「久しぶりだね、純一」



「……婆ちゃん? 死んだはずじゃあ………」



 純一は暗闇の中で数年前に葬儀をあげた祖母と対面していた。上下の感覚のない、無重力のような浮遊感。これは夢だ。



「そうか、夢なのか。じゃなきゃ婆ちゃんがこんなに若いわけないよな」



 祖母…芳乃祐姫は享年87歳だったはずだ。少なくとも目の前にいる20代半ばの従姉弟似の美女に面影はあるものの逆に違和感がありすぎる。



「失礼だね、あたしゃ実際には死んでないし今でもこの姿だよ。まあ、普段は2時間以上かけたハリウッド並みのメイクをしていたから分からないかもね」



 くっくっくっと祐姫が悪戯が成功した悪ガキの様に笑う。こんな妙に子供っぽい所は変わらない。



「さて、本題に入るよ」



 先ほどまでとは打って変わって真面目な顔――純一は知らないが魔法使いの顔――になる。



「今、現在進行形だが初音島に危機が迫っている」



「危機?」



「そう、初音島に、そして島の住民全てに迫る危機。決して避ける事の出来ない戦いになるだろう。そこでお前が選べる道は一人で島から逃げるか、素直に捕まって殺されるか実験動物にされるか、それとも敵に立ち向かい戦うか、この3つだけだ」



 突き出した3本の指を折り曲げながら順に告げていく。



「どうする? 悩んでいる時間は無いよ」



「俺は……俺は戦う! 俺は親父と約束したんだ、音夢を守るって…だから……戦う!!」



「どうやって? 相手は落ちぶれてもあんたからすれば犬と狼の喧嘩だ、むざむざ殺されるのがオチだよ」



 真剣に答える純一に対し冷ややかに正論を告げる祐姫。

 それも当然だ。敵勢力の中で最も弱いとされるのが退魔組織『神音』であるがそれは他勢力である魔術協会や埋葬機関と比較してだ。一般人と比較すればその戦闘力は小学生とプロレスラー程に差がある。



「だから、命に換えても…「馬鹿タレい!」イテッ」



 行き成り脳天に手刀が炸裂し純一は転がりながら悶え苦しむ。



「何が命に換えてだ!? それは一人前の男が言う台詞だよ!! それに例え命に換えて音夢ちゃんを守ってもその後はどうする? あんたにまで逝かれちゃあの子は絶望の中で生きていくしかないんだよ。あんたも男なら守って自分も生き延びてハッピーエンドを迎える位言いな!!」



「どうしろって言うんだよ……」



 未だ痛みが残っているのか涙目で手刀が炸裂した額を摩りながら訴える。



「喧嘩だってあんまりしたことの無い俺に何が出来るって言うんだよ!!」



「………力が欲しいか? 欲しいのなら力を、そしてそれを正しく振るう術を教えよう…だがそれは同時に修羅の道だ、それでも……力が欲しいか?」



「決まってるだろ、答えはYESだ」



「………いいだろう、受け取れ」



「うわっ!?」



 祐姫が投げた光の棒が純一の左手に突き刺さる。驚く純一に対し「引き抜きな」と言う。純一が棒を引き抜くとそれは一振りの剣となった。刀身は処女雪の如く白く、刃はほんのりと桜の花弁を連想せる色をしている。



「霊剣・雪桜花…霊峰富士で採掘された希少金属を鍛え神力水で清めた剣だ。それなら十分だろう」



 そう言うと祐姫も同様に左手から剣を引き抜く。それは雪桜花と同じ形をしていたが色が違った。雪桜花の刃が暖色だとすればそれは冷色。万物を、魂すら凍て付く氷の刃。



「後は戦う術を教えてやる……こいつはあたしの愛刀にして雪桜花と対を成す姉妹刀、霊剣・雪月花。こいつで峰打ちだが技を一通り打ち込んでやる」



「ちょ、婆ちゃん!?」



「文句は受け付けん。時間が無いんだよ、手取り足取り教えたら役に立たない。100回の訓練より一度の実戦だ。手加減はしてやるがこの技を自分のものに出来るかどうかはあんたしだいだ………行くよ!」




「かったるぅ…でもやるしかないか……」



 純一は両手持ちで雪桜花を正面に構えた。















 竜王と少年・第1部
 第4話「間奏曲T」















「さて、次で最後だ」



「……駄目だ、もう、かったりぃ………死ぬ……」



 満身創痍の純一の悲痛な訴えをあえて無視して祐姫は続ける。



「最後の技、それはこの流派の奥義と呼ぶべき技だ。こいつは使い方次第では一撃で天を裂き地を砕き海を割る程の力を秘めている」



「………」



「だがその技は長い歴史の中でも2人しか習得した者は居ない。何故ならこの技は身体中全ての氣、つまりは生態エネルギーを収束圧縮し燃焼させ瞬間的に爆発的な力を生み出す技だからだ。だからあたしももう1人の使い手も一日に3回までしか使えん、それを今ここで使う。それを見て何かを得られるのであればそれでよし、出来なくともそれは恥ではない」



 祐姫は雪月花を構え直すと一瞬瞳を閉じ集中する。



「無天真刀流奥義…『神衣(カムイ)』!!!」



 開眼と共に巨大な爆発が起こり祐姫の身体を黄金色の光が覆っていく。

 神の衣を纏ったかの如き祐姫の右手にある雪月花に光が集い巨大な光の剣となった。その光が闇を切り裂いていく。

 だがそのとたん暗闇に覆われた空間が消え、何も無い真っ白な部屋へと変わる。純一の夢が終わったのだ。










 祐姫は椅子に座った状態で眼を覚ます。純一が夢から覚めると同時に干渉していた意識が強制的に弾き出されたからだ。

 今彼女が座っているのは航空旅客機のファーストクラスの座席。伸びをする。椅子もよいクッションが使われていて座り心地もよい。スチュワーデス――最近ではフライトアテンダントと言うらしい――を呼びコーヒーを注文すると窓ごしに雲一つ無い蒼穹の空を眺めながら物思いに耽った。



『あれは本当に正しい選択だったのか?』



 それが何度目の問いになるのか分からない。

 彼女は現存する最古の魔法使い、芳乃祐姫。20代後半の外見をしているが歳はゆうに暦上約1000歳。詳しい年齢は500歳までしか数えていない。

 彼女が最後の弟子とした少年と出会ったのは今から丁度10年前であった。

 彼女の血と力を最も濃く受け継いだ証である『真紅の眼』。神の悪戯か、遺伝子の神秘かは分からないが彼女の分身たちには一向に現れず、子孫のみに発現した。

 中でも『真紅の眼』を多く排出していたのが退魔業を生業とする相沢家でありその家では代々『真紅の眼』を持った者が当主となるしきたりだった。

 しかしその『真紅の眼』を持つ者が彼女以外に没してから早100年。彼女も諦め掛け、既に伝承からも消え去った時に彼は生まれた。

 それを風の便りで知ったが同時に後継者である『真紅の眼』を持つ子が呪われた子として扱われている事を知り真実を確かめるために相沢家に乗り込んだ。

 それはもう酷かった。相沢家はかつての最盛期の10分の1程の力すら持たず、選民思想と権力主義の塊となってしまっていた。人を脅かす魔を狩るという使命感はほとんど無く、極一部であるが退魔の術を要人暗殺や金品略奪等に悪用するまでになっていた。

 また少年の事についても調べていた。彼は相沢家宗家の家系であるが妾の子であった。力は無いが宗家の中でも人一倍権力欲の塊でありアンダーグラウンドのテクニック(買収、脅迫の類)を駆使し当主となった彼の父は自分が権力を失うのを恐れ妾を一族郎党共々皆殺しにし、少年を呪われた子として幽閉した。なお彼には退魔の名門水瀬家との間に娘を儲けており、ゆくゆくは彼女を当主とし引退後も自分が政権を握りたいらしい。

 『真紅の眼』を持つ少年は着る物も殆ど無く鎖に繋がれ切り落とされた右腕と抉られた左眼の応急手当すらまともに施されず地下牢に入れられていた。

 しかし彼女は見入ってしまった、意思の強い少年の真紅の右眼に。

 そして純一の時と同様に問いかけた「生きたいか? 生きたいならば術と刀の使い方を教えてやるよ。しかしそれは同時に血縁を敵に回す修羅の道だ。それでも生きたいか」と。少年は力強く頷いた。



「最初に名をやろう………祐一、そう、お前の名は祐一だよ」



 祐の字。それは正統な後継者のみに付ける事を許したある種の称号、最も新しき後継者が誕生した瞬間だった。

 それから数年間、彼女は祐一に魔術刻印を与え剣と術を教えながら世界中を旅し始める。望んだ力を与えながら、力に飲み込まれないよう優しさを失わないよう教え続けてきた。

 無天八門、それが彼女が祐一に伝授した武術の総称だ。中でも退魔を目的とし今まで奥義を習得した者は創始者である彼女しかいない無天真刀流の奥義すら完全に習得した。

 旅の途中、彼女の知り合いである宝石の翁や青い破壊神や黒姫御一行と出会い気に入られ祐一は次々に魔術を習得していく。祐一は炎に特化した魔術師――日本風に言えば炎術師――だが魔術刻印のサポート次第では魔法クラスの術ですら難なく使いこなせた。

 そして何より宝石魔術師の中で一大革命を起こした呪符術を完成させたのも祐一だ。

 宝石魔術とは名が表す通り宝石に魔力を貯蓄するものでありワンアクションで高位魔術を使用できるが代償として最低でも何十万円とする高価な宝石が一瞬で塵となるデメリットがある。つまりそれなりの資産が無ければ出来ない魔術だ。

 それを祐一は日本古来の魔術である陰陽術の符術――札に術式を書き込んだ補助アイテム――を参考にし魔力を札に貯蓄するというまったく新しい方法を編み出した。宝石の結晶は元々ピラミッド型という魔力を貯蓄しやすい構造をしている。それを応用し同じ効果を持たせた物が呪符術と言う訳だ。最も貯蓄できる魔力量は宝石のそれと比べれば量が少ないが安価で大量に作れるというメリットが大きい。

 宝石魔術の家系であり祐一と個人的な交流のあったエーデルフェルト家は一早くその技術を取り入れ、他の家系もその存在を知り、一部を除きこぞって宝石以外に魔力を貯蓄する方法の研究を始めている。

 余談であるがH市在住の宝石魔術の家系のT家の家計は火の車であり食費や光熱費等をできるだけ削り魔術協会からの投資金で慎ましく生活を送り倹約した金は全て宝石に注ぎ込んでいるらしい。



―――閑話休題

 旅の終着点である初音島、祐一が始めて引き取り先の家族以外の一般人と触れ合い心を形成した地での事件。

 今になってよく考える、あの事件は自分がしっかりしていれば防げたのではないか? と。魔法を巡り自分の工房(テリトリー)内で起きた事件は多くの者を傷付けた。純一の、音夢の、ことりの、萌の、関わっていた一般人の記憶を全て封じた。しかし彼らは覚えていないのではなく『思い出せない』だけ、何時か封印が解けてしまうかもしれない。

 豪雨が包み雷の落ちる桜公園の中で左手と握った短刀を鮮血で染めはだけた顔の包帯を正さずただ立っている祐一。その傍らで泣きじゃくる子供達と、周囲に散乱する数人の人間『だった』モノの変わり果てた肉片。当時10歳だった祐一は正当防衛とは言え初めて人を殺した。

 その光景は今でも罪の証として彼女の脳裏に焼き付いている。



 旅客機の高度が下がった。人間の眼ではまだ見る事ができない地表を彼女は並外れた眼力で見詰める。其処こそが自分の戦場。

 彼女の視線先には倫敦の大英博物館があった。










―――初音島



「まさかこの歳でこんな事をするとは思わなかった…」



「あら、お似合いですよ。ご主人様、いいえ、兄さん」



 風見学園本校の制服を着た燐がコロコロと笑うように答える。



「今まで何度か高校生として潜入した事はあったが……」



 対する祐一は普段愛用している義手の代わりにカモフラージュ用の義手を付けサングラスはせず右目はカラーコンタクトで隠し、紺色のスーツを着ている。イチキュッパ(19800円)と格安セールで買ったスーツだが祐一が着るとシャキッとし、見る者にやり手のエリート営業マンを思わせる。



「教師として潜入するのは初めてだ…」



「ですが兄さんでしたら20歳でも通用しますよ?」



 確かに祐一はその長身と持ち前の空気で実年齢より年上に見られがちだ。

 そのため仕事用に年齢を偽った偽造戸籍や偽造免許書等を幾つか所有していた。ちなみに用意してくれたのは某封印指定の人形師の工房で働いている眼鏡な黒尽くめだ。

 今回祐一は染井優という偽名で風見学園付属校の臨時教師として、燐は優(祐一)の妹として風見学園本校に潜入する事となった。



「…マスター。どうして初音島は異能者が多いの?」



「初音島が風音市と同じ特異点だからだ。もっとも初音島は人工的に作り出されたモノだがな」



 風音市で神と呼ばれた存在と現存する人類最古の魔法使いが作り出した同等の特異点…つまり異能者が生まれやすいのだ。



「協会は研究対象…体の良いモルモットの確保、神音はアルクェイド様に戦闘不能にされた戦力の補充でしょう、おそら教会は……」



「キリスト教にとって奇跡は神かその代行者のみに許されたモノ……魔術や超能力も傍目から見れば奇跡の類だ。だから奴らはそれを頑として認めず、それを使用する者を人間ではないと主張して抹殺しようとする」



 燐の推測に祐一が付け加える。

 それが埋葬機関が暗殺集団と呼ばれる由縁だ。

 彼らにとっては魔物だけだはなく異端も敵なのだ。

 中世の魔女狩りや十字軍遠征、大航海時代の大陸占領と原住民の大量虐殺。最近では大国を使いテロや大量破壊兵器疑惑を大義名分とし中東に戦争を吹っかける始末。



「奴ら流に言えば『異端は人に非ず』という所か。言葉で聖戦と称し相手を一方的に異端と決めつけ虐殺する奴らの好きそうな言葉だ」



「兄さん、皮肉っている時間はもう余り残っていませんよ」



「ああ、そうだな。じゃあ零、行って来るぞ。見回りのほうは頼む」



「イエス、マスター。対応レベルは?」



「……まかせる、必要があれば殺しても構わない。ただし人払いの結界は張って、な」





 つづく