か分からない。と言うように四人がきょとんと。

一方で、問いを受けた二人は目に見えてしかめっ面をする。

「・・・・ワシがやってはどうだ?」

「・・・爺ちゃんだと成功するかも分からないでしょう?僕なら・・・・・少なくとも、絶対成功はします。 ・・・・・させます。」

その言葉に思わず俯く二人。

そして、祐一はみさおの方を向き

「良かったら、僕に治療させていただけませんか?」

そう、告げる。

「で、でも、私の病気は・・・」

治らない。治らない。と言われ続けてきたみさお。

隣で聞いている浩平が信じられないと言うように目を見開いている。

そんな浩平に、みさお達に

慎一が暫く目を閉じて、大輔が黙って視線を逸らした。

少しして目を開けた慎一の顔は何処か悲しそうで。

「・・・・・・・・・・・・・・・大丈夫、だ。確かに祐一なら出来る。・・・・・・・・・・・瑞佳ちゃん、だったな?由起子を呼んできてもらえるか?」

嬉しい事のはずだった。不治の病のみさおちゃんの病を治せると言うのだから。

みさおも浩平も瑞佳も戸惑いながら微妙な笑みを浮かべている。

でも、一方で苦痛な表情を浮かべている慎一の、大輔の顔が澪には印象的に見えていた。







その後、知らせを受けて飛んで来た由起子や医者達がみさおを囲んで、あれやこれやと言葉を交わしていた。

「・・・えっと、上月、澪さん、ですよね?」

そんな中、後ろから掛けられた声に澪が振り返ると、何時の間にか祐一が後ろに立っている。

『はいなの』

画用紙に書き書き。ようやく緊張しないで筆談を行えるようになってきていた。

「みさおちゃんの後、一緒に澪さんの治療もしようと思うんだけど・・・どうでしょうか?」

既に祐一の方にも意識する風はなく、普通に話を行うだけ。

けれどその内容に、ひくっ。と思わず息を呑んでしまう。

今から自分が話せるようになる?

そう思うだけで、何が起こっているのか分からないほどに困惑してしまう。

「とりあえず、みさおちゃんの病を治して、その後になると思うんだけど・・・」

慌ててコクコクと首を縦に動かす。

その瞬間、神様は居ると、澪は確かにそう思っていた。

何でも願いを叶えてくれる、そんな人が居るんだ、と。







そして、数時間後、みさおの病は祐一の手によって癒される。

みさおはまだ暫くは眠っているけれど、目が覚めた時には好きなように動けるだろう、と。

それを聞いた時、澪は嬉しかった。確かに、今までみたいにずっと一緒にいることは出来なくなるけれども・・・

それ以上に、みさおちゃんが外を走り回れるようになる。と言う事実が嬉しかった。

だから、彼女は公国からの三人が宿泊所として用いている部屋にお礼を言いに行った。

でも、扉を叩こうとした時・・・

『馬鹿野郎!!』

大きな怒鳴り声が聞こえてくる。

そんな声に、澪はそろりそろりと部屋の中を小さく覗く。

中では、自分の友達を治してくれた『神様』が血を吐いて蹲っていた。

「だから、無理をするなって言った。リィンカーネーションの禁術、いくらお前でも使って良い術と悪い術があるだろうによぅ・・・・」

諦めたように顔を伏せる公爵と、蹲る少年を慌てて介抱する白騎士団長。

「無理を言うな、大輔。目の前に死病にかかっている者が居て、こいつがそれを そのまま放置出来るはずがないことは・・・・・お前とて・・・・・分かっているのだろう」

「しかし、自分の命を削って相手に与える事で治癒する禁術・・・・ 幾らなんでも使っていいものではないでしょうが・・・・・」

苦しそうに祐一が体を大きく前方に折り曲げると、その口から赤い液体が床にぶちまけられる。

そんな言葉を、光景を、澪は遠い世界の出来事のように聞き、見ていた。

『命を削って』

その単語が頭の中をぐるぐると回る。

その時に、澪は自分の考えが間違っていた事を知る。

神様なんかじゃない。人間だから、血を吐く。苦しむ。

でも、それなのに、助けてくれた。初めて会った自分の友人の為に。

彼からすれば初めて会った人の為に。

そして、これから自分のことも癒そうとしてくれている。

高潔。多分、大人の言い方で表現するのならそう言うのだろう。・・・・勿論、澪にはそんな言葉は咄嗟には出てこない。

思わず部屋の中に入り込もうとする。自分でも何か出来る事があるかもしれない、と。

でも、気がついたときに自分の方を凝視していた慎一様が自分に向かって首を横に振る。

見られたくないと祐一は思っている。と視線が伝えてくる。

澪は、一度だけ目を閉じて・・・そして、開いて。静かに歩き出した。







そして、数時間後。約束の部屋に入ってくる祐一。

状態の悪さは全く表情に表れていなかった。

でも、澪はそんな祐一に予め書いておいた画用紙を差し出す。

『治療は、しなくていいの』

『このまま、話せなくても構わないの』

その2枚。

特に理由を話すことも無く。

やがて、何かを問いたげに眺めている祐一の顔がふと綻んで。

「分かりました。澪さん。」

小さく、笑った。

祐一もその時には・・・・・きっと、目の前の少女が知ってしまった事が理解出来ていた。

と、同時にもしこのまま無理やり敢行したとしたら・・・・・この少女が言葉を話すことが出来る以上に 深い心の傷を負うことも。

澪が・・・うんっ。と大きく頷く。

そして、二人でみさおを部屋へと向かっていく。

中に入るのが楽しみだった。

自分の大切な友人が自由に動き回れる。そのことの方が、自分の声が出せるとかそんなことより、ずっと嬉しかったから。







その後のことも色々あった。

自分が何も言わないうちに神話を調べた浩平とみさおが祐一の所に必死に謝りに行っていた。

祐一は、笑ってそれを返す。自分が好きでやったことです、と。

そして、みさおは澪に『自分だけが』と謝りもした。

でも、澪は『気にしないでいいの』と返した。

別に言葉が話せなくても命に関わるわけじゃないの。と。







そして、澪は由起子に対して初めて個人的な願い事を告げる。

自分のことを母親と思ってよい、と言ってくれている女王陛下に。

『士官学校に入れて欲しいの』と。

折原浩平や長森瑞佳のように将来国家の中核をなさなければいけない者は基本的にそれが義務付けられている。

が、澪はそう言った立場ではない。だから、由起子は止めた。

障害を持っている者が軍人になることは難しい、と説いた。

けれど、その全てに対して首を横に振る。

初めての願い。

大切なお友達達も守れる力が欲しい。

そして、自分の初めての、大切な友人を救ってくれた人に恩返しをしたい。

結局暫くの間はみさおと一緒の生活をして、浩平達が実際に士官学校に入るようになったらその一年後に、との約束でもって一時的に この話は立ち消えにはなってはいるのだけれど・・・・それはまた別の話。