「かったりぃ……」



 そう呟きながら純一は風見学園への通学路で程よくこんがり焼けたトースト銜えながらを歩いていた。周囲は季節外れに桜が狂い咲きしているがこれがいつもの初音島の光景だ。雪が降ろうが台風が来ようが桜は常に咲き続けている。その要因は未だに解明されていない。

 現時刻は6時半。帰宅部の純一がこんな朝早くから登校している訳はすぐ隣を歩いている妹の音夢にある。彼女曰く、『私、委員会があるから一緒に出るわよ。だって兄さんは放って置くと絶対二度寝して遅刻するんだから』だそうな。まあ以前実際に二度寝して遅刻してしまい、同じく寝惚けて遅刻した風見学園の歩く7不思議ことクラスメートの姉の木琴眠り姫と一緒に閉まってしまった校門ではなく塀をよじ登って登校した事があった。風紀委員である音夢にこっぴどく説教されたが。



「やっぱりあれは唯の夢だったのか?」



 純一は左手を開いたり閉じたりしながら音夢に聞こえない位の小さな声で呟く。夢の中で祖母に渡された剣を出そうと何度か試行錯誤してみたが一向に現れる気配は無い。



「………でね……兄さん聞いてる?」



「あ、いや、何だ?」



「もう、今日から臨時講師が来るって話」



 どうやら深く考え込んでいたらしい。そう言えば先週から産休に入った歴史担当の教師の代理がようやく決まった、という話を昨日音夢と話していたのを思い出す。



「って事は今日から自習がなくなるのか。ホントかったりぃ……」



「殆んどの授業を寝てすごしてる人の台詞じゃないわよ」



 音夢の言う事も最もだ。純一は大半の授業を寝て過ごしている。






「あそぼ」



「ん?」



 声が聞こえたような気がして純一は振り返ると、そこには黄金色の麦畑が広がっていた。



「な!」



「ねぇ、あそぼ」



 純一が唖然としていると再び声が聞こえてきた。よく見ると麦畑の中に10歳位の少女が立っていた。その頭には玩具なのか兎の耳のようなものがある。だがその少女と麦畑は唐突に消え元の桜の舞う通学路が現れる。



「…何だったんだ……今の」



「あれは嘆だ」



 突然聞こえてきた声に驚き振り返るとそこには一人の男性が居た。長身にスーツという大人の出で立ちだが顔立ちは何処か少年のような人物だ。



「あれはヒトが成長するにしたがって切り捨てていったモノがたださ迷っているだけの浮遊霊みたいなモノだ。ただそこに居るだけで特に害はないから安心して良い。だがそんなものでも消したほうが良いってクチかな? 君も」



「あ、あの…」



「現在を正当化するために過去を否定するのが人間の常だ。一概それが悪いとは言わないが何時も異形呼ばわりされてきたのは彼らの方だ。社会と言う名の歪な秩序を守るために彼らはヒトにならざるモノ、異形として大人から否定され、矯正され、封印され、そして切り捨てられてきた」



「えっと…俺、学校あるんで……」



 そう答えると純一は止まっていた間に50m程進んで行った音夢に追いつこうと駆け出す。



「だが、これは誰が何を切り捨てたんだ? 固有結界を張れるだけの力と明確な自我を持つ程にまで半ば精霊化している。既に嘆とは言えないモノだ」



 男性の視界に再び麦畑が広がる。

 固有結界。リアリティ・マーブル。

 術者の心像世界で世界を侵食し具現化させるという、精霊や一部の上級術者のみに許された限りなく魔法に近い魔術。魔術協会では禁呪・奥義等と呼ばれているが彼に言わせればそんなもの、自分の心すら理解できない愚か者の言い訳でしかない。



「ねぇ、あそぼー」



「いいよ。でもこれから仕事があるから又後ででいいか」



「うん」



 男は少女の頭を撫でてやる。少女は擽ったそうに笑顔を浮かべた。



「わたしね、まいっていうの。きみは?」



「祐一だ」



「それじゃーまたね。ゆーいちくん」



 少女と麦畑が消え桜の咲き乱れる元の空間に戻ると祐一は歩み出した。純一達が向かった方向、風見学園へ。















 竜王と少年・第1部
 第5話「学園」















   身体は和菓子で出来ている…





   血潮は砂糖で心は餡子。





   幾たびの注文を受けて栄養失調。





   ただの一度も拒否権はなく、ただの一度も遠慮されない。





   彼の者は常に独り、和菓子の丘で生地を練る。





   故に、洋菓子に意味はなく。





   その体は、きっと和菓子で出来ていた――――















「なんでさぁぁぁぁぁ!!!……………って、あれ?」



「……兄さん…」



 いきなり席を立った純一の周囲からクスクスと聞こえる笑い声と、恥ずかしそうに顔に手を当てる音夢。



「居眠りならまだしも授業妨害とはいい度胸だ」



「あ、あんたは!?」



 そして目の前には今朝、通学路で出会った人物が歴史の教科書を片手に立っていた。



「今日から臨時講師としてこのクラスの副担任と歴史の授業を担当する事になった染井優だ。ホームルームの時に一応自己紹介したが君は眠っていたのでもう一度言っておこう。短い間になると思うがよろしく頼むよ、朝倉純一君」



 そう言うとフッとクールに笑みを浮かべる。女子生徒の一部から歓声が沸く。



「学校とは学ぶための場所であり、習うための場所ではない。俺が何を言おうとも、君達がすべき事は授業を理解する事ではなく、授業から何かを学ぶ事だ。だから俺は自身から何かを学ぼうとしない生徒を擁護する気は無いし、救い出す気も無いし、自分一人だけで堕落するのなら何も言わない」










―――数時間後

 4限目終了の鐘が鳴る。



「それじゃあ、今日はここまで」



 担任教師の言葉によって訪れた昼休みにシンっとしていた教室が途端にざわめきが広がり賑やかになる。学食へ向かう者、購買へ急ぐ者、弁当を広げる者、と様々だ。

 学食へ向かって自然と波が出来る。「かったりぃ」と呟きながら歩く純一もその一人だった。かったるいのなら家で弁当と作ってくる、それもかったるければ妹に頼んで作ってもらう。という意見もあるのだろうが、純一が生まれてこの方カップラーメンしか作った事が無いし、音夢は音夢で必殺料理Z(XではなくZなのは『これ以上は無い』という意味)が完成してしまう。純一とてまだお花畑の向こうには逝きたくない。最もそんな事を言ったら隣に居る音夢がどんな報復をするのか分かったものではないが。



「にしてもあの先生、きついよな」



「そう? 授業は解りやすいし、言ってる事は正論だと思うけど」


 2人は歩きながら臨時教師である優(祐一)の事を話していた。

 確かに聞き方によっては劣等生を切り捨てる、と取られかねない発言だが彼の授業は普通に受けていれば十分着いていけるものであり、その内容や説明も解りやすいと初日から評判だ。既に一部の不真面目な生徒以外から認められている。



「朝倉君! 音夢ー!」



 透き通る様な声に振り返るとそこには駆け寄ってくる純一達のクラス担任の妹で隣のクラスの少女、白河ことり。学園のアイドル、高嶺の花と言われているが、実際に話してみると気さくで人当たりの良い普通の女の子だ。



「2人も学食ですか?」



「って事はことりも?」



「そうなんですよ。一緒に行きま………」



 そこまで言うとことりは呆然と立ち尽くしてしまった。まるで幽霊でも見てしまったかの様な目で前を見ている。不思議に思った2人がその方向を見ると優(祐一)が歩いてきた。授業が終わって直ぐなのか教科書とノートと資料集を小脇に抱えている。そのまま3人の脇を通り過ぎて職員棟へ向かって行く。ことりの視線は優の後姿が見えなくなるまで向いていた。



「ことり、染井先生がどうかしたの」



「染井、先生? あの人うちの学校の先生だったけ?」



「ああ、ことりが知らないのも無理ないよね。今日から臨時講師で赴任してきた歴史担当の染井優先生。多分ことりのクラスも受け持つと思うけれど」



「そうだったんっすか」



 ことりが多少狼狽しながら音夢に問い直す。音夢と純一はことりが学校内で知らない人を見て驚いたのだと結論に辿り着いた。

 音夢の説明に納得したようにことりは笑顔を浮かべると「さ、早く学食へ行こう」と2人を促してからもう一度振り返る。



「あの人、間違いない。でも…どうして、あの人の心は読めなかったの?」



 かすれるような小さい呟きは喧騒に掻き消され誰の耳にも届かなかった。

 臨時講師染井優はことりの異能である読心能力で思考を読む事ができなかった。集中してもチューニングの合っていないラジオの様なノイズしか聞こえてこないのだ。

 だがことりは不安以上に心の何処かで安心感を得ている事に気付くのはしばらくたってからだった。










―――屋上



 祐一は教員棟の階段を登って行く。

 食堂から離れている為か生徒は殆んど見かけない。



「よぉ、待ったか?」



「3分ぐらいよ。兄さん」



 階段の踊り場で燐が待っていた。その手には大きめの紙袋を持っている。こうして見ると2人とも学園に溶け込んでいる普通の教師と生徒の兄妹だ。

 もっとも、祐一は懐の中に普段愛用している回転式散弾拳銃『トライデント』を隠し持ちポケットには各種薬品を常備し、義手の中には燈子曰く「趣味に走った酔狂な玩具」を仕込んでいる。燐は各種催涙スプレーに違法改造して象すら感電させるスタン・バー、ワイヤーを伝って高圧電流を流す二射式の使い捨て電気銃を二丁に靴の下には投げナイフ。と、見えない部分に普通の教師や女子生徒とは思えない重装備をしているが。



「屋上で話そう」



 階段を登りきり、出入り口を開けた途端、仄かに漂ってくる出汁の香り。2人の目は点になった。

 秋空の屋上のド真ん中で鍋を突付く女生徒2人。その片方は付属の制服を、もう片方は本校の制服を着ている。



「………何しててるんだ? お前ら」



「え、どちら様ですか?」



 硬直から立ち直った祐一の言葉に本校の生徒が反応する。



「あ、染井先生」



「眞子ちゃん知ってるの?」



「うん、今日来た臨時講師の人」



 その片方、付属の制服を来た女生徒に見覚えがあった。祐一が受け持つ事となった生徒の一人である水越眞子だった。



「あら、水越さん?」



「あ、燐さん、こんにちわ〜」



「ええ、こんにちは」



「燐、知り合いか?」



 眞子の姉らしき本校の生徒と挨拶しあう燐に祐一は小突いて聞く。



「同じクラスのコよ」



「そうか、燐の兄の染井優だ。よろしく」



「そうなのですか、私は水越萌といいます」



 軽く握手すると眞子が納得したように頷く。



「そっか、先生の妹さんなんだ」



「よろしければ一緒に鍋はどうですか?」



 萌の申し入れを弁当があるから、と丁重に断ると近くに陣取って受け取った弁当を広げる。



(よろしいのですか? ご主人様)



 燐がラインを流用した念話という術で問いかけてくる。他人に聞かれないからか普段の言葉遣いに戻っている。



(別に構わん。こうして話せるんだ。それに水越萌は報告にあった護衛対象の一人だ)



(分かりました。それと学園内には怪しい点と人物は見つかりませんでした。まだ調べる事もありますが安心してよいと思います)



(そうか)



 そこで切り上げると祐一は鶏の唐揚げを口に放り込む。



「また腕を上げたんじゃないか」



 主の言葉に燐は本当に嬉しそうに微笑んだ。










―――夜、朝倉家



「さあ、沢山ありますからね。今夜は自信作なんですよ」



 そう言って満面の笑みを浮かべる音夢。他の人からみれば天使の微笑みと称賛されても可笑しくない笑顔が純一には死刑宣告を告げる悪魔のように思えた。

 目の前にズラリと並ぶ料理の数々。見た目は良し、湯気と共に上る食欲を誘う良い匂い。だがそれを一口でも口に入れればそれは途端に地獄のハーモニーを奏であろう事が容易く予想できる。



「食べてくれないんですか?」



 涙目で訴えてくる音夢。ここで下手に返事をしたら以前のようにお仕置きされてしまう。

 覚悟を決めて一口。



 …………………………

 …………………

 …………

 …



 音夢曰く自信作。確かに自信作だけな事はある。

 純一の意識は遠のいていった。

 そして夢の中でセカイさんとやらに契約を持ちかけられた。シュゴシャとかになる代わりに願いを叶えてくれると言う。純一は2つ返事で了承した。この程度でマシになれば安いものだ、と。





――― 契約しよう、我が死後を預ける。





――― だから、音夢の料理の腕前をなんとかしてください。





【あ、それ無理。それ以外の願い事は無い?】





――― それじゃないと……駄目なんだ………




【そっかぁ、それじゃあ今回の契約は無かったって事で……】





 結局、セカイさんとやらでもシューセーリョクとかやらのせいで音夢の料理はどうにもならないらしい。なんでさ?

 取り合えず音夢に一言。



――― 理想に溺れて溺死しろ、この必殺料理人。















「ハハハ、ここが魔法の遺跡か!」



 一人の老人といっても過言でない、中年の外人男性が深夜の桜公園で奇声を上げた。前髪は禿げ、明らかに運動不足としか言えない太った体、健全な精神が宿っているとは思えない濁った目。だが唯一、口髭だけは丁寧に整えられ申し訳程度にシャキッとした印象を与えている。

 男の名はフランツという。その肩書きは魔術協会に属する元助教授。そう“元”だ。

 フランツは常日頃、実績よりも家柄を優先すべきだと堂々と主張していた。

 しかし、それが聞き入られる事は無かった。魔術師は基本的に能力重視の超現実派集団だ。確かに魔術には代々受け継ぐ『家系』があるが、それよりも個人の実力や実績が評価される。魔術師達にとって最終的な目的は『根源の渦』の先にある『真理の門』(もしくはアカシック・レコードとも言う)へたどり着く事だ。その為に必要な能力がある者を過去や血筋を理由に否定するのは現実的ではない。

 フランツの考え方は協会の考え方と矛盾している。だが彼に言わせれば「目的を達成する為の理論は理屈に関係なく正しく、それ以外の理論は全て間違っている」のだ。

 フランツの年齢は60歳近く、協会の研究者の中でも極一部を除き、珍しい高齢だ。彼は年齢の点からも自分こそ支配者となるに相応しい存在だと自負していた。

 だがこれは彼だけに当てはまるものではない。魔術師は中世から近代に至るまでその神秘を使って時の権力者に取り入り、支配階級となった家系が多く存在する。その中には自分こそ『選ばれた人間』だと考える者がいた。

 しかし、現実の彼はこれまで支配者どころか協会内での中心的な仕事や重要な役職に付いていなかった。

 3年前のとある事件より古い体制は滅び去り、現代の協会は倫敦の『時計塔』と亜米利加の『ミスカトニック大学隠秘学部』の世界を代表する二大魔術学院から代表の議員を6人ずつ、計12人の議員による最高議会によって運営されている。なお、現議員の中には『最古』の芳乃祐姫、『宝石』のゼルレッチ、『破壊』の蒼崎青子といった魔法使いも就任している。



「クソッ、忌々しい小娘が! 偉大なる家柄を軽んじおって」



 議員達の中でも彼が最も目の敵とするのが若干17歳の議員であるルヴィアゼリッタ=エーデルフェルトだ。

 自分よりも遥かに新しい家系の、それも自分の半分すら生きていない小娘如きが議員となっているだけでも腹立たしいのに、その小娘が自分の地位を剥奪したのだから忌々しい事この上ない。

 ちなみに一つ訂正しておくがエーデルフェルト家はどちらかと言えば古い家系だ。そして現当主のルヴィアゼリッタことルヴィアは大師父『宝石』のゼルレッチの最有力後継者候補と目されている。そんな彼女が議員に選出されても何ら不思議ではない。魔術師にとって年齢はほとんど関係ないのだから。



「なんとか、なんとかならんのかぁ!!!」



 フランツの理不尽な魂の叫びは何故かしっかりと天に届いていたりする。

 とある一人の情報屋から買った情報、それは『最古』の芳乃祐姫の魔法の隠し場所だ。

 フランツはその情報に飛び乗った。魔法を手に入れ自分の物とすれば最高議会どころか協会の支配すら夢ではない、と。

 情報屋に希望以上の報酬を払い、すぐさまコネを使い日本行きのチケットを手に入れて飛行機に乗った。

 フランツは運が良かった。彼の乗る飛行機が発ったと同時に、時計塔で他に魔法の入手を企む一派が逮捕されたのだ。だが彼の幸運もそこまでだった。何故なら魔法は3年前に一度、時計塔と聖堂教会を消し飛ばした男が守っているのだから。

 目的地へたどり着くまでフランツはちょっとした妄想を楽しんでいた。自分が協会の支配者となり、ゆくゆくは全世界の支配者となる光景を。それによく思い出してみれば気に食わないルヴィアは誰もが振り返る程に気品に溢れた美少女だ、未来の支配者の身分を剥奪し侮辱した罪として自分の女とし、好みに調教するのも悪くない。

 ニヤニヤと周囲の目を気にせず、品が無いというより不気味さすら感じさせる笑みを浮かべているフランツの付近には既に人はいなかった。

 そして現在、桜公園へいたる。

 フランツが奇声を上げながら公園の中心へ走っていくとそこに黒い影が佇んでいた。否、全身を黒衣で身を包み、顔半分を覆うような大きいサングラスをかけた男だった。



「敵!?」



 フランツは直ぐに反応すると迷わず魔力の塊を放った。明確に敵と決まった訳ではないが今は自分の命の方が大切だ。

 魔術を使うのではなく魔力を弾丸をして打ち出したのだ。魔術の様な高い効果は望めないが即時使えるというメリットがある。そして人間を1人倒すくらいならこの程度の初歩技術で十分だ。



「勝った!」



 フランツはそう確信した。目の前の男は鎧も盾も装備していない。

 だが男は風の様な素早く流れる動作で後ろ腰から武器を引き抜く。刃渡り10cm余りのコンバットナイフだった。そのコンバットナイフの刀身が魔力弾と接触すると、魔力弾は拡散して消えた。



「対魔術コーティングした剣か!?」



 そのナイフに使われていた技術をフランツは知っていた。

 対魔術コーティングは中世末期に開発された技術だ。その名の通り魔術の無効化・拡散を目的とした付加能力で、現代では使い古された技術だった。

 しかし、それは盾や鎧といった防具に付加するのがセオリーとされており、普通は刀剣に使用しない。何故なら刀剣で魔術を受けるのは極めて難しく、また盾を用意すれば必要ないからだ。



「お前に二つの選択肢を与えよう。己の身を案じ今すぐ去るのであれば見逃そう。だが、ここに残って戦おうと言うのなら……」



―――な、何なのだ? この異様な魔力は…



 フランツとて半世紀以上魔術に触れてきた者、目の前の男の異常さに本能的に気付いていた。こいつは人間の限界を超えている、こいつにだけは勝てない、と。



「お前は愚かな選択をした事となる」



「馬鹿を、言うな!!」



 フランツは虚勢を張り魔力弾を連射する。質より量の作戦だ。超越種でも無い限りこれを耐え凌ぐのは難しいだろう。

 だが男は一歩も動かずサングラスを外しただけ。フランツは今度こそ勝利を確信した、が。



「『我ガ敵ヲ必滅セヨ』」



 男の言葉と同時に右の瞳がより深い真紅へと変わる。



「帰命普遍金剛諸不動明王(ナウマクサマンダバサラダンカン) カーン」



 魔力弾が全て消えた。男の周りにあるのは焔のみ。



「『カーン』は不動明王の意味…俺に宿っている力だ。この迦楼羅焔は全てを清め、悪意の篭った力は一切通用しない」



 男は一歩踏み出し、ナイフを逆手に構える。



「そしてお前は己の行った選択を後悔する」



 男が消える。次の瞬間、フランツの意識は首元に熱を感じると同時に無へと返った。










 超近距離の接近戦、それが祐一の戦い方だ。

 祐一は背中越しに突き立てたナイフを引き抜いた。頬に跳ねた返り血を拭う。

 死体は炎で燃やして処理した。3000度を超える熱量は灰すら残さず燃やし尽くした。

 今さっき倒した男にも帰れる場所が、家族が居たのかも知れない。だが祐一はそれを考えないようにしている。自分の様なフリーの退魔師は信念や思惑や正義感等では無く仕事、ビジネスとして戦うのだ。そしてこんな仕事の限り、今後もこのような衝突は避けられないだろう。










―――同時刻、初音島某所



「何で、何でこんな極東のちっぽけな島国に『血と契約の支配者』が……」



「とどめにゃ! 真祖ビィィィィィムゥ!!」



 若い神父は最後まで言い切ることなく絶命した。目からビームを出して止めを刺した全長1mに満たない猫らしき物体は「アルクジェット発射ァ」と叫びながらスカートからロケットの噴射炎らしきものを出して夜空へと飛んでいく。

 その傍らに居たのはロングの黒髪に、白い肌を際立たせるような赤い瞳と真紅のルージュ、抜群のスタイルを強調するような闇色のイブニングドレス、それは絶世の美女と呼ばれてもおかしくは無い容姿だった。ただ、服に付いた返り血と、鉤爪の如く鋭く伸びた爪から滴り落ちる鮮血が減点か。

 彼女の周囲には獣に噛み千切られた跡の様な死体が散乱している。さながら猟奇殺人の現場だ。だが、それが何故か絵になっている。



「…何も姫様の手を煩わせずとも」



「いいのよリィゾ。私が勝手にやったんだから」



「にゃにゃ、あちきのことを忘れるにゃ!」



 漆黒の鎧を纏った騎士が姫と呼んだ美女の前に方膝をつき頭を下げる。その光景は本物の姫君と騎士のようだ。その空間だけ中世にタイムスリップしてしまったような印象を受ける。不意にいきなり表れた猫らしき物体がその風景を台無しにしているが。

 不意に、美女はまるでビデオを巻き戻している様に成長が戻っていく。14歳ぐらいになった美女もとい美少女。ドレスも身体と外見にあったフリルの付いたロスロリに変わっている。



「おねーちゃん」



「だいじょーぶ?」



 少し離れた場所に居た巨大な犬の背にしがみ付いていた3歳位の2人の子供が心配そうに尋ねる。双子なのか男女の差はあれど髪の色や顔立ちがよく似ている。



「ええ、大丈夫よ。心配してくれてありがとう。ショーイチ、セイカ」



 少女は2人を抱きしめるように頭を撫でる。すると2人はくすぐったそうに眼を閉じる。



「しかしフィナの奴、三ヶ月も何処へ行ったのだ…」



「さぁ、いつも通り何処ぞで遊んでいるのでしょう。それにしてもユーイチも厄介ごとに巻き込まれてるようね。ワラキアを焚き付けに来たついでに会いに来てみたんだけれど、これはこれで大変そうね」



「……力をお貸しするので?」



「さぁ? 必要そうなら貸すわ。だってあの子は私のお気に入りですもの。とりあえず会いに行きましょう」



「…御意」





 つづく