朝倉純一には二つの異能力がある。

 一つは『和菓子を作り出す』能力。しかし100kcalの和菓子を作るには100kcal消費するというあまり意味の無い能力だ。

 もう一つは『他人の夢を見る』能力。もっとも自発的に見れる訳ではなく『偶然見えてしまう』程度であり、純一にとっては安眠妨害以外何でもない迷惑な能力である。










―――夢、それは都合のいいモノ。そして、記憶の再生………



 セピア色の風景がだんだんと色付いていく。

 満開の桜の花びらが散乱し、地面を覆うように降り積もっている。



(これは…桜公園?)



 その景色を純一はよく知っていた。家の近く、初音島の中央に位置する枯れない桜が咲いている桜公園だ。

 公園の桜の木の下で7〜8歳位の幼女が泣いている。幼女のそばに歩み寄った同じ歳と思われる少年が2、3話しかける。

 幼女は不安そうな表情を浮かべる。それと言うのも少年は隻腕で左眼に眼帯を巻き残っている左腕には所々生々しい傷が見えるのできっと幼女の目には怖く映ったのだろう。

 少年はすっと饅頭を差し出した。幼女は饅頭と少年の顔を見比べ、少年は不器用な笑みを浮かべ「あげる」と言う。

 幼女は涙を拭き、饅頭を手に取り頬張る。口元に付いた餡子と頬の涙の跡を少年はハンカチで拭ってやると優しく問いかけた。



「如何して、君は泣いているの?」



「……分からないの…」



 少年の問いに幼女はおどおどしながら答える。



「わ、私分からないの…パパも、ママも、お、お姉ちゃんの気持ちも……だ、誰の気持ちも…分からないの……パパも、ママも…お姉ちゃんも…初めて会った人だから……」



「分からなければ聞けばいい」



「わ、分からないの…私…」



「そう…でも、分からないからって何もせずにただ泣くのは逃げているだけで何の解決にもならない。自分から聞かなければ他人の気持ちなんて一生分からないままなのだから」



「だって……だって、分からないよ……本当に」



「勇気を出して自分から聞いてみるといい。あなたの気持ちを教えて、と。 それでも分からなければ心の底から分かりたいと願えばいい」



 泣きじゃくる幼女をあやす様に少年は髪を撫でる。

 そして少しずつ風景が闇に包まれていき、漆黒の空間に純一の意識だけが残された。夢が終わったのだ。

 純一はふと考えた。さっきの夢は誰の夢だったのか?

 初音島に住む人間の夢であろうが誰なのか分からない。幼女は兎も角、少年は一度見れば忘れるのに苦労するほど印象的だ。初音島に住んでいるのであれば見かけるはず。それほど大きい島ではないのだから。

 そういえば幼い頃に魔法使いを自称する祖母がさくら以外にもう一人少年を連れていたような気がしたがよく思い出せない。



「かったりぃ…夢なんて関係ないか」



 何時もの口癖で思考を中断すると純一の意識はまどろみの中に沈んでいった。

 次に眼を開ける時には何時も道理に妹の声で起こされながらだと思いながら………















 竜王と少年・第1部
 第3話「桜の工房」















「……んっ…朝、か…」



 日が昇って間もなくの時間、祐一は少し気だるそうに欠伸を一つすると布団から起き上がった。



「…何故裸?」



 祐一の身体には何一つ身に付けていない。

 周囲を見回すと同じ布団には彼の使い魔である燐といい勝負になるほどのグラマラスな肢体を惜しげもなく曝け出し安らかな寝顔を浮かべて眠る義姉の真琴がおり、付近には2人の寝室着が散乱していた。



「そうか、昨晩は真琴姉さんとの情事の後そのまま眠ったのだったな」



 祐一は真琴を起こさないように立ち上がると普段の着流しではなく仕事用の戦闘服に着替える。

 祐一の戦闘服は上下セットのライダースーツ風で動きやすいデザインに黒を中心に所々赤や黄色でラインが引かれている。特に防具と見えるものは付いていない。この上に外套を羽織るのが正式な戦闘服である。



「真琴姉さん、この約束だけは守れる。俺は生きて帰ってくる、必ずな…」



 毛布をかけ直し真琴の髪を左手で撫でながら聞かれない言葉を伝える。



「じゃあ行ってくるよ。姉さん」



 最後にそう告げると祐一は部屋から出て行った。










「お早うございます、ご主人様」



 居間に居たのは珍しくワイシャツにパンツルックス姿の燐だ。最も『私、ご機嫌斜めです』と言いたげな表情をしている。



「ああ、お早う、燐」



「昨夜は随分お盛んだったようですね」



「…聞いていたのか」



「聞きたくなくても聞こえてしまいます。まあ、私にも、その…ちゃ、ちゃんと魔力を供給してくれればそれで良いのですが」



「……接吻でいいな?」



「はい♪」



 頬を染め嬉しそうに微笑む燐の唇に祐一は自分の唇を重ねる。するとどちらともなく舌を絡ませあいディープキスになる。

 互いの唾液が交換され、簡易のレイラインが形成され祐一から燐に魔力が流れ始める。

 約1分間後唇を離す、2人の唇から引いた唾液の糸が途切れ簡易のレイラインは消滅する。



「ぷはっ…ご馳走様でした、ご主人様♪ 最も私としては直接体内に精を注いで欲しかったのですが」



「こんな朝早くから居間でそんな事できるわけないだろ」



 ディープキスの余韻なのか燐は恍惚した表情をし祐一の胸板に手を添えて見つめる。

 使い魔の魔力供給には大きく分けて2通りある。

 1つは正式な契約を結び直接レイラインを作り出す方法。

 もう1つは接吻や性交においての体液交換により一時的なレイラインを形成する方法だ。

 先ほど祐一が行った魔力供給は後者だ。これは仮契約、もしくは通常のレイラインでは不足した魔力を補うための物だ。ちなみに前者は常に一定量の魔力を供給する物である。



「ところでその格好、今回付いて来る片方は燐か」



「はい、それと零ちゃんも一緒です」



 玄関へ繋がる廊下を歩きながら話す。零とは祐一の使い魔の一人だ。

 ホムンクルスの零。それが彼女の名だ。前史文明が造った人造生物であり、数年前に仕事中偶然見つけた祐一により蘇生された魔術型ホムンクルスだ。魔術型ホムンクルスの唯一の欠点である短命である点も処置により解明され、外見年齢12歳程度であり表情は乏しいが使い魔屈指の魔力の持ち主である。

 神社の階段を降りた所に止めてある鮮やかなブルーを基調とした大型オートバイ―――祐一の愛車であるカラサワ社製のGBX−R1200を改造した「ブルーライトニング・カスタム」。ちなみに改造にはカウルの対魔術コーティングや全体の強化等の魔術的な技術も含まれている―――のサイドカーに零がちょこんと座り『れいせんよう』と書かれた子供用ヘルメットを被り手にはリュックサックを持っている。

 祐一が振り返ると何時の間にか後ろに3人の女性がいた。



「紫音、リーベル、亜理子。留守中を頼むぞ」



 長い黒髪に和服の落ち着いた雰囲気の女性、ウェーブのかかった金髪にヘアバンドをした女性、茶色の髪をショートにしたボーイッシュな少女がそれぞれ頷く。

 それを見た祐一はフルフェイスのヘルメットを被るとオートバイに跨り後部座席に同じヘルメットを被った燐が乗り祐一の腰にしがみ付き豊かな胸が潰れる。

 それを確認するとキーを回しエンジンをかけるとアクセルを回しギアを入れ走り出した。










―――数時間後、初音島



『この島に来るのも久方振りじゃの』



「ああ。だがこの感覚、違和感…今なら分かる。島全体が工房になっているのか」



 倶利伽羅と祐一が誰に聞こえることなく呟く。

 本土と初音島の行き来の方法は2つ。本土とを繋ぐ橋の道路か定期船による海路だ。

 その後者であるフェリーから一台のサイドカーの付いたオートバイが出てくる。祐一達は橋よりも定期船乗り場の方が近く、時間の良い便があったため海路を取った。

 そのまま初音島の住宅街にあるクライアントが用意した貸し家へ向かう。その表札は『染井』となっていた。以前、祐一が使った偽名で用意させたのだ。

 燐と零は送られていたダンボールを開け、部屋を整理していく。

 荷物は2人に任せ祐一は携帯電話を取り出すと短縮ボタンを押し、電話をかけ始めた。




『はい、どちらさまでしょう』



 数コールもかからず電話が通じ流暢な英語が聞こえ、祐一も英語で対応する。



「バトラーか? 祐一だ、ルヴィアは居るか?」



『おお、ユウイチ様でしたか。少々お待ちください』



 祐一が電話したのは魔術の師の一人であるキシュア=ゼルレッチ=シュバインオーグを大師父とする倫敦の名門魔術師エーデルフェルト家だ。対応に出たのは当主兼祐一の恋人の一人であるルヴィアゼリッタ、通称ルヴィアのお付きの執事のバトラーだった。

 電話の向こうから微かに『お嬢様、お電話です』『私は忙しいので後でかけ直すよう伝えてくださる?』『ユウイチ様からですが』『ユウイチ!? すぐ出ます! 切らないで…ってキャァ!?』 ガタッ ズドドドド ガシャーン と声と共に騒音が響いてくる。



『お久しぶりですねユウイチ、ようやくエーデルフェルトの婿になる覚悟ができたのですの?』



「相変わらずのそそっかしさと素早い外面の変わりようとナイスなボケをありがとう…で、一つ頼みたい事がある」



『あら、貴方が頼み事をするなんて珍しいですわね? できうる限り協力致しますわよ』



「…魔法使いの一人、芳乃祐姫の覚醒魔法を手に入れる為に魔術協会の一派が動き出しているらしい。時計塔内で怪しい動きがないか調べてできるなら何らかの圧力をかけてくれないか?」



『あら、その程度よろしくてよ。エーデルフェルトの名に懸けてお約束いたしますわ。所でユウイチ…』



「何だ?」



『貴方のお願いが終わったら、私もそちらに行っていいですか?』



「構わないが」



『約束ですよ、では御機嫌ようユウイチ…』



 電話が切れてから数秒後、電子音が鳴り響く。



「…もしもし」



『あ、沢渡祐一君かな? 私、芳乃さくらだけど』



「ああそうだ、あんたがクライアントか」



『うん、それで仕事について話したい事があるんだ。これから桜公園に来てくれるかな?』



「…わかった」



『じゃあ待ってるからね』



「燐、クライアントから呼び出しだ、行って来る……ん?」



 祐一は携帯電話をジャケットのポケットに入れ出かけようとすると零が持ってきたリュックに目が止まった。

 それは一般的なリュックサックだが中がごそごそ動いているのだ。祐一が口を開けるとハクとピロが転がり出して来た。



「零、ハクとピロも連れて来ていたのか」



「…マコピーも連れて来ようと思ったけど、居なかった」



「そうか。ハク、ピロ、一緒に出かけるか?」



 と言う祐一に元気良く一声鳴いて答える2匹だった。










―――桜公園



「魔法の寄り代とは言え見事な物だ」



 枯れない桜の立ち並ぶ桜公園の中を1人と2匹は歩いて行く。

 公園の中央に位置する一本の枯れない桜の下にクライアントはいた。



「始めまして、それとも久しぶりかな? 祐一君」



「覚えていたか…まぁ良い。仕事の内容だが島の異能者の護衛でよいな?」



「うん、もうすぐ桜は枯れて能力はなくなるからそれまで頼みたいんだ」



「簡単に言ってくれる、異能を開花させる桜は数少ない魔女の遺産だ。それを手に入れる為に世界中の組織が躍起になって動き初めているのだぞ」



「……できるだけ、早くするよ」



「それともう一つ、フリーの退魔師を雇うには暗黙の了解というものがある。それは雇い主は如何なる事情があっても裏切ってはならない、裏切った雇い主は決して許してはならないと言うことだ」



「分かってるよ」



「なら良い。行くぞ、ピロ、ハク」



 祐一は背を向け歩みだし、2匹はそれぞれ『うな〜』と『キャン』と一声鳴くとその後を付いて行った。



「………変わっちゃったね…祐一君」



 さくらは1人と2匹の後姿が見えなくなるまで動かくことなく桜の木の下で見送っていた。










―――夜



 少女が走る。

 夜の桜公園の中を走る。

 歌の練習に集中していて気が付いた時にはもう7時すぎ。

 公園を突っ切って近道しようとしたら変な感じがした。視界が軽く歪み、身体がだるくなる。

 良く見ると公園の中に人影が一つ、それはカソックを着た青い髪の女性だった。

 そのカソックを着た女性は無言で右手に三本の剣を取り出した。

 悲鳴を上げて逃げるが公園の入り口に見えない壁があるのか出ることが出来ない。



「貴女に怨みは在りません、ですがこれも仕事なんです」



 女性が剣を投擲するように振りかぶり、少女は死を覚悟し反射的に眼を閉じる。

 だが何時までたっても死は訪れない。代わりに響く金属音。



「また貴方ですか…何度邪魔をすれば気が済むのです?」



 カソックを着た女性の声に恐る恐る瞳を開けた少女が見たものは自分と女性の間に立つ黒衣の少年。



「やれやれ、カトリック教会には『善良な一般市民を問答無用必見必殺』なんていう教えでも出来たのか? 知得留印度、判ったらさっさとインドに帰れ」



「ガラムマーサラー! インド言うなー!!」



 えーと、これってタチの悪いドッキリなのかな? と少女は本気で考えてしまった。





 つづく